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第1916話 教育番組~結婚論8~

 続きです。八千文字達成。

 悪は憎んでもいい。悪は成敗してもいい。


 現世を俯瞰したところ、どうやら、これが蔓延はびこっているようだ。それが証拠にヒーローが悪を倒す物語は今も昔も王道であり、普段、優しいヒーローが悪に対して冷酷かつ無慈悲になっても違和感なく受け入れている。


 だが、本当に違和感を持たなくていいのだろうか?


 子供の頃、ウルトラマンがジャミラという宇宙人を倒したシーンを観て、悪を成敗したとしか思わなかったが、大人になって後から、あのシーンを振り返ると、そう単純な話でないことが分かった。


 こいつは悪だ。滅ぼしていい存在だ。とスイッチが入った瞬間、多くの人は善い人を止め、途端に攻撃的になるのだ。恥ずかしながら、かくいう僕も昔そうだったから面目ない。当時、それを正義と称し、正当な行為と考えていたが、よくよく考えたら、危ういとしか言いようがない。


 思いつきで正当悪と呼んだが、改めさせてもらう。これは「正義悪」だ。多くの人は、自分が正義だと思ったことに対してリミッターを解除し、平気で悪(憎しみ・攻撃)に走ってしまう。


 なるほど、だから人類の歴史は戦いだらけなんだ。


 物語は正義と悪の戦いだが、現実は違う。正義と正義の戦いだ。両陣営が自分たちを正義とし、相手を悪と設定して、リミッターを外して戦いあうのだ。だが、これは何も戦争に限った話ではない。日常のそこかしこにある。


 いじめっ子はクラスの和を乱す子(自分達と仲良くしない子)を悪とし、正義の行為としてイジメをし、上司は成果を上げていない部下(自分の思い通りにならない部下)を悪とし、やはり正義の行為としてパワハラをする。


 かつてアメリカは、日本の終戦希望を知りながら、まったく撃つ必要のない原爆を日本に二度も投下したが、これにより多くの民間人が犠牲になったことに対し、80年経過した今に至るまで公式に謝罪していない。


 戦後、アメリカは東京裁判を開き、日本の戦争指導者とされた人(A級戦犯)に対し、死刑判断を下したが、この時、根拠となったのが「平和に対する罪」という漠然とした概念だ。


 当時、日本人を裁くことができる国際条約や国際法などは存在しなかった。だから、占領軍は、自分達が急ごしらえしたルールで、日本人を一方的に裁いたのだ。だが、それは法と呼べるものではとてもなく、一万歩譲って仮に法であっても、事後法であり、それ以前に起きたことを裁ける根拠にはならない性質のものだ。


 何のことはない。東京裁判とやらは、法も秩序もない、ただの復讐劇だった。だが、それがまかり通ったのは「悪に対しては何をしてもいい」という「正義悪」がその場を支配していたからだ。だから、アメリカは80年経った今でも、日本で行った民間人大量虐殺(ジェノサイド)について謝ることはしない。彼らにとって正義のため行為であり、自分たちはこれっぽっちも悪いと考えていないのだ。むしろ善いことをしたとさえ考えている。「日本人よ、感謝しろ」ってね。


 悪には何をしてもいいという正義なら、それを僕は善と呼ばない。

 それは善を装った悪、正義悪だ。だが、これに毒されている人は多い。


 原爆開発計画である「マンハッタン計画」を承認し、開発を本格化させたアメリカの大統領はフランクリン・ルーズベルトだが、彼は極端な人種差別主義者で、日本人を病的に蔑視していたことが知られている。「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから凶悪なのだ」と大真面目に信じていたという。


 駐米英公使ロバート・キャンベルはルーズベルトとの会談内容を本国に報告した手紙で、ルーズベルトがアジアで白人との人種交配を進めることが重要と考え、「インド-アジア系、あるいはユーラシア系、さらにいえばヨーロッパ-インド-アジア系人種なるものを作り出し、それによって立派な文明と極東『社会』を生み出していく」、ただし「日本人は除外し、元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」と語ったと書いている。


 そして、「元の島々に隔離してしだいに衰えさせる」という妄想を言葉に出して、日本に通告したのがハル・ノートだ。ハル・ノートはルーズベルトの意向を受けた国務長官のハルが手渡したためそう呼ばれているが、原案を書いたのは財務次官補ハリー・ホワイトなる人物。


 彼は正真正銘、ソ連のスパイだった。米国と日本を戦わせるため、日本が受け入れられない強硬な内容にしたのだ。ホワイトがソ連のスパイだったことは戦後明らかになり、下院に喚問された3日後に自殺した。(口封じの暗殺かも)


 歴史にイフはないが、

 もし当時の大統領が日本人嫌いの病的な人種差別主義者でなかったなら、

 もしアメリカ政府がソ連のスパイによる工作を受けていなかったなら、

 と思わざるを得ない。


 実際、当時のアメリカ政府はハル・ノートを出す前に暫定協定案を作っており、

 この内容なら日本は受け入れ可能であった。


 ルーズベルト政権には300人ものソ連の協力者が入り込んでいたらしいが、ただの偶然ではなく、これにはルーズベルトの思想が大きく影響していたのだろう。彼は共産主義への警戒感はなく、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンについて「共産主義者ではなく、ただロシアの愛国者であるだけだ」と語っている。妻のエレノアも共産主義に共鳴しており、ルーズベルトはアメリカと日本を戦わせようとするスターリンの謀略にまんまと影響されていたのだ。


 ただの狂人なら、まだ良かった。だが、その狂人が権力を持ち、

 さらなる狂人の影響を受けたのが、日本にとって最大の不幸だった。

 死ぬ必要のなかった人がたくさん死ぬことになってしまった。


 当時の事情を知らぬ者は、日本が話し合いをせず、戦争に前のめりで暴走したとうそぶくが、とんでもない。日本は戦争を回避するため、ありとあらゆる外交努力を重ねてきた。だが、相手が悪すぎた。アメリカのリーダーは話の通じない狂人だったのだ。アジア人である日本人を自分達より下等な存在とみなし、犬猫を躾けるがごとく、日本人をまともな話し相手とみなしていなかった。「命令を聞け、さもなくば死ね」これでどう話し合いをすればいい。


 そうそう、ルーズベルトの妻エノレアは婦人運動家、人権活動家として有名で、初代女性の地位大統領委員会議長に就任している。当時、彼女は人権擁護の象徴として、リベラル・アメリカのシンボルであり、スターでもあったが、いくら国内で賞賛されても、夫の暴走を止められなかった時点で、お察しであり、まゆつば物と思わざるを得ない。というのもルーズベルトはエノレアの案を度々採用し、政策として実行してきたからだ。


 エノレアは夫が推し進めた日系アメリカ人強制収容に反対したということになっているが、結局、実行されてしまった。それにより、当時、アメリカに住んでいた日系アメリカ人は職を奪われ、住まいを奪われ、資産を奪われ、身一つで強制収容所に放り込まれたのだ。

 

 収容された12万人のうち、3分の2以上はアメリカで生まれた市民権を持つ二世・三世であったが、そんな事情は一切考慮せれず、かつ何ら法的手続きによらず、ある日、突然、軍人が家に押し入り、拘束され、首根っこを掴まれて鉄条網の中へ連行されたのだ。どれだけ怖かっただろう……その衝撃と恐怖を想像すると胸が痛くなる。


 彼らは何の罪もない。ただ日本人の血を引いている。それだけの理由で差別的扱いを受けたのだ。日本の同盟国だったドイツやイタリアの移民に対しても、こんな非道なことはしていない。明らかに人種差別であり、これのどこが人権だ。ふざけるのも大概にしろ。ここでも彼らの言う手前勝手な正義が通っている。


 自分は正しい。間違っているのは敵だ。

 敵に対しては何をしてもいい。これは正義だ。自分は悪くない。


 そう思っているのだろう。おそらくエノレアをはじめとするリベラリストも、普段、大衆には優しい仮面を見せ、世界平和やら人種平等やら、耳当たりのいいことを語るのだろうが、いざ、敵認定した相手に対しては、仮面を外して本性を露わにする。彼らの正義とやらの正体は正義の皮を被った悪、正義悪だ。


 夫が人種差別を信条とし、妻が人種平等を信条とするなら、そんな関係の夫婦は長続きするはずがない。夫婦も他人であり、考えが違って当然だが、さりとて、基本的価値観が合っていなければ、続くわけがないし、それ以前にマッチング(お見合いやデート)の段階で「この人はない」になるだろう。エノレアはルーズベルトとの間に6人の子供をもうけ、ルーズベルトが死ぬまで添い遂げた。なので、彼女の基本的価値観(本心)は夫と近かったと推察する。


 人種差別や戦争というマイナスのイメージを持つ夫を支えるため、彼女は人種平等や平和というプラスのイメージを喧伝したのだ。夫婦愛と言えば聞こえはいいが、つまりはプロパガンダのため。自分達を善く見せようとするためだ。狡猾な悪は善のふりをする。


 ふぅ、いつものことだが横道に逸れた。話を結婚に戻そう。


『よい結婚はあるけれども、たのしい結婚はない』


 と、フランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフコーは言っているが、これは、結婚生活には常に情熱や喜び(愉しさ)が続くわけではなく、長く平穏な日々を維持するには忍耐や努力が欠かせない現実があるという意味だろう。「愉しむ」は「楽しむ」よりも深い満足感や喜びを感じるという、より豊かな意味合いがある。


「よい結婚」とは、相性が良い、信頼できる、あるいは家庭が安定している状態を指す一方、「愉しい」という感情は一時的な熱情に属するため、結婚という日常の継続には適さないということだろうが、表現としてキツイと思い、番組では話さずにいた。似たような話は修行の部分でしてるしね。


 ちなみに、ラ・ロシュフコーの結婚描写はさらにキツイ。


『三週間互いに研究し合い、三か月間愛し合い、三年間喧嘩をし、

 三十年間我慢し合う』


 とまで言ってるからな。流石にそこまで酷くないと思いつつ、逆にそれぐらいのものだと思っていた方が引き締めにはいいかもしれない。が、これもこれから結婚する人にはキツイので省かせてもらった。酸いも甘いも知る既婚者ならいいが、これから結婚しようとする人には毒が強すぎる。


『良い妻をもらえば幸せになれるし、悪い妻をもらえば哲学者になれる』


 と、ソクラテスは言ったが、これも似たような意味だろう。悪い妻というのは、自分に合わない妻のことだろうが、その方が修行のハードルが上がり、精神性を鍛えることができる。裏を返せば、それに耐えられる器があるからこそ、それに見合う妻を選ぶとも言える。


「おじい様のお話、為になりました」

「僕もです。いろいろ身につまされました」


 マークとレクサーから耳触りのいい感想を頂戴する。

 思考から現実にチャンネルを切り替えるとしよう。


 ここは連邦放送局が入っている内務省の建物内にある喫茶店。収録後、一服する際によく利用してるところだが、今回もご多分に漏れず、関係者と一緒にお茶をする。参加者は、僕、マーク、レクサーの他、マークの両親であるトーマスとミローネ、レクサーの両親であるアレクとサラもいる。全部で7名、丁度いい人数だね。


「おじい様、同棲は僕のような王族でもできるのでしょうか?」


 おっ、早速、マークから質問が来た。


「もちろんできる。ただ、いきなり本格的な同棲はハードルが高いから、最初は泊まりなしの通い、週一から始めればいい。急にでなく徐々にね。相性が良ければ、どんどん時間を増やしたいと思うし、なんか相性が合わない、違うな、と感じたら、様子見したり、それ以上、進めなくていいしね」


「……ということは、同棲は結婚を前提にしつつ、

 結婚しない場合もあるということですか?」


 切り込んできたね。


「その通り。多少合わなくても、二人で調整できればいいが、

 それが無理なら、それ以上進める必要はない」


「その場合は婚約解消ですか? 影響はないのでしょうか?」


「情報を両家の間だけに留められれば問題ないだろう。もちろん関係者の口止めをした上でね。婚約もそう。確実に結婚すると決まった段階で表に出す方が無難だ」


 身内である両家への情報伝達は早く、それ以外は結婚が固まってからでいい。


「わかりました。情報管理が必要ということですね。それと、先ほどの内容をお聞きすると、同棲は結婚より大変そうですね。関係を深めつつ互いにチェックして、表も裏も見せつつ気に入られるようにしないといけないということで」


「その見立ては正しい。結婚後するであろう苦労を先にする様なものだからね。

 でも苦労は先にした方がいい」


 パネルを提示する。


□-----


 先苦後楽


□-----


 この四文字は汎用性が高く、よく使っている。

 でも、後々、楽をしたいなら、これしか方法はない。

 

 苦(人生の課題)から逃げた先にあるのは低級霊界であり、

 苦を乗り越えた先にあるのは高級霊界だ。

 

 あと、これも言っておかくか。


「同棲期間中は婚約中とはいえ、未婚の男女だから、色欲制限がしっかりかかる。

 同意の上、手を握るぐらいならいいが、基本的に相手の肌に触れないようにな」


 若い男女にはこれがきついだろう。まさにこの点が前世の同棲と違う点だ。


 前の世界の同棲

・無計画(勢い、流れ、雰囲気)

・両家に話さない場合あり

・婚約なしの場合あり

・同衾あり(色欲制限なし)


 この世界の同棲(僕が勧める同棲)

・計画(期間や内容を決める)

・事前に両家に話す

・事前に婚約する

・同衾なし(色欲制限あり)


 僕は前の世界からいろいろ導入しているが、

 導入しても先ずそのまま導入せず、改良する場合が多い。


「あの、服装はどうでしょうか?」


「服装か、普段着るような服なら問題ないが、露出の多い服は控えるように。

 もちろん相手がいる前で服を脱いで色欲を助長するのもNGだ」


 この世界は全般的に肌の露出が控えめだし、マークとレクサーはそういう服を着ないので、さほど心配してないが、言うべきことはきちんと言っておかないとな。言わなくてもやるだろう。というのは信用の証とされるが、僕はこれを過信していない。ヒューマンエラーやケアレスミスといったものは、これが原因で起こるケースが多いからだ。


 ミスをしない人は、この世に存在しない。

 なので、基本、人のチェックに終わりはない。当然、これは自分に対してもだ。


 信じる=その人の言ったことを証拠(事実確認)なしに

 100%受け入れることとするなら、それは狂気の沙汰だ。


 だが、その狂気が前の世界で、度々蔓延することがあった。普段、表面上、多くの人は常識的に行動しているが、ひとたび誰かを敵認定、悪認定すると、それが一気に広がり、まるで中世の魔女狩り、江戸時代の村八分のように攻撃性を発揮する。これも正義悪のなせるわざであろう。


 普通の悪は悪だと自覚できるから、反省し、更生しやすいが、自分を正義だとする悪は、自分が悪だと自覚できず、反省も更生も、なかなか進まない。善いか悪いかの判断ができるようになることは、僕がコモンスキル『善悪の判断』で定めている通り、人生で欠くべからざることだが、一方、自分の行為が善であるか悪であるか評価するのは、自分ではなく他人だということも併せて覚えておく必要がある。


 なので、自分は正しい、自分は善人だ、と自分で評するのは、おかしいということになる。そうでありたい、そのように努力したい、というならいい。だが、自分をそう(自分は絶対に正しいマン)だと設定した瞬間から、自分に反するものは不正義・悪となり、やることが悪人のそれと同じになってしまう。


 戦いの場面では

「我が国こそ正義なり」「義はこちらにあり」などと、

 指揮官は叫ぶが、無いからこそ有るように言い張るのだろう。


 但し、戦いそのものは完全否定しない。戦いは避けるべきだが、それでも向かってくる相手とは戦うしかない。無抵抗でやられることは自殺と変わらず、それを勧める者は敵の工作員であろう。戦いは悪だが、自衛のための戦いは必要悪だ。


 生きる者が生きようとすることは誰が何と言おうが認められる。これはすべての法やルールを超えた普遍の真理だ。神意と言ってもいいだろう。神様が生き物を創り、生きることを認めた。ならば生きる道こそが王道。


 自分を正義(善)だと考えることは悪である。


 熟考して、その結論に至った。かつて、アメリカは自分達の正義により「平和に対する罪」とやらで、日本人を裁き、処刑したが、戦争が起きた原因は、アメリカが禁輸と経済封鎖により、日本人の生存を脅かしたことだ。これにより日本人は生きるために戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまった。


 アジア諸国への侵攻も日本は望んだものではなかった。だが、欧米がアジア諸国を植民地化し、日本への資源や食料の供給をストップさせたので、それを止めさせるため、実力行使に出るしかなかった。戦った相手は現地のアジア人ではなく、欧米人だ。


 歴史は勝者が作る、というが、これにより、戦後、日本は悪の権化のように喧伝され、日本がやむにやまれずした自衛戦争が悪辣な侵略戦争として教えられることになった。この教育を受けた世代は未だにそう思っているようだが、今からでも正確な歴史を学んで欲しいものだ。そうしないと占領軍が押し付けた正義とやらに洗脳されたまま。騙されたまま一生を終えるのか? 自分たちは戦争犯罪人の子孫だと? それは日本とアジアのために戦った祖先に対して、あまりにも失礼だ。


 あの当時、アジアで国として独立していたのは日本とタイだけ。それ以外にアジアに独立した国は存在せず、すべて欧米の植民地だった。だから、今のアジア諸国と戦ったわけでも、侵略したわけでもなく、侵略者である欧米人を追い出すために戦ったのが実情だ。あの戦いは日本から見れば自衛のための戦いだったが、アジア諸国から見れば、解放のための戦いでもあった。それは当時、アジア諸国の人々が日本に協力してくれた事実からも明らかであろう。


 あの戦いも正義と正義の戦いと言えば、そうなるが、

 欧米の正義は自分たちに都合のいい世界を作ることであり、

 日本とアジアの正義は、自分達が平和に生きることだった。

 どちらが本当の正義だったか、今となっては明らかであろう。


 勝てば正義という世の中では、正義は歪められ、正義悪となるだろう。論理的に考えれば解かる話が、正義か否かと、勝つか負けるかとは、まったく違う概念であり、違う尺度だ。だが、強者は自らの長所である強さを正義にしようとする。だが、その正義は紛い物。正義の皮を被った悪、正義悪だ。


『正義なき力は暴力、力なき正義は無力』


 これはパスカルが『パンセ』で説いた正義と力の両立を求める言葉だが、前半は積極的に共感しつつ、後半は消極的な共感とさせてもらう。力がなくても正義が通る世の中が理想だが、そうも言ってられないのが現実ということだろう。


 なので、社会的秩序などの正義を維持するための力は必要悪として肯定する。だが、力はいつでも暴走する危険性があるので、その制御(自制)が欠かせない。力を持つ者にはその責任がある。力があるからといって好き勝手に使っていい訳ではない。それを抑えることが現世の修行なのに、わからんちんはいるんだよな。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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