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第1871話 教育番組~仕事論6~

 続きです。

「労働推奨課の諸君、何か質問はあるかい? 何でもいいよ」


 収録を終え、見学席に座る福祉省労働推奨課の面々に声をかける。いつもならすぐ、この場から離れ、館内の喫茶店でお茶をしばくところだが、収録中、彼らは真剣に僕の話を聞いてくれたので、それに応えたい。次の収録まで間があるので、このスタジオはしばらく使える。ちなみにギロン王子は他のスタジオに移動済み。彼は忙しいからね。僕のような半リタイア組とは違う。


 現在、一日あたりの仕事時間は3~4時間ぐらい、あとは趣味に充てているが、仕事も趣味も僕にとっては似たようなものなので、見ようによっては、ずっと仕事をしてるようにも、ずっと趣味をしてるようでもあるかな。楽行化の成果だね。


 そう、楽行化(利他)であり、趣味化(利己)ではないが、僕の場合、楽行を趣味と捉えているから間違ってはいない。利他的行為が利己的行為でもあり、相反しないのだ。


「ありがとうございます、聖王陛下。

 それでは、君たち、遠慮なく質問しなさい」


 課長のタクムスが礼を言い、課員に質問を促す。

 これまで度々研修し、彼らはほぼ顔馴染みだ。


 そういう親密さもあり、「何でもいいよ」と口からついて出たが、彼らは空気を読み、今回のテーマに沿った質問をするだろう。そのために招待したわけだしね。


 無礼講 ほんとにやったら 無礼者


 みたいな格言が前世にあったが、今回の場合、ほんとにやっても僕は無礼者にはしない。自分の言葉に責任を持つ。性格の悪い上司なら部下が言う通りにやったら、「もっと自分で考えろ」と言い、考えてやったら、「自分勝手にやるな」と文句を言うが、二重拘束(ダブルバインド)を行い、部下が困るのを見てほくそ笑む上司であってはならないからね。相手の反応を見て楽しむ行為は、いじりであり、いじめに通じる。


 早速、手が挙がる。ここからは質問会だ。


「仕事についてですが、たまにミスをします。ミスをしない方法

 というのはあるのでしょうか?」


 よくある質問だ。導入には丁度いい。


「仕事で絶対にミスをしない方法は、仕事をしないことだ。

 そうすればミスをしなくなる」


「えっ? 仕事をしない、のですか?」


「というのは冗談だが、あながち間違ってはいない。仕事をする以上、誰だってミスは付きものだ。ミスをするということは仕事をしている証拠。ミスを減らす努力はすべきだが、ミスそのものはゼロにできないだろう。でも、それを気にする必要はない。後でリカバリーすればいいだけの話だ」


 ミスしてでも挑戦することに意義がある。


『神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。

 ただ、挑戦することを望んでいるだけです』


 と、マザー・テレサも言ってるしな。


「ということは、リカバリーできないようなミスを

 しなければいいということですか?」


「極論すればそうなる。ほとんどの仕事はリカバリーできるからね。リカバリーが難しいのは自分の権限や能力を超えて突っ走ることだ。それさえしなければ大事には至らない。ミスをしてもいい。但し、そのミスは自分でリカバリーできる範囲にとどめること。最悪でも組織全体でカバーできるようにすることだ」


 ミスはしない方がいい。だが、それを極端に恐れると仕事そのものができなくなってしまうという矛盾を孕んでいる。それではこの世に来た意味が薄れてしまう。挑戦して失敗しても、挑戦・失敗という、いい経験ができる。動かなければ何も経験できない。


「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」と言われるが、実際のところ、やって後悔することはほとんどない。挑戦した時点で己が信念に従って行動できたわけだしね。結果はどうあれ、そこで魂は満足する。魂は結果を気にしないからね。


 得と損か、勝つか負けるか、成功するか失敗するか、ではない。

 やるかやらないか、だ。


 昔の日本の公務員は「遅れず休まず働かず」と揶揄されたが、「遅れず休まず」は良いとして「働かず」はダメ。誰かが不労収入を得ると、その分、誰かが労働成果を奪われることになる。


 だが、残念ながら、働かず、働いたふりをする公務員がいる。どうしてこうなるかと言うと、働けばミスをして咎められ、評価が下がるからだ。役所の人事評価は減点方式だからね。予算を大幅に削減するような画期的な提案をしてもプラスにならないが、その提案を実現するため、人並み以上に努力し、疲労で10分遅刻をしたらマイナスになる。


 それ以前の問題として、予算を大幅に削減するような提案を役所でしたら、皆から白い目で見られるだろう。予算イコール利権であり、役人はそれを死守しようとする。不必要な箱ものや事業に予算をつけ、そこに天下りを送り込み、自分や身内の就職先確保に精を出す。公金を使って何をやっているのやら。


 最近、日本のある地方都市のお城のお堀(内堀)に棲むシカが話題になったことがある。2頭のメスのシカしかおらず、高齢化により絶滅の危惧に瀕しているが、それを解決するため、別のところに棲むシカを受け入れる計画が上がっていた。その場所ではシカが増えすぎて困っていたから、一挙両得な計画だと思われたが、結局、その計画は没になってしまった。


 主な理由は動物愛護の観点から移住によりストレスを与えるべきでないはないということだが、どこから受け入れようがストレスは避けられない。それに動物愛護を盾にするなら、増えすぎた場所のシカは駆除(殺処分)される可能性が高いのだから、多少ストレスがあっても種を存続させた方がよほど動物愛護に資する。


 こんなことは少し考えれば分かる話だが、それでも廃案になったのは、前例がないことをすることにより、何かあった場合、責任を追及されるのを恐れてだろう。いかにも役所っぽい。シカの命より自分たちの保身。


 また、どこかの自治体では何十年も違法建築を放置し、未だに動きが悪いが、いったい何をやっているのか。悪質な違法状態が続いているのだから、さっさと行政代執行でも何でもやればいい。近隣住民は役所に何度も対応を求めてきたが、面倒くさがって役所は対応してこなかった。法治国家なんだから放置するな。それじゃ放置国家になってしまう。


 子供だってやるべきことは言えばすぐやる。それができない大人は子供以下だ。最近、外国人が増え、ヤードに産業廃棄物の山を築く例が増えているが、これも役所は動きが悪い。なんか弱みでも握られているのか? というぐらいにね。このまま放置したら、日本はゴミだらけになってしまうぞ。工作員によるサイレントインベイジョンの臭いがぷんぷんする。


 役所の慣行に従い、決められたことを決められた通り、事務的にやれば責任を取らなくていい、とでも考えているのだろうが、そうはいかない。それで問題が起きれば責任が発生する。ミスが起きないよう前例にこだわり過ぎると、かえってミスが起きる。不作為のミスを彼らはないものとして扱うが、お天道様はちゃんと見ている。するべき人がしなければ、それは悪となる。権限には責任が付いてくるが、それは行ったことに対する責任だけではなく、行わなかったことに対する責任も含むのだ。


 我関せずの放置は罪である。


 困っている人が目の前にいて助けを求めているのに、

 顔を背け、目を塞ぎ、耳を閉じ、その場を立ち去るなら

 間違いなく業を積む。


 幕末の肥前国佐賀藩に鍋島直正という藩主がいた。彼は西洋の技術を積極的に取り入れ、佐賀藩を日本屈指の近代化藩へと導いた名君だ。藩財政の改革、日本初の反射炉による鉄製大砲の鋳造、アームストロング砲の国産化、種痘の普及、教育の拡充などを実施した。 そんな彼が残した言葉がある。


「天下に先んじて憂い、天下に遅れて楽しむ」


 藩主としての矜持だろうが、これを公職に就くすべての人に聞いてもらいたい。本来、公職に就く者はかくあるべき。民が憂う前に憂いて、民に憂いがないようにし、民が天下太平の世を楽しむことを目指す。自分の楽しみは二の次だ。どこかの役所のように民が憂いても動かず、保身や私利私欲ばかり考えるようではお話にならないのだ。


 次の質問者が手を挙げる。


「人には能力差というものがあり、同じ労働条件下でも、結果が変わり

 ますが、それについてはどうお考えでしょうか?」


「確かに人には能力差があるが、それがイコール実力差になるとは限らない。いくら能力があっても、それを形にするのはまた別の話だからね。例えば、頭が良ければ、力が強ければ、性格が良ければ、仕事ができることになるだろうか? 実力が発揮できるか否か、仕事ができか否か、は様々な要素が複合的に作用して決まるものだ」


「ですが、やはり能力のある人の方が有利ではないでしょうか?」


「うむ、有利ではあるが、その有利さに胡坐をかいて努力を怠れば、結果は付いてこない。それなら、むしろ、能力がなくても、ひたむきに頑張る方が、他者から好感を持たれ、応援され、いい結果を出すこともある」


 パネルを提示する。


□------


 能足りん

 労足りん


□------


「能力が優れていても、労力が足りなければ、他者から良い印象は得られない。なぜか? 反感や嫉妬もあるだろうが、その能力を他者のために使っていないからだ。能力を持つ者にはそれを正しく行使する責務があり、それすなわち他者を助けることだ。一方、能力が人並みないし劣っていても、一生懸命努力するなら、他者から良い印象を得られる。能力が足りないのは生まれ持ったものもあるから、なくても責められない。だが、労力が足りないのは自分の意思で、努力不足によるものだから責められる。つまり、能足りんより、労足りんの方が罪深いということだ。これゆえ働けるのに働かないことを戒める」


 議員でも役人でも経営者でも、

 その能力は他者のため社会のために使うべきもの。

 自慢したり、他者を蔑み、虐げるために使うべきものではない。


 次の質問者が手を挙げる。


「仕事の尊さについてですが、これは難しさとは

 別の尺度ということでしょうか?」


「人様の役に立つ仕事なら、どの仕事も尊いが、困難度が伴う仕事はより尊くなる。困難度について深掘りすると、理屈や計算や交渉で頭を使う、という能力的な難しさ以上に、汚れたり、重いものを持ったり、危険な目に遭ったり、というモチベーション維持の難しさの方がより尊い」


 好きになるのが難しい仕事ほど尊さが増す。


「ということは、頭を使う綺麗な事務仕事より、頭を使わない汚れる

 現場仕事の方が尊い、ということですか?」


 ん? ちょっと聞き捨てならないことを言ったぞ。

 僕でなければ聞き逃しちゃうね。でも、否定からは入ることはしない。


「大筋はその通りだが、少し補足させてもらおう。肉体を使う仕事や汚れる仕事イコール頭を使わない仕事と思われがちだが、必ずしもそうとはならない。例えば、農業にしても、ものづくりの仕事にしても頭をよく使う。料理を作るのも、家を作るのも、相当な勉強がいる。事務仕事をしてると、それがもっとも頭を使う仕事だと思いがちだが、そんなことはないからね。掃除だって、どうやったら汚れが落ちるか勉強しないといけない」


 どの仕事も尊く、誰でもできる簡単な仕事というものはない。

 どの仕事も相応の勉強が必要だ。


「『あの仕事は誰でもできる』と軽口を叩く人はその仕事をやったことが

 ない人だ。やったことがないから、そういうことが言える」


 介護の仕事を年収300万円でする人を、外資系コンサルの仕事を年収2000万円でする人は蔑むかもしれないが、もしそうなら、一度自分でその仕事をしてみたらいい。おそらく一か月も続かないだろう。いや、一週間、一日でも厳しいかもしれない。どんなに優れた学歴があろうが、博士号があろうが、弁が立とうが関係ない。実際にやれば、その大変さが分かる。


 そして、しっかり体験したなら分かるはずだ。自分の仕事より難しいと。それを分からない人、分かろうとしない人は、やがて分からせられることになる。来世以降、その身で経験することによってね。転生回数の少ない人は他人の上前をはねてでも楽に金が稼げる職業を選び、転生回数の多い人は自分が苦しんででも徳を積める職業を選ぶ傾向があるんじゃないかな。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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