第1872話 教育番組~仕事論7~
続きです。
芝居の世界では、経験の少ない役者ほど格好いい役をやりたがるが、経験不足により、それをすることが難しい。よって最初の頃は名無しの通行人やモブの役ばかり。刑事事件のドラマなどでは死体が登場するが、名だたる名優も、ああいう役をやってきた。チンピラ役、鉄砲玉の殺され役、下品な嫌われ役とかもね。あのジャッキー・チェンもブルース・リーの映画のモブ(倒され役)で登場していた。
だが、転生においては事情が大きく違う。どんな役でもお好みでなることができるのだ。だから経験(転生回数)の少ないうちから、どんどん恰好いい役をやる。親ガチャというが、あれは嘘、ガチャではなく自分で親を決められるから、資産家だろうが名門の家だろうが、希望すれば、その家で生まれることができる。
貧乏な家に生まれて、親に八つ当たりする人がたまにいるが、
筋違いも甚だしい。その環境を選んだのは自分だ。
さらに肉体も服屋で衣装を選ぶかのように事前に選べるので、美人やイケメン、長身やナイスバディの健康体になれるし、簡単に知識を覚える頭脳などもオプションで付けられる。イージーモード、勝ち組の人生も思いのまま。
現世に生きる人の感覚からすれば、それだったら、皆、その役を選ぶ、となるだろうが、魂の感覚は全然違う。彼らは成長したいので、最初の頃はともかくとして、転生を繰り返すうちにイージーモードでは成長度が少ないことに気付き、やがて自らハードモードを選ぶようになる。
魂が欲するのは、身になる経験であり、成長だ。
よって魂の世界ではイージーモードはあまり人気がなく、ハードモードの方がずっと人気がある。だから、現世では困難のない恵まれた人は数が少なく、何かしら困難を抱えて苦労する人の数が圧倒的に多い。現世だけ見ると「こんな苦しみの多い世界はおかしい、理不尽だ」となるが、理不尽でも何でもない。魂が望んだ通りに世界があるだけだ。
理不尽だと、この世を嘆けば嘆くほど、人生はハードモード化するが、それも魂の計画のうち。転生の際、過去世で得た記憶や能力を封印するが、それは人生をハードモード化するため。僕は封印した人生とそれを解除した人生の両方を経験してるから、それがよく分かる。
さてと、横道はここまで。
質問会は続く。次はどんな質問かな。
「あの、テーマから離れた内容でもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
最初に「何でもいいよ」と言ってるし、
確認してくれるなら、猶更いいと答える他ない。
「以前、聞いた聖王陛下のご講義で、執着から離れることの重要性を聞いたことがあるのですが、これは何もかもどうでもいいという考えとは違うのでしょうか?」
執着か……奥深いテーマだが、真正面から答えよう。
「執着から離れるというのは自分を縛っているものから離れるということだから、それは違う。分かりやすく言うと固定観念だな。例えば、本当は能力があるのに、それを発揮できない人がいるとしよう。どうしても肝心な場面になると力が出なくなってしまう。こういう時はなぜそうなるのか内省するといい。すると、子供の頃に親や友人から『お前はダメな奴だ』と言われたことを思い出したりする。それで心の中で『そうなんだ』と思い込み、自分で自分の足を引っ張ってしまうんだ。でも、よく考えてごらん。昔、誰かから言われたネガティブな言葉はあくまでその人の主観であって、そんな無責任な言葉に振り回される必要はない。だから、そういう過去のネガティブな固定観念はさっさとポイ捨てするに限る。それが執着から離れるということだ」
「ということは『執着から離れたい』と漠然と思うだけでは
不十分ということですか?」
「でも、最初はそれでいい。漠然とでも心の中に薄く広げていけば、やがて個別の案件が次々と浮かび上がってくる。誰かの力になりたいと思えば、そういう場面が増えてくるようにね。他人の話は益にも害にもなるが、益は糧になるからいいとして、害になるものは『ああ、なんか言ってるな』ぐらいで聞き流しておけばいい」
漠然とでも普段から考えていれば、
それが潜在意識に染み込み、やがて潜在意識が動き出す。
みんな善い人、みんな仲良し、みんな幸せ、素直にそう想う。
「人は考える葦であり、考えることは人の人たる所以だ。だから物事はよく考えるといい。でも中には、そうすると『考えすぎ』と言う人もいるだろう。だが実際は、そう言う人物が『考え無さ過ぎ』ということがある。人は皆、自分の物差しで得手勝手に言うものだから、話半分で聞くぐらいが丁度いい。そうすれば、心に傷を負ったり、余計なことに気を患うことがぐっと減る」
パネルを提示する。
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話半分で聞く
□-------
毎回、毎度、人の話を1~10まで真剣に聞いて、真に受けていたら、
消耗が激しくなる。人にも省エネモードは必要だ。
修行は大事だが、何でもかんでもやればいいというものでもない。
身になる修行が大事だ。成長に結びつくものでないとね。
家を10軒建てる場合、別々の場所に違う建物を建てるなら、いい経験になるが、同じ場所で同じ家を建てて壊し、また建てて壊しを10回繰り返すだけなら、いい経験にならない。これだと数をこなしても、ただの作業であり、成長に結びつきづらい。
人生の時間は限られているのだから、タイパは非常に大事。
時は金なり、では済まない。時は人生なり、だ。
「人の話を聞くのは大事なことだが、どんな話にも益と害がある。だから、すぐ鵜呑みにすることなく、先ず話半分で聞いて、取捨選択、反芻した後、益を吸収すればいい」
人の話を一切疑わず、そのまま吸収できれば理想ではあるが、玉石混交の現世において、それは避けた方がいい。よく噛まず丸飲みしたら消化不良でメンタルを壊すことになる。現世では悪魔の囁きやら道を惑わす雑音が多いからね。
次の質問者が手を挙げる。
「『話半分で聞く』はコモンスキル『スルー』のようなものでしょうか?」
その言葉がさっと出るということは、
書籍『コモンスキル』を読んでくれているのかな。
「まぁ、そうだね。コミュニケーションする際、相手が普通の人なら『人の話をよく聞く』、疑わしい人なら『話半分で聞く』、悪意に満ちた人なら『スルー』ということだ。どの人とも同じように接しようとするから疲れる。いいかい? この世に同じ人はいない。であれば、人によって接し方を変えるのはごく普通のことだ。善い人には胸襟を開いて身近に接し、悪い人にはバリアを張って距離を置く。この世のストレスや苦しみの大半が対人関係によるものだが、この使い分けを心がけることにより、だいぶ軽減されるはずだ」
僕の言う省エネモードとは、善い人の話をしっかり聞き、悪い人の話を聞き流すこと。その逆、善い人の話を聞き流し、悪い人の話をまともに受けたら、気を病み、おかしな方向に行くに決まっている。だが、悪事千里を走る、の言葉通り、えてして人は悪い人の話ばかり聞いてしまうんだよな。まぁ、悪い人は善い人より、ワーワー騒ぐことが多いから、聞きたくなくても耳に入るというのはあるんだろうけどさ。その場合は耳を塞げばいい。馬鹿正直に全部聞く必要はない。どうせ大したことは言ってない。
人生は限られている。
その時間は極力、身になること、為になることに使うべきだ。
ろくでもないこと、どうでもいいこと、じゃなくてね。
『人の話をよく聞く』と『スルー』はコモンスキルとして挙げているが、その間の『話半分で聞く』も追加していいかもしれないな。できる人は習わずとも当たり前のようにできるだろうが、そういう人ばかりとも限らない。
さて、論を進めよう。
「世の中には口さがない者がいる。例えば注文者Aと受注者Bがいたとしよう。BがAの言う通りに動くと、AがBに『言ったことしかやらない』と文句を言い、BがAの考えを読み、独自に動くと、『勝手に動いている』とさらに文句を言うとかね。結局、何をしても悪く言ってくるから、こういう相手とは距離を置いた方がいい」
次の質問者が手を挙げる。
「今の事例はパワハラでしょうか?」
教えた言葉が着実に広まっているな。パワハラという事象はこの世界にもあったが、それを言葉にしたのは僕。言語化することにより、問題を可視化しやすくなり、対処しやすくなる。
「そうだな。権限や立場の上の人がそうでない人を権限や立場を笠に着て威圧的に振る舞うなら、そうなる。仕事とは本来苦しくても楽しいものだが、苦しさばかりという場合、職場の人間関係、特に上司や取引先からのハラスメントが原因となるケースが多い。上司ならパワハラ、お客さんならカスハラだね。これはずっと我慢すべきものではなく、改善を求めるべきだ。労働推奨課においても、ハラスメント対策に気を留めておくように」
ハラスメントには、延々と愚痴や泣き言をいって同情を誘う、不機嫌ハラスメントというのもある。中には不機嫌になると黙り込み、謝るまで無視し続けるなんて歪んだのまであるんだよな。こういう場合、まわりの人は大人の対応として同情する言葉をかけたり、悪くなくても謝ったりするが、そうすると益々つけあがり、フキハラを繰り返すようになる。
だから、必要以上に同情してはいけないし、悪くないのに謝るべきではない。
大人なら自分の機嫌は自分で取ってもらう。
『人間の最大の罪は不機嫌である』
とゲーテは言ったが、
えっ、たかが不機嫌が人間の最大の罪? 大袈裟な。
と思うなら認識が甘い。
あるラーメン屋での例を挙げて説明しよう。
お客さんが味噌ラーメンの食券を買ってイスに座った。
店員が「味噌ラーメンでよろしいでしょうか?」と聞くと、
お客さんは「食券見ればわかるだろうが! いちいち確認するんじゃねーよ!」
と怒鳴った。
怒鳴られた店員は、ラーメンを作っている職人に
うっぷんを晴らすかのように怒鳴り声でオーダーを伝えた。
すると職人は「なにあいつキレてんだ!?」と腹が立った。
この職人は、嫌な思いを引きずったまま帰宅。
ビールでも飲んで発散しようと冷蔵庫を開けるけれど、
ビールがないので妻を怒鳴った。
妻はイライラし、子どもがピーマンを残しているのを見つけて怒鳴りつけた。
子どもは翌日、学校で友達に因縁をふっかけてケンカになり、
母親が呼び出された。
事情を聞いたところ、昨晩母親に怒鳴られたことにモヤモヤを感じ、
ケンカになったと判明。
帰宅した母親が父親にそのことを告げると、実は父親も職場でキレられて、
妻にあたってしまった事がわかる。
翌日、父親は店員に「なんで昨日いきなりキレたのか?」を問うと、
不機嫌な客にむかつく対応をされたことが発端だったことが判明。
これ、とあるフランチャイズのラーメン屋の説明会で
話されている内容らしい。
かように不機嫌はどんどん伝染する。各人はその場のちょっとした鬱憤晴らしのつもりでも、それが拡大していくのだ。この例では伝言ゲームのごとく、一人から一人、また一人から一人へと足し算で増えているが、一人から多数に、多数からより大多数へと掛け算で増えることもあるから、それこそネットやSNSの発達した前の世界なら、誰かの不機嫌があっという間に世界中に広がることだろう。
一昔前なら、何か具体的に嫌な目に遭って、不機嫌になったものだが、現代は、ネットやSNSを通じ、誰かのどうでもいい不機嫌に同調して、数え切れないほど多くの人が不機嫌になってしまっている。自分で体験せず、その場にいたわけでもないのに、想像力を働かせることにより、不機嫌な人に同調し、自分も不機嫌となるのだ。これは健全な状態とは決して言えない。不機嫌が憎しみとなり、憎しみが争いとなり、それがエスカレートすれば戦争となる。
ゲーテの言う不機嫌は僕の言う悪想念に他ならない。
これを抑えることが人生の大きな課題だ。
生きてる間に悪想念という怪物を退治しないと。
これはここでしかできない。悪想念だらけの低級霊界では無理。
そして、不機嫌をやめて、ご機嫌であろう。
不機嫌と同じく、これも人々に伝染する。
ご機嫌でいるだけで、世界平和に貢献することができるのだ。
ご機嫌とは善想念であり、意識して発するようにしよう。
多くの人は低級霊界出身のため悪想念慣れしており、悪想念は意識せずとも簡単に発するが、善想念の方は慣れておらず、なかなかそうはいかない。だからこそ、意識して発する。それには「感謝行」がお勧めだ。感謝の気持ちが無くても、毎日「ありがとうございます」を千回も唱えれば、自然に内側から生じてくる。千回が無理なら百回、百回が無理なら十回でもいい。とにかく習慣化することだ。
感謝の想いは対象を指定せずとも、潜在意識を通して感謝すべき存在に届くが、漠然としてやりづらいなら、神様、お天道様、すべて、万物万霊、恩人など、対象を決めて感謝してもいい。
A 他人の機嫌が取れる
B 自分の機嫌が取れる
C 自分の機嫌が取れない(他人に機嫌を取ってもらう)
Cは未熟者であり、年を取ってもこうならば、肉体だけ年を取り、精神は子供のままということ。転生回数が少ないタイプに多く、自己中心的でわがまま、他人への思いやりはなく、とにかく攻撃的だ。それゆえ、人から嫌われ、爪弾き、迫害に遭ってもおかしくないのだが、それでは生き抜くのに支障をきたすため、大金持ちの家に生まれる、大柄な体格で生まれる、外見が綺麗に生まれる、などの補助輪を付けるケースがままある。内面の未熟さを外面でカバーするのだ。
現世では身体に不自由がある人を障がい者として扱うが、魂視点ではCのような人物こそが障がい者であり、それゆえ、まわりがサポートすることになる。
Bは自分のことができるようになり、補助輪が外れた状態だ。ここでようやく一人前と言える。言えるが、まだ自分ばかりに目がいき、視野が狭い。ここ止まりだと上には行けないだろう。上に行くならAの段階まで進まないとね。ただ、これができるようになるには、他人の気持ちが分かるようにならないといけない。それには利他行の日々是実践だ。あなたの助けを必要とする人はたくさんいる。
あなたの目は人に慈愛の眼差しを向けるためにあり、
あなたの耳は人の助けを聞くためにあり、
あなたの口は人に愛と安らぎの言葉を贈るためにあり、
あなたの手は人をいたわり、力づけるためにあり、
あなたの足は困った人のところに駆けつけるためにある。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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