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第1850話 ギルフォード財団25~感謝と謝罪5~

 本テーマはここまで。

 質問会は続く。さて、次の質問を受けよう。


「お話からすると、感謝と謝罪はすればいいというものではなく、

 すべき場合を選ぶということですか?」


 すべき場合、そうそう。よく聞いている。


 英語で表現すれば、shoud、had better、have to、need to、あたりだろうが、「ねばならない」の義務・強制・命令ではなく、「した方がいい」の提案・警告として使わせてもらっている。「その方が貴方の為になり、そうしないと貴方の為にならない」という思いから発している。


「うむ、そうなるね。感謝と謝罪は善意にあたるが、善意は誰にでもすればいいというものではなく相手を選ぶ。例えば、何もしていない人、迷惑をかける人に感謝したら、何もしていない状態、迷惑をかける状態を是認し、推奨したことになってしまう。謝罪もまったく同じこと。感謝と謝罪はそうすべき理由がある人に対してするものだ」


 これが基本だが、感謝については、その枠を超える善性がある。

 但し、それは思いの世界に留めた方がいい。分かりやすく整理しよう。


 パネルを提示する。


□-----------------


 感謝の気持ち   → すべて

 感謝の意思表示  → 通じる相手


□-----------------


「ここで注意。精神性の高い人は、何もない状態、迷惑をかけられている状態ですら、感謝の心を持つことができる。それ自体は素晴らしいことだ。これを否定するものではない。だが、自分がそうだからといって、その感覚で精神性の低い相手に感謝を伝えると、混乱を招く恐れがあるから要注意。すべての事象や人に対し感謝の気持ちを持つのはいい。但し、意思表示は通じる相手にするべきだ」


 パネルを提示する。

 

□-----------------


 謝罪の気持ち   → 迷惑をかけた相手

 謝罪の意思表示  → 通じる相手


□-----------------


「感謝と謝罪の意思表示は、それをする理由がある人で、かつ通じる人にする。一方、気持ちの方は、感謝はすべてに対して、謝罪は迷惑をかけた人に対してする」


「感謝の気持ちはすべてに対して、していいのですね」


「そう、気持ちの方はね。この世のすべての万物万霊に感謝していいし、

 もっと言えば、この世を越え、あの世の隅々にまでしていい。感謝は無限だ」


 パネルを提示する。


□-------


 感謝は無限


□-------


 理想が入っているが、この理想は通したい。


「感謝は無限、謝罪は限定的、といいうことですか?」

「その通り」

「その理由を教えて頂けますか?」


「理由か、そうだな……僕らはこの世界の一員であり、この世界に受け入れてもらっている時点で、この世界全体に感謝するべきなんだ。それは、この世もあの世も含めてね。いくら感謝しても、し足りない。僕らが世界に「有る」ということを世界に感謝する。なぜなら世界に「有る」ということを認めてもらっているからだ。世界のお陰で僕らは有る。それは有難いことなんだ。だから世界中に感謝しよう。世界は広大無辺であり、無限なんだから、無限に感謝する」


 一切衆生悉有仏性いっさいしゅじょうしつうぶっしょう


 これは、すべての生きとし生けるもの(衆生)が等しく仏の心(仏性)を持つという『涅槃経』の教えだが、これが日本で神道的な自然信仰や万物崇拝の思想と習合し、


 山川草木悉有仏性さんせんそうもくしつうぶっしょう


 にまで昇華した。これは、動物だけでなく、山や川、草や木など、命のないとされるものまで含めた万物に仏性が宿るという思想だ。元々、日本には仏教以前からアニミズム(人間、動植物、岩、川、風など、自然界のすべてのものに霊魂や精神が宿っていると信じる世界観や信仰形態)があったが、それが仏教と一緒に入ってきた漢字によって概念が整えられ、言語化・文章化されたのだ。仏教で初めて知ったわけではないが、元々あった素養や世界観が仏教によって体系づけられた。


 神道ではすべてに神性が宿ると考え、それが八百万の神の信仰に元となっている。八百万の神とは数え切れないほど多くの神々を意味し、自然物(山、川、滝、岩、木など)や自然現象(雷、風、太陽など)、さらには生活道具に至るまで、あらゆる存在に神性を見出す。


 神羅万象、万物万霊、世界のすべてに、

 神性、仏性があり、だからこそ、すべてに感謝する。

 感謝によって世界とつながり、世界とひとつになれる。


「感謝はプラスの加算だから、どんどんすればいい。一方、謝罪はマイナスの消し込みだから、マイナスがなくなるまですればいい。そこが両者の違いだ。わかりやすく言えば、物に傷が付いて補修するのが謝罪。補修は大事だが、ずっとし続けるものではない。傷がなくなるまでだ。一方、感謝は物のメンテナンスのようなもの。物を綺麗に大切に扱うことは、いつでもどこでも、いつまでもする」


 だから、本当は順番として、先に徹底的に謝罪し、罪を償ってから、感謝した方がいいが、謝罪はハードルが高いため、現実的には、先ず感謝をして周波数を高め、謝罪を苦なく違和感なく、できるようになってから謝罪をする。つまり、感謝しながら謝罪するというのが入りやすいやり方だ。感謝、謝罪、感謝、謝罪を繰り返しながら、徐々に感謝の割合を増やしていく。


 次の質問者が口を開く。


「謝っても許してくれない場合はどうすればいいのでしょうか?」


 先程もちょっと触れたが、そういうことはあるよな。

 でも、答えは出ている。


「きちんと誠心誠意謝ったのあれば、それで十分だ。悪いことをして謝るのは当然だが、ずうっと際限なく謝り続ける必要はない。謝罪はあくまでマイナスが消えるまでだ」


「謝罪は被害者が納得するまでだと思っていました」


 そう言う人が中にはいるが、それは真実ではない。


「もちろん納得してくれれば、それが最善だが、現実問題、世の中にはいつまでも

 根に持って恨み続ける者がいる。だが、それには付き合う必要はない」


 謝罪は被害者の気持ちに寄り添うことが大事であり、たいていの場合、真摯に謝れば解決するはずだ。だが、精神性の低い人物はいつまでも悪想念を抱き続ける。彼らは悪想念発生器であり、自分の中で抱いた1の悪想念を2にも3にも4にも増幅させ、1しか被害を被っていないのに、その何倍も相手を責めるのだ。倍返し、三倍返し、といった具合にね。このような者に付き合うのは時間の無駄。


 他人にクレクレと要求ばかりする性分をテイカー気質というが、他人にいつまでも謝罪を求める連中もこれに当てはまる。そして、クレクレ言う者に与えたら、もっとクレクレと言い、相手の悪性を助長するので、与えることは罪となる。こういう者にはきっぱり「与えない」と宣言することが大事。ギャーギャー文句を言うだろうが、それが彼らの為になる。


 善行すれば好かれると思われがちだが、一概にそうとは言えない。テイカーに物を与えず、欲望や悪に走る者に注意すれば嫌われる。相手によって意見をころころ変え、誰にでも好かれる八方美人は善人ではない。悪人に嫌われる勇気を持てるのが本当の善人だ。


 嫌われる勇気を持て。


 日本は特定アジアと呼ばれる3か国に嫌われているが、まったく気にする必要はなく、堂々と振舞えばいい。この3か国は狡猾なテイカーであり、粘着質なストーカーであり、付き合っても、奪われ、消耗するだけだ。最終的には日本を日本でなくし、自分たちの属国にしたいと考えている。日本人を自分たちの下僕にしたいのだ。明確な敵性国家であり、国交断絶を視野に入れ、付き合いは最小限度に留めた方がいい。


 今から100年以上も前に福沢諭吉は脱亜論を唱え、東アジアの国(特定アジア)と付き合うと発展が阻害されると見抜いていたが、これは間違っていなかった。歴史にイフはないが、日本は大陸と関わるべきではなかった。関わってしまったから、今の体たらくがある。(といっても列強の植民地政策やロシアの南下政策などがあり、やむにやまれぬ面はあるが)


 嘘の歴史を教え、歪んだ反日教育により、国民の大多数が「日本が嫌い」という、異常な国と付き合う必要はない。世界には200近くの国があり、そちらに目を向けよう。「日本が好き」という国はいくらでもある。わざわざ異常な人たちと付き合うという罰ゲームをする必要はない。こっちにまで異常が移りかねない。


 日本が嫌いな国の人は歪んだ思考により、日本人を罪人と決めつけ、日本人には何をしても許されると本気で考えている。だから日本に来て日本人に平気で迷惑をかける。こんな連中は日本に入れない方がいい。それがお互いのためになる。


 ぜひ日本人に心穏やかに過ごしてもらいたい。

 その具体的かつ効果的な方法は特定アジアの悪影響を断つことだ。

 これだけで一気に周波数が上がる。これにより日本を取り戻すのだ。


 有難いことに日本のすぐ近く、南方に世界一の親日国がある。この国も日本と同じ島国であり、気質が日本人と近い。歴史の授業で日本から受けた恩恵を正しく教え、日本から受けた援助に感謝できる国民性だ。自然災害が起きた際、互いに助け合う仲であり、その関係は益々強くなっている。


 東日本大震災で日本は世界中から多くの支援を受けたが、この国は人口比で世界最大の支援をしてくれた。あれから10年以上経過しているが、日本人が未だに感謝してる姿を見て、その国の人が感銘受けているという。でも、それは日本人にとって当然のこと。感謝はいつまでも続く。


 謝罪と違い、感謝に限りはない。


 話を戻そう。


「趣向を変え、感謝と謝罪の悪用についても話をしておこう。例えば、相手との会話が長引いた際、唐突に『今日はありがとうございました』と言えば、それは会話を終わらせようという合図となる。本当はもっといろいろ話があるのに『今日はありがとうございました』をすると、『会話を終了しましょう』を匂わせることになる。感謝の気持ちを伝えるという体で、対話を切ってしまうんだ。謝罪もそう。唐突に『どうもすいません』と相手に言われると、それ以上、不満を表明したり、相手を責めたりすることがしにくくなる。ここに『謝っておけば済む』という邪心があるんだよな。相手からの耳の痛い話を封鎖するために使われる場合がある」


 必要なコミュニケーションを打ち切るための道具として「ありがとう」や

「ごめんなさい」が使われるケースがあるが、これはよろしくない。


「相手から責められたくないから、『ごめん、ごめん』と口先だけで謝り、それでも言ってきたら、『ごめんと言っただろ!』と逆切れするとかね。『ごめんなさい』は言わないよりは言った方がもちろんいいが、口先だけでなく心を込めて言うこと。これは『ありがとう』もそう。言葉さえ言えば、心からの感謝、心からの謝罪をしなくていい、ということにならない」


 口先だけの感謝の言葉により、心からの感謝を避け、

 口先だけの謝罪の言葉により、心からの謝罪を避ける。

 これでは本末転倒だ。


 特定アジアは謝っても許さない文化であり、日本は謝ったら許す文化だ。両者は根本的に価値観が違い、とてもじゃないが、手を組める相手ではない。この件はここまでにするとして、日本において日本の文化を悪用するケースがたまにある。謝ったら許すのが一般的なので、逆に、謝りさえすれば何でも許されると勘違いし、その通り行動する者がいたりするのだ。確かに謝れば許すべきだとは思うが、最初から、それを計算に入れて悪いことをするのは違うだろう。こういう輩に限って、怒られると「器が小さい」と逆ギレしたりするが、道徳を悪用するなと言いたい。


 次の質問者が口を開く。


「前感謝は要注意ということでしたが、それは謝罪にも言えそうですね」


 おお、丁度、それを言おうとしていた。シンクロだな。


「うん、その通りだね。『先に謝っておくけど』と言って悪いことを堂々とする前謝罪は褒められた行為ではない。普段から謝罪しなくて済むように行動するのが基本だ。『ごめんなさい』は免罪符になりうる言葉ではあるが、最初から、それを当てにしてゲームの切り札のように使うのは間違っている。『ごめんなさい』を言わなくて済むように誠意を持って行動し、その結果生じたミスや罪について謝罪する。『謝りさえすれば、許される。何をしてもいいんだ』という気持ちであってはならない。謝罪にはそれなりの重み、本気度が伴うものだ」


 この件に関連し、前の世界で実際にあった話を思い出す。


 あるマンションで真面目で仕事熱心な人が管理員として働くことになり、その人は住民に喜んでもらいたい一心で、早朝まだ誰も起きてない時間帯から清掃を始め、皆が起きる頃には清掃を終えていた。「朝一番で清掃すれば、一日中、綺麗な状態で過ごしてもらえる」管理員はそう考え、その通り実行したのだ。


 だが、その善なる思いと行動とは裏腹に住民から管理会社へクレームが入った。「おたくの管理員は朝からまったく掃除をせず、管理室でじっとしている」とね。管理員の仕事は館内の清掃だけではなく、管理室での受付もあり、清掃後、受付に入っただけだが、住民は管理員が清掃してる姿を見ておらず、怠けていると捉えたのだ。


 これを受け、管理員は清掃時間を遅らせ、住民が起きる前から仕事をするのではなく、ゴミ出しや出勤など活動しだしてから、清掃するよう改めた。その結果、クレームはなくなり、逆に「よくやっている」と褒められるようになったが、ここから言えることは、人は目に見えることだけで物事を判断し、世界の一部を見て、世界のすべてを見てるように錯覚するという、しょうもない性質があるということだ。


 注意深く観察すれば、朝からチリひとつ落ちてない状態に気付くはずだが、朝起きて管理室の前を横切ったら、管理員が掃除をしないでいたので、そこだけを切り取って、「一日中、怠けている」と判断したのだろう。本来は感謝すべき事象なのに、感謝せず、それどころか文句を言ってるのだから嘆息するが、世の中こういうことは意外に多い。


 この件を深掘りすると、管理員の行為は陰徳性(善性)が高く、それが住民の周波数と合わず、住民に理解できなかったのだろう。だから、陰徳性(善性)を下げ、目に見えるところでやって、ようやく理解できるようになった。


 現世では善い人過ぎると過剰善となり、悪と捉えられるケースがある。テイカー気質の人にどんどん与えるのもそう。自分は善のつもりであっても、善は相手本意のものであり、真に相手の為にならなければ、それは善ではない。現世において善は相手の周波数に合わせて行う必要があり、実は結構難しいことなのだ。独り善がりは本当の善ではない。


 僕らは、知らず知らずのうちに、いつの間にか、目に見えないところで、助けられている。今この瞬間だって助けられている。太陽からエネルギーをもらい、植物から酸素をもらい、大地のお陰で立っていられる。体を構成する細胞は休みなく活動し、それにより生命を維持できている。すべてに感謝を。ありがとう。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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