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第1848話 ギルフォード財団23~感謝と謝罪3~

 関連回 第1596話 教育番組~食育2~

 この際だから感謝行について、もっと話をしよう。

 会場のみんなも聞く気満々だしな。聞く気があるなら話したい。


 売り言葉に買い言葉という言い回しがあるが、良好なコミュニケーションは相互の良好な関係によって成り立つもの。それを大切にしたいため、僕は相手と波長を合わせてから話をするようにしているが、波長を合わせると、双方の思いが伝わりやすくなり、良好なコミュニケーションが取れやすくなる。


「感謝行はこれまで十分感謝しなかった自分を反省し、遅まきながら感謝することだ。でも、それでいい。感謝する必要があると気付けたわけだから。それだけ成長したということになる。成長しなければ、そんな気さえ起きない」


 パネルを提示する。


□---------------


 感謝は成長の証であり、

 感謝するほどに人は成長する


□---------------


「ただ、注意点もある。真摯に感謝すれば、徳を積み、業を解消することによって運命が改善してゆくが、そうなると実は棚ぼたラッキー的なことが起きやすくなるという“副作用“が生じやすくなる」


「副作用……ですか?」


 副作用と言えば、通常、悪い意味を伴うので、ルルアが聞き返してきた。

 ルルア自身は解っていることだが、参加者たちを代弁しての質問だろう。


「そう、副作用。現世的に棚ぼたラッキーは喜ばしいことだが、実はこれ、せっかく積んだ徳を解消させてしまい、霊的に喜ばしいことではない。感謝行を行うと、人によってはラッキーなことが起こりだし、ラッキーになるための方法として認識してしまいがちだが、それは好ましいことではない」


「ということは、ラッキーは期待しない方がいいと?」


「その通り。それともうひとつ。今実行中の案件で、結果がまだ出ていない段階で、先に『うまくいきました。ありがとうございます』と感謝すると、本当にうまくいく場合がある。これは『前感謝』と言い、願望実現法のメソッドでもある。『前祝い』と似たようなもの。だが、これも徳の解消の面があるから、程々にした方がいい。いい結果をイメージするのはいい。だが、ツキやラッキーに頼ってはいけない。問題はそこだ」


 前感謝の最大の問題点はツキやラッキーを願い、

 現世利益を求めやすくなること。それにより、過去世に目が向かなくなり、

 業を解消できなくなってしまうことだ。


 ツイてる。運がいい。と過度に思ことは危うい。

 ツイてない。運がない、と思うこともよろしくない。

 ツキや運は考えない方がいい。


「感謝行の一番の目的は徳を積み、業を解消すること。つまり霊的功徳だ。時として現世利益を得ることもあるが、それはあくまで付録。そちらをメインにしては決していけない」


 前の世界では、現世利益を期待して感謝行をする人が多いが、これは前感謝による願望実現法であり、感謝行で積んだ徳を解消してしまうので、まったくお勧めしない。但し、ツキやラッキーを期待せず、純粋な思いからの前感謝ならしていい。だが、未熟な人はどうしても邪心(他力本願や怠惰)が入ってしまうので、先ずは邪心が入らないよう心を整える方が先だ。


「ありがとう」は素晴らしい言葉だが、これさえ言えば、物事がすべてうまくいき、棚ぼたラッキーが次々と起こるなんて考えない方がいい。それは、この壺を買えば先祖の因縁が解消されるとか、この御守りを持てば商売繫盛するとか、この呪文を唱えれば開運するとか、と根っこが同じだ。そこには、修行せず自堕落に過ごしたいという(よこしま)な気持ちがある。


 感謝についてはこれぐらいでいいな。


「次に謝罪だ。これは人に悪いことをした際に使う言葉で、悪いことをしなければ、使う必要がないと思われがちだが、さにあらず、人は気付かないうちに、見えないところ、知らないところで、悪いことをしてきている」


 このあたりの構造は感謝と同じ。


「例えば、悪気なく良かれと思って言った言葉が相手を傷つけたり、自分では直接手を下していなくても、間接的に悪いことをしてる場合が往々にしてある。普通に努力して競争に勝っても、その裏で競争に負け、泣く人だっている。正真正銘の悪人でなければ、意図的に悪行しないものだが、悪には作為の悪だけでなく、不作為の悪もあるからね。人は日々、食により生き物を殺生するし、道を歩くだけで地面の小さな生き物を踏みつぶすし、息をするだけで空気中の微生物を取りこんで殺してしまう。これらも不作為の悪と言えば、そうなる」


「不作為の悪ですか……」


「そう、不作為の悪、悪意のない悪だ。さらに例を挙げると、他人に対し『背が低い』『太った』などの外見上の特徴を言うとかね。悪意がなくても、これで相手が傷つけば悪口になる」


「それを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか?」


「これも想像力だな。相手の立場を想像し、自分がそう言われたらどう思うか、よく想像することだ。そうすると悪いことをしたと判るようになる。そして悪いことをしたと判れば謝罪できるようになる」


「謝罪にも気持ちが必要ということですね」


「そう。ただ口先だけではなく、気持ちを込めて言うこと。そのためには自分が悪いことをしたとしっかり自覚する必要がある。作為の悪の場合はこれがしやすいが、不作為の悪の場合はこれがしにくいから要注意だ」


「そうすると、これまでまったく気付かず、そのままにしてしまった

 悪が相当ありそうですね」


「そうそう。だから、これも感謝と同じで、今までして

 こなかった分を謝罪しないといけない」


 パネルを提示する。


□---------------------


 過去世、現世、これまで、

 ご迷惑をおかけした全ての方々に謝罪します

 ごめんなさい


□---------------------


「これは、謝罪行の祈りの言葉だ。これを三回唱えて、

 その後、『ごめんなさい』を心行くまで繰り返すといい」


 以前、善念行のうち感謝行を推奨していたが、今はこれに謝罪行も加えている。世の中には感謝できるけど謝罪できない人が多く、それだけ感謝より謝罪の方がハードルが高いということだろう。だが、感謝行を通じて精神性を高めた人はやがて謝罪も苦でなくなる。そのタイミングで謝罪行を始めると精神修行がスムーズにいく。


「僕らはこれまで十分謝ってこなかった。それ以前に悪いことをしたとすら思わなかった。このままでは業を背負ったままになる。業を減らしたければ、自分に罪に向き合い、きちんと謝ること。これをぜひ今世でやってもらいたい」


 英語の “I’m sorry” は、「私は悲しい」という意味であり、自分の感情や責任回避に重点が置かれている。一方、「ごめんなさい」は“あなたとの関係性”を回復したいという思いから生まれる言葉。


 ご 尊び

 め 芽生え、愛情

 ん 終止、終わり、整える

 さ 差し出す

 い 命、感情


 一音一音にちゃんと意味がある。

 ちなみに「ありがとう」は古語の「有り難し」が語源だが、


 あ 光、すべての本源 すべての始まり

 り 螺旋、結合、ことわり

 が 輝き、エネルギーの放出、放出された力

 と 統合、安定、固定

 う 広がり、受容、存在の広がり


 と、こちらにも一音一音に意味がある。


「感謝と謝罪では謝罪の方が心理的ハードルは高い。感謝は普通にできる人でも、謝罪は抵抗を持つ人が多い。それは謝罪する前提として自分の罪を認める必要があるからだ。人はこれを中々しないし、そこから目を背けようとする。だが、悪いことをした事実は何年経とうが消えることはない。記憶から忘れ、生まれ変わってもだ。その罪はずっと残る。それを解消するのが謝罪だ。謝罪すると罪人になるのではない。罪人でなくなるのだ。逆に謝罪しないと、ずっと罪人ということになる」


「ということは、謝罪した方が絶対にいいですね」


「そういうこと。世の中では謝ると負けという風潮があるが、

 霊的には真逆、謝ると勝ち、人生の勝利者になれる」


 善想念の中でも感謝はひときわ重要視されがちだが、「ありがとう」さえ言えば、人生はすべてうまくいくかと言えば、そんなことはない。善想念には他にも様々なものがある。その中で「ごめんなさい」は「ありがとう」等と比べ、ネガティブに捉えられ、避ける人が多いやに思うが、「ごめんなさい」はネガティブではなく、罪を浄化するポジティブなものだ。謝罪は自分の非を認めるため感謝よりハードルが高く、感謝以上に人としての成熟が求められる。


 年下、目下、立場の下の人に対し、感謝できない人は謝罪もできないだろう。人は得手勝手に人に上下関係を設定し、下に設定した人に対し、感謝も謝罪も怠りがちだ。酷い人になると、上に設定した人に対してさえ、それをしない。


 もし自分がある人に対し、感謝も謝罪もせず、する気も起きないとしたら、それは、自分はその人より上だと思っているからだ。仮に誰に対しても、その気が起きないとしたら、かなり重症だ。生き方を根本的に見直した方がいい。


 この世には、見下していい人など、ただの一人も存在しない。


 前世では感謝の言葉「ありがとう」を数多く唱えると、人生が豊かで楽しく幸せになるという教えが広がったが、これを結構なことだと思う反面、感謝万能説には疑問を呈する。感謝万能説の人は感謝が謝罪の上位概念で、感謝すれば謝罪したことになると考えている節があるが、このふたつは別の概念であり、性質は全然違う。よって感謝が謝罪の代わりになることはなく、感謝すれば謝罪しなくていいということにはならない。


 酷い目に遭わされた場合、もっとも欲しいのは謝罪。そこで唐突に感謝されても「はぁ?」となるだろう。食として命を頂いた生き物に対して感謝だけでは「はぁ?」となる。命を奪っておいて「ありがとう」だけでは意味が通らない。先ずは謝罪だ。「その前に言うべきことがあるだろ」はよく聞く定番の台詞だが、まさにそれ。悪いことをしたら先ず謝る。これが対人関係、対生き物関係の基本だ。感謝はしないより、した方がいい。それはその通り。だが、悪いことをしたのなら謝罪が先。感謝はその後だ。


 食の祈りは三部構成。


(謝罪)貴重な命を頂き、ごめんなさい。  

(供養)どうか来世において幸せでありますように。   

(感謝)命を繋ぐ糧となって頂き、ありがとうございます。


 先ず犠牲になった命に対しての謝罪。

 それから、来世での幸せを願う供養。

 最後に糧になってくれたことへの感謝だ。


 ほとんどの人は最後しかやらないが、これではまったくもって不十分。

 その感謝すら口先だけで心がこもっていないことが多い。


 謝罪には他にも言葉あるが、「ごめんなさい」を推したい。例えば「すみません」は「謝るだけでは済まないことをした」、「申し訳ありません」は「言い訳(申し開き)の余地がない」という元の意味があるが、どちらも罪を認めた状態(自分が悪い状態)を指す。それに対し「ごめんなさい」は「互免なさい」であり、「お互いに難を免じましょう」と読み取れ、次元の高さを感じさせる。


 どこにも難なんて書いてないじゃん。と思うなかれ。日本語にはネガティブな表現は言語化しないという優れた文化がある。言葉の奥にある深い意味を読み解くのだ。「ごめんなさい」により、お互いに難を免じ、浄化を図る。文字通り免罪符の言葉、それが「ごめんなさい」だ。


 一方、「ありがとう」は「有難し」が語源だが、深読みすると「難が有る」状態であっても、今こうしていられること自体への感謝を表す言葉と解釈できる。つまり「ありがとう」は感謝により、難を肯定的に捉えて難を難で無くし、「ごめんなさい」は罪を認め、謝罪して難を免じるものと言える。


 自分に降りかかる難は「ありがとう」と言い、

 相手に降りかかる難は「ごめんなさい」と言う。

 

 これでほとんどの難に対処できる。

 難なんて何てことはない。恐れるに足らず。

 カレーと一緒に食べるナンのようなもの。噛み砕き成長の糧にする。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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