第1847話 ギルフォード財団22~感謝と謝罪2~
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第1010話 教育番組7~因果解消2~
前世の財団と言えば、資産運用に精を出しながら、お金を配るという二面性を持っていた。お金を配る行為は善行だが、資産用つまり株や債券の売却益や配当益は他者の労働成果の横取りであり、悪行になると考える。そうでなくても、労せずの棚ぼたラッキーは徳の解消につながり、非推奨だ。
だから、ギルフォード財団では資産運用はしないし、また、単にお金を配るだけでなく、真に世のため人のためになるよう慈善活動をする。お金がない人にお金を配っても、お金を稼ぐ資質や能力がなければ、すぐお金がなくなってしまう。また、労せずもらうことにより、依存性が増す恐れがあるから、かえって事態を悪化させる可能性がある。
そうならないようギルフォード財団では、単にお金を配るのではなく、どうすれば本当に相手のためになるか、よく考えた上で活動する。前世のアフリカ諸国は長らく先進国から援助を受け続けているにもかかわらず、なかなか発展しないが、あれは援助漬けにより、援助ありきの経済体制に陥ってしまっているからだ。それに加え、為政者のレベルが低く、自国の発展より自分の口座残高を気にする者ばかりで、先進国からの援助を横領してるのだろう。こういうところへ援助しても、ブラックホールへ吸い込まれるだけだ。
援助というものは単にすればいいというものではない。
それで、やった感を出し、善人気取りになられても困る。
それではただの自己満足だ。だが、そこ止まりの人は割と多い。
本人は善行してるつもりだろうが、善行になっておらず、
徳を積むこともできていない。これは悲劇であろう。
さて、それでは講義を始めるとしよう。
こういう時、わざとらしく「ゴホン」と咳払いする人がいたりするが、あれはいい感じがしないので僕はやらない。「んっ!」「ああっ!」「なにっ!」などと威圧的に言うことも避けている。これらは自らの周波数を下げ、対人関係や運命を悪化させる行為だ。
「感謝と謝罪、誰しも知る言葉で、今さらと思われるかもしれないが、この二つは人生を有意義にする上で欠くべからざる非常に大切なものだ。今日はこれについて深掘りしよう」
さて、行くか。
「先ず感謝についてだが、感謝と言えば、一般的に何か人から良いことをしてもらった際のお礼の言葉として認識されているが、実はそんな浅い言葉ではない。例えば、病気になって薬師から薬を出してもらい、それを飲んで治った場合、目の前にいる薬師に感謝するだろう。だが、実は薬の原料である薬草が、辿り着くのが難しい秘境にあって、冒険者が命からがら採取してきたなら、その冒険者にも感謝が必要だよね? 皆、どう思う?」
皆、静かに頷く。
「さらに、その秘境に薬草があることを調べた別の冒険者、冒険者をサポートした人々、薬の調合方法を発見した薬師、それを代々伝えた薬師などにも感謝がいるよね? 何が言いたいかというと、僕らは何かをしてもらった際、目の前のいる人には感謝するが、そこに至る過程の多くの人へは、ほとんど感謝していないということだ。だが、彼らがいなかったら、助かっていないわけだから、当然、彼らにも感謝するべきだ」
ルルアが手を挙げる。
「目の前にいない方々への感謝ですか、お言葉通り目に見えませんが、
それは可能なのでしょうか?」
「目に見えなくても想像すれば可能だ。毎日食べる食事にしたって、料理した人、買い物した人、売っ人、運んで人、栽培した人など、実に多くの人の世話になっている。もちろん、糧になった命に対してもね」
霊界はイメージの世界だが、現世でもイメージは大事。
実践でどうしようもないところはイメージでカバーする。
「子供は家でお母さんがご飯を作ってくれ、いろいろ面倒をみてくれるから、概して、お母さんへの感謝は強いが、外で働くお父さんは目に見えないから、感謝を怠りがちだ。それではよろしくないので、できたお母さんは、子供に対し『お父さんが外で働いてくれるから生活できるのよ。感謝しましょうね」とちゃんと説明する」
逆にダメなお母さんは、自分が好かれたい一心で、お父さんの頑張りを子供に話さず、自分だけが子供のために尽くしているように話をする。これでは他者の労働成果の横取りだ。
「それから、僕らは何かをしてもらって感謝する。という気持ちが強いが、実は何もない状態というのは、特別なことであり、有難いことなんだ。目に見えないところで、いろいろな人の働きがあるから、平穏無事に過ごすことができている」
一息つく。
「例えば、Aが道を歩いていて足場の悪いところで転んでしまい、たまたま近くにいたBが助けたとしよう。するとAはBにすぐ感謝できるはずだ。目の前で起きた行為であり、これは分かりやすい。でも、Aがその道を通る前にCから『この先は足場が悪いので道を変えた方がいいですよ』と言われたらどうだろう。感謝するかもしれないが、その場では本当にそうなのか分からないし、違う道を進めば、なおさら分からないから、感謝を怠るケースが多いんじゃないかな。それでも、まだ目の前に現れるから、感謝を伝えるチャンスはある。でも、Aが道を歩く前の日に、Dが道を直したら、その事実はまったく目に触れないので、Aの頭の中で無いことになり、感謝しようと思うことさえないだろう。DはBよりもCよりも助けになっているのにね」
人は目に見えないところで知らず知らずのうちに助けられている。人は、トラブルが起きて目の前で解決してくれた人には感謝できるが、トラブルが起きないように陰で動いてくれた人にはなかなか感謝できない。
「それも想像して感謝した方がいい、ということですか?」
「その通り。目に映ることはメッセージであり、それに感謝するのは当然のことだが、それだけではまったく足りない。僕らは、過去世を含め、これまで十分感謝してこなかった。だから現世では、過去世を含め、目に見えない部分も意識して感謝するべきだ」
目に映るメッセージだけでなく、目に映らないメッセージも大切に。
パネルを提示する。
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お陰様
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「目に見えない救済者を『お陰様』と言う。常日頃、これに感謝しよう。
それは神様、守護霊様、ご先祖様を含む」
僕らは目に見える事象、お日様には感謝するが、
目に目得ない事象、お陰様への感謝を怠ってきた。
人様、皆様、お互い様、神様、お天道様、お陰様。全方位で感謝する。
パネルを提示する。
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過去世、現世、これまで、
助けて下さった全ての方々に感謝します
ありがとうございます
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「これは、感謝行の祈りの言葉だ。これを三回唱えて、
その後、『ありがとうございます』を心ゆくまで繰り返すといい」
感謝行には因果解消の作用がある。
書籍『因果解消』に記載した善念行の一種だ。
「何かをしてもらったら感謝すべきだが、目に見えることであっても、感謝を怠るケースは多い。例えば、家でお母さんが料理を作ってくれた際、お父さんが仕事を終え、疲れて帰った際、友達に助けられた際など、ちゃんと感謝してきたかな? その思いがあっても、ちゃんと口に出す人は意外に少ない。どうして、そうなるかと言うと、やってもらって当たり前という気持ちがあるからだ。でも、これは良くない」
パネルを提示する。
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「ありがとう」の反対は「あたりまえ」
「ありがとう」は感謝の言葉
「あたりまえ」は感謝を打ち消す言葉
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「あたりまえ」は「してもらって当然」という
尊大、傲慢な気持ちから湧き上がる言葉だ。
「人は自分より目上の人、立場の上の人には感謝するが、目下の人、立場の下の人に感謝しなくていい、と思いがちだが、まったくそんなことはない。相手が誰であろうと助けてもらったら感謝しないとね。『悪いな』『助かる』とかではなく、ちゃんと言葉に出して『ありがとう』と言おう。人は誰しも感謝されれば喜び、いい気持ちになる。それは善行であり、徳を積むことにつながる」
「ありがとう」は徳を積み、
その徳で過去世の業を清算する力がある。
「仕事でしてもらったことも、『ありがとう』と言おう。仕事だから、
してもらって当たり前だと思うのは損。どんどん『ありがとう』を言おう」
何が起きても、ありがとう。
何も起きなくても、ありがとう。
誰に対しても、ありがとう。
いつでもどこでも、ありがとう。
この生き方が人生を豊かにする。逆に――
何が起きても、あたりまえ。
何も起きなくても、あたりまえ。
誰に対しても、あたりまえ。
いつでもどこでも、あたりまえ。
この生き方が人生を貧しくする。
昔、小学校6年生の頃、いい先生にあたり、よくしてもらったので、クラスメイト全員で話し合い、お金を出し合って花束を買い、最後の日に先生に渡そうということになった。ところが結論から言うと、それが実行されることはなかった。生徒たちは全員賛成したが、生徒の親から反対が出たのだ。その理由がこう。
先生は給料をもらって、その仕事をしている。
先生が生徒を教え、指導することは当たり前。
だから、お金を出してプレゼントする必要はない。
当時、子供ながら、それを聞いて脱力したのを覚えている。確かに仕事と言えば仕事だが、それに収まらない心のこもった素晴らしい指導を先生はしてくれた。結局、お金をかけず、皆で感謝状を書くことになったが、後から振り返るとかえって良かった。花はすぐ枯れてしまうが感謝状なら何年も残る。
似たような経験は社会人になってからもある。ある日、会社の同僚と食事を共にした時だが、店員さんの接客態度が良かったので、「どうもありがとう」と感謝したら、同僚から怪訝な表情で見られ、店員さんが去った後、「えっ、何で感謝するの? あの人は仕事でやってるだけだろ」と言われたことがある。
丁寧な接客は店員だからといって誰でもできるものではなく、気分を良くしてくれたお礼をしたいと感じたからだが、その質問をしたということは、同僚はそう感じなかったのだろうと察し、世の中にはこういう人もいるのか、と思ったものだ。
ただ、今振り返ると、僕が感謝することにより、反射的に同僚の「不感謝」が浮き彫りになってしまい、それで、そうさせた僕に反感を持ったのかもしれない。「感謝する自分を見せつけやがって」てね。
通常は「ありがとう」の周波数を浴びれば、気分が良くなり、善想念が湧きだすものだが、世の中にはそうでない奇特な人もいる。感謝されれば、裏があるんじゃないかと疑心暗鬼になる人だっているからな。善意はそれが通じる相手にすべきものであり、それは「ありがとう」にも言える。
外側は同じ人間でも、「ありがとう」の周波数で生きる人と「あたりまえ」の周波数で生きる人は、異世界人か? というぐらいの差がある。人生を楽しく豊かに幸せに過ごしたければ、前者の人に囲まれる生き方を目指すことだ。そのためには自分もそうなる必要がある。
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