第1845話 人生学校ゲーム6
続きです。
人生学校ゲームは奥深いゲームであり、ただのポイントを競うゲームではない。各マスに書かれているイベントの奥にある意味を知ることが学びにつながる。
だが初心者では、中々そうもいかないだろうと思い、説明書を備え付けた。僕がプレイヤーにいれば一々説明することができるが、一般家庭ではそうはいかないのであらかじめ対策を取らせてもらった。商売優先なら、謎多き商品を謎のまま出して、謎を知りたいという需要が出たところで、解説書の類を出して儲けようとするんだろうが、そんなずるいことはしたくない。
商売が下手?
うん、だからこそ、商売が繁盛している。
でも下手ではなく、下手だ。
お客さんを上手に仰ぐからこそ、商売がうまくいく。
ゲームを終え、シルエス、ルルア、ガルシアに講釈しているところだが、
もう少し続けよう。パネルを提示する。
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この世は実践の場
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「このゲームもそう。実践の一つだ。とはいえ、ゲームと本番の人生は違う。
本番の人生について、さらに深掘りしよう」
ゲームをやって、ゲームだけの話で終わったら、
このゲームの本当の目的を果たせない。大切なのはゲーム後だ。
「先ほど、業を解消するため、自ら痛い目に遭おうとしたり、自ら不幸になろう
としないように言ったが、これも実はケースバイケースでね……」
一息つく。
「例えば、いい人だと思い、結婚したとする。だが、結婚した途端、それまで見えなかった相手の本性が見え、急激に愛が冷めたとする。まだ結婚して一、二カ月ぐらいだ。この時点で離婚を決めた方がいいかどうか? シルエス、どう思う?」
「えっ、そうですね……僕はそういう体験をしたことがないので、
難しいですが……」
ふふ、そうだった。シルエスとリディア妃はずっとラブラブだもんな。
「まだ一カ月ぐらいなら、もう少し様子を見た方が良さそうな気がします」
うん、無難な答えだ。
「そうだな。それに結婚すれば距離が近くなる分、それまで見えなかった
相手の本性が見え出すので、世間的にこういうことはままあったりする」
リリアが口を開く。
「ということは離婚しない方がいいと?」
「まぁ、一、二カ月やそこらじゃね。はっきり言って早過ぎる。さて、ここから本題だ。一、二カ月経って相手と一緒にいるのが少し苦痛な状態になってしまったが、先程の理屈に従えば、自ら不幸な状態になるべきでないから、さっさと離婚しろ、ということになる。だが、このケースではしない方がいい。なぜか? それは業の解消ターンに入っているからだ」
「「「業の解消ターン?」」」
「先ず整理しよう。結婚は誰からも強制されず、自分の意思でするものだ」
昔と違い、今はこれ普通。今時、王族でも政略結婚などしない。
「ということは、その結婚の責任は自分にある。当事者本人からすれば『相手のせい』という思いが強いだろうが、そうじゃない。あくまで自分のせいだ。相手の本性を見抜けなかったから、そういう事態になっている。でも結婚のような人生の重要なイベントは魂の計画であるケースが多く、たとえ後から後悔するような結婚であっても、何かしら意味があることが多い。それも大きなね。このケースだと業の解消だ。嫌な相手と居るのは苦痛だろうが、業の解消効果としては抜群だ。耐えられるなら一年ぐらい頑張ることを推奨したい。すぐ別れてしまったら、それができなくなってしまう」
嫌ならさっさと別れろ、というのが主流だろうが、僕はそう思わない。理想を言えば、石の上にも三年だが、流石に三年は長いので、一年ぐらいだろうがね。この世界にも月があり、夜見ることができるが、きっと前の世界のように人が住める場所ではないだろう。月は遠くから見たら、風情があっていいものだが、実際に近くに行ったら、空気がなく、荒涼とした状態で、温度差が激しく、まったくいいところではない。人も同じこと。遠くだと気にならないことが近くだと気になることが多くなる。
「国でも家でも個人でも、遠くだと争いが起きないが、近くだと争いが起きやすくなる。でも、それは仕方ない。近くだと良い面以上に悪い面が目立つようになるからね」
さらに論を進めよう。パネルを提示する。
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カルマメイト
カルマ 業
メイト 縁の深い人
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魂の縁の深い人をソウルメイトというが、カルマメイトはその一種だ。
「夫婦はソウルメイトであるケースが多いが、その中でカルマメイトである場合がある。カルマメイトは魂の縁が深く、互いにカルマを解消し合う関係にある。この世を水瓶としたら、僕らはその中にいる泥の付いたジャガイモだ。ジャガイモはひとつでは泥が中々落ちないが、他のジャガイモと水瓶の中でぶつかることにより泥を落としていく。この泥がカルマであり業だ。夫婦は互いに尊重し合い、愛し合い、慈しみ合うべきだが、とはいえ、別人格、元々、他人だった存在だ。近づけば、水瓶の中のジャガイモのようにぶつかり合うこともある。ぶつかり合うのは互いに相手の嫌な面が見え出すからだが、それを互いに言い合うことによって自分の欠点が認識できるようになる。これが物凄く成長に役立つんだ」
縁のない他人なら、自分にとってどうでもいい存在なので、その人物から何か言われても、それこそ、どうでもいいことであり、真剣に受けないケースが多々ある。だが、ソウルメイトやカルマメイトから言われれば、そうはいかない。その一言は魂にまで響くのだ。
「愛してない人から『愛してない』と言われても、どうということはないが、愛する人から、同じことを言われたら衝撃を受けるだろ。愛するがゆえ、その一言は自分に大きな影響を与え、時として憎しみに転換する場合がある。『こんなに自分は愛しているのに、何で、そんな事を言う!』ってね。その憎しみを抑えることが修行となる」
愛するがゆえ、憎しみが生まれ、
愛するがゆえ、それでも離れられない。
愛憎を伴って、一緒にいるのは大変なこと。
はっきり言って夫婦は壮大な我慢大会だ。愛するがゆえ相手に合わせるが、相手に一生合わせるのは修行そのもの。僕は修行好きだから修行という感じはないが、多くの一般家庭ではそんな感じではないだろうか。
それで家庭内がギスギスし、未熟者は外で浮気に走ったりするが、それは修行放棄。ギスギスした環境であっても、それをつくったのは自分であり、自分の心の状態が反映されたものだ。そことしっかり向き合い、後始末しないと。自分で脱ぎ散らかした下着は自分で片付ける。相手に投げつけ、相手に片付けさせるものではない。
「これは仕事についても言える。ある仕事をしようと決めて実際にやり出したら、面白くなかったということはある。この場合も業の解消ターンに入っている可能性があるから、しばらく続けた方がいい。人を雇う際、過去に複数回、転職していても構わないが、問題なのはあまりにも短期間に辞めている場合だ。一、二カ月で辞めるようではマズイ。一つの職場に最低でも一年以上はいてもらいたいね」
僕は学歴や職歴だけで人を判断することはしないが、さりとて、どこも長続きせず、短期間でコロコロ変える人は人間性に問題があると考える。前世の会社は採用の際、高校中退を嫌がったが、それは学校の三年を耐えられないようでは、会社も三年耐えられないのではないかと不安視するからだ。勉強ができるか否かより、そこを見る。経済的理由など、ちゃんとした理由があれば別だが、単に嫌だから、面白くないから、合わないから辞めたということであれば、採用する側も嫌がるに決まっている。
勉強が面白くない。
友達がおらず、まわりは嫌な奴ばかり。
先生も尊敬できない人ばかりで、最悪の雰囲気。
であっても、であるからこそ、その三年間を耐える。
それこそ、魂が求める環境であり、業の解消ターンだ。
嫌な環境なら、さっさと変えろ、という意見もあるが、その環境を選んだのが自分なら、一定期間続けるべきだ。これは人生そのものにも言える。「生まれたくなかった」という思いが湧いても、それでも生きることに意味がある。生きることを選んだのは間違ないなく自分なのだ。
人生が苦しい……でも、踏ん張って頑張って生きる。
人生の意味を感じない……であっても、意味を見出す努力をする。
この過程で人の精神は鍛えられ、じりじりと成長していくのだ。
嫌なら、さっさとやめる。
これを処世術にしてしまうと、
また嫌なこと起き、またやめることになるだろう。
そして、嫌なことが起きる度、やめ続ける人生をおくる羽目になる。
だが、人生を終えても先は続く。次の人生も同じことの繰り返し。
業の解消が果たされるまで、業はいつまでも追いかけてくる。
命を守るため、逃げた方がいい場合はあるが、
時として逃げない方がいい場合もある。それが業の解消ターンだ。
長年、安月給でこき使われているのに、なぜか辞めない人。長年、パワハラ、モラハラを受けているのに、なぜか離婚しない人。このような人を見ると愚かに思うかもしれないが、一概にそうとも言えない。業の解消ターンに入っていることを魂意識が認識し、満足している可能性がある。自意識はそうではなく、口先で不満を言うだろうが、魂の奥底でその状態を良しとしているので、本気で変えようという気にならない。
わかっちゃいるけど、やめられない。
この状態の時、業の解消ターンに入っている可能性がある。
(単に過去世の業に振り回されている場合もあるだろうが)
人助けは大事だが、業の解消ターンに入っている人を助けることは、業の解消の邪魔をすることになりかねないから要注意。本人から助けを求められていないのに自己満足を優先して助けるべきではない。命の危険性があるなら話は変わってくるが、そうではなく、耐えられる範囲の苦しみなら、その環境から安易に救出せず、相談など補助的サポートにとどめる方がいい。
極論すると、人生はずっと業の解消ターンだから、他人を救わない方がいい、ということになってしまう。だが、これは極論であり暴論だ。ずっと業の解消ターンということは流石にない。それに他人の業の解消を邪魔せず、他人を救うことは可能だ。例えば貧しい人がいた場合、ただむやみに一方的に施すのではなく、仕事をしてもらい、その対価として賃金を支払うとかね。
丸々全部、丸抱えで救うのはやり過ぎ。救済はあくまで相手の自立を促すものであるべきであり、必要最小限に留めるのがいいだろう。不足気味であれば、その分、自分で頑張ろうという気になる。
あと、これも言っておこう。
「業の解消ターンと同じく、徳積みターンというのもある」
「「「徳積みターン?」」」
「一番わかりやすいのは、目の前に困った人が現われることだろう。おあつらえ向きというとアレだが、丁度いい具合に助けるべき状況に出くわすことがある。日頃から『善行したい』『徳を積みたい』と考える人ほど、こういう場面を引き寄せやすくなるんだ」
これは一種のシンクロニシティだ。『助けたい』が『助けられたい』を『助けられたい』が『助けたい』を呼ぶ。『騙したい』と『騙されたい』、『いじめたい』と『いじめられたい』なども実はそう。『騙されたい』『いじめられたい』という人は普通いないはずだが、業の解消を願う魂意識はそういう手段を選ぶ場合がある。いつまで経っても、いじめや詐欺がなくならないのはこれが大きな理由だ。
魂にこの世の常識は通用しない。業を解消するためだったら、障害を持って生まれたり、毒親による悲惨な家庭環境で育てられたり、学校で壮絶ないじめに遭ったり、事故に遭ったり、盗難に遭ったり、等のイベントを躊躇なく選ぶ。人生学校ゲームのプレイヤーのようにね。それで「業を解消できた。やったああ!」と喜ぶ。
「業の解消は意識せずとも、魂がその方向に導こうとするので、そのターンが来たら、粛々淡々飄々とこなせばいい。余計な悪想念を発せず来るべきものが来たと割り切ろう。一方、徳積みは意識し、そのターンを引き寄せるようにする」
未熟な人は棚ぼたラッキーを引き寄せようとするが、
それは徳を解消する行為だ。
成熟した人はその反対、徳を積むことを引き寄せようとする。
一息つく。
「業の解消は苦行であり、徳積みは利他行になるが、苦行と利他行、
どららがいい?」
「「「利他行です」」」
三人とも同じか、そりゃそうだよな。
「うん、僕もそうだ。利他行は楽行に転換しやすく続けやすいしな。利他行をすれば、徳を積めるので、その分、業の解消ターンすなわち苦行期間が少なくなる。人生の苦しみを減らしたければ、利他行をすることだ。但し、利他行は相手本意で相手の為になる行為でなければならない。欲望を助長したり、成長の機会を奪うものはダメ。欲望を抑え、成長を促すものがいい」
情けは人の為ならず。
これは僕の中で二つの意味がある。一つは一般的な意味で、
他人の為に尽くすことが、自分の為にもなる。ということ。
善行を通じての徳積みだ。
もう一つは助け過ぎると相手の為にならない。ということ。
丸々助けてしまうと成長する機会を奪い、相手をダメにしてしまう。
与え過ぎ、褒め過ぎ、愛し過ぎ、助け過ぎ、は過剰善であり、悪と同じだ。
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