第1844話 人生学校ゲーム5
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よし、計算が終わった。各自のポイントを提示してと、そうすると……。
「徳ポイントと業ポイントを清算して、
ルルアの勝ちだ。おめでとう、ルルア」
「えっ、私の勝ちですか? はぁ……ありがとうございます」
孫のルルアのキョトンとした表情が可愛い。一応、このゲームはポイントが多いと勝ちということになっているが、それは正直どうでもいいこと。勝って「よっしゃああ!」とならないのがこのゲームの特徴だ。負けてションボリもない。
ここはギルフォード財団の本部の小会議室。僕、シルエス、ルルア、ガルシアの四人で静かなブームになりつつある「人生学校ゲーム」をし、ルルアが勝ったところだ。僕は財団の理事長、ルルアは副理事長、ガルシアは事務局長であり、この場にいるはまったくおかしくないが、シルエスは娘のルルアを見にしばしば来てるようで、丁度いたところをゲームに誘った次第だ。
シルエスはエルスラ王国の国王だが、かの国は立憲君主制であり、貴族が構成員となる議会が実権を握っている。じゃあ貴族主義か、と言えば決してそうではなく、平民を中心とする民の権利が保護され、実質、民主主義が実現できている。前世の歴史では王侯貴族は民を虐げる悪い存在で、それを追い出すことで共和制・民主制を目指したが、この世界ではそういう荒事にならないよう、王侯貴族の既得権益を減らし、民とともにある姿勢を打ち出すことに成功した。
シルエスは国王ではあるが、現在のイギリス王室のように象徴的存在となっているので、国内の仕事はさほど忙しくない。なので、連邦事務局で連邦王としての仕事をしたり、連邦放送局で番組の収録をしたり、聖帝国のタイタスのところへ行ったりと、割と好きにやっている。その流れでルルアのいるギルフォード財団にも来てるのだろう。現地視察や民との交流も積極的にしてるし、本当に活動的だ。いったい誰に似たのやら。ふふ。
さて、ルルアの反応から会話のネタを探ろう。
「あれ? あまり嬉しそうじゃないね」
「え~と、そうですね。たまたま運が良かっただけですし……」
なるほどね。このゲームはルーレット次第だもんな。
だが、そこに気付くのは立派。謙虚なルルアらしい。
江戸時代の大名・松浦静山は『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』と説き、これをあるプロ野球監督が座右の銘としたことから知られることになったが、勝利に慢心せず、敗戦の要因を冷静に分析して改善につなげる姿勢を促す意味で役立つ言葉だとは思う。
だが現実の世の中では、勝つべくして勝つことが多く、また負けに不思議な負けはある。勝つ人も負ける人もそうなるべくしてそうなる。但し、そうならない場合もあるということ。そうならない大きな要因が運と言われるものだ。
9回裏ツーアウト、1点リードで最後の守り。相手チームのランナーが3塁にいるが、既に2ストライクであり、あと一球ストライクを取れば勝てる場面。ここでバッターがぼてぼての内野ゴロを打った。ランナーは自動的にホームへ走るが関係ない。ゴロを取って一塁に投げれば勝てる。
そう思って内野手がゴロを取ろうとした瞬間、なんと、球の軌道が直前で大きく変わり、エラーしてしまい、その間にランナーが生還し、同点に追いつかれてしまった。その後、相手が勢いづき、一気に逆転されてしまった。こういうことは野球でしばしば起こることであり、運の要素を強く感じさせる事象だ。いい当たりでも守備の正面ならアウトになるし、ぼてぼてのあたりでも守備のいないところならヒットになるしね。
ゲームも終わったし、少々講釈を垂れるとしよう。
ちょうど女性事務員さんが来て、お茶を淹れてくれた。
「ルルアの言う通り、このゲームはルーレットの数字でコマを進め、それでポイントの上げ下げが決まるから、運というのはその通りだ。だから勝っても負けても気にする必要はまったくない。大事なのは今僕らがしている本番の人生だ。こちらは運では決まらない。自分の意思で行動を決定し、それにより、徳を積み、業を解消していくんだ」
ゲームと本番は違う。人生はゲームではない。
なのに、なぜ人生学校ゲームをつくったか?
それはゲームを通じ、
逆説的に人生がゲームでないことを知ってもらうためだ。
この世に悪があるのもそう。
悪を体験することにより、悪が善くないものであることを知る。
悪に染まるために悪があるわけではない。
「ゲームはゲームということですね」
「そうそう、ゲームの勝ち負けは正直どうでもいいことだ。大事なのはその経験をいかに本番の人生に活かせるか、ここにかかっている。ところで、ルルアはゲーム中、ゲームに勝とうと思ったかな?」
「いえ、まったく思っていませんでした」
「はは、正直だね」
他の二人にも訊いてみるか。先ずシルエスから――
「シルエス王はどうだったかな?」
二人だけなら呼び捨てにするが、娘と元部下がいる場でそれはしない。
「はい、私も勝ちたいとは思いませんでした」
やはり親子だ。次はガルシアだな。もちろん彼も呼び捨てにしない。
僕の部下だが、自分がされて嫌なことはしない主義。
「事務局長はどうかな?」
「はい、私もです」
聞くまでもなかったな。
「実は僕もだ。まったく勝ちたいという気はなかった。理由はゲームの勝ち負けより、その過程を通しての学びが重要なのと、仮に勝ちたいと思っても、ルーレット次第だから意味がないからね」
さて、ここから――
「だが、その一方、『勝ちたい』という気持ちが強いと、勝負運を引き寄せ、
勝つ確率が高くなる場合がある。それはいいことか? 事務局長、どう思う?」
「そうですね……努力なしで勝つわけですから、徳の解消につながり、
良くないように思います」
「その通り。これはこのゲームに限らないが、勝負運を引き寄せるということは、
運を使うことであり、それは徳の浪費につながる」
パネルを提示する。
□------------------------
勝ちたいと強く願う → 運を使う → 徳の解消
□------------------------
これがあるから博打はしない方がいい。
運を浪費し、これまで積み重ねてきた貴重な徳を潰すことになる。
それに「勝ちたい」は「相手を負かしたい」に他ならず、悪想念だ。
「勝利」もそう。華々しいイメージを持たれがちだが、これに執着する人の
周波数は決して高くない。弱肉強食と根は同じだし。
シルエスが口を開く。
「つまり『勝ちたい』と思わない方がいいということですか?」
「極論すればそうなる。おっと誤解しないでもらいたいが、勝つための努力はすべきだし、勝利をイメージすること自体は悪いことではない。問題なのは何もしないで棚ぼた的に勝利を願うこと。それと相手を負かして自分が上だと傲慢になることだ」
「イメージは良くて、願うのは良くないと?」
「これは願望実現法の肝にもなるが、願えば願うほど、現状の不満の再確認になるから、実は良くない。『金持ちになりたい』と願うことは『今の生活に不満だ』と同じだからね。それでも願い続ければ、物事がその方向に動くが、それは、業積み、徳解消につながるから、お勧めしない。それをするより、自分が成功した姿をイメージするといい。その際、重要なのは『そうなれればいい。でも、なれなくても構わない』というスタンスを保つことだ。勝利は付録に過ぎない。決して執着しないこと。現実を無視した高望みもしないこと」
賢者は自分の力でどうにかなることに頭を使う。
愚者は自分の力でどうにもならないことに頭を使う。
晩婚化・未婚化の進む日本では、それを改善すべく婚活事業が盛んとなっており、その動きを歓迎するものだが、現場の声によると、マッチングは厳しく、成功率は厳しい数字が出ているという。状況が芳しくない最大の原因は「高望み」だ。「良い人を」という気持ちはわかるが、自分の身の丈を顧みず、相手に高い条件を求める人が多いのだ。
願望を持つこと自体は否定しない。どんな願望を持とうが人の自由だ。だが、その願望を実現するには自分の身の丈を知ることだ。それを知らず、願望するだけでは実現困難であろう。それでも願望を実現したければ、自分の身の丈を高めるしかない。自分は10ポイントしかないのに、相手に100ポイント求めたらうまくいくはずがない。
他人に厳しく、自分に甘く、は婚活では通用しない。
自分のことを棚上げし、他人のことにダメ出しばかりじゃね。
そういう言動を相手は敏感に感じとる。
誰しも、条件のいい人を求めるが、波長の法則により、条件のいい人は同じく、条件のいい人と早々にマッチングし、残るのは条件の良くない人ばかり。遅れれば遅れるほど不利になる。残り物には福があるというが、婚活市場でそれは当たらない。残り物には地雷が仕込まれている。
結婚を確実なものにしたいなら、10代から20代のうちに相手を見つけることだ。実はこの時期にいい人が何人も現れているが、その気がないと目に留まらないんだよな。また目に留まったとしても、若いうちに遊びたいからという理由で先送りにしてしまう。そうこうしてるうちにあっという間に30だ。ここから婚活市場における自分の価値はガクンと下がることになる。特に女性は35歳以上の初産婦(高齢初産)であるマル高が視界に入ってくるから、尻に火が付いた状態となるだろう。男性も、いい年して独身だと、周囲からネガティブに思われるから、まったく他人事ではなない。
それで相手に求める条件を下げればいいが、実際は逆、条件を上げるんだよね。30代ともなると社内でキャリアアップを果たし、役職が付き、自分の価値が高まったように思うのも無理はないが、それとは裏腹に、30代を越えた事実により、婚活市場で自分の価値が下がっていることに気付いた方がいい。40ともなれば、既に人生の折り返し地点。ここからの、恋愛、結婚、出産、育児は想像以上に大変だ。
年齢差別だ! と思っても始まらない。僕も年齢差別には反対だが、若い異性を求める気持ちは種の生存本能に根差したものであり、こればかりはどうしようもない。そう思うぐらいなら、若い頃、パートナー探しを怠らなければ良かった。
晩婚化・未婚化の原因として、漫画やアニメの影響は大きいように思う。少女漫画では白馬に乗った王子様が現われて、玉の輿に乗るような話がテンプレになっているが、この話を小さい頃から何度も読めば、潜在意識に刷り込まれ、「自分にもいつか王子様が来てくれるはず」となってしまうのだ。理性で「そんなことはない」とわかっていても、潜在意識の力は強く、大人になっても、その影響を受けることになる。同レベルの人と結婚するのが普通だが、自分より高レベルの男性と結婚したい女性が多いのは潜在意識の影響によるところが大きいと推察する。
一方、男性も漫画やアニメで、美人や自分たちに都合のいい女性ばかり見るので、現実の女性もそうあるべきと勝手に思い込むようになる。「自分は違う」と言う人も頭ではわかっていても、子供の頃から見て、潜在意識に刷り込まれていたら、知らず知らずのうちにそうなってしまう。
実際、前の世界では二次元のキャラを「嫁」や「旦那」と呼び、それと結婚した気になっている人がいるからな。こういうのを微笑ましく見る向きもあるが、僕はまったくそうは思わない。現実社会に影響が出てるわけだからね。
晩婚化・未婚化は少子化につながり、少子化は社会制度を崩壊させ、やがて民族の滅亡につながる。とてもじゃないが、笑って済ませられる話ではないのだ。この世界に漫画とアニメを導入しなかったのは、それが理由のひとつとなっている。三次元より二次元の人物に関心を持たれてもねぇ。それは現実逃避であり、修行放棄につながる。
「実現不可能なことは夢想しない方がいい、ということですか?」
「皆が幸せになることなら夢想してもいいが、自分の幸せだけなら善くないね」
自分の幸せを願うのと、自分の幸せだけを願うのは似てるようで違う。前者は善想念となり、後者は悪想念となる。ただ、この差は善悪境界ライン付近のギリギリなので、そこを攻めることはせず、ずっとラインの上の上にある、皆の幸せ(大乗)を願った方がいい。
僕が小乗(自己救済)を求めないのはこれが理由。一歩間違うと利己主義になる。実際、双方、見た目は変わらない。悟りを開く前の若いお釈迦様は、小乗を求め、王子の身分を捨てて城から出たが、城に残された家族や部下からは「なんて自分勝手なんだ」と映ったに違いない。既に結婚し、子供がいて、隣国が攻撃してくる危機的状況だったにもかかわらず、すべて放り出したわけだから。
「なるほど、皆の幸せですか……」
結局、そこに行き着くんだよな。さらに論を進めよう。
「ゲームは運で決まるが、本番の人生は運ではなく自分の意思で決まる。但し、ここで注意点がある。それは、業を解消したいからと言って、自ら痛い目に遭おうとしたり、不幸になろうとしないこと。結果的にそうなった場合、それを前向きに受け取ることは大事だが、そうではなく最初から、それ狙いは良くない。先ほど勝負の話をしたが、頑張った末に負けるのはいい。だが、最初から負けていい、負けていいんだから、頑張らなくていい、というのは違うということだ。そこはよく覚えておいてもらいたい」
結果がどうであっても、前向きに捉えることが大事。
だが、結果がどうでもいいからと言って、途中経過を
疎かにしてはいけない。
「徳積みにも似たようなことが言える。徳を積みたいという思いも一種の見返り期待になるから、その思いを持たず、淡々と徳を積んだ方がいい。業の解消も徳積みも、あざさいとその分、効果が弱まる。純粋に行うのが望ましい。と言っても、最初から純粋に行うのはハードルが高いので、最初はあざとさがあってもいい。やるうちに、あざとさが徐々に消えていく。これはやるうちにわかるものだ」
あざとさとは、見返りの期待、計算高さ、損得勘定、利己性を意味し、善性を曇らせるものではあるが、馬の鼻先にぶら下げた人参のごとく、最初に重い腰を上げて行動させる要因となるものだ。
ルルアが口を開く。
「やるうちにわかるものですか?」
「そう、こういうものはやるうちにわかっていく。わかってからやる、というケースもあるが、これはそうじゃない。やるうちにわかる。例えば、赤ん坊は言葉の意味がわからず、話せないだろ。だが、わからないなりにも、言葉をわかろうと、ああ、ああ、言ってるうちに、言葉がわかりだし、言葉を話すようになる。もし赤ん坊が、言葉をわかってから、話すという順番を踏んだら、いつまで経っても、言葉を話せないだろう。人の学びや成長もそう。やるうちにわかってくる」
わかってからやる。やるうちにわかる。
学校などで受動的に教わる勉強は前者が多いが、学校を卒業し、社会の現場に立つと、後者が多くなる。いくら頭でわかったつもりでも、実際にやってみないと本当の意味でわからないことは多い。人生だってそう。わかってからやる人は一人もいない。やるうちに少しずつわかっていく。
魂はある程度わかるが、最初から、わかっていたら修行にならないので、わからない状態からスタートする。わからない状態からわかる状態に至る過程が修行になるのだ。答えだけ知っても意味がない。答えを導き出す自力を鍛えないとね。それを何度も繰り返すうちに、自力で正しい答えに辿りつけるようになる。
他力本願ではなく自力作善、どんな選択、どんな行動であっても、自分で行うからこそ、自らの成長の糧となり、自らを上に押し上げることができる。他者から上に引き上げられても、土台ができていなければ、また下にすぐ落ちるだろう。
自分の因果を解消できるのは自分だけ。自分を成長させることができるのも自分だけ。自分の人生を生きるのも自分だけ。他者から学ぶことは大いにあるが、それをどう活かすかは自分次第。自分が思っているほど、他人は自分を気にしていない。皆、それぞれ自分の人生をおくるのに精いっぱいだ。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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