第1843話 選挙制度の問題点4
八千文字達成。本テーマはここまで。選挙制度の問題点をさらに深掘りします。
そうそう、個人と政党に票を入れる小選挙区比例代表並立制だが、とてつもない大きな問題点がある。それは国政政党でないと著しく不利になることだ。国政政党になるためのハードルが極めて高い。国政政党は政党助成法・政治資金規正法・公職選挙法によって定められおり、以下の要件がある。
一 所属する国会議員が5人以上
二 または直近の衆院選・参院選(直近2回)のいずれかで得票率2%以上、
かつ国会議員1人以上を有する政治団体であること。
これを満たすと選挙区と比例区の重複立候補が可能となり、国から政党交付金が支給され、テレビに出演したり、記事に書かれるなど、マスコミの注目を浴びる機会が増え、選挙戦略・資金・広報などの面で圧倒的に有利になる。
だが、新興の政治団体にとって、この要件を満たすことは至難の業。一より二の条件の方が満たしやすいので、通常、二を狙うが、知名度の低い新興の政治団体が得票率2%以上を獲得するのは非常に難しい。ここでほとんどの団体は頓挫する。99%以上ここでフィルタリング&カットされるのだ。
日本の政治団体総数は、総務省の令和4年分政治資金収支報告の概要によると、全国の選挙管理委員会届出分を含め、58,164団体にのぼるが、それに対し、令和8年2月現在、国政政党の数はたった12しかない。これでも一時期より少し増えた方だが、国政政党と政治団体との間で天と地ほどの差があるのはまったく変わりない。
国政政党にならなければ、比例区と選挙区の重複立候補ができないため、必然的に選挙区で勝つ他なくなり、大政党有利な選挙区において、それは事実上の負け確を意味する。また国政政党でなければ、政党交付金は支給されず、マスコミから単なる政治団体として「諸派」「泡沫」の扱いを受けることになる。テレビの討論番組などにも呼んでもらえない。
国政政党のうち、一と二、双方の要件を満たす数は10。テレビ局によっては党首討論などの番組で、進行都合上、この10の政党しか呼ばないところもある。法的に国政政党になっても、議員が5人以上いなければ軽く扱われるのだ。
これは明らかに既存の政党が有利な仕組みであり、既得権益であろう。仮に政党に頼らず、個人で当選したとしても、複数人で会派を組まなければ国会で発言する機会は与えられない。通常、新人の議員の見せ場は委員会での質問だが、質問するには会派の一員であることが必要だ。
つまり、いくら民意を得て当選したとしても、一人では事実上何もできないということ。議場での決議や国政調査は可能だが、一人では限界がある。法案を提出するには、衆議院で20名以上、参議院で10名以上の議員の賛成が必要だ。
だから、個人(無所属)で当選した議員も結局、既存のどこかの政党に頭を下げ、会派に入れてもらうしかない。既存の政治システムの変革を訴えて当選したとしても、既存のシステムの軍門に下らなければ、事実上、何もできない。
そもそも日本は内閣提出法案の成立率が9割を占め、議員立法の成立率は1割しかない。その1割を多くの議員が狙っているわけだから、新人の無所属議員では、そこに辿り着くことすら不可能に近いだろう。
話を戻そう。
選挙制度の問題点はまだある。それは選挙で当選する人が必ずしも政策実行能力があるとは限らないという点だ。選挙期間中、候補者は大衆に向けて演説するが、この際、演説のうまい人が有利となる。だが、弁の立つ人が、仕事ができるとは限らない。中には口先だけの人もいる。というか、口先だけの人が多い。
どちらかと言うと、真面目でコツコツ仕事をする人はひたむきであり、謙虚であり、大袈裟に自分をアピールすることを嫌がるものだ。だが、選挙ではそういう面は注目されず、内容以上に人前で堂々と話せることが評価されるのだ。
つまり選挙は中身より外見をうまく見せた方が勝ちやすいという、しょうもない面がある。ルッキズムが問題視される昨今だが、選挙はルッキズムがまかり通っている。声質、背格好、見た目の良さ、が選挙の勝敗を左右するのだ。
話し方もそう。学者や専門家のように、くどくど長く話したら聴衆は去ってしまう。だから、刺激的なこと、煽情的なことを言って聴衆を惹きつけようとする。役者の世界では、一声、二顔、三姿と言われるが、選挙でもその面が多分にある。
はっきり言って選挙期間中のアピールの上手さと、議員になってからの実務能力の高さはまったく別のもの。いくら堂々と人を惹きつけるように話せても、それでイコール仕事ができることにはならない。
だが、聴衆は簡単に騙されてしまうので、それを見透かして議員は話し上手な人がなることが多い。元アナウンサーや元タレントなどが多いのも、話で聴衆を惹きつけるからだ。それを否定するわけでないし、代議士になる以上、話の上手さは大事だと思うが、聞く側は話の上手さに引き込まれ、内容が「無いよう」なのに「いい話を聞いた」と錯覚して票を入れてしまう事態を避けないと。
話し上手の議員は抑揚を付け、怒り、笑い、悲しみ等の感情を込めて劇場で演じるように演説するが、こういう劇場型の演説は理性の低下を招くから、注意しないと思わぬ方向に誘導されかねない。あれは一種の洗脳だ。
役者候補は議員の役を演じるつもりで演説し、聴衆は本当の議員のように錯覚するが、所詮、演技であり、実際に議員の仕事ができるかは未知数だ。役者は議員でも医者でも銀行員でも殺し屋でも何でも演じるが、当然のことながら素の状態で、それはできない。
口が上手いだけの人を選ぶなら、詐欺師を選ぶことになりかねない。中身の伴った人を選ぶには『人間観察眼』が必要だ。そうでないと後々痛い目に遭う。
それと選挙の問題点は、選挙期間中に発言したことを当選後ひるがえすケースが多々あるということだ。口先だけの議員ほど、これをよくやる。はっきり言って公約違反だが、公約を破っても知らぬ存ぜぬの議員が結構いるんだよな。学歴詐称しても堂々と居座る自治体の首長もいるし。
議員の中には悪い意味で正義感の強い人が多く、「自分は絶対に正しいマン」がいたりする。こういう人は自分のミスや間違いを絶対に認めず、上から目線で他人に物申してばかりだから、反省がなく厄介極まりない。権力を使い、事実を捻じ曲げることだって平気でする。
自分は絶対に悪くない。悪いのは他人だ。
愚かな他人が自分に物申すとは何事だ。自分に従え。
こういう思想で凝り固まった人物が首長や議員になったら、
社会への悪影響は計り知れない。選んだ有権者も業を積むことになるだろう。
製造物責任法は因果の世界にも適用されるのだ。
今回の衆議院議員選挙でも、とある与党の議員が、選挙期間中、首相を支えると有権者に言っていたのに、当選した途端に豹変し、首相の足を引っ張る動きをしているからな。本人はそれが正しい行為だと思っているのだろうが、大多数の国民は首相の政策を支持しており、それが与党の票につながった。それで当選したのに首相に協力しないとなれば、裏切り以外の何者でもない。
今回、与党は大勝だったが、与党の中に、この人物をはじめ首相の政策に異を唱える人物は何人もいる。だが改革が止まることはできないだろう。そういう人物は重要な役職から外されるだろうし、国会で法案に反対しようにも、党議拘束があるからどうしようもない。仮に造反したら、除名・離党勧告・党員資格停止などの処分が待っている。それが腹にあるから首相は自分の政策に異を唱えそうな要注意人物も公認したと思われる。
今回、与党で衆議院の3分の2どころか4分の3を占めたので、数人程度の造反ならどうとでもなる。それと心強いのは前回の選挙で落選した首相寄りの議員たちが、今回大量に復活当選したことだ。変な色のついてない新人議員も多く加わり、これにより政権基盤が相当強くなるだろう。
前回の衆議院議員選挙では、マスコミから裏金議員とレッテルを貼られた議員の大多数が落選した。だが、今回の選挙では、その裏金議員43人が立候補し42人が当選した。裏金を肯定する者ではないが、前回審判を下され、今回復活したことで、一応のみそぎを終えたと言っていいだろう。
裏金と言っても、実際は単なる不記載だったり、返金もしている。うっかりもあるだろう。それに刑事事件になっていない。つまり法的にはクリアしてるのだ。だから、これはあくまでも倫理的問題であり、これをどう見るかは有権者の判断だ。
そして、有権者の判断は一目瞭然だ。前回とは打って変わり、今回はほとんどの議員が当選した。一人だけ当選しなかったが、そこは他党候補が強い場所であり、元々落下傘では厳しかった。あれは党執行部の判断ミスだろう。違う選挙区なら当選した可能性が高かったし、違うブロックなら確実に比例復活していた。なにせ今回、比例で票を取り過ぎて名簿を使い切ってしまい、他党に当選を回す事態になってしまったからね。
日本には水に流す文化がある。一度悪いことしても、みそぎを済ませば復活することができる。どこかの国のように一度の過ちを永延と責め続けることはしない。人は罪を犯して罪人となることがあるが、罪を償えば罪人でなくなるのだ。
そもそも人は誰でもミスや失敗をする。それをしない人はこの世には存在しない。誰かをずっと責め続ける人は、自分の人生を振り返り、一度でもミスや失敗をしたことがないか内省するといい。姦淫の罪で捕らえられた女性を石打ち刑にしようとする群衆に対し、イエス・キリストは「罪のない者だけが石を投げよ」と言ったが、ここで言う罪とは「心の中の姦淫」であり、結局、群衆は誰一人として石を投げることができなかった。
心の中の罪まで含めれば、この世は罪人だらけだ。行動に移してないから、自分は善人、普通の人と思っている人は多いだろうが、それは現世でしか通用しない。想念が丸見えになる霊界ではそうはいかず、だからこそ、現世にいる間、せっせと心を綺麗にする。外見の虚飾に執心してる場合ではない。
あと選挙で言えば、マスコミの報道の仕方に疑問を呈する。普段から、特定政権(親中派)寄りの報道ばかりするが、選挙期間中ともなると、これがさらに扇動的で露骨になる。マスコミの意向に沿う政党には甘く、そうでない政党には厳しい。これは明らかに放送法4条に定めた、公序良俗の遵守、政治的公平性、報道の事実歪曲禁止、多角的な論点提示の4項目に違反する。
マスコミ各社が出す「各党の予想獲得議席数」も何だかね。こんなのが選挙期間中に流れたら、思いっきり投票行動に影響を与えるだろうに。今回の選挙で、当初、マスコミは野党勝利の獲得議席を予想したが、中盤以降、与党勝利に予想を変更した。結果的に後者の通りになったが、選挙期間中にこんな発表をされた候補者はたまったものではないだろう。
一般的に勝利を予想されれば有利に取られるが、実はそうではない。途中で勝利予想が出ると候補者や後援会は気が緩み、有権者も「じゃあ自分が行かなくても大丈夫だ」となり、結果、思ったほど票が伸びず、負けてしまうということがざらにある。
人には、勝ち馬に乗りたいというバンドワゴン効果と、負けそうな人を応援してあげたいというアンダードック効果(判官贔屓)の両方の心理が働くが、マスコミの発表はそれを喚起させるので、控えた方がいいと考える。視聴率稼ぎなんだろうが、程々にしてもらいたいものだ。
今回の選挙結果の意義は極めて大きい。親中傀儡政党が大きく議席を減らし、今後、スパイ防止法、国旗損壊罪、外国人土地購入規制、防衛力強化、憲法改正、技術開発、国内投資など、国力強化に役立つ案件が次々と進むことになるだろう。
外国人の受け入れ制限と少子化対策については物足りなさを感じるが、不法滞在外国人の取り締まりは強化されており、「日本は外国人受け入れに厳しい」という話が広がれば、少なくとも受け入れペースは減るはずだ。また経済が上向きになり、将来の展望が明るくなれば、子供の数も徐々に増えるだろう。
あとは、日本サゲばかりするマスコミ、オールドメディアだな。今回の選挙でも、放送法を無視して偏向報道ばかりして親中傀儡政党の応援団になっていたが、多くの国民から愛想をつかされ信用を失ってしまった。ほっといても力を失っていくだろうが、改革の邪魔をされては面倒なので、さっさと引導を渡してもらいたい。放送法の厳格適用だけでも十分だが、それに加え、電波オークションを実施して既得権益をなくせば弱体化に拍車がかかるだろう。奥の手である停波(放送免許取り消し)だってできる。
アメリカの大統領は敵対的かつ偏向的なマスメディアに対し、取材拒否を宣言し、名誉棄損などの訴訟を行っているが、日本もこれぐらいしていい。日本のマスメディアは、自分たちは安全な場所から一方的に攻撃できると高を括っているが、そうでないことを思い知らせるべきだ。
そうそう、今回の選挙は首相の解散権の行使を受けてのものだが、これは俗に憲法7条解散と言われ、日本では内閣不信任案の有無に関わらず、首相が専権事項として、いつでも行うことができる。真夏だろうが真冬だろうが関係なくね。よくよく考えたら、とんでもない権力だ。首相個人の判断で、衆議院議員456人のクビが飛ぶ。首相自身も衆議院議員なので、自分のクビをかけての行動となるが、それに付き合わされる議員はたまったものではないだろう。逆に前回落選した人、新たに議員を目指す人は、4年待たずに機会が来たので「よっしゃああ!」となった。
欧州など日本同様に議院内閣制を採用する国では、首相の議会解散権を認めているケースが多いが、ほとんどの場合、権力の濫用を避けるため制限を設けており、議会で内閣不信任案を可決した場合に、その対抗策として解散することになっている。首相の好きなタイミングで解散することはできない。
日本の首相のように任期中いつでも解散権を行使できるのは希少だが、日本だけかと言ったら、そんなことはない。OECD加盟国で政権の自由裁量による議会解散が一般化しているのは、日本を含めイギリス、カナダ、デンマーク、ギリシャ、の5カ国ある。
以前、イギリスは首相の恣意的な解散が制限されていたが、2022年に法改正され、日本のようにいつでも解散できるようになった。王室を持つイギリスらしく、国王への要請という形になるが、それは日本も似たようなもの。衆議院の解散は、憲法第7条に基づき天皇が「内閣の助言と承認」により行う国事行為であり、形式上、首相ではなく天皇が行う建前になっている。実質的な決定権は内閣(首相)にあるが、形式的・儀礼的に天皇が衆議院を解散する。
首相の解散権については賛否両論あるだろうが、今回のようなケースを見るにつけ、あって良かったと思わざるを得ない。いつでも解散できるから、衆議院の緊張感は半端ではない。まさに常在戦場。
問題は内閣不信任案を可決されたわけでもないのにいいのか? ということだが、内閣不信任案を可決されずとも、野党が委員長を務める委員会で必要法案の審議入りを妨害しまくっていたので、やむを得なかった。この点をマスコミはまったく報道せず、まるで首相の独断的解散のように報じていたのだから呆れる他ない。今回の解散の直接的な原因は野党の審議拒否に端を発している。審議入りした案件も野党が委員長を務める委員会では、審議に関係ない政権批判が相次ぎ、とても健全な状態ではなかった。
選挙制度に話を戻そう。
前々から気になっていたが、三か月間、住民票を置くと、その地区の住民として投票できるため、選挙の度に住民票を移して特定政党に票を入れる行為が問題となっていた。どこの政党とは言わないが、組織票の強いとある政党だ。全国一斉で行われる国政選挙では効果が限られるが、ばらばらで行われる地方選挙では相当な効果を発揮するものと思われる。地方選挙は数千、数百、時には数十、一桁の差で当落が決まるので、まとまった上乗せがあれば情勢は一変する。
3カ月で住民になって票を得られるわけだから、同じ人物がジプシーのごとく、あちこちに住民票を移し、何度も投票することができてしまう。これは普通に考えておかしいだろう。制度上の不備であり、さっさと半年ないし一年以上に改正することを望む。これだけで地方選挙の歪みがある程度解消されるはずだ。
でないと、人口の少ない自治体に大挙して住民票を移し、事実上の乗っ取りができてしまう。考えたくないが、日本国籍を取得した帰化人が、どこかの自治体に狙いを定め、乗っ取りを計画することだってあり得る。現在、帰化要件を5年から10年に改正する案が挙がっているらしいが、国防にも絡むことであり、迅速に進めてもらいたい。日本国籍はプレミアであり、15年、20年にしてもいいぐらいだが、現状の5年はあまりにも短すぎるので、とにかく、これを早急に改めてもらいたい。
選挙は、ある人・ある党を選ぶことにより、ある人・ある党を選ばない、というジレンマ的制度だが、それにより必然的に対立・分断を生む。それが多くの場合、保守とリベラルになるが、リベラルとは本来、自由主義を意味し、革新性を持つべきもの。
だが日本のリベラルは名前に偽りありで、その実体は売国的社会主義だ。彼らは古臭いイデオロギーの亡霊に憑りつかれ、現実社会を動かす実務能力に欠け、与党の悪口を言い、政策の邪魔をするしか能がない。彼らには政治の場から退場してもらい、健全な政治勢力が育つことを期待したい。
ただ、選挙制度そのものが、エリート主義者、拝金主義者、独裁主義者、社会主義者などを生む要因ともなり得るし、これまで現になってきたので、この制度を絶対視しない方がいいだろう。はっきり言って欠陥だらけの制度であり、であればこそ、それを扱う人の民度すなわち精神性の高さが求められる。
もし議員に、エリート主義、拝金主義、独裁主義、社会主義などを志す者がいるとすれば、それを選んだのは民であり、民のレベルがその程度ということになる。善い人を選ぶにはどうしたらいいか? それは自分が善い人になることだ。誰かに任せれば勝手に世の中が善くなるということはない。ひとりひとりが世の中を善くするように考え、具体的に行動することだ。
その昔、帝国主義全盛だった頃、イギリスなどの列強は植民地統治の方法として分断統治をした。これは植民地の中に意図的に争いを持ちこんで対立させ、統治者への反抗を防ぐものだが、深掘りすると、選挙にもその匂いがしてならない。選挙をすれば国を二分するような争いになり、対立が激化する。まるでセルフ分断統治をしてるようだ。
案の定、選挙制度を実施してる国はどこも国内が二分し、セルフ分断統治の状態となっている。これで喜ぶのはいったい誰であろうか? 彼らは国という枠組みを超え、地球を上から俯瞰し、各国の争いをほくそ笑んでいるに違いない。
僕が見たところ、「選ぶ」という行為の周波数は決して高くない。善悪で言えば、悪寄りになるだろう。例えば家族な中で「誰が一番好き?」と聞かれて答えられるだろうか? 誰かを選ぶということは必然的に誰かを選ばず、選ばれなかった人を傷つけることになる。
3人のうち1人を選べば2人を傷つけることになり、10人のうち1人を選べば9人を傷つけることになる。イケメンや美人などで、モテモテ状態に快感を持つ者がいるが、哀れとしか思えない。こういう人はその状態をキープしたいがため、誰も選ばなかったりするが、それにより全員を傷つけることになり、大きな業を積むことになる。選ぶ立場なんて決していいものではない。投票権を行使するということは本質的にそういう面がある。
だから、世の中を平穏にしたいなら、極力、「選ぶ」という事態にならないようするべきだ。それに選ばれた方も、それで慢心し、人間関係のバランスを崩すことになるだろう。選ぶことによって対立が生じ、やがて、分断、争いへとエスカレートする。僕がこの世界の政治に選挙を導入しなかったのはこうした理由がある。民が求めるのは「選ぶ」ことではなく、豊かに幸せに暮らすことだ。
選ぶ人は、自分の決定権に酔いしれて傲慢になり、選ばれた人は、自分は特別な存在なんだと傲慢になり、選ばれなかった人は、自分はダメな存在なんだと卑屈になり、また、自分を選ばなかった人に反感を抱き、当選した人に嫉妬する。
周波数の高い人は感情を制御できるので、そうはならないが、周波数の低い人は感情を制御できず、悪想念を発し、業を積む。選ぶということはイコール落とすということであり、決して褒められた行為ではない。その点を鑑みれば、選挙に行かない人たちの気持ちも理解できるんだよな。
ただ、マイケル・サンデル教授のトロッコ問題のように、何もしないという選択をしても、その結果の責任を負うことになるわけだから、無関係でありたくでも無責任になれないことを知っておいた方がいい。多少、悪寄りであっても、その事態になったら動かざるを得ない。
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