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第1842話 選挙制度の問題点3

 続きです。

 選挙制度の問題点はまだまだある。

 これまで散々言われてきたが、選挙はお金がかかり過ぎる。


 選挙に出るだけで供託金がかかるが、当選を目指すなら、それだけで済むはずがなく、スタッフの人件費、チラシなどの宣伝費、選挙カーや事務所の費用など諸々で数千万円単位でかかるのだ。競争が激しいと億を超えることもある。なんと家を買うか、それ以上のお金が一回の選挙でかかるのだ。


 これでは事実上、金持ちでないと当選することができず、金のない清い心の人より、金のある心の汚い人の方が当選する確率が高くなるという歪んだ状態を招いてしまっている。


 議員は世襲が問題となっているが、この原因もここにある。世襲議員は親から引き継いだ地盤(後援団体)、看板(知名度)、カバン(資金)があるからね。通常、親から財産を引き継ぐと相続税がかかるが、政治家は政治資金規正法により自らの政党や政治団体間で資金の贈与・相続を行う際の税金は非課税だ。だから、親から子、子から孫へと億単位の資金が悠々と引き継がれ、易々と選挙に出馬し、大した苦労もなく当選することができる。


 政治と金の問題は昔からあるが、中々メスが入らないのは、それが既存の政治家にとって美味しい既得権益に他ならないからだ。政治に金がかかる状態、つまり新規参入障壁を維持することで既存の政治家は自分たちの権益を守ろうとする。


 政治に金がかかるようにして新規参入を阻んできたが、対立候補も同じことをするため、負けじとさらに金をかけ、政治(正確には選挙)に金がかかる状態はさらに加速した。


 政治に金がかかるため、政治家は金策にあけくれ、スポンサー探しに余念がないが、与党にとって最大のスポンサーは大企業いわゆる資本家だ。日本をはじめ多くの国は民主主義を採用しているが、同時に資本主義を採用しており、これが民主主義を歪める大きな要因となっている。


 表向き、民主主義であっても、選挙で選ばれた議員が実態として資本家の言いなりになれば、政治は民のためではなく資本家のために行われることになる。民を苦しめる消費税増税が実施され、資本家を喜ばせる法人税減税が実施されたのはこれによるところが大きい。これは民を中心とする民主主義と資本家を中心とする資本主義を並立させることによって生じる構造的な問題点だ。


 資本主義の強い社会では資本家がもっとも強く、民から選ばれた議員をも動かせるので、陰の権力者となりやすい。マルクスは『資本論』でその点を糾弾したが、だからと言って、マルクスが主張するように革命を起こして資本家を排除し、社会主義を採用しても、今度は社会主義者が国を牛耳ることになるので、さらに民主主義が遠のくことになるだろう。


 資本主義にも民主主義にも問題はあるが、それでも一握りの為政者が民を支配する社会主義よりはずっといい。社会主義国を嫌って資本主義国へ渡る人は数多くいるが、その逆はほとんど聞かない。また、社会主義国の為政者は資本主義国へこっそり資産を移し、投資に励むという欺瞞に満ちた行為をする。彼らは資本主義国を悪しざまに言いながら、裏でこっそりその蜜を吸っているのだ。


 選挙制度の問題点として、さらに深掘りすると、「選ぶ」という行為そのものが民主主義から遠のく要素を孕んでいるということが挙げられる。どういうことかと言うと、選び、選ばれることによって、民意から離れてしまうパラドックスがあるのだ。


 民主とは民が主(主人・主役・主人公)であり、本来、議員はそれに従う立場のはず。だが実際は当選すると議員が主になり、民を上からコントロールするようになる。つまり選挙によって選ばれ、特別な存在になったと勘違いし、傲慢になるケースが非常に多いのだ。


 有権者が「この人なら自分たちのために働いてくれる」と思って票を入れても、候補者は当選した途端、「自分は民に選ばれた存在だ。何をしてもいいんだ」という気持ちを持つ。「そんな馬鹿な」と思いたいが、権力を得た途端、醜い本性を露わにする人は、この世に多い。


『平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。

 それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです』


 これは夏目漱石の『こころ』の一節だが、まさに真理であろう。

 人はいざという時に本性をさらけだす。


 選挙で良い人を選んだはずなのに、選ばれたということでエリート化し、良い人でなくなってしまう。結婚するまでは良い人だったのに、結婚した途端、そうでなくなるのと同じ構造だ。


 また、5人立候補して、そのうち1人を選ぶ場合、有権者の選択肢は5人に分かれるが、1人しか選べないので落選した人を選らんだ民意は通らないということになる。制度上、当たり前のことだが、落選した候補に票を入れた人からすると、自分の意見が通らなかったわけであり、自分の意思(民意)が無視されたと感じるようになる。当選した人が全体の民意に配慮すればいいが、現実ではそうはならない。


 つまり、民意を実現化するための選挙が、同時に民意を非実現化する作用もあるということだ。選挙とは皆の意見を採用するためにあるものではなく、ある民意を採用し、ある民意を却下するためにあるものだ。


 これにより、意見を却下された民は「民主主義が実現できていない」と思うようになる。実際、その通りであり、ここに投票制度の問題点がある。実に投票制度とは、すべての民意ではなく一部の民意を政治に反映させるためのシステムなのだ。つまり、現行の投票制度はすべての民のためとなる民主主義ではなく、一部の民のためとなる民主主義を想定したものと言える。


 そう、現在の民主主義は一部の人に有利な「一部民主主義」なのだ。真の民主主義とは似て非なるもの。そして、その一部から外れた人は不満を持ち、一部の人と対立するようになるだろう。投票制度で民主主義を実現しようとしたら、たいていこうなる。だから僕は総合的に判断して投票制度をこの世界に導入しなかった。差別や対立はお呼びではない。


 一部民主主義だが、これは、ひとつの選挙区ごとに1名のみ選出する小選挙区制で如実に表れている。例えば、10万人の有権者がいる小選挙区で、A・B・C・D・Eの5人が立候補したとしよう。そこで5万人が投票し、Aに2万票、B・C・Dに1万票入ったらAが当選する。なんと10万人のうち、2万人の票で当選するのだ。8万人は選んでいないにもかかわらず、これで本当に民意を示した選挙と言えるのだろうか。A以外のB・C・Dの合計が3万票あり、しかも、投票しない人が5万もいる。


 小選挙区制の最大の問題点は議席獲得に結び付かない死票の多さだ。投票行為(民意)が政治に反映されないケースが多い。民主主義の手続き上のやむを得ないコストという意見もあるかもだが、自分が選んだ人以外の人が当選して議員になれば、自分の意見(民意)が反映されないわけだから、その人にとっては民主主義と思えないだろう。


 小選挙区は何人立候補しても1人しから当選しないので競争が激しくなり、票が割れ、組織票を持つ候補者が圧倒的に有利になる。また1人勝ちのため、死票が多く、獲得票数の少しの差が獲得議席では大きな差になるという事態を招く。


 例えば、A党とB党で、それぞれ小選挙区で、700万票、500万票、獲得したとする。票で見れば、7対5の比率だ。だが、これが獲得議席になると、20人、3人という具合に差が大きく開くのだ。真の民主主義を謳うなら、どの1票も同じ扱いでないとおかしいが、制度上そうなっていない。


 人口の多い選挙区と少ない選挙区の間の、一票の格差の問題は注目され、区割り変更により少しずつ改善に向かっているが、小選挙区制という制度自体はガンとして維持されている。何か言われてもガン無視だ。既存政党にとって小選挙区制は有利だから変えるつもりはないだろう。


 元々、日本の選挙はひとつの選挙区から複数人が当選できる中選挙区制だったが、リクルート事件などの汚職事件を機に、派閥政治や多額の選挙費用がかかる中選挙区制への批判が高まり、現在の「小選挙区比例代表並立制」に改まった経緯がある。その際、小選挙区制だけでは死票が多くなり過ぎるので、それをカバーするために、獲得票と獲得議席が比例する「比例代表制」を設けたのだ。


 だが、この比例代表制にも問題がある。これは候補者個人ではなく、候補者の所属する政党に票を入れる仕組みだが、それにより党執行部が当選順位を定めた名簿を作成するようになった。党に票が入り、名簿上位の人から当選が決まるわけだが、党執行部が恣意的に順位を決められるので、例えば「えっ、この人が?」と思うような人物であっても、党執行部の覚え宜しく比例名簿の単独一位になったら、ほぼ当選してしまう。名簿順位の操作により党執行部の意向がストレートに反映される形になったため、その分、民意が軽く扱われることになってしまった。


 比例単独の候補者は個人ではなく党の力で当選しており、個人として当選してるわけではない。だから必然的に党に頭が上がらなくなる。文句を言って次回の選挙で名簿順位を下げられたくないからね。それを避けるため、多くの候補者は比例単独ではなく、小選挙区と重複で立候補する。だが、この重複立候補もいろいろと問題がある。


 重複の場合、小選挙区と比例区のダブルで有権者の審判を仰ぐわけだが、これにより、小選挙区で落選しても比例区で復活当選が可能となった。この際、同順位の場合、惜敗率の高い人が比例復活するわけだが、一度落ちた人が数時間後に復活する様子からゾンビ復活なんて言われたっけ。小選挙区で2位、かつ1位と僅差なら、そんな言われ方はしないが、3位以下で1位と大差がついている人が復活すると、言われる可能性が高くなる。


 ただ、選挙区で最下位付近など、あまりにも票が少ないのに比例区で復活したら、おかし過ぎるので、有効投票総数の10分の1(供託金返還ライン)を超えることが条件となっている。そりゃ、そうだ。


 このように小選挙区制同様、比例代表制もおかしな点があるが、もっともおかしな点は票を取り過ぎて名簿を使い切ってしまった場合だ。その際はなんと、当選する権利を他の党に回すことになっている。だから、A党に投票したのにB党に投票したことにされる場合があるのだ。これはどこをどう考えても、おかし過ぎるだろう。事務的な話なんだから、他のブロックから回すなり、後から名簿の名前を追加するなりして対処するべきだ。A党が選ばれたのにB党から当選者を出したら明らかに民意を裏切ることになる。


 あと、参議院の選挙では、全国どこからでも投票できる比例代表「全国区」というのがあるが、ここは全国的に知名度が高い候補者だと有利であり、各党、票欲しさから知名度の高い人、すなわち芸能人やスポーツ選手などを立てるケースが常態化している。


 芸能人やスポーツ選手でも、政治に対し、きちんとした考えや志があるならいいが、就職先の確保や名誉欲を満たすためなら、やめてもらいたい。それと、これは芸能人やスポーツ選手に限らないが、当選した後に「これから勉強します」と言うのはねぇ……。これまでまったく政治的な活動をしたことがない人が当選後、インタビューでこう答えるのを聞くと、げんなりしてしまう。


 はっきり言おう。きちんと勉強してから立候補しろ。でないと有権者に失礼だ。こういう人は自ら仕事をせず、ただ飯食らいになるのが目に見えている。国会議員は経費・歳費を合計すると、一人あたり年間4000万円以上、公設秘書給与や政党交付金等を含めると約7500万円〜1億円相当の費用がかかるとの試算があるが、仕事をしない議員にこれを払うのは税金の無駄使いだ。


 日本は議員が多過ぎる。全国1718の市区町村に議員がいて、東京23区に議員がいて、47都道府県に議員がいて、衆議院と参議院に議員がいる。地方では市区町村、東京23区、都道府県で業務がかぶり、国政では衆議院と参議院で業務がかぶる。かぶるから責任の所在が曖昧となり、怠けやすくなる。


 国会の方はテレビ中継などがあり、一定のチェック機能があるのでまだいいが、多くの地方議会はそれがなく、本当に仕事をしてるのか不透明な部分が大きい。一応、傍聴できるが、わざわざ行く人はごく僅か。2020年のデータによると、地方議会の議員総数は3万2千人以上とか。このうちどれだけの人がちゃんと仕事をしてるのだろうか。公益の観点からすべての議会で動画撮影し、一般に公開するべきだ。居眠りしたり、スマホのゲームをしたり、メモ帳に落書きしたり、ヤジを飛ばしたりするのは議員の仕事ではない。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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