第1841話 選挙制度の問題点2
続きです。
民主主義とイコールの概念のように思われがちな選挙。
だが、実際は民主主義と選挙はイコールではない。
その理由であり、かつ問題点をさらに挙げていこう。
次に挙げられるのがエリート化だ。一般的に候補者は民意を代表するために選挙に出馬し、当選後、その目的を果たすものと考えられるが、実のところ,、当選そのものを目的とし、当選したら、その後、何もしない状況がままある。
なぜ何もしないのか? 利己主義や怠惰もあるだろうが、それに加え、当選したことにより、まわりから「先生」「先生」とおだてられ、自分がエリートだと錯覚することがしばしば起こるからだ。中には最初から議員というエリートになることが目的の人もいたりする。というか結構いる。
そうでなくても、当選により、こちら側(国民)から向こう側(エリート)に意識が変わってしまう人が一定数いる。当選前は「民意を大切にする」と思っていても、当選後、変遷してしまう人は思いのほか多いのだ。
僕は、民意の下で動く民主主義に対する概念として、一部の選ばれた人が動かす政治をエリート主義と呼び、そうならないよう警鐘を鳴らしているが、皮肉にも投票という制度はエリート主義を生み出す要因となってしまっている。選挙で選ばれるということは、その時点である種のエリートだ。
「エリート」には「精鋭、選良、選り抜き、指導層、支配層」という意味があり、語源はラテン語の eligere(選ぶ、選出する)、選挙で選ばれた時点で一種のエリートとなる。実際、選んだ側も当選者を特別視するだろう。それは選ばれた側も一緒、「自分は特別な存在だ」と思うようになる。選ばれた途端、天狗になるなんて小物もいいところだが、世の中そんな小物が結構な数いるのだ。
有利な状況になったり、権力を持つと、人格が傲慢に変わる人がいるが、それは変わったのではなく、隠していた本性が出たということ。議員になって、そうなる人は多い。
民主主義の実現のために、人を選ぶのに、選ばれた途端、自分をエリートと思い、民のために行動しようとしなくなる。まるで支配者になったようにね。もちろん、そうならない人もいるだろうが、そういう人は少数ではないだろうか。
もっと深掘りすれば、立候補という制度にも問題がある。選挙は立候補が前提にあるため、客観的にどんなに優れた人であっても、立候補しなければ、その人が選ばれることはない。逆に相応しくない人であっても、一定の条件さえ満たせば立候補することができ、仮にその人しか立候補していなければ、民意と関係なく、無投票でその人が議員になってしまうのだ。
仮に複数人が立候補しても、全員相応しくない場合があるが、それでもそこから選ぶ必要があり、それは有権者にとってハズレしかないクジを引くのと同じで苦々しいものとなるだろう。
誤解を恐れず私見を交えて言うならば、多くの場合、自分から目の色変えて議員になりたがる人にろくな人はいない。有名になりたい、金を稼ぎたい、偉くなりたい、他人からチヤホヤされたい、異性にモテたい、という邪心が透けて見える。もちろんそうでない人もいるだろうが、タレント議員を見ても分かるように、本業でイマイチだった人が、議員になって一旗揚げたいという例が山ほどあり、普通に考えて、その道で一流の人は議員などになろうと思わないものだ。
「スポーツマンくずれ、学者くずれ、皆さん芸能界に行きます。沢山何々くずれ
の方、芸能界にいます。では芸能人くずれはどこへ行くか、政治の世界です」
これはとある漫才師が残した言葉だが、言い得て妙であろう。最初から高い志を持って政治を目指す人もいるだろうが、他の分野を志し、それでイマイチ成果を出せなかったので、金銭目的や売名目的で政治の世界へ流れてくる人が結構いる。特に芸能界からは多い。肩書が学者や弁護士やアナウンサー等であっても、芸能事務所に所属し、テレビに出ている人が、テレビの出演回数が減ったタイミングで選挙に出馬するケースが目に付く。
彼らは民主主義の実現という崇高な目的など眼中になく、出馬して注目を浴び、テレビに出演する機会の増加を狙っているのだ。彼らの虚栄心とコンプレックスは凄まじく、芸の世界で二流であっても、議員になれば一流の芸能人を上回れると本気で思っていたりする。そんなことないってのにね。
テレビもテレビで自分たちの意向(左派リベラル)を代弁するならテレビに出してやるという悪魔の取引を芸能人に持ち掛け、それに乗った芸能人がテレビに出演し、選挙に出馬する。
先日、「できなかったら責任を取るのか」と首相に難癖のごとく噛みついた芸人がいたが、あれもテレビ局の意向であろう。あれは悪魔の質問だ。「責任を取る」と答えたら、文字通り責任問題に発展し、「責任を取らない」と答えたら、無責任とレッテルを貼り、攻撃の材料にする。どちらで答えても首相の立場を悪くする。だから首相は「意地悪」と答えたが、本当に底意地の悪い質問だ。
そもそも政治家の行動に対する審判は国民が下すものであり、それが選挙という制度だ。仮に首相の行動に問題があれば、次の選挙で国民に審判を下される。それなのに、ただの一民間企業に過ぎないテレビ局と雇われの芸人風情が一国の首相に対し、審判を迫るとは、いったい何様だろう。こんなテレビ局は社会の害悪であり、さっさと放送免許を取り上げるべきだ。選挙後、オールドメディアは「首相の暴走を止めろ」という論調だが、まさにブーメラン、暴走してるのはオールドメディアだ。
首相の立場を想像するなら、衆議院で3分の2以上取り、どんな法案でも通せる状況となったが、それでどんどん強行採決すれば、マスコミがギャーギャー騒ぐのはお見通しなので、形の上でも野党と話し合いの場を持ちたいということだろう。話をした上で意見が対立し、その上で採決するなら、何の問題もない。ただ、その場合、状況によって野党の意見を一部受け入れる可能性があり、そうすると、与党の公約の一部修正があるかもしれない。
それは政治的駆け引きで普通にあることだが、もし番組で「責任を取る」と言質を取られたら、それを拡大解釈され、「与党は公約を守れなかった。責任を取れ」と追及するだろう。特に消費税については、多くの党が減税を掲げるものの、中身に大きな開きがあり、与党案を一字一句まったく変えず、合意できるか不透明さがある。
おそらく首相は強行採決のような印象を避けるべく、極力、与野党合意で改革を進めたいはずだ。以前なら野党イコール左派リベラルだったので難しかったが、今は野党にも保守勢力がいるので、それを取りこみたいと考えているんじゃないだろうか。というのも、肝心の与党の中に左派リベラルが紛れ込んでいるからね。これに対する牽制の意味でも保守系野党との連携は重要だ。
他の法案はともかく、消費税減税の与党案は、二年間だけ、食料品だけ、という時限的なものなので、はっきり言って経済効果はあまり期待できない。てか二年後増税(元の税)するわけだから、混乱を招く分、かえってやらない方がいいぐらいだ。だから戦略上、消費税で思いっきり野党の話を聞き、その結果、話がまとまらず、廃案になった方がいいかもしれない。まぁ言った以上やるとは思うけど。
とと、話を戻そう。
議員は、(自分が)なりたい人がなるのではなく、(他人から)なってもらいたい人がなるのが理想だが、本当に相応しい人は謙虚で慎ましい人が多く、自分から勇んで立候補しないんだよな。
また、議員は在任期間が4年程度と短いが、それにより、経験の連続性が保てず、知識を蓄積できないため、ずっと専門分野で仕事をする役人に知識で敵わないケースが多い。これにより、議員は役人頼みとなり、国だと官僚主導になりやすくなるとうデメリットを生じさせている。
選挙というプロセスを経るため、専門分野の知識を積めず、それにより議員が役人からレクチャーを受け、選挙を経ていない役人の意向が政治に反映されることになる。多くの国民が望んでいないのにもかかわらず、段階的に上がった消費税がまさにそのいい例だ。財務省のレクを受けた議員の多くは財務省の意向に染まってしまった。
財源確保は確かに大事だが、消費税は悪手。公平・中立・簡素という税の三原則のいずれにも反し、消費行動を抑制して景気を低迷させる。だから他の方法をすべきだが、他の方法だと取る側(税務当局)の労力が大変なので取りやすいところから取れる消費税が選択されたのだ。これは取る側の意向によるものであり、民意によるものではない。
投票率が低いのも問題だ。現在、日本ではおおよそ半分ぐらいの人が選挙に行っていない。投票したい候補者がいなければやむを得ない面もあるが、それだけではなく、選挙を他人事と捉え、政治に関心のない層が相当数いることが、この事態を深刻化させている。
投票は権利であって義務ではないため、行かずとも何のお咎めもない。だから面倒くさがって行かない人が多いわけだが、投票しなければ投票率が下がり、結果的に組織票の影響力を強めることになる。つまり、自分ではそんなつもりがなくても、無投票により、実質、組織票の強い候補者を応援することになってしまうのだ。これは制度上の欠陥と言わざるを得ない。
制度上の欠陥と言えば、不正が起きやすいのもそう。日本では選挙管理委員会がチェックしているが、選挙管理委員会そのものは誰かがチェックしてるわけではないので、もし委員会に不正する者がいたらどうしようもない。鉛筆だから後から書き換えられるし、無記名だから後から追加することもできる。読み取る時だって、意図的にカウントしたり、しなかったりもできてしまうからね。また期日前投票の本人確認が杜撰過ぎる。ちゃんと本人確認すればいいが、しないところもある。そんな訳で投票者総数より開票総数が多いなんてことがしばしば起こる。
アナログだから、こういう事態が発生するので、ネット投票にすべきという意見もあるが、ネットにしたら、それこそ一切証拠が残らないので、不正がさらにやりやすくなるだろう。AとBの候補者がいて、Aに投票したつもりでも、システムをいじられて、Bにカウントされたらどうしようもない。それにネットだと個人の情報登録が必要で、投票したら、その記録が行政に渡ってしまうので問題がある。
2020年、アメリカ大統領選挙の開票速報において、激戦州で共和党の候補者がリードしていた状況から、深夜に民主党の候補者の得票数が不自然なほど急激に伸び、それが一州だけでなく、なぜか激戦州でだけ発生し、それで民主党の候補者が当選したことがあったが、当時、大規模な不正があったと言われたものだ。
民主党は不正を一切認めず、強引に幕引きしたが、あれは酷かった。実際、重複登録による投票、死者による投票、捨てられた共和党候補者の票、無資格者による投票、選挙スタッフがわざとマーカーの使用を強要し票を無効にさせる作戦、中国「順豊エクスプレス」で送られてくる偽投票用紙、郵便受けからの投票用紙盗難、郵便局長による期限切れ用紙への消印日付改ざん支持、共和党観察員への入場監督の拒否、共和党観察員への入場監督の拒否、集計作業の一部停止および遅延、軍人投票の集計拒否など、いくらでも証拠が挙がっていたのだから。
あの一件は投票制度の信用を著しく失墜させた。民主主義の代表的な国であるアメリカですら、ああなんだから、他の国でもやってるんじゃないかと思わせるに十分な出来事だった。
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