第1840話 選挙制度の問題点
選挙を実施してるから、民主主義が実現できている。
果たして本当にそうなのでしょうか。
孫のリビオを愛で、カルエスたちと有意義な時間を過ごした後、
城の執務室に戻り、ひとり静かにソファでくつろぐ。ふぅ、いいね。
賑やかに過ごした後はこういう時間を持つようにし、頭の中を整理する。
ドイツのことわざに「人生の半分は整理整頓」というのがある。ドイツでは地下室や小屋裏収納のある家が多く、収納庫を設けることでモノが溢れない生活が当たり前となっているが、日本人も昔からモノを押し入れや納屋や蔵などに収め、日常空間を整えることをしてきたので、この点はシンパシーを感じる。
ごちゃごちゃモノが散乱した空間にいると、心まで落ち着きがなくなるが、それが正常な感覚だろう。逆に、ごちゃごちゃ散乱した空間、ごみ屋敷のような家が落ち着くというなら、それは異常な感覚だ。何かしらの良からぬ業を背負っている可能性がある。
整理整頓できない人はモノへの執着が強く、精神性の低い人が多い。その人がどういう人物か知りたければ、家の中を見れば、おおよそ見当がつく。外で環境保護を訴えながら、部屋の中がゴミだらけなら、口先だけの主張ということだ。
風水の理論でもあるように、整理整頓された環境が安定と成功、そして豊かな余暇をもたらすのだろう。これは外面的なモノに限らず、内面的な心もそう。人は考える葦であり、いろいろ思考するが、思考しっぱなしではいけない。定期的に整理しなければ、雑多な思考がたまり、頭の中が煮詰まりパンパンになる。
日常で起こることの多くは、既に過去、解決方法が示されているものだが、その情報を得ていても、それに気付かず、どこにあったか分からないようでは意味がない。どうして、そうなるかと言えば、どうでもいい雑多な情報が整理されず、重要な情報を覆い隠してしまっているからだ。だから定期的に思考の整理をしないと。
先程、カルエスとも話をしたが、今回は選挙をテーマに整理しよう。
この世界では、王政から王政民主主義へ移行する形で、多くの国が民主主義を採用しており、前の世界のような選挙を実施していない。前の世界の人が見たら「選挙をしてないのに民主主義? 何それ?」と思うかもしれないが、僕から言わせれば「選挙をしてるから民主主義? 何それ?」だ。
前の世界では、選挙イコール民主主義、民主主義イコール選挙のように、まるで同じ意味かのように論じられることがあったが、両者の概念は明確に違う。選挙は民意を代表する人を選ぶ制度であり、民主主義は民意に沿った政治体制のことだ。民主主義は目標であり、選挙はそれに至る手段のひとつ。イコールじゃない。
だから民意に沿った政治体制(民主主義)ができるなら、別段選挙をする必要がない。「そんなこと不可能だ」と思われるかもしれないが、この世界で現にできている。前の世界だって、パックス・ロマーナ(紀元前の古代ローマ帝国)、パックス・ブリタニカ(19世紀の大英帝国)、江戸の元禄時代などは、民の経済的・思想的自由度が増し、選挙などなくても民はそれなりに幸せだったと思われる。ざっくばらん、幸福度で比較したら、今の日本とそんなに変わらないかもしれない。
民意を知る方法は別に選挙だけに限らない。目安箱の投書、行政調査庁によるアンケート調査・ヒアリング調査、各行政機関の受付など、民の声を吸い上げることはいくらでもできる。これに加え、王族自らが市井に入り、現地調査をする。逆にこれらをせず、単に選挙で選ばれただけで、本当に民意に沿った政治ができるか、はなはだ疑問だ。選挙をしたからと言って民主主義が実現するものではない。
ということで、選挙制度の問題点について、
ひとつひとつ挙げていこう。これに関しては日本の事例が大いに参考になる。
先ず、自分を応援してくれた人の声を聞く、だ。当たり前だと思うかもしれないが、選挙は多くの人からの信任を得て当選するものであり、身近で応援してくれた人の力だけで当選するものではない。
だが、多くの人は当選後、名も知らない聴衆より、近くの人、身内を優遇しようとする。これにより、後援会や後援団体ばかりに配慮する偏った議員になってしまうのだ。その地域で当選すれば、その地域全体の代表となるが、当選した人はその意識が希薄で、自分を応援してくれた人の代表という意識が強い。
自分を応援してくれたのに、距離が遠い人、また、よく知らない人の意見を無視するなら、それは真の民主主義とは言えない。これが酷くなると、投票ラインを超えるための組織票だけを大切にするようになり、民意とどんどんかけ離れていく。寡占化、利権政治、裏金、世襲などの問題も根はここにあると推察する。
民主主義は全体の民意を大切にするものであり、一部の民意を大切にするものではない。だから、特定の人とだけ緊密になることは避けるべきだが、「遠くの親戚より近くの他人」と言うように、人はどうしても近くの人に縁の深さを感じ、特別扱いしたがるものだ。これは僕を含め、誰にでも起こりえる根深い問題だが、それが民主主義を歪めることを認識した方がいい。
仮にありとあらゆる組織や団体から支援を受けず、純粋に党員から支持を受けて勢力を伸ばしたとしても、党員も国民の一部であり、当然、党員イコール国民ではないので、当選後、党員だけの意見しか聞かないのであれば、やはりそれも厳密な意味で民主主義ではなく、強いて言えば党員主義ということになる。
党員10万人、100万人いようとも、日本全国1億2千万人から見たら、千分の一、百分の一以下に過ぎない。その支持で全国民の支持を得たと勝手に思う愚は犯すべからずだ。後援会や党員の意見ばかり聞くと、エコーチェンバー現象により、それが世の中全体の意見だと勘違いするようになるが、多くの議員は大なり小なり、この状態に陥っているのではないだろうか。
議員は、自分を応援してくれた人だけでなく、自分を応援しなかった人、自分に票を入れなかった人、投票に行かなかった人、投票権のない人、さらには、自分に反対したり、自分に反感を抱く人の気持ちにも寄り添い、そして彼らのために働かなければならない。真の民主主義を実現するための道のりはまだまだ遠く、改善すべき課題はたくさんある。
また、日本のように歴史・伝統・文化の積み重ねの多い国では、先人の思いにも応える必要がある。彼らは二千年以上の長きに渡り、時には命をかけて日本を守り抜いてくれたが、当然、それは今の日本人も受け継ぐべきだ。また、まだ見る子孫にも思いをはせ、先人が残してくれた日本をきちんとした状態で彼らに渡す責務がある。今の代で壊すことがあってはならない。
保守とは国を守ること。それは国民にとって至極当然のことだ。それをマスコミは右傾化とレッテルを貼り、異常なように報じるが、右傾化ではない。正常化だ。国を守ろうとしない売国的なマスコミや左派リベラルの方が余程異常。
日本列島は日本人のものだが、今の日本人だけのものではない。
過去の日本人、未来の日本人のものでもある。
今の日本人が好き勝手にしていいものでは決してないのだ。
国とはそんな軽々しいものではない。
今年は西暦で2026年だが、神武天皇の即位(紀元前660年)を元年とする日本の独自の暦、皇紀では2686年となる。この間、皇統は126代続いているが、この様な国は世界中で日本しか存在しない。過去に何度も断絶の危機はあったが、それをすべて乗り越えてきた。
戦後、GHQは日本弱体化政策を推し進め、日本人に自虐史観を植え付けた点は大いに反感を持つが、日本人を殺さず、日本の国土を分割せず、皇統を維持してくれたことは大いに感謝する。実際、これをしてくれたから、当時の日本人は黙って占領を受け入れたんだろう。まぁアメとムチだろうがね。
さて、次に移ろう。
次の問題点は、当選して終わり、という人がいるということだ。議員になるのは民意を反映した政策を実行するためであるべきだが、実のところ、当選して議員バッチを付けたら、それで勝手に目標達成にしてしまい、後は仕事をしてるフリだけという人がかなりいる。
どうしてそうなるかと言えば、民がチェックする選挙期間は限られた時間のため、それさえやり過ごせば、制度上なんとかなってしまうところがあるからだ。議員は民が選ぶものだが、普段、議員は民の目に届かないところで活動しており、何をしてるか分かりづらい。
以前、パリのエッフェル塔の前で観光客のようにポーズを取って写真を撮り、堂々とSNSにアップした議員がいて大騒ぎになったことがあったが、あれはたまたま写真をアップしたから分かったことであり、あれこそが多くの議員の素の姿なのだろう。あれは完全に自爆だったが、人が見てないところで議員が何をしてるのか、よく分かる事例となった点だけは意義がある。
一般的な勤め人は毎日会社に行くが、議員はそうじゃない。年間の一定の日にしか議会や委員会に行かないので、それ以外の時間で何をしてるのか、よく分からない。だから選挙期間中だけ、いい人を演じれば有権者を騙せる、という由々しき事態となっている。今だけ、口だけ、選挙だけってね。
また、選挙はその性質上、外見的・外面的要素で判断されやすい、という負の面が多分にある。一言も口を聞いたことがないような、よく知らない人を選ぶわけだから、内面を掘り下げず、顔、容姿、学歴、職歴などの印象に大きく左右されやすい。
その結果、知名度があると有利になり、知名度があるだけで選ばれることが普通に起こる。人の見た目(容姿、服装、雰囲気)から能力や性格を無意識に決めつける心理的な歪みを「ハロー効果」と言い、第一印象(外見)で「この人は優秀そう」と決めつけた後、その印象を裏付ける情報ばかりを集め、他の情報を無視する傾向を「確証バイアス」と言うが、選挙はこれが付いてまわり、候補者はこれをうまく利用するので、それに引っかからないようにするのは中々大変だ。
日本には、学校でも会社でも何かの組織でも、入るまでは大変だが、入ってしまえば、後は適当にやり過ごすという悪しき風習がある。これは「和の精神」の誤用だが、中に入れば、目立たず、波風立てず、イエスマンに徹し、上から下りてきた定型の仕事しかしない、という状況がそこかしこで見られる。
その様な悪しき影響を受け、当選後、議員は、まるでサラリーマンが会社に就職したような感覚となり、政策実現するために、あちこちでぶつかるのを避け、右に倣え、長い物には巻かれろ、が信条になっていく。そして、仕事をしてるふり、という日常になるのだ。
「休まず、遅れず、働かず」は元々は公務員の働き方を揶揄する言葉だったが、今では公務員に限らず、不真面目な社員や窓際族の働き方を揶揄するものともなっている。議員の中にもこういうのはいるだろう。
さて、次に行こう。
次は、ポピュリズムに陥りやすい、だね。選挙で当選するには、庶民受けすることを言うのが手っ取り早く、これは昔から定番であり、また問題にもなっていた。本当は増税が必要であっても、庶民の反発を恐れて、それをせず、逆にバラマキをするのがその最たる例だ。民度が低く、今さえ良ければいいという社会では特に起こりやすい。
選挙もそうだし、民主主義もそうだが、
それに実効性を持たせるには民度の高さが欠かせない。
民度とは民の精神性の成長度合いを指す。道徳や善性や徳と言ってもいい。
今だけ金だけ自分だけ、口だけ物だけ見た目だけ、
という人が多い状況では民主主義は十分機能しない。
いくら制度が立派でも、それを行うのは人。
ひとりひとりの意識を上げてこそ、制度は機能する。
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