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第9話 ぐちゃぐちゃたまごが示すのは

「よお、ミア!昨日はよく眠れたか?」

 もらったばかりのシャツとズボンに着替えて外に出てみると、農具小屋の側で、ラウルが薪割りをしているのが目についた。寝起きとは思えない通る声で挨拶をしながら、汗にまみれて斧を振っている。いつ見ても暑苦しい男である。

「朝っぱらからガキどもがぎゃーすか言ってて、たたき起こされた。あの騒ぎっぷりで、誰一人大人が来ないなんて、この家おかしいんじゃねえの?」

 抗議の意を込め、わざと顔をしかめて言う。

「毎朝のことだから、この程度じゃいちいち騒がん。俺もレイラも、レベッカもな。とはいえ、今朝は、ルークが真っ青になって廊下を駆けてったんで、気にしてはいたんだが……結果的に丸く収まったみたいだし。子どもは喧嘩してなんぼだ。兄貴である前に子どもなんだから、あれでいい。ルークはいいやつなんだが、背負い込みすぎる」

 兄弟を想う気持ちはわかるけどな、とラウルは言い、頭をひとつ振った。途端に、ヒトの耳は消え、代わりに狼の大きな耳がぴんっと立った。

「狼ってのは、耳がいいんだ。で、仲間思い」

 ラウルは真っすぐに斧を振り下ろし、最後の一本を叩き割ると、山のように積みあがった薪をミアに持たせた。

「台所に持っていってくれ。確か今日は、ノアが朝飯当番だったはずだ」


 ノアってだれだっけと思いながら、ミアは台所に向かった。なんとなく聞き覚えはあるが、どうも顔が思い出せない。この家に来てまだ半日ほどしか経っていないのに、情報密度が異様に高いのがいけないのだ。三歩歩けば能力者にぶち当たるのに、影の薄いやつまで、いちいち覚えていられるか。

「ノアー?優しい優しいミア様が、薪を持ってきてあげましたよー」

 足で扉を押し開けて台所に入ると、黒髪の少年が大きなパンを切り分けている最中だった。ナイフを握る手は、革手袋で覆われている。

「ありがとう、そこ置いといて」

 ……ああ、こいつか。玄関開けて早々、見透かしたようなこと言ってきた、いけすかねーやつ。昔から、こういう仏頂面とは相性が悪い。押しても引いてもろくな反応を寄越さないつやつとつるんでも、なんの刺激も得られやしない。

 とはいえ、フィーナのように口うるさいタイプには見えないし、この家でしばらく厄介になるなら、情報収集が必要である。〈アルカの家〉は、子どもが予備動作もなしに瞬間移動するのが当たり前の場所なのだ。無害そうなこいつだって、なにを隠し持っているかわかったもんじゃない。竈に薪を入れた途端にノアが火を吐いたってもう驚かないが、身の回りに潜む脅威について知っておくことは重要な生存戦略である。

 ミアはどっさり持たされた薪を竈の側に下ろし、ノアが作業している調理台を覗き込んだ。

「なあ、朝飯なに?オレ、肉がいーなあ」

「昨日の残りのシチューとパン。あとは目玉焼き。……君っていつも食事のことばっかりだね」

「生きることは食べることだからな。お前もそう思うだろ?」

「名言だね。皿、運んどいて」

 せっかく人が歩み寄ろうとしてるのに!これだから根暗は!

「……失礼なこと考えてるだろ」

「なんも言ってねーだろうが」

「言わなくてもわかる。君はわかりやすいから」

「あっそ。『自分の気持ちに正直に』がモットーなもんで。正直者はつらいねえ」

 ミアの軽口に何の反応も示さないノアは、昨夜洗った皿の山を持たせた。オレは配達員じゃねえんだぞ。まあいい。この根暗と同じ空間にいても気まずいだけだ。情報収集はこのくらいにしておいてやる。


 渡された皿を一応テーブルに並べ、居間でサボっていると、廊下から甲高い声が聞こえてきた。

「ノアくーん!たまご屋さんがきたよー!」

「たまごいっぱい!とれたてでーす!」

 開けっ放しの扉から覗くと、浅いかごに白いたまごを何個か乗せて、カイトとセシルがやってくるのが見えた。小さな歩幅で一歩一歩確かめるように歩いている。緊張感を持ちながらも、その顔には、与えられた仕事をやり遂げた誇りと、早く褒めてほしいという期待とがにじんでいた。オリビアは、そんな二人の後ろについて、子どもたちの危なっかしい運搬を見守っている。

 ノアは子どもたちがやってきたのを認めると、作業を中断して棚から瓶を取り出し、蜜煮の赤い果実を匙ですくいあげた。

「たまご運び、ご苦労様。お代はこれで」

 そして、赤い果実をひとつづつ小さな口に放った。新米配達員たちは顔をほころばせて、甘いご褒美を味わった。そして、ひとしきり仕事の成功を喜んだあと、すぐに外遊びに出かけていった。

 オリビアは、元気有り余る子どもらを見送ると、ふふっと小さく笑った。

「カイトくんもセシルちゃんも、たまご一個も落とさなかったんだよ。ノアくんに褒めてもらうんだ―って。二人とも、ノアくんのこと大好きだもんね」

「僕、特別好かれる要素ないと思うんだけど」

 ノアは心底わからないという顔をして、瓶の蓋を手に取った。

「あるよ。だってノアくんは、素敵な人だもの。べたべたしないけど、いつもみんなのこと見守っていてくれるでしょう?きっと子どもたちにはわかるんだよ。ノアくんは、本当に必要な分だけ優しさを置いてくれる人だって。わたしも、ノアくんのそういうところが好き」

 オリビアは、なんでもないことのようにそう言い、頭一つ分も背の高いノアに向かってはにかんだ。ノアはさっと顔を逸らして、蓋を締める手に力を入れた。心なしか顔が赤い。めいっぱい力を込めているせいだろうか。

「僕はそんなできた人間じゃないよ。オリビアの心の方がずっとずっときれいだ」

「……ありがとう。ノアくんは、やっぱり優しいね」

 子どもたちの様子見てくるね、とオリビアは緩く編まれた三つ編みを揺らして戸外へと向かった。ノアはそんなオリビア見送ると、しっかり閉めた瓶を棚に戻すこともせずに、ぼんやりとフライパンを火にかけた。そして、かごに乗せられたたまごをいくつか手に取ると、台の縁にこんっと当ててひびをいれ、いかにも流れ作業といった様子で、フライパンにたまごを落としていった。

「あ」

 ノアは手元を覗き込み、チッと小さく舌打ちをした。そして、突然フライパンをかき混ぜ始めた。


(思わぬ特ダネが舞い込んできたな)

 ミアはほくそ笑み、カシャカシャと規則正しい音が響く台所へと足を踏み入れた。

「ノーアーくぅん?皿運び屋さんがきたよー?」

「……ああ、ミア。皿を運ぶだけなのに随分遅かったね。まだできてないから、もう少し待ってて」

「一枚も割らずに運べたお利口さんに、ご褒美ないのぉ?」

 ノアはフライパンをかき混ぜながら、いかにも面倒くさそうにミアに尋ねた。

「君、何歳だっけ?」

「多分、十四」

「じゃああげない」

 若干白身が混ざっているスクランブルエッグを皿に移し、もう一度たまごを割っていく。今度は先に溶いてから、フライパンに少しずつ卵液を流し込む。

「えー?ノアくんは、本当に必要な分だけ優しさを置いてくれる人だって思ってたんだけどなあ」

 あわれ卵液は、盛大にぶち撒かれた。

「そういえば、今朝は目玉焼きじゃなかったっけ?なんだか顔も赤いし、レベッカに診てもらった方がいいんじゃねえ?」

「……なにが言いたい」

 ミアはにぃっと目を細め、人差し指を立てると、大きく開けた口をとんとんと指さした。ノアは深くため息をつき、瓶の蓋を開けると、蜜煮の果実をミアの口に放った。

「話が早くて助かるぜ」

 赤い果実を舌の上で転がしながら、ミアは満足げに笑った。奥歯で噛むと、長く漬け込んだであろうその果実からは、甘酸っぱい蜜がじゅわっと染み出てきた。

「レベッカには悪いけど、やっぱり、体にいいものより舌にいいものだよなあ。これは持論だけど、何事につけても、安心安全より刺激的な方がいい。特に、甘酸っぱい恋心なんかは、こののんびりした家の中で、最高の娯楽になる」

 ノアがミアを睨みつける。その表情を見たミアはますます興が乗った様子で、口角をあげた。

「いやあ、しかしオリビアねえ。まあ、あいつ、地味顔だけど人がいいからな。うんうん、いいんじゃねえの。好きな女に褒められて卵ぐちゃぐちゃにする年頃男子。実に健全で」

「……僕のことをからかうのはこの際いい。でも、オリビアに同じことをしたら許さない」

「へえ?フィーナといい、お前といい、随分あいつは大事にされてるんだな」

 ノアはしばらく黙っていた。焦げ付かないようにフライパンを火から離し、手早く二度目のスクランブルエッグを仕上げていく。そして、完成したそれを木べらで皿に移しながら口を開いた。

「……単に、大事な友達だからだよ」

「友達、ねえ……じゃあさ、オレもみんなと友達になりたいから、ここの連中のこと教えろよ。仲を深めるには、まずは相手を知るべし、だろ?」

 ミアはまるで十年来の親友のようにノアの肩に腕を回して、顔を覗き込んだ。ノアは、瞬間的に体をこわばらせ、強引に組まれた腕を振り払った。

「僕らに興味なんて無いくせに。能力者に囲まれて怖じ気づいてるだけだろ?」

 ノアは苦々し気に眉をひそめ、少しずれてしまった革手袋を几帳面につけ直した。

「僕にはわかるんだよ、そういうの。フィーナも言ってたと思うけど、僕らはみんな、事情があってここで暮らしてる。能力のことも家庭のことも、聞かれたくない人が多いんだ。口ではいろいろ言ってるけど、本当はただの情報収集だよね。僕をからかうのだって、少しでも優位に立っておきたいから。人を小馬鹿にした態度、はっきり言って不愉快だ」

 ノアはそこまで言い切ると、気持ちを切り替えるかのように深く深呼吸して、台の上に置いたスクランブルエッグの皿を指さした。

「お皿運び屋さん、次の仕事お願い。先に言っておくけど、君に払うお代はない」

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