第8話 さわがしい朝
〈アルカの家〉の一日は、鶏の大合唱から始まる。二羽や三羽では済まない威勢のいい鳴き声が、まだ薄暗い屋敷中に響き渡った。
「……うるせぇ」
ミアは眉間に皺を寄せながら毛布を引き上げ、すっぽりと全身を覆った。鶏の鳴き声って苦手だ。とにかくうるさい。誰が一番人間の鼓膜を破れるか勝負して楽しんでいるとしか思えない。一羽が鳴き始めると、間髪入れず、我も我もと、よりけたたましい声で鳴き始めるあたり、鶏という生き物はよほど負けず嫌いなのだろう。もしくは、面白そうなことならなんでも飛びつく祭り好きか。どちらにせよ、はた迷惑な話である。無論、一羽目が鳴き始めた段階で、ミアの眠りは途切れてしまった。他の子たちも目を覚ましたようで、ベッドの中でもぞもぞと動き始めている。
「セシルちゃーん、おはよー……そろそろ起きないと……」
「……んぅ……」
早速、世話焼きオリビアがベッドから起き出し、人形を抱きしめて眠っているセシルの身体を優しくゆすり始めた。セシルは、目をこすりながらも起き上がり、ベッド下から自分の木箱を引き出すと、意外にきびきびと身支度を整え始めた。
「お着替えがんばれて偉いねえ、セシルちゃん」
オリビアの手が、あちこちはねているセシルの髪を撫でる。セシルはぴたりと動きを止め、寝起きで熱をもった頬をさらに赤く染めた。そして、オリビアの腕に全身をくっつけると、ひと際甘い声を出した。
「……セシル、つくしたはけなぁーい……オリビアおねえちゃん、やって」
「ええー……?セシルちゃん、靴下できなくなっちゃったの?しょうがないなあ……」
などと苦笑しながらも、オリビアは、指を握ったり開いたりして遊んでいるセシルの足に靴下を履かせ始めた。世話焼きも考え物である。セシルもオリビアも幸せそうな顔をしているので、いいのかもしれないが。
毛布の隙間からそんな二人の様子を覗き見ていると、突然、身体の上に何かが降ってきた。
「ぎゃっ!」
「おっはよー!あ、セシルまだおきがえしてる!今日のおきがえきょーそーは、ボクのかち!」
明らかにこの部屋にいるはずのない声が、毛布越しに聞こえる。勝利の喜びに全身を震わせるそれは、ミアの上で、小さな身体を何度も跳ねさせた。
「ぐげっ!」
「んん?なんかカエルさんの声がする。もう雨でいっぱいになるのかなあ」
いるはずのないカエルを探して毛布をめくったのは、仲良し幼児二人組の片割れ・カイトだった。
「あれ!ミアちゃん!なんでここにいるの?」
「……そっちこそ、なんでここにいるんだ。いいから降りろ!」
力任せに押しのけると、カイトは毛布に巻き込まれてころんと転がり、「もう一回!」とケタケタ笑っている。セシルに靴下をはかせていたオリビアは慌てて梯子を上り、ミアのベッドを覗き込んだ。
「ごめんね、ミアちゃん!大丈夫?……もう、カイトくん、まずは『ごめんなさい』でしょ?ミアちゃん、怪我しちゃうかもしれなかったんだよ?」
「ごめんなさーい……でも、わざとじゃないよ!いつもこのベッドはだれもいないから、とんでもへーきだと思ったの」
「『とぶ』ってなんだよ、ベッドの中に人がいるのがわからないはずないだろ。それとも、扉の向こうから瞬間移動したとでも?」
ミアの嫌味を理解していないカイトは、元気よく首を縦に振った。
「うん!ボク、しゅんかんいどーしたの!」
「へーへー、そりゃすごいや。子どもの想像力ってご立派だな」
「ミアちゃんしんじてない!ホントだもん!」
全く取り合わないミアの服をひっぱり「みてて」と宣言すると、カイトは一瞬にして姿を消した。
「こっちだよー!」
下から声がしたのでベッドから身を乗り出すと、なんとカイトが、セシルのベッドの上で、ぶんぶんと手を振っている。ありえない、ほんの一秒前までミアに馬乗りになっていたというのに。
「あ、フィーナちゃんまだねてる!おーい!朝だよー!おきろー!!!」
「おきろー!」
下段に移動したことで、毛布をかぶって起床拒否するフィーナを発見したらしい。迷わず突進するカイトに続いて、セシルまでもが、フィーナのベッドに飛び込んだ。
「ぐえっ……」
「あ、フィーナちゃんもカエルさんだ!ミアちゃんと一緒!カエルさんいっぱい!」
「セシルもカエルさんする!ゲロゲロッ!ゲロゲロッ!」
そうして、朝っぱらから元気あり余る子どもたちは、カエルの真似をして部屋中を飛び回った。フィーナは眉をぴくぴくさせたが、寝起きで怒鳴る気力もないらしく、頭を抱えた。窓の外からは相変わらず、コケーッコッコッコッだの、ギエーッゴゴだのと鶏たちが怒鳴りあっている声が聞こえてくる。哀れな孤児が迎える初めての朝が、こんなにさわがしいなんて、誰が想像できただろうか。
そのうえ今度は、ドンドンッと乱暴に扉を叩く音まで加わってきた。
「オリビア姉ちゃん、カイト来てない⁉ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃったんだ!もし前みたいに、屋根の上に飛んでたりしたら……」
混乱を極めた女子部屋の中で右往左往していたオリビアは、ルークの緊迫した声を聞くとすぐに扉を開け、中に引き入れた。まだ寝間着姿のルークは、カエルごっこではしゃぎまわるカイトを見つけると、つかつかと早足に近づいた。
「カイト!!」
ルークはカイトの肩を掴み、強制的に自分の方を向かせた。
「何度も言ってるだろ、勝手に能力を使うなって!何度言えばわかるんだ!」
「でも、おきがえきょーそー……」
「『でも』じゃない!お前に何かあっても、おれは助けにいけないんだ!」
「だってぇ……」
カイトは目に涙をいっぱいに溜めてルークを見上げた。いつも優しい兄が、こんなに怒る理由がわからないのだろう。ルークも、困惑するカイトにまで気を回す余裕がないようで、なおもカイトをしかりつけている。恐怖と混乱の渦に飲み込まれ、幼い兄弟の声はだんだんと高くなっていく。
「あーもう、うるせぇうるせぇ!朝っぱらから辛気臭くてウッッッゼ!」
そのとき、不協和音を切り裂く、ミアの怒号が炸裂した。
「兄弟そろって、今にも泣きそうな顔で喚きやがって!鶏だけでも頭が割れそうなのに、人間の雛までピーピー鳴くんじゃねえ!」
「……っ!あんたには、わからないんだ!家族が急にいなくなるのがどんなにつらいか!」
「あ?当たり前だろ、てめーらの事情とか知るかボケ。オレはうるさくて迷惑だって言ってんの!怖いだけの癖に当たり散らしてんじゃねえぞ!」
完全に逆切れで怒鳴り返されて、ルークはあっけにとられた。そうして、何も言い返せず、口をあんぐり開けているうちに、昂っていた気持ちがだんだんと冷めていった。見ると、カイトは何を言われているのかもわからず混乱しながらも、顔をくしゃくしゃにして涙が流れないようこらえている。いかっていたルークの肩が、わずかに下がる。
「どなったりして、ごめん」
「……にいちゃん、こわかったの?」
「……うん。おれ、カイトがいなくなっちゃうのがこわい。勝手にどっかいかないで」
ルークの声は小さく、頼りなく、しかし緊張の色が消えていた。
「わかった。次から『とぶよ』ってゆってからとぶね」
「うん……?まあそれでいいことにしとく」
カイトはルークの手を取って、分かってるんだか、分かってないんだか、ニッコリ笑いかけた。つられてルークも、へろっと笑った。
「仲直りできてよかったぁ……勘違いは悲しいもんね」
オリビアがほっと、胸をなでおろした。自分がかかわっていようとなかろうと関係なく、本当に争いごとが苦手らしい。
「カイトくん、セシルちゃん、一緒に鶏小屋にたまご取りに行こっか。落とさないように気をつけようね」
そう言ってオリビアは、右手はセシル、左手はカイトと手を繋いだ。相変わらずセシルは、オリビアにべったりくっついていて歩きにくそうである。
「探しに来てくれてありがとう。カイトくんのことはわたしが見てるから、ゆっくり着替えておいで」
ルークとのすれ違いざま、オリビアはそっと耳打ちし、鶏小屋へと向かっていった。
「あいつ、ホント面倒見いいな」
「……ミア姉ちゃん」
暴風が去った後の部屋で立ち尽くしていたルークは、なんとなく扉の先を見ていたミアにほんの一言だけ声をかけた。
「ありがとう」
「は?てめーらがいつまでもうるせえから黙らせただけだ。おら、寝間着のガキはさっさと着替えろ、ママに叱られっぞ」
鼻をほじりながら、ミアはルークを部屋から追い出した。この騒動の間中、ミアは一歩たりとも動かず、二段ベッドの上から好き勝手言っていたのだった。
「そうだね、着替えなきゃ。でも、ミア姉ちゃんも寝間着だから、きっと叱られちゃうよ」
扉から出ていくとき、ルークは振り返り、少し笑って去って行った。廊下から差し込む朝日のせいか、ルークの顔は、昨夜初めて見た時よりも一段明るく見えた。
「……ミアさんって、意外と人を見ていらっしゃるのね」
「ああん?いきなりなんだよ、気色わりい。貴族流の喧嘩か?イライラするときには骨食うといいってレベッカが言ってたぜ」
「……やっぱり、なんでもありませんわ」
「あなたたち、いったいいつまで寝ているの?さっさと起きなさい」
朝の澄み切った空気によく似た鋭いレイラの声が、開けっ放しの扉から飛び込んでくる。自分だって起床間もないだろうに、レイラは動きやすそうな服を身にまとい、長い髪をひとつに結い上げて、軽く化粧まで済ませていた。手には、大きな袋を一抱え。
「必要なものは一通り揃っているはずよ。不足があれば言いなさい」
レイラは、新入りのミアに、新しい服一式を渡しに来たのだった。レイラは用事を済ますと、さっさと階下に降りて行ってしまった。多分この女は、なにがあってもこの対応なのだろう。どっさり手渡された布の山を、鼻に押し当てる。汗臭くない。
渡された衣服は、誰かお下がりらしく、小柄なミアには少々大きく感じられたが、一緒に渡された飾り紐のおかげで、調整すれば問題なく着ることが出来そうだった。
ミアは早速、シャツとズボンとを選んでより分けると、残りのスカートやらワンピースやらをしまいに、木箱を引き出した。
木箱の中で、ミアの赤い革靴は昨夜と同じように、くしゃっと倒れていた。




