第6話 自分の場所
第6話 自分の場所
ミアに割り当てられたのは、台所のちょうど真上に位置する部屋だった。当然、個室なんて贅沢なものは用意されていない。事前説明の通りである。部屋には、太い木材を組んで作った二段ベッドが二台。その間に、背の低い机と、古い布を再利用したらしいつぎはぎのクッションが数個置かれ、窓際の棚の上には、すずらんの鉢植えが飾られている。
「今日からここが、ミアちゃんのお部屋だよ!」
住人が増えるのが嬉しくて仕方ないらしいオリビアが、ミアの手を取って言った。
ここは、〈アルカの家〉の女子部屋。夕食後は、ここでまったりおしゃべりをしたり、みんなで遊んだり、思い思いに過ごすそうだ。棚の中を開けてみると、上段には、歯が数本欠けた木櫛や小さな手鏡が入った袋、きっちり整理された裁縫箱など生活感あふれる品々が並んでいた。その隣にはなぜか、ラベルのようなものがついた黒い瓶がいくつか並んでいる。興味本位で一つ開けてみると、途端に強烈な薬草臭が鼻を刺したので、ミアは慌てて蓋を閉じた。下段には、数冊の絵本や図鑑、トランプらしき遊び札、どう使うのかよくわからない民芸品がぽつりぽつりと置かれている。女子部屋の共有財産は、ここにしまっておくルールらしい。
「自分の荷物は、この箱に入れて管理してね」
オリビアは膝をついてベッド下から木箱を引き出すと、ミアに手渡した。「自分の荷物」と言われても、ミアはこの箱を満たすだけのモノを持っていない。ひとまず、例の赤い革靴を隠しておくことにした。明日の朝、木箱の中に変わらず革靴があったら、ほんの少しだけ、この奇妙な家のことを信用してやってもいい、と思いながら。ミアは木箱をベッド下に押し込み、部屋全体に視線を向けた。
ともあれ、悪くない環境である。市場の劣悪な環境に比べれば、多少窮屈なくらいなんてことはない。ベッドなんて上等なものに寝転がるのは、生まれてこの方初めてだった。住み込みで働いていたころも、十数人の娘が押し込まれた大部屋で雑魚寝だった。二段ベッドとはいえ、自分に割り当てられた専用の寝床があるというのは、ミアにとって破格の対応であった。
そう、二段ベッド。この家では、二段ベッドを使っている。問題は、誰とベッドを共有するか、だ。
オリビアと同室なのはいい。いちいち世話を焼いてくるのが多少鬱陶しくはあるが、正直、そのお人よしさに助けられている。底の知れない〈アルカの家〉の連中で、現状、最も好意的な態度を示しているぬるま湯二号だ。
セシルも、まあいいだろう。四歳の子どもが騒がしいのは自然の摂理だし、ミアの存在に慣れればそのうち大人しくもなろう。それまでの我慢だ。
問題は、あの傲慢念力女・フィーナと寝食を共にしなければならないことだった。
改めて、二段ベッドに目を向ける。ひとつは、上下ともすでに住人がいる。下段にぬいぐるみや小さな靴下が転がっているので、おそらくセシルの寝床だろう。その上段には、作りかけの刺繍枠がひとつ。オリビアの寝床に違いない。あの不器用オジョウサマが、刺繍なんて繊細な手仕事ができるはずがないのだから。
「まさか……」
「そのまさかですわ」
振り返ると、ゆったりとした寝間着に着替えたフィーナと、頬を真っ赤に染めて眠たそうに目をこするセシルがいた。
「わたくしだって不本意ですわ。こんな粗野な方とベッドを共有しなければならないなんて」
フィーナは、立ったまま船をこぎ始めたセシルを、ぬいぐるみが置かれたベッドに寝かせて布団をかけ、自分はその向かいのベッドに腰掛けて丁寧に髪をとかし始めた。
「お風呂空いたので、冷めないうちにどうぞ」
「わたしは夕方に入ったから大丈夫だよ。ミアちゃん、いってらっしゃい。あ、まだ寝間着ないだろうから、わたしの貸してあげるね」
そう言ってオリビアは、真っ白なワンピースをミアに押し付けた。首元にいくつか小花柄の刺繍があるのは先ほど身に着けていたエプロンと同じだったが、その形はほんの少し歪んでいた。オリビアが数年前に着ていたものなのだろう。
「そうだ、お手洗いの場所、まだ教えてなかったよね。あのね、お手洗いは一階に降りて、台所を右に――」
「あー、わかったわかった。とりあえず風呂行ってくるわ」
ついてこようとするオリビアを手で制す。ずっとついて回られては、いつまで経っても落ち着けない。つくづく、共同生活とは面倒くさいものだ。
風呂場は狭かったが、なんと、なみなみと湯が張られた湯船があった。川で身体をぬぐって済ませるのが常、気が向いたときに天然温泉が湧き出る土地まで走っていく程度のミアにとっては、これは衝撃的だった。さすが、元貴族の屋敷である。しかし、なぜ貴族の屋敷に、厄介者の能力者たちが住んでいるのだろう。フィーナの伝手で手に入れたのかと思ったが、「家族に見放された」と言っていたし。大人たちも、こんな屋敷を買えるほどの金持ちには見えない。よく考えればおかしな話だ。まあ、そんなことはどうでもいい。答えの出ない問題に頭を悩ますのは、時間の無駄遣いというものだ。今はただ、この幸運をかみしめようではないか。
汗まみれのボロ服を脱ぎ捨て、近くにあったくず入れに放り込む。このボロ服とも、ついにおさらばだ!湯に入る前に、一応身体を洗うことにした。このまま湯船に飛び込んでしまいたいのはやまやまだが、レイラやフィーナからのお小言回避は、ここで快適に暮らすうえでの最優先事項である。台に腰掛け、湯につけた手ぬぐいでごしごし身体をぬぐう。あ、石鹸なんて置いていやがる。使い倒してやろ。石鹸を身体じゅうにこすりつけ、そのうち床は、泡まみれになった。
「……っ」
突然鈍い痛みが走り、ミアは瞬間的に足をひっこめた。足の裏を怪我したのを忘れていた。そういえば、レベッカが治療してやるって言ってたっけ。……うん、今日は疲れてるし、明日にしよう。あの医者は、それで大丈夫な気がする。傷に染みないよう注意深く足を洗い、ミアは湯に身体を滑り込ませた。
湯は、いつまでも浸かっていられそうないい湯加減で、思わずほう……と感嘆の息が漏れた。
四日前に警備隊に追われ、二日前にスリに失敗した。それから丸二日間歩き続け、今、ようやく一息つくことができた。全身を包み込む温かい湯に身体を委ねた途端、身体がどっと重くなった。この数日で、ミアを取り巻く環境は何もかも変わってしまった。そしてミアは、その変化を受け入れ始めている。まずい、これはまずいぞ。
(……こんな湯に毎日浸かってるから、あんな腑抜けた顔してんのかなァ)
小汚い服を着た自分の手をためらうことなく握り、無防備に笑ったオリビアの顔を思い出した。なぜ、あのとき、されるがままになっていたのだろう。そこまで考え至って、ミアはガバッと湯船からあがった。これ以上長湯をしたら、のぼせてしまう。長湯しすぎるとかえってよくないって、温泉でババア共が言ってた気がするし。ミアは、ふらふらとした足取りで風呂場を後にした。




