第4話 〈アルカの家〉
第4話 〈アルカの家〉
結局、二つの村を抜けたころには、あたりはすっかり暗くなってしまった。相変わらず、日が落ちてしまうと寒いのなんの、〈アルカの家〉の実態がボロ小屋でもなんでもいいから、一刻も早く屋根と壁のある寝床に辿り着きたいと思った。
「仕入れの度に、こんな旅してるわけ?いるよな、不便な暮らしをありがたがるやつ」
サブいぼの立った腕をさすりながら、ミアは皮肉を込めて言った。こいつら、二日連続報酬未払いで済まそうって魂胆じゃねえだろうな。
「今回はイレギュラーだって説明したでしょう。普段は山越えなんてしないし、乗り物に乗って移動する。じきに着くからせっせと歩きなさい」
やんややんやとレイラに文句を垂れていると、どこからか甘く優しい香りが漂って来た。煮込んだ野菜と、ちょっと癖のある乳の香り。焼けた肉の匂いも混ざっていて、紛れもなく「いい香り」ではあるのだが、芳ばしいというより焦げ臭いといった方が正確かもしれない。
「お、今晩はシチューか。あいつ、前よりうまくなったんじゃないか」
ラウルが鼻をぴくりと動かして笑った。村人の陰口を聞いて以来、すっかり無口になっていたラウルの声に明るさが戻っていて、ミアは内心ほっとした。緩衝材もなしに鉄仮面とぶつかり続けたら身が持たない。かといって、こちらが遠慮するのも癪だ。
ほどなく、赤い靴の先がぼんやりと見えるようになった。顔を上げると、真っ暗な木々の間から淡い光が漏れている。
木立を抜けた先に現れたのは、古い屋敷だった。石造りの壁は夜露に濡れて黒ずみ、蔦が二階の窓辺まで伸びている。柵や門扉は、あちこち違う色の木材で継ぎ足されていた。屋敷の側に建っている手作り感あふれる木製小屋は、建付けが悪いのだろう。かすかに扉が開いていて、その間からは薪や農具がのぞいている。暗くてよく見えないが、小屋の裏には畑が広がっているらしい。青臭いにおいがする。
「……貴族の別荘かなんか?」
「元はね」
レイラいわく、長く人の手を離れていた建物を譲り受け、どうにかこうにか住めるようにした、とのことだった。なかなか大変だったんだぞ、とラウルが苦労話を始めると、遠くで何かがメエ、と一声鳴いた。建物はともかく、土地はかなり広いようである。屋敷の中からは、子どもの甲高いはしゃぎ声が漏れ聞こえた。煙突からは白い煙が揺らめいている。
ここが、〈アルカの家〉か、と屋敷全体を眺めていると、突然、ぎいっ……と音を立てて扉が開いた。
「おかえりなさい、ラウルさん、レイラさん」
扉から出てきたのは、背の高い黒髪の少年だった。出迎える声は低く落ち着いていたが、体は薄く少年らしい体つきをしている。ミアよりいくらか年上だろう。家の中にも関わらず、なぜか革手袋を着用しているあたり、どこか神経質そうな印象を受ける。
「相変わらずよく気がつくな、ノア」
「あなたたちの気配を感じたので……」
ノアと呼ばれた少年は、ラウルとレイラの抱えている荷物をいくつか受け取ると、奥で突っ立っているミアに視線を移した。
「それから、その子の」
ノアの目が一瞬細まった。決してじろじろ観察してきたわけではないのだが、なにかこちらを見透かすような感じがあって、その視線が不快だった。
「お腹すいてるでしょ?まずは入って」
扉の奥からは、どたどたと騒がしい足音がいくつも聞こえてくる。一日中歩き続けて泥だらけになった靴の汚れを払い、ラウルたちは〈アルカの家〉の中に入っていった。
「帰ったのが今日でよかった。フィーナがシチューを焦がしたから、ヤギ乳を足して誤魔化してるところだったんです。オリビアがついてるから大丈夫だと思うけど、あの子も不測の事態には弱いから」
早く行ってあげてください、と、ノアはレイラを促した。そして、未だ玄関先で突っ立っているミアに向かって声をかけた。
「……君、実はそんなに警戒してないだろ。鍵閉めるから、入るなら早く」
何を考えているのかいまいちつかめないノアの案内で台所に足を踏み入れると、むわっとした熱気が顔に当たった。外とのあまりの気温差に、ミアはつっと鼻水をたらした。
台所は混沌に満ちていた。
「オリビアさん、なんでもいいから早く何か持ってきてくださいまし!」
「待ってて、今追加のお乳持ってく……フィーナちゃん!火!火弱めてぇ!」
焦げ臭い臭いを立てる大鍋を必死にかき混ぜている少女――おそらくフィーナ――は、調理用に高い位置でくくった豊かな金髪を振り乱して、ほとんど悲鳴のような声を上げた。長いまつ毛とつんとした唇が目立つ美少女だが、火を弱めようと右往左往する姿からは、平時であれば感じるであろう気品のようなものはみじんも感じられない。エプロンに飛び散ったシチューが、彼女の不器用さを端的に表していた。
ヤギ乳を運ぼうとしていた、背の低い三つ編みの少女――こっちがオリビアだろう――は、フィーナのパニックにあてられたらしく、ヤギ乳の代わりに水瓶をつかんで竈に駆け寄り、ぷすぷすと焦げ付き始めた鍋に大量の水を流し込んだ。結果、焦げ付きシチューは、しゃばしゃばシチューもどきに進化を遂げた。
足元では、幼い子どもたちが「くさーい」「おねえちゃんたちがんばれー」とはしゃいでいる。「危ないから向こうで待ってよう」と、十歳前後の生真面目そうな顔をしたそばかす少年が子どもらを居間に誘導しようとしているが、このお祭り騒ぎが楽しくて仕方がない子どもらは聞く耳を持たず、かえって歓声を上げてフィーナにくっついた。ノアはこの惨状を見るや、地下の食糧庫に荷物を置きに行ったラウルを呼びに走った。台所に呼び出されたラウルは、幼い子ども二人を両腕にぶら下げて居間へと退散していった。歓声はさらに大きくなった。
ノアに促されて先に台所へ入ったはずのレイラは、もちろんこの騒動の一部始終を見ていたが、特に口出しはせずに見守り、ひと段落したころに竈に近づいていった。ことことと再び沸騰し始めたしゃばしゃばシチューもどきを匙ですくって味見をしたレイラは、オリビアが本来入れたかったヤギ乳やら塩やら香草やらで味を調え始めた。騒動の中心人物二人は、バツが悪そうにうつむいている。
「全く、あなたたちは……努力は認めるけれど、火事になったらどうするの。だいいち、レベッカもいるでしょうに」
「……レベッカ先生、寝てるから起こしちゃ悪いかなって……ごめんなさい」
オリビアが小さな声で答える。それに続いて、フィーナも、申し訳ありませんでした、と頭を下げた。
「まあまあ。フィーナの手から血が出てないなんて、すごい進歩じゃないか。メインディッシュもなんとかなりそうだし、終わりよければすべてよしだ」
いつの間にやら戻ってきたラウルが、しょぼくれているフィーナとオリビアの肩をぽんと叩いた。その両足には、先程の仲良し幼児二人組が引っ付いている。
「レベッカを起こしてきてくれ。今日は新しい仲間を紹介しなきゃならないからな」
「へえ、また新しい子が来たんだねえ。……うんうん、元気でよろしい」
レベッカは、目じりに小皺が見え始めた中年の女だった。ラウルからは、優秀な医者だと紹介されたが、ゆるい癖毛を雑にひとつにくくり、頬にくっきり寝跡を残しているその姿からは、お世辞にも先生らしい威厳は感じられず、こいつに家を任せて仕事に出ていたラウルとレイラの判断力が疑わしくなった。実際、あわや大惨事というときに、グースカ爆睡していたし。本人曰く、「本当に危なかったらさすがに分かるよお」とのことだったが、台所の様子も見えない私室から何がわかるものか。子どもの力を過信しているか、よほどの能天気なんだろう。
とはいえ、この雑な感じは好ましい。馴れ馴れしいラウルや、血も涙もないレイラよりよほど人間らしく感じる。風呂と人間関係は、熱すぎもなく、冷たすぎもない、ぬるま湯が一番心地よいのだ。
「足裏の怪我、ちゃんと治療してあげるから、後であたしの部屋においでねえ」
……前言撤回。いつの間にか、情報共有していやがる。プライバシーもへったくれもないところに来ちまった、と肩を落とし、「気が向いたらな」と返した。
無理やり味を調えたシチューやら雑穀パンやらを並べた食卓で、ラウルはミアを子どもたちに紹介した。ミアは特に何も言わず突っ立っていたが、肘で小突かれて名前だけ名乗り、軽く会釈した。
「ミアちゃんって何歳なの?お誕生日はいつ?」
「好きなおやつはなあに?セシルはねえ、クッキーが好き!」
我先にと、チビ連中が質問攻めを始めた。男の方はカイト、女の方はセシルだそうだ。あまりにしつこく名乗るので、覚えてしまった。カイトは、「ぼくは四歳!」と指を三本立てて言い、くりくりした黒目を忙しく動かした。興味津々といった様子でミアの頭の先から足の先まで観察し、思いついたことを延々としゃべっている。セシルも一緒になって「セシルも四歳!かくれんぼ名人!」と胸を張り、そのまま、今日の昼間にしたらしい遊びの話をし始めた。勝手にしゃべらせておこうと思ったが、たまに思い出したようにこちらに質問を投げかけてくるので、そうもいかない。さっさと質問に答えて会話を切ってしまうが吉だ。
「誕生日とか知らねえよ、おやつももらったことねえ」
一瞬、会話が止まる。質問者である幼児二人組はよくわからないのかぽかんとしているし、フィーナは何かをごまかすように、汚れもついていない口元をぬぐった。
ほら、気まずくなった。受け止めきれないくせに、他人の人生に踏み込むからだ。誕生日も親もわからない人間がいるなんて考えたこともないのだろう。吹けば飛ぶような塵芥に、立派なプロフィールがあろうはずがない。それを想像できないここの連中に対し、ミアは内心、冷笑を付した。
「じゃあ、今日がミアの誕生日ってことにしよう。春先のころころ天気が変わる感じも、なんとなくミアに合ってる気がするし」
ミアが作り出した防衛的沈黙は、ラウルの軽い声であっさり破られた。本人に意思確認すらせずに、勝手に誕生日を決めたラウルは、豪華仕様じゃなくて悪いな、と自分の皿から雑穀パンを一切れ、ミアの皿に移した。
「そいじゃ、あたしからはおやつをあげようねえ」
レベッカは、ポケットから取り出した小さな包みをミアの手に乗せた。「ぴりぴりのやつ!」「おいしくない!」と子どもらがケタケタ笑い、レベッカは「え~?健康にいいんだよお?」とずれたことを言っている。ミアが包みを開いてみると、中の飴玉は軽く溶けてくっついていた。ここ数日の暑さで溶けてしまったんだと思うことにした。
それに続けて他の連中も、各々の皿から、シチューの肉やら果実やらをよこしてくる。もらえるものはもらっておく主義のミアがそれらを断るわけもなく、ミアの皿はみるみるうちに山盛りになっていった。
誕生日などというただの区切りを欲しいと思ったことは、これまでの人生、一度だってない。だが、あって困るものでもないし、ここで拒否するとまた話が振り出しに戻りそうなので、ミアは勝手に書き込まれたプロフィールを受け入れた。市場でこいつらと出会ってから、こんなことばっかだなと、宙を仰ぎ見た。
「やっぱりあなたも能力者なの?」
嵐のような質問攻めが止んだころ、ルークと紹介されたそばかす少年が質問してきた。
「やっぱりもなにも、能力者のガキを集めてる場所だろ?」
「能力者が多いだけで、能力者しかいないわけじゃない。言ったでしょう、行き場のない連中が集まってる場所だって」
レイラが補足する。この女は、いつも必要な時に必要なことしか言わない。
「……おれは、能力者じゃないんだ」
ルークは、少しだけ気まずそうにそう言った。新しい子が来ると、ルークは必ずこの質問をする。能力者だらけのこの家で、もしかしたら自分と同じ境遇の子が増えるかもしれないと、どこかで期待してしまうらしい。言葉を濁していたが、要するに、弟のカイトが能力者で、その巻き添えを食ってこの家に来ることになったということだ。
なるほど、確かにそういう事情なら落ち着かないだろうな、とミアは内心同情した。自分ではどうしようもない状況に追い込まれた結果、その集団の仲間外れになってしまうのはやるせない。
「お前も苦労してんだな。この飴、お前にやるよ」
「いらない」
「ミアちゃん、けんこーにいいんだから食べなきゃだめだよ!」
ルークの陰からぴょこっと顔を出したカイトは、真剣な顔を作って、覚えたての言葉でミアに説教してみた。家に来たばかりの新人に、この家のイロハを教えてやろうと張り切っているらしいが、口をとがらせてみても、まるまるとした頬がぷくっと膨れるだけで、むしろ幼さが強調される結果となった。
「こら、カイト。いばって怖い顔をするもんじゃないよ」
ルークは苦笑し、カイトが頑張って寄せている眉間の皺を伸ばすように、何度か撫でた。カイトはきゃっとくすぐったそうに身をよじり、ルークにじゃれついた。要らぬ苦労を強いられた兄は、疎ましいはずの弟の頭を、ごく自然な手つきで撫でた。無邪気に笑う幼いカイトを見るルークの目があまりにも優しくて、ミアはなぜか針で刺されたような痛みを感じ、ルークたちから目を逸らした。そしてミアは、食卓全体に視線を戻した。
(……てことは、ルーク以外はみんな能力者なのか)
料理を焦がして大騒ぎしていた少女たちも、無邪気にじゃれあっている幼い子どもたちも、みな人知を超えた力を持つ存在だと思うと、無意識に全身がこわばった。確かに、ミア自身も能力者ではある。しかし、ミアという能力者は、言ってしまえば、すさまじく足の速い子でしかなく、通常の人間の限界を突破したような存在だった。少なくとも、狼に変身したり、氷を操ったりなんて、化け物じみた芸当はできない。正体不明の能力者に囲まれている恐怖ははかりしれなかった。
「なあ、お前。三つ編みの……え~っと、オリビアだっけ?お前も能力者なんだろ?どんな能力持って――」
「いきなり詮索とは感心しませんわね」
ぴしゃり、とミアの言葉を遮ったのは、すっかり落ち着きを取り戻したフィーナだった。一つにくくっていた艶やかな金髪をおろし、背筋を伸ばして椅子に座るフィーナは、いかにも大事に育てられた箱入り娘然としていて、この女とはなにもかもが合わないだろうと直感した。これ見よがしにフリルシャツなんか着ているあたりが特に鼻につく。
「先ほどから聞いていれば、なんですの?これからお世話になる身でありながらぶっきらぼうな態度、ものをもらっても感謝の言葉ひとつない、あまつさえ、他者の事情にずけずけと踏み入ろうとする。ここにいる人たちは、みな何かしらの傷を抱えているのです。あまりにも無作法ですわ」
「フィーナちゃん、落ち着いて……!わたし、能力のこと隠してないし、全然気にしてないから」
顔をこわばらせ、苛立たしげな声で責めたてるフィーナを、オリビアが力なくなだめる。さっきオレの境遇を聞いて、可哀想なものを見る目をしたのは、どこのどいつだったか。
「へえ?火事を起こしかけた張本人は、自分のことを随分棚に上げるんだな。おかげさまで、人生初のお誕生日がクソまずい焦げシチューになっちまった」
「……初日からお口汚ししてしまったことについては、謝りますわ。けれど、思っても心のうちに留めておくのが、最低限の礼儀というものではありませんこと?」
「ご忠告どうも。生憎、礼儀作法を習える環境にいなかったもんで」
「開き直るその態度がいただけないと言っているのですわ!ああ言えばこう言う!不幸だったから、何もかも許されると思っていらっしゃるの?あなたは、境遇を免罪符に、努力を投げ出す卑怯も――」
「フィーナちゃん」
オリビアの手が、フィーナの袖口を握った。
「それ以上は、だめ」
フィーナはハッとしたように口をつぐみ、言いかけた言葉を飲み込んだ。そして、未だに袖口を握りしめているオリビアの方を向いた。
「申し訳ありません」
「謝る相手が違うでしょう」
それまで静観を決め込んでいたレイラが、冷ややかな視線を送った。たった一言の短い指摘だったが、フィーナの制御不能の熱暴走を冷ますには十分な威力を持っていた。
「……言いすぎましたわ。申し訳、ありません」
「最後まで言えよ、オジョウサマ。言葉には責任を持つべきだぜ」
ミアは椅子にふんぞり返ったまま、フィーナの謝罪を鼻で笑った。恵まれた人間のありがたい説教に感化されるほど、ミアはお利口にできていない。高慢ちきなオジョウサマが叱られて唇を嚙んでいる姿は実にいい気味だと、レイラに内心拍手しているくらいだった。
「ミア、あなたもよ」
「はあ?先に喧嘩売ってきたのはそいつだろ」
「買ったのはあなたよ。喧嘩は一人ではできないわ」
納得いかないといった様子で口をとがらせるミアと、スカートを強く握りしめてうつむくフィーナを見やり、レイラは口を開いた。
「初日から喧嘩を始めるなんて、本当に元気のいいこと。そこまで口が回るのなら、働く余裕もあるでしょう。ミア、フィーナ。食後の皿洗いは、あなたたちがなさい」




