第2話 命の味
第2話 命の味
「……で、その〈アルカの家〉とやらには、いつになったら着くんだ?」
生い茂る草木を踏みわけながら、ミアはぼやいた。半強制的に契約を結ばされたミアへの第一の指令は、荷物持ちであった。薬草の束やら、はちみつ瓶やらを詰めた袋を背負わされ、数刻は人気のない山中を歩き続けている。これまでの人生、目的地まで一気に駆けていくのが常だったので、他人のペースに合わせてちんたら歩くのは、どうにも落ち着かない。この荷を持って撒いてやろうかと何度も思ったが、知りもしない山で一人動き回る危険がわからないほど、ミアは愚かではなかった。
「この調子だと、明日の夕方くらいかしら」
レイラが事もなげに答える。
「近所じゃねえのかよ」
「〈アルカの家〉は、この山を越えて、街を一つと、村を二つ抜けた先。私一人ならラウルに乗せてもらうところだけど、さすがにこの大量の荷を持って二人乗りは無理。今夜は野宿になりそうね」
この先待ち受ける過酷な旅路を思い、ミアは肩を落とした。途端に、肩から袋がずり落ちそうになり、慌てて背負い直す。記念すべき契約初日から、「温かいベッド」は未払いに終わりそうだ。抗議の意を込めた視線をレイラに向けたそのとき、ミアの表情がふと軽くなった。なにも全員で歩く必要はない。簡単な方法があるではないか。
「お前が荷物抱えて狼野郎に乗って、オレが後を追って走ればよくね?」
「狼野郎じゃない、ラウルだ。……それができれば早いんだけどな。勢いあまって滑落したり、はぐれちまうかもしれない。諦めて、地道に歩いてくれ」
いくら足が速くても、ふいに野生動物に襲われたら対処できないだろ、とラウルは続けた。ミア自身、それは自覚しているので何も言い返せず、大変不服ながら、ラウルの言う通り歩いていくことになった。スピードならだれにも負けない自信はあるが、足以外はてんで普通の人間なのだ。ミアに人並外れた戦闘力は備わっていない。ミアに配られたカードは、「逃げる」という最弱のカード、ただ一枚だった。
口をとがらせながら、レイラの後に続く。歩くたび、背負った袋から、かさかさと乾燥した薬草が擦れる音がする。そのかすかな音が、ここが誰もいない山中なのだということを意識させた。
「あの市場、山越えしてまで日用品買いに行く場所でもねえだろ」
「普段は行かないわ。仕事帰りに寄っただけ」
あの市場は、目利きの腕さえあれば貴重な薬草や珍しい布も手に入る、いわくつき以外は安く大量に買えるのもありがたいと、振り向きもせずに答えるレイラに、仕事ってなんだよ、と次の問いを投げかけた。聞きたいことは山ほどあった。お前らは何者だ。〈アルカの家〉ってなんだ。オレを拾って何企んでいやがる。
「私たちは、あなたの同類。能力を使って、傭兵をやってる。〈アルカの家〉は、行き場のない連中が集まっているだけの場所。特に何も企んでない」
聞かれたことには答えたと言わんばかりに、淡々とレイラが返す。そういうことじゃない。もっと詳細な情報が欲しいのだ。更なる説明を求め、ラウルに声をかける。
「まあ、そういうことは飯でも食いながら話そう。今日はこれ以上進むと危険だ。ここらで野営しようや」
多少日が傾いているとはいえ、まだ明るい。もう少し進めるはずだ、と山越えした先にあるであろう宿を諦めきれないミアは抗議したが、準備を整えきれずに夜をむかえたらまずい、と一蹴された。
「なにせ火打石が粉々にされちまったもんだからな。というわけで、ミアには責任をもって火おこしを担当してもらう。俺はその間に、今晩の飯を確保してくる。レイラ、ミアを頼む」
手早く指示を飛ばすと、ラウルは山の奥へと消えていった。レイラと二人取り残され、気まずい沈黙が流れる。レイラはその沈黙を気にも留めず、さっさと荷ほどきを始め、ナイフや鍋など、調理に必要なものを取り出していく。
「小川で水を汲んでくるわ。火おこし、頑張りなさい」
「ちょっと待てよ、お前オレの監視頼まれてただろ!目を離した隙に逃げるかも、とか、猛獣に襲われるかも、とか思わねえのかよ」
「逃げられる状況じゃないことくらい、あなたにもわかっているでしょう。不測の事態に襲われたら、そこにあるナイフでも使ってなんとかなさい。生憎、私はラウルほどお人よしじゃないの」
レイラは調理器具を抱え、慣れた様子で山道を下って行った。剣の一つも振れなさそうな細い腕をしていても、彼女もやはり傭兵なのだった。
レイラが戻ったのは、それから半刻ほど経ったころだった。水汲みがてら、周囲の地形を確認しておく必要があったからだ。野営地として選んだ場所を少し下った先には、澄んだ小川がさらさらと流れている。岩にはびっしりと苔が張り付いており、踏み込んだ土は十分に湿り気を帯びている。今日の野宿は問題なく終えられるだろう。
レイラは、「氷の魔女」である。氷を操り、一瞬で敵を制圧するその鮮やかさと容赦のなさから、傭兵の間では、氷の魔女・レイラの名を知らぬ者はいない。特に、探知能力に優れた狼男・ラウルと組み始めてからの躍進はすさまじく、どんなに高い報酬を払ってでも、この二人を雇いたい、という依頼人が後を絶たなかった。ある時期を境に、命の危険を伴う長期の依頼は受けなくなったが、それでも、あのラウルとレイラを雇えるのなら、と、今でも相場よりはるかに高額な報酬が提示される。依頼人たちが、得体のしれない力を使う化け物、と自分たちのことを見下しているのはわかっていたが、金さえ手に入るのならばどうでもよかった。依頼人もそれは同じで、確かな実力と信頼のある相手なら、能力者だろうが異邦人だろうが、なんでもよかったのだ。結果がすべての傭兵の世界は、忌避される能力者にとって、表社会よりよほど息のしやすい場所だった。
しかし、レイラは、世間で思われているような無敵の魔女などではなかった。彼女の能力の本質は、冷気の操作だ。何もないところから突然氷が出現するように見えるが、実際には、空気中にある水分を集めて凝固することで氷を生み出している。その能力の特性故に、空気中に含まれる水分量が極端に少ない場所では、レイラは大きく弱体化する。逆にいえば、水分が豊富にある場所は、彼女の独壇場だった。
野営をするとき、レイラは細かく周囲の地形を確認し、頭に叩き込む。戦闘になったとき、自分の能力を最大限発揮できる場所を選ぶことが重要だからだ。傭兵としてのレイラの評価が高いのは、冷気を操る強力な能力とともに、その冷静沈着な頭脳によるところも大きかった。
ミアを長時間一人きりにすることに不安は覚えなかった。あの娘は、頭がいい。見通しの甘さは目立つものの、自分の力を過信しない冷静さがある。なんだかんだと文句を言いながらも、旅慣れた傭兵に付いてくる根性も悪くない。一人でも、自分の身くらいは守れるだろう。
鍋いっぱいに水を汲み、地形確認がてら摘んできたいくらかの野草を持って、レイラは、野営地に足を踏み入れた。くっと、足に何かが引っ掛かったような違和感を覚えた直後、カタカタカタと、頭上で乾いた音が鳴った。見上げると、そこには、竹を割って組み合わせただけの簡易的な鳴子が何か所も仕掛けられていた。背を向けて作業に没頭していたミアは音を認めた瞬間に姿勢を低くして立ち、ナイフを構えて振り返った。
「レイラかよ、驚かせやがって。てめー、水汲みに行くのにどんだけ時間かけてんだよ」
「……水汲みがてら、野草を摘んでいたのよ。ところで、焚き火はどこかしら?」
ミアは、バツの悪そうな顔をして目をそらした。ミアの座っていた辺りには、木を細かく削ったものや、枯れ葉が散乱していたが、煙はどこからも上がっていなかった。
「仕方のない子。私は火おこしを命じたの、鳴子作りじゃないわ。……でも、そうね。どのみち夜を明かすのに鳴子は必要だった。今回は、その機転に免じてあげましょう」
そう言って、レイラは掌ほどの澄んだ氷塊を生み出し、ナイフでレンズ状に削り始めた。手の温もりで氷を滑らかに溶かし、太陽に対し垂直に掲げると、間もなく光線が集まり、枯れ葉の山から煙が上がった。
「てめー!それができるなら最初からお前がやれよ!」
「火打石破壊の罰なんだから、あなたがやらなきゃ意味ないでしょう。まだ日があって助かったわ。手作業で火おこしするのは面倒だもの。さあ、火が消えないうちに、さっさと燃料を集めてらっしゃい」
ラウルが戻ったのは、すっかり暗くなった後だった。大きく育った焚き火がぼんやりとあたりを照らし、二つの人影が揺れている。昼間は汗ばむほどだったが、今はまだ春先。完全に日が落ちてしまうと、寒さが身に染みる。身を縮こませながら焚き火にあたっていると、カタカタカタ……と鳴子が鳴った。振り返ると、暗闇の中から金色に光る鋭い瞳がこちらをまっすぐに見据えている。ミアは逃げようと足に力を込めたが、レイラに服を掴まれたので立ち上がることができずに、尻もちをついた。
「おかえりなさい、ラウル」
「遅くなって悪かったな」
ラウルは変身を解くと、口の周りについた血を手で拭い、まだほんのりと温かい野ウサギを二匹、ひょいと持ち上げて見せた。
「もう少し粘れば一人一匹いけたかもしれんが、誰かさんが待ちきれないだろうと思ってな。これで勘弁してくれ」
ラウルが川に血を落としに行くのを見届けると、レイラは市場で仕入れた小麦粉に水を加えて捏ねはじめた。一口大にまるめて焼石の上に並べると、ほどなく小麦の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
さっぱりとした顔で戻ってきたラウルは、すぐに野ウサギの腹を裂いて内臓を取り出し、ずるりと皮を剥いだ。四肢をもいで手早く解体すると、水の入った鍋に入れて火にかける。黄金色の脂が浮いてきたころ、レイラがとってきた数種の野草を加えて、更に煮込んだ。最後に塩で味を調えると、完成したスープを椀に注いで、それぞれに手渡した。椀から立ち上がるあたたかな湯気と、久しく食べていない肉の香りに、ミアは思わず唾を飲み込んだ。
「ほら、冷める前に食え。しっかり食っとかないと、ばてちまうぞ」
本当は警戒すべきだったのかもしれない。だが、ミアにはもう我慢できなかった。椀を受け取るやいなや、挨拶もせずに、ミアは野ウサギスープにがっついた。野ウサギの脂と塩だけの質素な味付けのスープは、今まで食べたどんなスープよりも命の味がした。ウサギ肉は淡白ながらも野性的な味だったが、野草に臭み消しの効果があるのか、臭いは一切気にならなかった。もっとうまいものはいくらでもある。いつも屋台で食う串焼きの方がずっと味も濃くて好みだ。だが、この野ウサギスープには、なぜだか特別あたたかいものを感じた。きっと夜の山は冷えるからだろう。
あっという間に椀を空にしてしまうと、焼きあがったばかりの無発酵の硬いパンを、レイラの手からひったくり、ちぎることさえせずに、がつがつと口に放り込んだ。
「いい食いっぷりだな、見てて気持ちいいや。スープはまだあるから、おかわりしていいぞ」
空になった椀に黄金色のスープを注がれ、ミアは我に返った。みっともない姿を見せてしまった。食い物さえ与えておけば、容易に手玉にとれると思われたかもしれない。口の周りについた食べかすを乱暴に拭い、一つ咳ばらいをして居ずまいを正した。無論、おかわりは受け取った。
「……それで?飯食いながらオレの疑問に答えてくれるって話だったよな」
ラウルは、パンをちぎってスープに浸しながら、ああ、とうなずいて話し始めた。
「まずは、俺たちが何者かって質問だったか。見ての通りさ。能力者同士で組んで、傭兵稼業をしてる。昔はかなり無茶したもんだが、今は、必要な時に必要なだけ仕事する。最近は、隊商の護衛あたりが多いな」
生傷が絶えない仕事だから、子どもたちに心配かけちまうのが悩みの種だと、ラウルはぼやいた。
「俺たちは普段、〈アルカの家〉っていう場所で暮らしている。能力者の子どもが多いんで、能力者専門孤児院なんて言われたりもするが、別にそんな高尚なもんじゃない。はみ出し者が寄り添い合って暮らしてるだけの場所だ。実際、孤児じゃないのも多いしな。ミアを拾ったのは、こいつも行き場のないやつの一人なんだろうってのがわかったからだ」
「人買いや娼館に売ったりはしないから安心なさい」
レイラが短く補足する。説明する気があるなら聞いた段階で言え、と反射的に悪態をつき、ようやく温まった空気がまたひりつき始めたので、ラウルは半ば強引に話をまとめにはいった。
「要するに、自分たちが息のしやすい場所で生きようってこった。全部が全部自分たちで用意するのは無理だから、たまには外に出て金を稼ぐが、基本は自給自足。だからミアも、明日から畑を耕したり、皿洗いをしてもらうぞ。働かざる者、食うべからずだ」
どんな場所かは、実際行ってみればわかる、とラウルは言い、パンの最後のひとかけらを口に放った。話はそれでおしまいのようだった。
それからミアは、スープを残らず飲み干し、ごろりと横になった。夜具にくるまって身体を丸めても、湿った土の冷たさは感じたが、腹の中がじんわりと温かくて、ミアはいつの間にかこっくりこっくり眠ってしまった。その晩、カタカタカタという不穏な音が鳴ることはなく、次にミアが目覚めたのは、柔らかい光が木々の間から差し込む朝方のことだった。




