第12話 確かにそこにある傷
第12話 確かにそこにある傷
かくして、ミアの平穏をかき乱す小さな事件は、幕を閉じた。
セシルがぶつけて倒した鉢植えなどを片づけながら、ミアは、こういう事件はごめんだな、と思った。どうせ起こるなら、もっとばかばかしくて、全力で面白がれる事件がいい。トランプでズルをしたしないで喧嘩が起きるとか、好きな女に褒められて料理失敗するとか。
しばらくすると、セシルは泣き疲れて、オリビアの腕の中で寝息を立て始めた。オリビアはセシルを抱きかかえて女子部屋へと戻り、セシルをベッドに寝かせると、自分もセシルのベッドに入り、一晩中隣にいた。セシルはときおりもぞもぞと動いたが、側に誰かがいることを感じ取ると、安心したかのようにまた静かに眠り始めた。
翌朝、いつものように鶏が大音声をあげ、ミアは重いまぶたをこすって起き上がった。鶏の頭を叩いたところで、モーニングコールは鳴りやまない。寝不足だろうがなんだろうが、朝はいつも通りやってくる。この大音声を無視して眠り続けるには、並外れたマイペースさが必要なのだ。それができるのは、この家ではレベッカしかいない。
「……ううん……」
セシルが布団の中にもぐっていった。オリビアは、くすっと小さく笑い、セシルの肩を揺すった。
「……おはよー。セシルちゃん、もう朝だよ。早く起きないと……」
遠くから「とぶね!」と元気のいい声が聞こえたと思えば、次の瞬間、二段ベッドの間に、カイトが現れた。
「おっはよー!あー!セシル、まだねてる!きょうのおきがえきょーそーも、ぼくのかち!」
目の前のベッドを覗き込み、セシルが毛布にくるまっているのを見ると、カイトは高らかに勝利宣言を行った。
「セシル、まだねむいんだもん……おきがえきょーそー、きょうはおやすみする……」
セシルは毛布から顔だけを出し、カイトを見やった。カイトは、シャツをてろっとズボンから出し、満足げに胸を張っている。
「あ!カイトくん、おなかしまってない!つくしたも、いろちがう!カイトくん、しっかくだ!やっぱり、きょうはセシルのかち!」
「ええー!セシルはまだおふとんじゃん!ぼくのかちだよ!」
「ちがうよ!だって、セシルまちがえてないもん!」
セシルはベッドから跳ね起き、ぼさぼさ髪のままカイトに猛抗議を始めた。先ほどまで、まだ起きたくないとぐずっていたのが噓のようである。
子どもたちの甲高い声を聞きながら、ミアはベッドから降り、カーテンを開けた。雨はすっかりやみ、眩しい朝日が部屋を明るく照らす。フィーナのベッドから、「うう……」とくぐもった声が聞こえた。
「どっちでもいいから、さっさと着替えろよ。オレがたまご取っちまうぞ」
仕事の権利をはく奪されると聞いた途端に、子どもたちは言い争いをやめ、せっせと身支度を整え始めた。自分なら面倒ごとが一個減って喜ばしいと思うところだが、なぜか子どもたちはたまご取りに誇りを感じていて、毎朝必ずやりたがる。今のところ、セシルが割ったたまごは一個、カイトは三個。たまご運びにおいては、今のところセシルに軍配が上がっている。
ミアは、なおも起床拒否するフィーナのベッドに近づき、雑に毛布を剝ぎ取った。
「おら、てめえもさっさと起きろ!ここには目覚めの紅茶で起こしてくれる優しい執事はいねえぞ!」
今日もまた、いつも通りの一日が始まる。
〈アルカの家〉での暮らしにもだいぶ慣れてきた。あの丘の上で結ばされた雇用契約――賃金なし、個室なし、三食食事つきで、朝から晩まで働かせる――が何を指すのかもだいぶわかってきた。
炊事、洗濯、掃除、その他もろもろの雑事。つまりは生活だ。
慣れないことだらけではあったが、ここ数日で、ミアはこの家でのルーティンワークを一通り体験した。得体の知れない狼男と魔女に脅され、強引に連れてこられたので、いったいどんな奴隷労働を課せられるのかと思っていたのに、いざ来てみればなんということはない。面倒がないとは言わないが、なかなか悪くないではないか。
「よし、終わりっと」
物干し竿にシーツをかけ、端を麻縄で結び付けると、ミアは大きく伸びをした。
雨上がりの空はどこまでも青く、洗いたての白いシーツとの対比が美しい。春風を受けて気持ちよさそうにはためくシーツを見ていると、久方ぶりに思い切り身体を動かしたくなった。
平凡な暮らしも悪くないとは言ったが、ミアが最も愛するのは、自由である。身体の内から湧き出る衝動に身を任せるあの快感は何にも代えがたい。ミアの中で、動きたいという欲求が暴れまわっていた。
洗濯かごを放るや、足にぐっと力を込め、一直線に走り出す。
はずだったのだが。
「洗濯物、ご苦労!直すの面倒だから、かごは投げるな」
武骨な手がミアの肩を掴んだ。振り返ると、ミアが投げた洗濯かごを片手に乗せたラウルが、今日も今日とて、暑苦しい笑顔で立っていた。嫌な予感しかしない。
「じゃ、行くか」
「どこにだよ。オレの仕事は、今しがた終わったんだけど」
「畑に、だよ!」
ラウルの背から、オリビアがひょこっと顔を出す。そのオリビアの背から、カイトがぴょこっと顔を出す。
「つぎのおしごとは、草むしりでーす!」
〈アルカの家〉の畑は、広大だった。屋敷の裏手いっぱいに広がる緑は、数日間たっぷり水を飲んで、どいつもこいつも図々しく手足を伸ばしてくつろいでいる。つまり、畑は雑草だらけだった。
「……これ、全部取るわけ?」
「全部じゃないよ、必要な分だけ」
オリビアはしゃがみ込み、畝の間に生えている細長い草を引きぬいた。
「これは抜いていい草。ちゃんと抜かないとすぐ生えてきちゃうから、根っこから抜いてね」
とりあえず、足元にあった草をむんずと掴む。
「あ、それは抜いちゃダメ!まだ葉っぱだけだけど、これから土の下で人参になるの」
ごめんね、畑の説明からしなきゃだよね、とオリビアは謝り、一つ一つ何を植えているのか話し始めた。
「ケールと玉ねぎはあの辺りでしょ、反対側はキャベツとニンニクとエンドウ豆。ここは、人参が植えてあって、夏になったら収穫できるの。奥はまだ何も生えてないけど、先週じゃがいもを植え付けたんだ。向こうの一角は、今度かぼちゃの種を植えるために準備中でしょ。それから――」
「だーっ!一気に説明されてもわかんねえよ!お前に聞きながらやるから、それでいいだろ!」
畑のなんたるかを語りつくす勢いのオリビアを遮り、要点だけ絞って解説するよう求める。オリビアは、ごめんね、ともう一度謝ると、雑草を抜きながらこの畑の概要を話し始めた。
つまりは、こういうことだ。
〈アルカの家〉は、元々、木々が生い茂る山のふもとに位置する屋敷だった。屋敷を譲り受けたこの家の人々は、ラウル筆頭に木々を切り開いて畑を作り、今は季節ごとに十数種類の野菜を育てて生活している。
畑の一角には、レベッカが管理するハーブ園もあり、〈アルカの家〉で使用される薬の多くは、このハーブ園で賄われる。屋敷の側にはリンゴやプラム、野イチゴの木が生えており、収穫した果物は、干したり、ジャムにしたりして保存食にするのがお決まりだそうだ。
「全部保存食にするわけじゃないんだけどね。今の時期は、よく子どもたちが野イチゴを食べてるよ。あ、噂をすれば……」
薪小屋の横に生えている背の低い野イチゴの木に近づいてくる小さな人影が一つ。きょろきょろとあたりを見渡しながら慎重に近づいてきた人影は、近くに誰もいないのを確認すると、たわわに実る赤い果実を、次々にもいだ。
「こーら、セシルちゃん!ひとり占めはだめだよー!」
オリビアが畑から声をかけると、セシルはびくっと肩を震わせた。ゆっくり振り返ったセシルは、リスのように頬をぱんぱんに膨らませ、口の周りを真っ赤に染めていた。そして、「ばれちゃった」と言うようにいたずらっぽく目を細めると、ミアたちに背を向けて走り出し、どこかへ消えた。
「ふふ……セシルちゃん、野イチゴ大好きなの。元気が戻ったみたいでよかったあ」
しばらくすると、セシルは畑の反対側で草抜きをしているラウルとカイトのところで、再び姿を現した。口いっぱいにしまいこんだ野イチゴはすべて食べてしまって、完璧に証拠隠滅したつもりらしい。さも、「なにもしていません、お手伝いに来ました」といった表情を作っているが、口の周りには家庭内軽犯罪の証拠がべったりついている。ラウルは破顔一笑し、セシルの頬をうりうりいじくると、肩にかけていた布で口の周りをぬぐってやった。さっぱりしたセシルは、カイトの隣にしゃがみ込むと、ラウルに教わりながら草むしりをし始めた。
「あのね、ミアちゃん。昨日は、セシルちゃんのこと、教えてくれてありがとう」
急に真面目な声色になったので、ミアは意識的にそっけない態度をとった。
「別に。湯たんぽなかったから、ちょっと寝つき悪かっただけだし」
「そっかあ。今日は湯船も沸かすってレイラさん言ってたから、きっと今晩はぐっすり寝られるよ」
しばらくミアは、どうでもいい話をし続けた。話の本筋に戻らないようにのらりくらり。だが、そのうち話題も尽きてきて、一瞬会話が途切れてしまった。お互い、無理して話を続けているのは明白だったので、顔を見合わせ、オリビアは曖昧な笑みを浮かべた。
「……セシルちゃん、普段はあんなじゃないの」
オリビアが話を本筋に戻す。
「夜にセシルちゃんが泣いちゃうのはよくあること。でもいつもは、わたしやフィーナちゃんのところに来てくれるの。わたしたちのこと、『ママ』って呼んで……そういうときは、一緒のお布団で寝るんだ。見えないセシルちゃんを抱きしめて話しかけてあげると、だんだん能力の暴走も収まって、セシルちゃんも安心するみたいなの」
昨日は来なかったから、わたしたち気づけなかった、とオリビアはうつむいた。そうしてしばらく、オリビアが黙っていたので、ミアも何を言うでもなく、ひたすら雑草を抜き続けた。
「……セシルちゃんのおうちね」
オリビアが再び口を開く。
「すぐ近くなの」
あまりにも突然の告白に、思わずオリビアの表情を窺う。オリビアは、苦しそうに眉を歪めていた。
「村を二個抜けた先に、大きな街があるでしょう?鍛冶屋さんとか靴屋さんとかがある……セシルちゃんのおうちは、あそこにあるの。こんなに近くにいるのに、セシルちゃんのパパとママは、一回もセシルちゃんに会いに来ないし、お手紙さえくれない」
どう反応していいのかわからずに、ミアは思いつく限り最も無難な言葉を絞り出した。
「……なんか、事情とかあるんじゃねえの」
「そうなのかも、しれないね。わたしも、詳しいことはわからない。でも、セシルちゃんは泣くの。『おうちに帰りたい』って。セシルちゃんは今でも、パパとママが大好きなの。よくわたしのお膝に乗って、楽しそうにお話してくれるんだ。『パパはセシルにクッキーかってくれるの』とか『ママはセシルのこと、せかいいちかわいいおひめさまっていってくれるんだー』って。セシルちゃんは、ずっとずっとお迎えを待ってるの。たとえそれが」
オリビアは、息を吸い直した。
「透明になったセシルちゃんを、無視するような人たちでも」
「……」
ミアが何も言わないのにもかまわず、オリビアは続けた。
「セシルちゃんは、お迎えが来ないのは、自分を探せないからだと思ってる。だから、急に能力が発動すると、すごく怖くなって、もっと能力が暴走しちゃう。……だからセシルちゃんにとって能力は、扱いが難しい問題なんだ。もちろん、さっきみたいに透明になって遊んでることも多いけど……」
きゃっ!と高い声が聞こえて振り返ると、いつの間に移動したのか、ラウル組がキャベツ畑で騒いでいるのが見えた。カイトが木の棒に大きな芋虫をのっけて、セシルに見せている。セシルはラウルの背にしがみついて、カイトに向かって土を投げた。その奥にある家畜小屋からは、一通り世話を終えたらしいルークとノアがでてきて、喧嘩を始めたセシルとカイトの仲裁に入った。
「本当は、セシルちゃんのことを勝手に話すのはよくないと思う。でも、昨日のことを見たミアちゃんには、少しだけ知っておいてほしいんだ」
オリビアは真剣な顔を向けた。
「ここで暮らす人たちにとって、能力はすごく繊細な問題なの。……ミアちゃんが〈アルカの家〉に来た最初の日、フィーナちゃんがすごく怒っていたことがあったでしょう?きっとそれも、誰かの傷に触れないように、フィーナちゃんなりに守っていてくれたんだと思うの」
周囲の雑草を一通り抜き終えたオリビアはおもむろに立ち上がった。
「わたしは、自分の能力が好きなんだけどね!」
悲しい話はおしまい、とばかりに、オリビアは明るい声を出した。
「わたしの能力、気にしてたでしょ?見せてあげる!」




