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婚約破棄された私、王子と入れ替わったので今度は私が選びます  作者: しろねこ


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10/11

第10話 礼拝堂の夜


 翌日の夜。


 エルフィーナは、アルヴィンに導かれ、東庭園の奥へと足を進めていた。


 石畳を踏む音だけが、静かな夜に響く。


 蔦に覆われた古い礼拝堂は、月明かりを浴びてひっそりと佇んでいた。


「この中で、ラインハルト様がお待ちです。」


 アルヴィンは静かに扉へ手を掛ける。


「私は外で見張ります。もし誰かが近づけば、すぐ合図をいたします。」


「……ありがとう、アルヴィン。」


 エルフィーナは小さく頷き、礼拝堂の中へ入った。


 扉が静かに閉まる。


 薄暗い堂内には、色褪せたステンドグラスから月光が差し込み、古びた長椅子を淡く照らしていた。


 その中央に、一人の女性が立っている。


 ──自分自身の姿。


「……エルフィーナ。」


 自分の声。


 だが、その響きは間違いなくラインハルトだった。


「ラインハルト様……。」


 婚約破棄の夜以来、初めて向かい合う。


 たった数歩の距離が、果てしなく遠く感じられた。


 ラインハルトは静かに歩み寄る。


 そして深く頭を下げた。


「……すまなかった。」


 その一言だけで、十分だった。


「お前がどれほど努力してきたのか、俺は何一つ見ようとしなかった。」


「お前の隣に立つ資格を奪ったのも俺だ。」


「本当に、すまない。」


 エルフィーナの目に涙が滲む。


 五年間。


 ずっと欲しかった言葉だった。


「私……。」


 声が震える。


「ただ、一度だけでも認めてほしかったんです。」


「王妃になりたいわけでも、褒められたいわけでもなくて……。」


「あなたの隣に立っても恥ずかしくない人になりたかった。」


 ラインハルトはゆっくりと頷く。


「今なら分かる。」


「慈善院で子どもたちと接して。」


「お前の手帳を読んで。」


「王妃教育の重さも。」


「礼儀作法も。」


「全部、お前一人が積み重ねてきたものだった。」


 静かな礼拝堂に沈黙が流れる。


 ラインハルトは続けた。


「祭司長にも会った。」


 エルフィーナは顔を上げる。


「祭司長に……?」


「ああ。」


「聖獣像について調べた。」


 ラインハルトは図書館で見つけた古い文献と、祭司長から聞いた伝承を話した。


『互いの立場を通して相手の重さを知った時、聖獣は再び二人を祭壇へ導く。』


 その言葉に、エルフィーナは息を呑む。


「……では、戻る方法は。」


「ある。」


 ラインハルトは力強く頷いた。


「だが、その時がいつ訪れるのかは分からない。」


「それでも……。」


 エルフィーナは小さく微笑んだ。


「希望はあるんですね。」


「ああ。」


 ラインハルトも静かに頷く。


「きっと戻れる。」


 その言葉に、エルフィーナの肩から少しだけ力が抜けた。


 入れ替わって以来、初めて未来を信じられる気がした。


 しかし、その表情はすぐに曇る。


「でも、メリッサ様は……。」


「ああ。」


 ラインハルトの表情も引き締まる。


「証拠を集めている。」


「俺が庭園で聞いた。」


「入れ替わりを暴き、お前へすべての罪を着せるつもりだ。」


 エルフィーナは静かに目を伏せた。


「やっぱり……。」


「時間は残されていない。」


 ラインハルトは一歩近づく。


「だから、もう一人で抱え込むな。」


「今度は俺も一緒に戦う。」


 そう言って、そっと手を差し出した。


 エルフィーナも静かにその手を重ねる。


 触れ合った瞬間、不思議な感覚が二人を包んだ。


 自分の手なのに、自分ではない。


 奇妙で、けれどどこか温かかった。


「変な感じですね。」


 エルフィーナが思わず笑う。


「ああ。」


 ラインハルトも苦笑した。


「俺の手を、お前が握っている。」


「お前の手を、俺が握っている。」


 二人は小さく笑い合う。


 その時だった。


 ――コツ。


 礼拝堂の外で、小さな足音が響いた。


 ラインハルトとエルフィーナは同時に顔を上げる。


「誰だ!」


 ラインハルトが扉へ駆け寄ろうとした、その瞬間。


 勢いよく扉が開いた。


「お下がりください!」


 飛び込んできたのはアルヴィンだった。


 彼は二人を庇うように前へ立ち、礼拝堂の外へ鋭い視線を向ける。


「そこです!」


 暗闇の中を、小さな影が駆け抜けた。


 アルヴィンは迷うことなく後を追う。


 月明かりの庭園を駆け、回廊の角でその影へ追いついた。


「待ちなさい。」


 低い声が夜気を裂く。


 影はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。


「……まあ、アルヴィン様。」


 そこに立っていたのは、メリッサ付きの侍女だった。


 驚いたように目を見開いているが、その表情はどこか芝居がかっている。


「こんな夜更けに、何をしている。」


 侍女は困ったように頭を下げた。


「申し訳ございません。メリッサ様のお使いで庭園を歩いておりましたら、道に迷ってしまいまして……。」


 アルヴィンは黙って侍女を見つめる。


 視線は鋭い。


 だが、侍女は動じることなく続けた。


「古い礼拝堂に灯りが見えましたので、人がいらっしゃるのかと思い……。」


「それ以上、中へ入ったのですか。」


「いいえ。」


 侍女は首を横に振る。


「近づく前にアルヴィン様のお声が聞こえましたので、驚いてしまいました。」


 あまりにも自然な返答だった。


 証拠はない。


 この場で拘束する理由もない。


 アルヴィンは静かに息を吐く。


「夜の庭園は危険です。」


「お送りします。」


「ありがとうございます。」


 侍女は丁寧に一礼した。


 その顔には怯えた様子しか見えない。


 しかし。


 アルヴィンが背を向けた、その一瞬。


 侍女の口元だけが、わずかに笑った。


     ◇


 館へ戻る途中。


 侍女は袖の内側へそっと手を入れる。


 そこには、小さな革張りの手帳が隠されていた。


 追いつかれる寸前、咄嗟に袖へ滑り込ませたものだ。


 開かれたページには、走り書きで記されている。


 ――『ラインハルト様とエルフィーナ様が礼拝堂で密会。』


 ――『互いに謝罪。』


 ――『祭司長』『聖獣』『祭壇』という言葉を確認。


 最後の一文だけは、急いで書いたせいで文字が乱れていた。


 侍女は手帳を閉じ、小さく呟く。


「メリッサ様がお待ちです。」


「今夜のことを、一刻も早くお伝えしなくては。」


 夜風が吹き抜ける。


 礼拝堂では再び静寂が戻っていた。


 だが、二人がようやく交わした希望の言葉は、少しずつ別の誰かの思惑によって、王宮全体を揺るがす新たな火種へと変わり始めていた。


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