第5話 明かりを置く
暴動の翌日、市場には焼け跡が残っていた。
潰れた屋台。
黒く焦げた壁。
割れた瓶。
乾ききっていない血。
それでも朝になると、人はまた店を開く。
魚を並べる。
肉を焼く。
値段を叫ぶ。
昨日、銃声が鳴っていた場所だった。
アキヤマは市場の端で立ち止まる。
歯の欠けた少年が、倒れた看板を起こしていた。
屋台の主人は何も言わず、曲がった鉄骨を叩き直している。
誰も「怖かった」と言わない。
怖がる暇がないからだった。
アキヤマはその空気に馴染めなかった。
それが、この街では特別なことではない。
その事実が、アキヤマには理解しきれなかった。
昼過ぎ。
市場の女が笑いながら言う。
「先生、今日はやらないのか?」
アキヤマは少し考える。
周囲を見る。
路地。
人の流れ。
逃げ道。
揉め事の起きる場所。
市場は人が多すぎた。
近すぎた。
盤を開くには、崩れやすい。
その日の夜、アキヤマは街を歩いた。
中心街へ近づくほど、人の流れが変わる。
武装した若者が減る。
店に灯りがある。
窓ガラスが割れていない。
警官の姿も見える。
完全に安全ではない。
だが、市場よりはマシだった。
不動産屋の男が、古い二階建てを見せる。
一階は空き店舗。
二階は小さな住居。
壁は古い。
だが、鍵はしっかりしていた。
「高いぞ。」
男が笑う。
アキヤマは室内を見る。
窓の位置。
出入口。
周囲の店。
逃げ道。
数秒考え、頷いた。
夜。
机を運ぶ。
盤を置く。
窓を拭く。
二階には最低限の家具だけ置いた。
冷蔵庫。
机。
本。
将棋盤。
生活は、それで足りた。
翌日。
歯の欠けた少年が扉を開ける。
「先生、今日やんの?」
アキヤマは黒板を立てる。
「やる。」
少年は笑った。
次の日には別の子どもが来た。
さらに翌日には、屋台の主人が古い椅子を持ってきた。
「余ってた。」
市場の女は水を置いていく。
靴修理の老婆が、破れた座布団を縫った。
いつの間にか、人が居着いた。
放課後になると、子どもたちが集まる。
盤を囲む。
勝てば騒ぐ。
負ければ悔しがる。
だが以前より、机は蹴らなくなっていた。
「順番。」
アキヤマが言う。
子どもたちは渋々並ぶ。
それでも並ぶようになった。
夜。
遠くでサイレンが鳴る。
怒鳴り声も聞こえる。
だが、この建物の中だけは少し静かだった。
屋台の主人が煙草を吸いながら言う。
「将棋協会だな、ここ。」
周囲が笑う。
「協会ってなんだよ。」
「先生の城だろ。」
アキヤマは答えない。
黒板の前から、盤を囲む子どもたちを見る。
盤の前では、
子どもたちは少しだけ考えてから動く。
少しだけ、崩れにくくなる。
窓の外では、酔っ払い同士が怒鳴り合っていた。
瓶が割れる。
誰かが逃げる。
それでも部屋の中では、
子どもたちが次の一手を考えている。
アキヤマは静かに盤を見る。
この街は崩れるのが早い。
だから、
崩れにくい場所を増やさなければならなかった。




