【第31話】煙は温度で重さが変わるらしい。
風に揺れる白い蠟燭の炎から煙が昇っていく。
細く弱々しくも、高く昇っていく煙は柔く揺れて淡く消えた。
紙子を一人残し、関谷さんに連れられ本堂の小脇の和室に入った。
窓ガラスの向こうで控えめにライトアップされた針葉樹が凍てつく夜風に身を縮めながら着飾ることをやめないでいる。
俺の横に立つ関谷さんは、お店にいる時と比べてとても大人しい。
小柄だが芯のある関谷さんと、いくら身長が伸びても芯のない俺の姿がガラス窓に反射して、ちぐはぐな輪郭を縁取っている。
関谷さんは小さく息を吐くとわずかに俺の方へ体を向けた。
所々に広がった白髪を柔らかな紫色に染め上げている。
「驚かせたでしょう」
喉の乾いたような僅かに掠れた声が小さく落ちる。
それから、関谷さんは窓の方へ足を進めた。
隣同士の距離が落ち着かなかったのは、俺も同じだった。
だから、俺は関谷さんの後には続かずにその後ろ姿を眺めながら、次の呼吸を待った。
「――義理の息子なの」
扉一枚隔てた先のはずなのに、唱えられる経の声がずいぶん遠くから聞こえてくる。
「散々、家族に迷惑を掛けた男よ。大っ嫌い」
穏やかな関谷さんの顔がガラス越しに歪んでいた。
胸が痛んだ。
鋭い音だった。
人生で一番、人を憎んでいる音だった。
「狂わされたでしょ……あの人に。紙子も、あなたも」
関谷さんの尖った刃が俺の耳を刺しながら、同時に胸を縫っていく。
「けどね、娘のことは……よく看てくれたのよ」
「病気になったあの子を仕事しながら、必死に」
少しの沈黙の中で、葉から伝った雨粒が窓に流れた。
「最期くらいは、ねぇ――」
そう言った関谷さんの口元からやるせなく、何かが畳に落ちた気がした。
錯覚だった。それでも俺は、何もない畳を見つめた。
茫然とした俺を見兼ねてか、関谷さんが静かに足音を立てた。
「太陽ちゃん、私から言えるようなことじゃないけど――」
関節が曲がり、指先まで皺の寄った関谷さんの手が俺の手のひらを取った。
店で見ていた皺のない白い指先は近くで見ると年輪を重ねていた。
その手はそっと俺の手の甲をさすり、精一杯、温もりを伝えようとしてくれる。
「もう、いいんじゃない?」
俺の顔を見上げながら、泣きそうに微笑む関谷さんは、喪服を着ている。
でも、やっぱりその笑顔はいつもの関谷さんで、その笑みに安心する自分がいた。
問いかけのように、諭す関谷さんに、俺は小さく頷いた。
「それからね――紙子のことなんだけど」
「ごめんなさい……不器用に育てたわ」
関谷さんはそう言って、深く頭を下げた。
「え……?」
言葉が出なかった。
紙子への罪悪感を形に変え始めたのは、いつからだっただろう。
はじめて紙子にカネをぜひられた時、自分の中に溜まった膿を出すような、一種の快感があった。
もちろん、紙子には恐怖した。
変わっていく紙子が怖かった。
それでも、“カネ”というやり取りが俺の精神の支えでもあった。
「もう、お金もおしまい」
関谷さんが黒いポケットから封筒を取り出した。
押し返そうとした頃には、俺の掌に押し込まれていた。
おかしいと思っていた。
関谷さんは店で顔を合わせるなり駄賃をくれた。
孫でもない俺に――俺のピアノにそこまで執着するのか。
「紙子には、内緒ね。
あの子、私が余計なことしてること知ったらうるさいから――」
握られた封筒が手中でざらついた。
紙子へ渡したものそのものではないけど、関谷さんは、紙子と俺の悪業を知った上で、間接的に俺の元に戻していた。
紙子には秘密というのだから、紙子はこのことを知らないのだろう。
受け取った最後の罪悪感は、俺の中でどうしても消えない塊が具現化したようだった。
「――クリスマス会、今年はできるかしらね」
独り言のようにつぶやく関谷さんは、「戻ろっか」と、和室の戸を開いた。眩しい光が本堂から注がれる。
パイプ椅子から後ろを振り向いた紙子が小さな頃の姿と重なって見えた。
「あ……」
一瞬、紙子と交わった視線を逸らす。
そんなことしか、できなくなった。
今まで紙子に向けていた負の感情――。
今さら、それをどう変えるべきか見当もつかなかった。




