【第27話】大丈夫……らしい。
屋城さんと会話を終え、タイミングを見計らったように御岳がリビングのドアから顔を覗かせた。
御岳の家の玄関を出て、短い階段を下りたところで御岳が言った。
「紙子は、俺から叱っといたからさ……」
御岳の言葉の意味が理解できずに一瞬固まった俺に御岳が言い直す。
「俺の親友いじめんなって」
そんなことを恥ずかしげもなく言ったあとで、真顔を貫いた俺に耐え切れず吹き出した。
「あ……え?」
「え?」
短い、言葉のない会話で笑い合う。
互いの顔を見合わせながら、笑うことが可笑しくなって、また笑い合って。
ただ馬鹿らしく。
苦しくなって、笑うことを止めることに専念して、やっと呼吸が落ち着く前に、
「ありがとな、御岳」と声に出していた。
「大丈夫か、お前よぅ……!」
御岳は、まじまじ俺を見つめてから肩を叩いた。
男同士で肩を叩き合った。
*
俺は家に帰らず、そのままの足で『あまみや』へ向かった。
御岳との別れ際、奴にこんなことを叫ばれた。
「紙子のことは俺に任せて、お前は先生のことだけ考えろ、バカヤロー」と。
更衣室で着替えを済ませコンビニで買ったサンドイッチを口にしていると、ドンと何かがぶつかる音がして顔を上げた。
「ひゃっ」
突拍子もなく何かにぶつかったのは、八社宮さんのようだった。
ロッカーの角に膝を打ったようで、体を縮めている。
「大丈夫?」
俺の問いかけで八社宮さんと視線が交差した。
だが、八社宮さんの目が泳ぎ、頬を赤らめながら視線を逸らされた。
「だ、だいじょぶでし。すみませぬ」
明らかに様子の可笑しい八社宮さんに半分笑いながら、先にホールへ向かうと言う八社宮さんの背中を笑顔で見送った。
頭の後ろで結ばれた長いポニーテール。彼女の残り香を吸い込みながら、機嫌の良い自分に気づく。
いままで、自分は幸せであってはならないのだと否定してきた。
それに、どこか自分の喜びは一瞬のもので長く続かないのだと思ってきた。
でも、否定せずに、拒否せずに、傍にいることを選んでくれた人たちがいた。
その事実がいまは、嬉しくてありがたくて、いつもかじかんだ指先が、今日は火照っていた。
バイトを終えて裏口を出てすぐ、暗がりで外壁に寄りかかっている人影に思わず声を荒げた。
紙子だった。
紙子の視線がじろりと俺に向いた。
いつにも増して淀んだ瞳が俺を捕らえてから、やるせなく外されていく。
「――雨宮、聞いて」
「え?」
「朗報」
言葉とは裏腹に色のない紙子の声がどんよりと落ちていく。
突然、地面が泥にでもなったかのように身体の重心がぶれた。
「あの人、とうとう死んだんだ」
目の前が揺れた。
ふらついて倒れかけたのか、俺は一歩足が出たところで誰かに支えられたことに気づいた。
「大丈夫ですか」
柔らかな声。ラズベリーの香りに安堵する。
薄暗い中でも後光に照らされているように眩しく見える。
俺は、彼女に小さく頷き重心を立て直した。
踏ん張っていることで精一杯だった。
「通夜は明後日、一応伝えとく」
それだけ言って、紙子は壁から体を浮かせた。
行くとは、即答できなかった。
けれど、いまにも消えてしまいそうな奴の横顔が目に焼き付いた。
「紙子――」
去っていく奴の後ろ姿に俺は咄嗟に名前を呼んでいた。
「……なに」
肩越しに小さく振り返る紙子の瞳が髪の隙間から覗いている。
掛けるべき言葉をじっくり探る余裕もなく、見つけた問いかけはこれだけだった。
「大丈夫か……」
夜の静寂が沈黙を長く感じさせた。
「わたしには、ばあちゃんしかいない」
紙子の後ろ姿が暗闇に溶けていく。
握られた小さな拳が小刻みに震えていた。
閉ざされ手のひらが、今までの自分と同じように、本心を覆い隠しているように見えた。




