最可愛
古き良き振り子時計の音が響く店内に、時々小さなどよめきや笑いの声が聞こえる。ふと周りを見れば、家族、友達、カップル…一人客はムツキだけだった。
ここは数週間前に駅前にできた、「かっこう」という名のカフェだ。開店初日にはデートスポットとしてTVやSNSに掲載され、流行りに敏感な若者は皆その存在を認知していた。しかし、ムツキは知らなかった。ムツキは流行りに敏感な若者ではなかった。
数日前、ムツキはいつの間にかスマホに追加されていたダイヤの連絡先から、外出に誘われた。ムツキにとって、人生で初めてのデートだった。待ち合わせは、14時にカフェ「かっこう」集合。腕時計を見ると、あと30分を切っていた。
ムツキは飲み物の値段の高さに心の中で文句を言いつつ、手持ち無沙汰を紛らわせるため、仕方なく3杯目のアイスティーを注文した。
ふと、窓の外を見た。人々が、絶えず大通りを行き交っていた。
あの事件からもう、2週間近く経った。2週間ほどしか経っていないのに、だ。人々はその事件を忘れたかのように、普段と変わらない日常を送っていた。
あの日のことを思い出す。怪物に襲われた日だ。あの怪物の正体も、未だ判明していない。黒い表面はひび割れてマグマのような赤い光が漏れ出し、手足は大きく、そして長く、頭部もまた、大きく、長かった。そして、ムツキを襲う様子はまるで猛獣のようだった。
当事者だからだろうか。ムツキは普通に外出して、普通に生活を送っている人々が信じられなかった。あの日、20人以上の死亡者と行方不明者が出た。ムツキは以来、今日まで自身の足で外に出ることはなかった。
ムツキは、窓に映った自身の姿を見た。情けない顔をしていた。無理やり笑顔をつくる。そのあとは、ずっと前髪をいじっていた。
「うわぉっ!!」
誰かに、肩を2回ほどたたかれた。ゆっくりと振り返ると、美しい女性が立っていた。
「お待たせ致しましたわ!」
「ダイヤ…驚かすのはやめてくれ」
ダイヤは大きな瞳を細めて、くすくすと笑った。
ムツキは久しぶりに会った彼女の姿を、まじまじと見ていた。今日は黒のシャツにダークベージュのロングスカート――そして、白衣を羽織っていた。
ムツキも、釣られてクスッと笑った。
店を出て数分、ムツキは、ダイヤに手を引かれてビル街を進んでいた。休日だからか、普段よりも人が多く感じた。
ふと、考える。もし、こんな人混みの中に、怪物が現れたら?つい、ムツキは自身の手が握られている手を、握り返した。その手は細くて小さくて、でも柔らかくて温かかった。
「ここですわ!」
ダイヤが立ち止まったのは、都内で随一の規模を誇る、映画館だった。
今日はダイヤの行きたいところに行く、そういう約束だった。
「今日から『さいかわ』の劇場版が始まるんですわ!なんと言っても、特典のキーホルダーがとても可愛くて…」
確かに、今日は妙に人が多かった。すぐそこに見える行列は、映画館の中へと続いていた。
ダイヤも、今日は一際テンションが高い。ムツキに向かって映画の話を目を輝かせて語り続けている。そんなところも、魅力的で可愛いと、この娘はきっと人を笑顔にする才能があるのだと、ムツキは心の底から感じていた。
「ムツキさんも、『さいかわ』好きですわよね!私はやっぱり『カワハギ』が推しですわ!ムツキさんはどなたがお好き?」
「さいかわ」というのは、若い世代からおじいちゃん、おばあちゃん世代まで人気の、「なんか埼玉の川のやつ」という漫画・アニメの略称だ。もはや社会現象レベルと言っても過言ではない。
ダイヤは、ムツキが「さいかわ好き」だと言ったが、実際、ムツキはあまり「さいかわ」を見たことがなかった。なぜ勘違いしたのか、ムツキには心当たりがあった。アオイがよく、クレーンゲームの景品の余りだと言って、ぬいぐるみやらアクリルスタンドやらを置いていくのだ。そのため、ムツキの部屋はグッズで溢れていた。ダイヤが勘違いするのも無理は無い。しかし、ここで「知らない」などと言えばテンションだだ下がり、あるいは悲しませてしまうかもしれない。
「うーん、俺もやっぱり『カワハギ』が好きかな」
「ムツキさんもですか!?嬉しいですわ!常にテンションが高いところもいいですし、言動も一見意味不明なのに、とても友達思いなところもすごく素敵ですわよね!あとは…」
本当に楽しそうだ。よっぽど今日のことが楽しみだったのだろう。
ふと気付けば、ムツキ達は列を無視して映画館の入り口へと向かっていた。列には「さいかわ」のグッズを身につけている人が大勢いた。この列は「さいかわ」の列で間違い無いだろう。ムツキは慌ててダイヤを呼び止めた。
「ダイヤ、映画を見るならこの列、並ばないとじゃ無いのか?」
それを聞いたダイヤはフッと笑い、高らかに言い放った。
「今日は、席を取ってありましてよ!」
見せられたスマホの画面には「プレミアムシート 2席」の文字。
男子が言いたいセリフ第一位を取られてしまったムツキだったが、どうやら、逆にそのセリフにキュンときてしまったようだ。
「姐さん、一生着いていきます!」
映画を見終わったムツキとダイヤは、また先ほどのカフェに座って、休憩をしていた。
映画の方はと言うと、ムツキはほとんど見ていなかった。と言うより、隣で、全力で映画を楽しんでいるダイヤに釘付けだったのだ。きっと感性が豊かなのだろう。場面ごとに移り変わる表情、最後には涙まで流していた。それをムツキはずっと、「可愛いなあ」と見ていたのだ。幸い、耳に入ってくる音声だけでも、映画の大まかな内容は理解できていた。
今も、ダイヤと映画について語り合っているが、主にダイヤが場面の感想を話しているため、会話には困らなかった。
「そういえば、ムツキさんはキーホルダー、何が当たりましたか?」
そういえば、入場時に何かもらった気がする。ポケットをまさぐると、銀色の袋に入った、キーホルダーらしきものが出てきた。
「まだ、開けてないや。ダイヤは何出た?」
「私は、主人公の『さいかわ』が当たりましたわ!本当はカワハギの方が嬉しかったのですが、「さいかわ」の健気で努力家なところも…って、ムツキさん、それ、カワハギじゃないですわ!?」
ダイヤが言った通り、ムツキの袋の中からは「カワハギ」のキーホルダーが出てきた。それを物欲しそうな視線が刺している。
「…カワハギ、いる?」
「いいのですわ!?…いや、やっぱりダメですわ。ムツキさんもカワハギお好きでしたわよね。ムツキさんの好きな物、そう簡単に受け取るわけにはいきませんわ」
そうは言いながらも、やはりダイヤはチラチラとムツキが持つカワハギを見ていた。
ムツキがカワハギが好きだと言ったのは、他のキャラクターの名前をろくに知らなかったためである。だから特段カワハギが好きというわけではない。
「…じゃあ、交換にしよう。俺、カワハギと同じくらいさいかわも好きだし」
ダイヤは散々悩んだ末、了承してくれた。
ムツキは何を思いついたか、ダイヤに声をかける。
「ちょっと左の手を出してくれるか?…あ、逆。ダイヤから見て左。そう…」
差し出された左手の薬指に、キーホルダーの輪っかの部分を通した。
二人の間に一瞬の沈黙が走る。
ムツキは、その行動の恥ずかしさを自覚し、慌てふためいていた。
「ご、ごめん。ちゃんと渡すから…手、出して!」
対照的に、ダイヤの方はその通されたキーホルダーをじっと見ていた。その後、左手の薬指を握り締め、はにかんだような、しかしとびっきりの笑顔でムツキに言った。
「ありがとうございます!ムツキさんが初めてくれた物…一生、大切にしますわ!」
「一生って。そんな‥」
「大袈裟などではありませんわ!これは私たち二人の、初めての思い出なのですわよ!私の人生で、一番かけがえのない思い出なのですわよ!」
「ごめん、確かにそうだな。俺も、これ一生大切にするよ」
ムツキもその掌にあるさいかわのキーホルダーを握り締めた。
「ところでムツキさん。何か悩み事はございませんか?」
「悩み事?特にないけど…どうして?」
「だってムツキさん、映画中もずっと上の空でしたし、今朝ここにきた時も、窓の外を、元気のない顔で見ていましたわ…。話している時はいつも通りでしたけど…私、そんなムツキさんが放っておけないですわ!」
映画中は…ダイヤに見惚れていただけだったが、正直、悩みがあるのは事実だ。もちろん、入隊試験についてだ。しかし、そんな重要そうなこと、簡単に話していいのか…。いや、ダイヤは確かあの警官と知り合いだったはずだ。ある程度は大丈夫なはずだ。
「実は…」
ムツキは、入隊試験のことを話した。ダイヤは、やはりムツキの話を真剣に聴いてくれていた。
話し終えたムツキに、どこか嬉しそうにダイヤは言った。
「なるほど…でしたら、いい場所がありますわ!」
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