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婚約破棄された令嬢は、修道院ではなく王立苦情処理局で真実を拾う  作者: 早野 茂


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第69話「最後の陳情書」

王立苦情処理局の薄暗い執務室には夜明け前の青白い静寂が冷たく重く満ちていた。


エリシアは机の上に散乱していた膨大な書類を一つずつ丁寧に拾い集めては、分厚い革張りの表紙の中に静かに綴じ込んでいく。


それは彼女がこの泥臭い部署に理不尽な左遷をされてから今日に至るまでに直面してきた、無数の声なき悲鳴の途方もない集積であった。


厨房の奥深くで誰にも気づかれないように巧妙に横流しされていた微量な砂糖の記録。

地方の貧しい村へと向かうはずだった巡礼便の不自然な遅延を告発する村長のかすれた文字。

力のない辺境の男爵令嬢が理不尽に奪われた持参金を取り戻そうと震える手で書き残した涙の滲む手紙。

騎士団の末端で過酷な任務に就く者たちへ届くはずだった補給物資の偏りを示す無機質な帳簿。

そして何十年も前から地下の旧保管庫の深い暗闇にひっそりと葬り去られてきた旧陳情制度の埃まみれの羊皮紙。


エリシアは完成した途方もない厚さの最終報告書を、インクと埃で黒く汚れた自らの素手で静かに撫でた。


その手を、彼女はじっと見つめた。


この局に来た最初の日、彼女は純白の絹の手袋をはめていた。

一点の汚れもない、完璧に白い絹。

それが彼女の誇りであり、外界の不浄から自分を守る鎧だった。


今の両手はインクの染みと古い紙の埃で黒く汚れ、爪の先までひどく不格好だ。

純白の手袋の下にあった手とは、もう別のものに見える。


しかしこの手には、無数の人々の痛みが刻み込まれている。

老女の震える冷たい指先の感触。裂けた書類の鋭い感触。旧保管庫の古い紙のざらつき。

手袋をはめていた頃には決して届かなかったものが、今はこの素手に直接伝わってくる。


かつての純白の手袋と、今の黒く汚れた素手——そのどちらが気高いか、今の彼女には迷いなく分かる。


ユリウスが窓際の席からゆっくりと歩み寄りエリシアの机の前に静かに立ち止まった。

彼はエリシアが綴じ終えたばかりの分厚い紙の束を大きな手で無造作に持ち上げる。

その途方もない重さを自らの掌で深く確かめるように、彼はしばし無言のまま紙の束を見つめていた。


「……ここまで来たな」


ユリウスの低くかすれた声が夜明け前の冷え切った執務室に静かに溶け込んでいく。


エリシアは彼の言葉に微かに頷き、自らの手元に残るインクの黒い汚れを真っ直ぐに見つめ返した。


「ええ。私たちはようやく本当の意味でのスタート地点に立つことができたのです」


「この分厚い報告書は誰かを罰するためのものではなくこの国が無視し続けてきた無数の命の証明です。彼らがどれほどの恐怖と絶望の中でこの声を上げたのかを明日の査問会ですべての人々に突きつけてみせます」


ユリウスは彼女の揺るぎない覚悟を受け止めるように凶暴で頼もしい笑みを微かに浮かべて、紙の束を机に戻した。


「相手は国のすべてを握る権力という途方もない化け物だ。生半可な覚悟で挑めば俺たちごとあっけなく消し飛ばされるぞ」


「その覚悟ならすでにできています。私はもう二度と純白の手袋の影に逃げ込んで真実から目を背けたりはしません」


窓の外では分厚い鉛色の雲が少しずつ東の空へ押し流され、白み始めた太陽の光が王都の濡れた石畳を静かに照らし出し始めていた。


エリシアは机の上に置かれた最終報告書の分厚い表紙を素手で力強く撫で、果てしない戦いの前夜を静かに噛み締めていた。


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