第68話「公開か沈黙か」
王宮の最も奥深くに位置する豪奢な秘密会議室は、息が詰まるほど重苦しい沈黙に完全に支配されていた。
磨き抜かれた分厚いマホガニーの机の上に山のように積み上げられた途方もない数の書類の束。
それは特務監査局と王立苦情処理局が拾い集めてきた真実の集積だった。
上座に座る王妃はその逃れようのない膨大な記録の山を前にして、美しい顔を微かに強張らせている。
「この事実をすべて公の場に引きずり出せば王宮の権威は地に堕ちます」
王妃の静かで冷ややかな声が極限まで緊張に満ちた部屋の空気をかすかに震わせた。
「アルヴェイン伯の悪行は許されるものではありませんし、厳格な処分にも私は同意いたします。しかしこの黙認の構造そのものを白日の下に晒せば、王家の統治能力は疑われ、王国全体は大きく揺らぐでしょう。悪意を広めたのではなく、国を守るための沈黙だったのです。秩序を守るには、一部の不都合な真実を切り捨てねばならぬ時もあります」
部屋の片隅で冷たい石壁に背を預けているユリウスはいつもの気怠げな表情を崩さないまま静かに口を開く。
「王妃殿下のおっしゃる通り、この事実を公表すれば国は荒れます。これまで見ないふりで保たれてきた平穏も崩れるでしょう。それでも俺たちは、開くべきものを開かなければならないんです」
三人の重い視線が部屋の中心に真っ直ぐに立つ一人の令嬢へと集まった。
エリシアは机の上の分厚い報告書の表紙をインクで汚れた素手で静かに撫でた。
この決断の重さを、彼女は一人で感じていた。
公開を選べば——地位を失うかもしれない。王宮の権力者すべてを敵に回すことになるかもしれない。
何より、この戦いに巻き込んできた人々——ユリウスが、バルテン局長が、それぞれの場所で積み上げてきたものまで失わせることになるかもしれない。
ユリウスが部下を一人失ったあの過去を話してくれた夜のことを、エリシアはまだ覚えている。
彼はあの時、自分の信じる正しさのために誰かを失った。
今度も、同じことを繰り返すことになるのかもしれない。
それでも——。
「沈黙で守られる信用はもう信用ではありません」
エリシアの透き通るような凛とした声が重苦しい迷いの渦巻く会議室に真っ直ぐに響き渡った。
「不都合な真実を隠し、見せかけの美しさだけで取り繕った権威はいずれ内部から腐ります。たしかに公表すれば一時的に国は荒れ、大きな混乱も招くでしょう。しかしその痛みを恐れて蓋をし続けるかぎり、私たちは名もなき人々から見限られ、やがて国そのものを失います」
彼女はここで失うかもしれないものを、すべて分かった上で言っていた。
それが今の彼女にできる唯一の正直さだった。
今の彼女の口から紡がれる言葉の温度はあの頃とは決定的に違っている。
自らの足で泥沼を這い進み黙殺されてきた苦情一つ一つの重い痛みを知り尽くした上での、確かな熱を帯びた言葉なのだ。
上座に座る王妃は言葉を失い、エリシアのインクで汚れた小さな素手と決して揺るがない真っ直ぐな瞳をただじっと見つめ返すしかない。
バルテン局長は震える両手で自らの顔を覆い、長年抱え込んできた自己欺瞞をついに手放すかのように深く重い息を吐き出した。
壁に背を預けていたユリウスはふっと口元に微かな笑みを浮かべ、自らの相棒がもはや誰にも折ることのできない気高い存在になったことを静かにそして誇らしげに見届けている。
「私たちはもう二度と誰の悲鳴も闇に葬り去ることはいたしません」
エリシアは手元にある分厚い最終報告書の束を両手でしっかりと抱え直した。
「アルヴェイン伯という一個人の罪を裁くだけでなくこの国全体を重く覆う隠蔽のシステムそのものを公開の場で完全に解体いたします。それが痛みに泣きながらもまだこの美しい国を見限らずに声を上げ続けてくれた人々に対する私たちの果たすべき唯一の責任なのです」
エリシアは一切の虚飾を捨て去った誇り高き素手で重厚な木製の扉を真っ直ぐに押し開く。
冷たい石造りの廊下の窓から差し込む眩い光がこれから始まる途方もない嵐の中心へ向かおうとする彼女の凛とした背中を静かにそして力強く後押ししていた。
お読みいただきありがとうございます。
もしこの回が心に残りましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




