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婚約破棄された令嬢は、修道院ではなく王立苦情処理局で真実を拾う  作者: 早野 茂


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第50話「王妃の呼び出し」

王都の冷たい雨がようやく上がり、雲の切れ間から薄日が差し始めた午後のことだった。

王立苦情処理局の薄暗い執務室で、エリシアは依然として巨大な相関図に向かい、複雑に絡み合う点と線を追い続けていた。

その彼女のもとに、一通の封書が静かに届けられた。

それは差出人の名前すらない真っ白で上質な封筒であったが、裏に押された精緻な蝋封の紋章を見た瞬間、彼女の背筋は激しく凍りついた。

間違いなく王家の内廷の印であり、しかもそれは王妃個人の私的な呼び出しを明確に意味するものだったからである。

かつて王太子レオンハルトから理不尽な婚約破棄を突きつけられ、追放されるようにして王宮を去ったあの日。

彼女にとって王宮とは、自分の誇りと人生を徹底的に破壊し尽くした、決して振り返りたくない忌まわしい場所である。

しかし苦情処理局の一介の実務官にすぎない今の彼女に、王家からの直接の呼び出しを拒否する権利など存在しなかった。

彼女は机の上に積まれた未処理の陳情書と、アルヴェイン伯やその背後にある闇を暴き出すための巨大な相関図に重い布を被せ、ひどく重い足取りで執務室を後にした。


王宮へと向かう揺れる馬車の中で、エリシアは自分の膝の上に置かれた小さな純白の手袋をじっと見つめ続けていた。

かつての彼女にとって、それは外界の不条理な汚れから身を守り、完璧な令嬢として振る舞うための無敵の鎧だった。

以前の彼女なら、このような恐ろしい場所へ向かう時こそ迷うことなく両手にはめ、冷徹な論理の仮面を被って完璧に自分を武装していただろう。

だが苦情処理局で数々の生身の痛みに触れ、泥にまみれて傷だらけの素手で誰かを守る覚悟を決めた今の彼女には、その鎧を再び身につけることがどうしてもできなかった。

手袋をはめれば、また安全な高みから他人を見下ろす冷酷な人形に戻ってしまう気がしたからだ。

しかし完全に無防備な素手のまま、あのトラウマが深く刻まれた地へ一人で足を踏み入れるほどの確固たる自信もまだ持ててはいない。

息苦しいほどの迷いと葛藤の末、彼女は新しい手袋を身につけることなく、片方だけをそっと鞄の奥に忍ばせた。

それは彼女の心の中に残る最後の未練であると同時に、決してかつての自分には戻らないという不器用な決意の表れでもあった。


数ヶ月ぶりに足を踏み入れた王宮は、かつて彼女が知っていた頃と何一つ変わらない豪奢で美しい威厳を保っていた。

磨き抜かれた大理石の床には塵一つ落ちておらず、すれ違う侍女たちは皆一様に完璧な角度で頭を下げて音もなく通り過ぎていく。

どこを見渡しても完璧に整調されており、誰一人として不満や苦痛の声を上げる者など存在しないかのような圧倒的な静寂。

苦情処理局で毎日耳にしてきた民の切実な悲鳴や泥臭い怒りなど、この空間では最初から存在しない幻想のように思えてくる。

だが無数の点と線を結びつけ、この国を蝕む巨大な病巣の相関図を描き上げた今のエリシアには、この完璧すぎる静けさこそが異常で不気味なものとして肌に冷たく張りついてきた。

揉め事が存在しないのではなく、揉め事が表に出ないように徹底的に磨き上げられ、巧妙に隠蔽されているだけの場所。

無数の声なき悲鳴を土台にして成り立っているこの王宮の空気が、彼女の震える素手を容赦なく縛りつけていくのを感じた。


案内されたのは、王妃の私室に隣接する日当たりの良い美しい温室であった。

「よく来てくれましたね、エリシア。息災そうで何よりです」

王妃は色鮮やかな花々に囲まれたテーブルで優雅に紅茶を傾けながら、慈愛に満ちた穏やかな笑みで彼女を迎えた。

温室の中に漂う甘く芳醇な花の香りと、温かい紅茶の湯気が、王宮の冷たさを一時的に忘れさせるかのように彼女を包み込む。

彼女が王太子妃候補だった頃から、この王妃は常に温かく見守ってくれる思慮深く優しい人物であるとエリシアは信じていた。

婚約破棄を宣告され、すべてを失ったあの冷たい夜も、王妃だけは静かに心を痛めてくれていたように見えたのだ。

「お呼び立ていただき光栄に存じます。本日はどのようなご用件でしょうか」

エリシアが隙のない完璧な礼の作法で応じると、王妃は満足そうに頷きながらゆっくりと本題を切り出した。


「実は最近、レオンハルトの周辺が少し騒がしくてね。彼が良かれと思って進めている新しい改革が、現場の古い人間たちの間に無用な摩擦を生んでいるようなのです。それに乗じて不審な便宜供与や人事の偏りも起きているという噂を耳にしました。しかしそれを公の場で調査することはできません。王宮の内部にそうした不満や軋轢が存在すると認めること自体が、王家の権威を不必要に傷つけるからです。ですから有能で口の堅いあなたに、非公式に王宮内の人事や贈答の流れを探ってもらえないかと思ったのです」


それは王立苦情処理局への正式な命令ではなく、あくまでエリシア個人に対する極秘の依頼であった。

彼女が相関図でたどり着いたアルヴェイン伯の暗躍の証拠を、王宮の内部から直接探る絶好の機会でもある。

だがエリシアの胸の奥には、与えられた期待よりもはるかに大きく重い冷たい違和感がどろどろと広がっていった。

王妃の言葉の端々から滲み出ているのは、苦情や不満を表に出すこと自体を悪とする古い統治の思想である。

「国を導く大局のためには、現場の多少の不満や軋みは飲み込まれるべきものなのです。波風を立てず静かに穏便に処理することこそが、この美しい国を保つための最善の道なのですよ」

その穏やかで美しい微笑みを見た瞬間、エリシアは息が止まるほどの強烈な寒気に激しく襲われた。


彼女の頭の中にフラッシュバックしたのは、旧保管庫で埃にまみれて積み上げられていた巨大な未処理陳情の山である。

面倒な揉め事を避けてただ見ないふりをしてきた、顔のない役人たちの凡庸な事勿れ主義の層。

この国全体を重く覆う無自覚な黙殺のシステムこそが真の怪物なのだと、彼女は先日気づかされたばかりだった。

そして今目の前で優雅に紅茶のカップを置くこの王妃こそが、その恐ろしい沈黙のシステムを純粋な善意で肯定する、頂点の体現者だったのである。

アルヴェイン伯のような明確な私利私欲の悪意なら、論理と証拠で切り裂くことも可能だろう。

だが国を思って疑わないこの高潔な善意の黙殺を、一体どうやって打ち崩せばいいというのか。


「謹んで、お引き受けいたします」

エリシアは震えそうになる声と素手を必死に押さえ込みながら、深く頭を下げてその非公式な依頼を受諾した。

それは決して王妃の古い思想に屈したからではなく、この恐ろしい黙殺のシステムの中枢に自ら踏み込むための決意であった。

鞄の中に隠した片方の白い手袋が、彼女の覚悟を冷たく試すかのようにひっそりと重く横たわっている。

物語の舞台は民の悲鳴が吹き溜まる泥臭い苦情処理局から、決して苦情の存在を許さない王宮の奥深くへと静かに移行しようとしていたのである。


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