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婚約破棄された令嬢は、修道院ではなく王立苦情処理局で真実を拾う  作者: 早野 茂


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第49話「相関図」

数日ぶりに王都の空から雨雲がわずかに退き、薄日が冷たい石畳を白く照らし出していた。

王立苦情処理局の薄暗い執務室では、エリシアが自分の机いっぱいに広げた巨大な真新しい羊皮紙に向かっていた。

彼女の素手は古いインクと紙の埃で黒く汚れ、その横には数え切れないほどの未処理陳情書や過去の処理済み案件の束がいくつもの塔のようにうず高く積まれている。

もはや、白い手袋で自分を外界の汚れから守っていた頃の面影はどこにもない。

ユリウスに告発者を守るための新しい手順案を提出し、再び前を向いて歩き出して以来、彼女の瞳は深く重い覚悟を宿した冷徹な光を完全に取り戻している。

彼女が今狂気じみた集中力で作っているのは、個別の不正を追うためのものではない。

この国を根底から狂わせている見えない病巣の、全体構造そのものを暴き出すための相関図であった。


エリシアは新しい羽ペンをインク壺に深く浸し、広大な羊皮紙の上に無数の点と線をひたすらに描き込み続けていく。

王都の物流を独占する巨大商会による不当な価格吊り上げや、地方の教会支部が暗黙のうちに強要する高額な寄付金。

さらに貴族間で行われる身勝手な婚姻の強要や、地方の騎士団内部における理不尽で不透明な人事異動と物資の横流し。

それらは局に持ち込まれた時点では、どれも関係のない独立した小さなトラブルとして扱われていた。

だがエリシアはその膨大な書類の山から共通の固有名詞や日付の符号を一つひとつ執拗に拾い上げ、関与した人物たちの繋がりを細かく分類していく。

すると不思議なことに、紙の上に引かれた線が増えれば増えるほど、無秩序だった情報が結びつき、ある明確なひとつの形が不気味なほどはっきりと浮かび上がってきた。

地方の些細な諍いとして処理されてきた個別の苦情が、王都を中心とした巨大な歪みとして確実に繋がっていくのだ。

点と点が結ばれて巨大で精緻な網の目となり、その網の中心へ向かって莫大な利益と権力が音もなく吸い上げられている。

物流の遅延も農村からの悲鳴も、すべてはこの網の目を肥やすための養分にすぎなかった。

そしてその網の最も中心に近い場所に君臨しているのが、あの優雅で冷酷なアルヴェイン伯であった。


相関図に引かれた黒いインクの線は、間違いなくアルヴェイン伯の周辺で最も濃く密集している。

王宮の侍女の配置や商会の許認可など、彼が私的に行った細かな調整が公的な利益配分に深く食い込んでいるのだ。

彼が関与した証拠は書類のあちこちに散らばっており、その優雅な微笑みの裏にある醜い悪意をはっきりと示している。

かつてのエリシアであれば、この明白な黒い線を見つけた瞬間に勝利を確信し、完璧な証拠を揃えて彼の首を討ち取ればすべて解決すると思い込んでいたはずだ。

だが今の彼女は、目の前に浮かび上がったアルヴェイン伯の黒い線をじっと見つめたまま微かに眉をひそめた。

確かに彼は真っ黒であり、この巨大な不正の網を巧妙に操る中心人物に違いない。

しかし相関図をさらに広く見渡していくと、彼の外側にもっと不気味なものが存在していることに気づかされる。


エリシアは羽ペンをそっと置き、羊皮紙の端のほうに広がっている古くて薄い線の集まりをインクに汚れた指先で辿った。

それはアルヴェイン伯が王宮で権力を握るよりもずっと前から存在している、何十年も前の古い陳情の繋がりである。

そこにあるのは誰か一人の明確な悪意によって意図的に作られた歪みなどではなく、顔のない役人たちによる得体の知れない巨大な慣例処理の輪だったのである。

面倒な揉め事を避けたい平凡な役人たちが、波風を立てないためにただ見ないふりをしてきた無数の痕跡。

訴えを後回しにし、書類を旧保管庫の奥へ奥へと積み上げ続けることで出来上がった、分厚く強固な事勿れ主義の層。

その歴史的な怠惰の輪が王国の下部を広く覆い尽くし、民の切実な声を入り口で音もなく殺し続けているのだ。

アルヴェイン伯が巧妙に作り上げた不正の網は、実はこの巨大な慣例処理の輪の上に乗っかっているにすぎない。

この国全体を重く厚く覆う見ないふりという沈黙の構造こそが、彼のような怪物が生まれ育つことを許し、何十年にもわたって完璧で安全な隠れ蓑を与え続けてきたのである。

一人の悪人を切り捨てた程度では決して変わらない、恐ろしい無自覚な黙殺のシステム。


その事実に気づいた瞬間、エリシアの背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。

敵の輪郭が広がるほど、自分や協力者たちの命の危険は確実に増していく。

アルヴェイン伯一人を相手にするだけでも、ディートハルトのようにすべてを失う者がいるのだ。

ましてや国全体のシステムそのものを敵に回すとなれば、どのような陰湿な報復が待っているのか想像もつかない。

彼女の指先は無意識のうちに小刻みに震え始め、その震えは冷たい石の床を通して全身へと広がっていくようだった。


「それでも、私はもう二度と目を背けたりはしない」

エリシアは青ざめた唇を強く噛み締めると、かすかに震える素手で再び羽ペンを力強く握り直した。

途方もない絶望の闇を前に足がすくみそうになっても、今の彼女には先日ユリウスに提出した新しい手順案がある。

告発者を守り抜くための匿名保護や避難先の確保といった、彼が「悪くない」と評してくれた泥臭く具体的な盾。

正しさという剣だけでなく、その盾を胸に抱きしめているからこそ、彼女はもう立ち止まらない。

彼女はアルヴェイン伯の黒い線のさらに奥へと、新たな調査の方向性を示す赤いインクの線を静かに、だが確かな筆圧で引き始めた。

ここで手を止めれば、またどこかで記録にならない被害が出る。

恐怖を抱えたまま、それでも彼女は次の線を引くしかなかった。

相関図の赤い線は、もはや一人の不正を指してはいなかった。

雲間から差した薄い光の下で、その線だけが王宮の奥へと伸びていた。


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