第38話「あなたは間違っていない」
冷たい秋の雨が容赦なく降りしきる中を、エリシアはただ黙々と歩き続けていた。
王都から粗末な乗合馬車を何度も乗り継いでようやくたどり着いたのは、国境に近い地方のうらぶれた寂しい宿場町である。
彼女は役所の記録とわずかな伝てを頼りに、潜伏先らしきこの町まで彼の足取りを必死に追ってきたのだ。
泥の跳ねる悪路を歩く彼女の足元はひどく汚れ、いつもは美しく結い上げられている銀髪も雨に濡れて重く頬に張り付いている。
しかし彼女は傘をさすことすら完全に忘れたかのように、ただ彼に直接謝罪するという一つの目的のためだけに重い歩みを進めていた。
これまでは己の感情を完全に排して机上の論理だけで世界を正しく整列させてきた彼女にとって、こうして自らの足で泥にまみれながら誰かを探し回るような行為は初めてのことだった。
やがて彼女がたどり着いたのは、町外れにある今にも朽ち果てそうな古い木造の安宿であった。
薄暗くカビの匂いが漂う狭い廊下を抜けて、彼女はひどく軋む薄い扉の前に一人で静かに立つ。
小さく震える息を吐き出して力なくノックをすると、中からゆっくりと重い扉が開かれた。
そこに立っていたのは、かつて雨の降る訓練場でひたむきに剣を振るっていた生真面目な青年の面影すら全くない別人であった。
無精髭が伸び放題になった顔は青白く病的に痩せこけ、落ち窪んだ目の下には濃い隈が深く刻まれている。
あの几帳面で常に背筋の伸びていた誇り高き下級騎士の姿は、完全に失われていた。
「……王立苦情処理局の実務官殿が、こんな掃き溜めに何の用ですか」
ディートハルトの声にはかすかな怒りすらなく、ただひどく乾いて虚ろに部屋の中に響いた。
彼は自分を破滅へと追いやった元凶である彼女の顔を見ても、大声を上げることも胸倉を激しく掴むこともしない。
ただすべてを完全に諦めきった抜け殻のような瞳で、彼女を静かに見下ろしているだけである。
エリシアは泥に汚れた外套を着たまま、その冷たく汚れた床に深く頭を下げた。
「謝罪に来ました。私の思慮の足りなさであなたに全てを背負わせてしまったことを深くお詫びします。私の独善的な傲慢さがあなたの人生を理不尽に壊してしまいました。どんな罵倒も受けますし、せめてこれからの生活を支援させてください」
彼女の震える細い声は、これまでの冷徹で完璧な監査を行う実務官のものではなかった。
「もういいんです」
ディートハルトは彼女の哀れな言葉を遮るように、ひどく短く弱々しく呟いた。
彼が自分を激しく憎み、深い怒りに任せて殴りかかってくることすらエリシアは覚悟していたのだ。
しかし彼が彼女に向けた瞳には、怒りや憎しみといった熱のある感情は微塵も存在しなかった。
そこにあるのはただ圧倒的なまでの絶望と、どこまでも深く暗い諦めの色だけである。
「あなたは間違っていません」
彼はエリシアの顔を見つめ返すこともなく、足元の冷たい床を見つめたまま静かに言った。
「規定に従って事実を明らかにし、腐敗した上層部を正しく排除した。あなたのやったことは何も間違っていないし王国にとっては正しいことだったのでしょう」
その言葉は、かつて彼女自身が絶対の盾として信じていた無敵の論理そのものだった。
しかし彼から真っ直ぐに発せられたその正しい言葉は、エリシアの心臓を鋭い刃のように容赦なく抉り取っていく。
彼に激しく罵倒された方がどれほど心が救われたか分からない。
「だからこそ、余計にきついんです。正しいことをして俺は全部失いました。誰も悪くないのに俺だけが地獄に落ちたのなら、もう誰を恨めばいいのかすらわからないんですよ」
ディートハルトは自嘲するように薄く笑い、静かに古びた扉を閉ざしてしまった。
エリシアは閉ざされた扉の前にひざまずいたまま、もはや彼にかけるべき言葉を何一つ見つけることができなかった。
その痛ましい言葉は、エリシアがこれまで意図的に見ないふりをしてきた重い問いを彼女に真正面から突きつけていた。
正しければそれで本当に足りるのだろうか。
完璧な証拠を集めて巨悪を暴きさえすれば、すべての問題はきれいに終わって人は救われるのだろうか。
答えはすべて目の前の青年の虚ろな瞳の中に、残酷なほどはっきりと示されていた。
制度の枠内でどれほど完璧な正論を組み立てても、現実の泥臭い人間の悪意からは誰も守れない。
彼女の信じた正しさは、ただ弱いものを無惨に押し潰すための理不尽な暴力にしかならなかったのだ。
その冷徹な定規で測られた世界には、最も守られるべき弱い人々の居場所がどこにもなかったのである。
力なく安宿を出ると、外は相変わらず冷たく重い雨が降り続いている。
彼女は泥濘の道を重い足取りで歩きながら、自分の圧倒的な無力さに激しく打ちひしがれていた。
ふと足元が大きくよろけ、彼女は思わずぬかるんだ冷たい石壁に強く手をついてしまう。
これまでは彼女の誇りだった純白の絹の手袋が、ひどく黒い泥にまみれて醜く汚れてしまった。
エリシアは無意識のうちにその嫌な汚れを払おうとして、もう片方の手で乱暴に手袋を擦った。
その瞬間、小さな嫌な音が雨音に混じって彼女の耳に鋭く響いた。
泥を乱暴に払おうとした衝撃で、手袋の縫い目がわずかに裂けてしまったのだ。
指先のほんの小さなほころびであったが、その小さな裂け目は彼女の中で何かが戻らない形で壊れた証のようだった。
もう二度と以前のように、迷いなく完璧な論理の刃を他人に振り下ろすことなどできないだろう。
感情を排して完璧な論理を保つための象徴だった白い手袋は、もう彼女の手を安全に守ってはくれない。
冷たい雨水がその裂け目からゆっくりと染み込み、彼女の震える素肌を容赦なく冷たく濡らしていく。
エリシアは泥に汚れ裂けてしまったその手袋をじっと見つめたまま、雨の降る薄暗い路地でいつまでも一人で立ち尽くした。
彼女の中で何かが初めて目に見える形で、音を立てて決定的に壊れ去ってしまったのである。




