第28話「善意の後始末」
王宮の広間には、いつもの華やかな舞踏会とは違う異様なまでの重苦しい混乱が渦巻いていた。
冬の厳しい寒さが到来する前に、貧民街へ物資を配給するための慈善行事の準備が行われていたのだ。
しかし現場を取り仕切る実務官たちは一様に顔を青ざめさせ、積み上げられた空の木箱の前で絶望的なため息をついている。
その混乱の中心に立っていたのは、柔らかなパステルカラーのドレスに身を包んだ次期王太子妃のミレーユである。
彼女は困窮する貧民街の代表者たちの悲痛な訴えに心を痛め、涙を浮かべながら不用意な約束をしてしまったのだ。
「王太子殿下のお言葉ですもの、皆さま全員に温かく新しい毛布を確実にお届けできますわ」
その美しく慈愛に満ちた言葉は絶望していた人々に熱狂的な歓喜をもたらしたが、同時に現場の実務官たちを深い地獄へと突き落とした。
為政者の側から放たれた無邪気な善意は、時に何よりも恐ろしい暴力へと変貌する。しかし彼女はその事実をまだ理解していなかった。
王太子妃候補という絶対的な権威の口から放たれた約束は、もはや誰も後から覆すことのできない重い勅命となってしまう。
しかし王宮の倉庫にそれほどの大量の毛布の在庫などあるはずもなく、新たに買い付けるための緊急予算も全く通っていなかった。
実現不可能な約束を前にして完全に手詰まりとなった現場は、王立苦情処理局へと泣きつくように救援を要請してきたのである。
呼び出されたエリシアは、現場に到着するなり突き出された数々の帳簿と倉庫の在庫記録を冷徹な視線で素早く確認していった。
書類をめくりながら、エリシアはある疑問を覚えた。
——善意で始まったのに、なぜ失敗するのだろうか。
ミレーユは誰かを傷つけたかったのではない。貧しい人々を救いたかった——それは純粋な事実だ。
それなのに結果として、現場は混乱し、期待した人々は裏切られ、関わった実務官たちは窮地に立つことになった。
善意とはなんだろうか。動機が正しければ結果も正しくなるのか。
いや——そうではない。善意は動機であり、結果を保証するものではない。
しかしなぜ、善意はこれほど簡単に人を傷つける凶器になりうるのだろうか。
エリシアはその問いを頭の中に留めたまま、ただひたすらに帳簿の数字と向き合って冷酷な現実の計算を続けた。
彼女は頭の中で瞬時に市場の相場と王宮の予備費を計算し、この致命的な危機を回避するための現実的な代替案を組み上げていく。
王室林野局が抱えている越冬用の予備費を緊急でこちらへ回し、旧市街の毛織物ギルドへ古着の打ち直しを急遽発注して最低限の防寒具を確保する。
全員に新品を配るという不可能な計画は即座に破棄し、倉庫に残されたわずかな新品の毛布は、凍死の危険が高い重病人と幼い子供たちだけに絞って優先的に配給する。
それはすべての人を平等に救うという美しい理想を捨て去った、冷酷だが確実に命を繋ぐための現実的な解決策だった。
分厚い帳簿を静かに閉じたエリシアは、不安げに視線を揺らすミレーユと令嬢たちの前へと真っ直ぐに進み出た。
「現在手配可能な物資の総量は、殿下が約束された数のわずか三割にも満たないというのが現実の数字です」
エリシアの氷のように冷たく澄んだ声が、シャンデリアの輝く広間の喧騒を切り裂いてミレーユの耳へと届いた。
その報告を聞いた瞬間、取り巻きの令嬢たちは信じられないものを見るような憎悪の目でエリシアを強く睨みつけた。
「ミレーユ様は貧しい人々を救おうと心を痛めておられるのに、あなたはどうしてそんな冷たい数字ばかりを並べるのですか」
彼女たちは善意という名の安全な高台に立ち、現実の重い責任を実務官たちに押し付けて自分の美しさに酔いしれているだけだ。
美しい感情さえあればすべてが解決すると信じている彼女たちにとって、エリシアの論理は忌まわしい異物でしかなかった。
ミレーユは震える声で何かを言い返そうとするが、エリシアの定規で測ったかのように真っ直ぐな冷たい視線を前にして言葉を詰まらせる。
昨日の回廊での再会のときにも感じたように、今のミレーユは王宮の重圧に押し潰されそうになりながら、必死に優しい自分を演じているだけなのだろう。
純粋な善意から発したはずの言葉が、今や彼女自身の首を絞める恐ろしい呪いとなって細い肩に重くのしかかっている。
「予算と手配の裏付けがない無責任な善意は、ただの空虚な妄想にすぎません。実現不可能な約束で彼らを期待させることは、冬の寒さよりも残酷な二重の絶望を生み出すだけです」
「王太子殿下の名誉を守るためにも、この非現実的な約束は今すぐ撤回し、被害を最小限に抑える現実的な代替案に移行すべきです」
その一切の隙もない完璧な正論を前にして、ミレーユの大きな瞳からポロリと大粒の無力な涙がこぼれ落ちた。
その瞬間、広間に集まっていた貴族たちの間にエリシアをひどく糾弾するような冷ややかな空気が一気に満ちていく。
「なんて冷酷な女だ。心優しい次期王太子妃殿下を、大勢の前であんなに冷たく責め立てて泣かせるなんて」
遠巻きに聞こえてくる彼らの無責任な囁きは、かつての卒業舞踏会の夜に彼女を理不尽に断罪したあの空気と全く同じものだ。
誰も事実としての数字や実現不可能な現実を見ようとはせず、ただ泣いている可憐な少女に安っぽい同情を寄せてエリシアを悪役へと仕立て上げていく。
エリシアは周囲から向けられる無数の憎悪の視線を浴びながらも、決して目を逸らすことなく真っ直ぐに立ち続けていた。
ミレーユは涙を流しながらも、エリシアが提示した冷酷な代替案によって自分が政治的な破滅から救われたことを痛いほど理解していた。
しかし周囲から自分へ向けられる圧倒的な同情と、エリシアを責め立てる熱狂的な視線の重圧に押し潰される。
言わなければならない言葉を小さく首を振って飲み込み、彼女は結局何も言えずに逃げるようにその広間を後にした。
彼女もまた王宮の作り出した偶像の檻から決して抜け出すことのできない、哀れな囚人のひとりに見えた。
ミレーユが去った後にエリシアは残された実務官たちに的確な指示を出し続け、縮小された計画は滞りなく進行していった。
問題は見事に解決し、貧民街の人々には少なくとも凍死を免れるだけの物資が確実に届けられることになった。
しかし事後処理をすべて終えた彼女が手にしたものは、誰かからの感謝でも達成感でもなく、またひとつ積み重なった「好かれない正しさ」という名の冷たい孤立だけだった。
——善意で始まったのに、なぜ失敗するのか。
王立苦情処理局へと戻る馬車の中で、エリシアはその問いをまだ持ち続けていた。
この問いには、意地悪な答えしか浮かばない。
善意は動機にはなれても、結果の保証にはなれない。善意は人を動かすが、現実は動かない。
そして善意を持つ人間は、自分の動機が正しいから結果も正しいはずだと信じてしまう——それが最も危うい。
では、自分は違うのか。
自分は感情ではなく事実を根拠にしている。だから結果に責任を持てる——そう思っていた。
しかし本当にそうだろうか。自分も何か、見えていないものがあるのではないか。
車内に響くのは車輪の単調な音だけだ。エリシアは窓の外の暗い街並みを、じっと眺め続けた。




