7. 貴族の嗜好品?いいえ、誰でも作れますよ!
ナラク村には、ジリジリと焼けるような夏の予感が漂い始めていた。
「暑いわねー。」
川の岩に座り素足を水に浸す。前世のような蒸し暑さはないものの、少しずつ上がり始めているだろう気温は容赦なく暑さをぶつけてくる。
水面を見ながら視線を上げれば、遠くに魚釣り小屋が見えた。数週間前に漁師たちに実演販売して無理やり渡したそれを、彼らは大層気に入ってくれたようで、渡してから1週間後に意見を聞きに行ったら、人が変わったように好意的に接してくれて、魚釣り小屋を今後も使用し続けたいと申し出てくれた。
気に入ってくれたのはありがたいが、少しげんきんすぎやしないだろうか。
麻布も順調に仕上がっていて、村の女性達は交代制で作業に参加してくれるようになっている。わずかではあるが、新しい、ボロ布ではない、しっかりとした『服』を着ている子どもたちも見かけるようになっていた。
作業が順調に村人たちだけで回り始めてのを確認して、繊維産業から一旦手を引いていた。
夏が来る前にやることは、繊維産業だけではない。
この季節、村を悩ませているのは暑さだけではない。立ち込める村人たちの体臭。不衛生な環境から来る皮膚の炎症。そして水洗いだけでは決して落ちない、衣類に染み付いた重い脂汚れだった。
この村には入浴の習慣はない。
というか、この国では入浴は貴族しかできない富の象徴のようなものだ。そのため、村人たちは井戸で組んだ水で体を拭くのみだが、それでは汗や皮脂は取れても体臭は消えない。それに、服が新しくなってきているせいか、衣服の汚れはよく目につく。今までが汚水にまみれた村だったことあって、村人は悪臭には耐性ができているようだが、これでは村の外から人が来たときに驚かれてしまう。それどころか、あまりの悪臭と不衛生状況に、もう二度とこないかもしれない。そうなっては、村の発展計画に大きな支障が出てしまう。
とにかく、今の村の問題点は『体臭と不衛生』だ。
村に戻る途中で、遊んでいる子どもたちに出くわした。
汗だくになって遊んでいる子どもたち。身につけている真新しい服は彼らの母親の愛の結晶だろう。その光景に目を細めると、そのうちの一人が立ち止まった。
「かゆい。」
マーサの息子がボリボリと皮膚をかきむしる。垢なのか古い皮膚なのかわからない細かい粉のようなものが、腕から舞い落ちた。更に、その隣にいた女の子の髪はフケのような白いものが多く付着していた。
……だめだ。もう、我慢できない。
「石鹸を作る!」
「はぁ?」
芋畑の木陰でゼノに告げれば、彼は器用に片眉を上げてこちらを見下ろした。
「お嬢様よ。…石鹸なんつうのは、お貴族様の嗜好品だぞ?そんなものをこのド田舎の、極貧の村でどうやって作るんだよ?」
呆れたように言うゼノに人差し指を立てて得意げに笑ってみせた。
「石鹸はね、実は誰でも作ることができるのよ。しかも、魔法道具なんてなしにね。」
「じゃあ、俺の出番はねぇな。」
「…あるかもしれないわよ?だから、私がいつ声をかけても動けるようにしておいてね?」
「…ったく…。」
ゼノは少し面白くなさそうだったが、今回の作業は魔法の出番は必要ないはずだ。魔法がないと作れないようなものは産業に成り立ちにくい。この村で魔法を使える人間はほとんどいないのだから。
翌日。声をかけたのは、獲物の解体に慣れている猟師たちの家族だった。
「獣の脂と……木を燃やした灰?」
猟師の妻、トルートが怪訝そうに聞き返す。私が求めたのは、捨てられるはずの獣脂と灰を水に溶いて作った強いアルカリ液(灰汁)だった。
前世では石鹸を作って販売する人もいるくらい、作り方はポピュラーだが、この世界では石鹸を作るのは専門家の仕事だ。さらに言えば、村人たちは石鹸自体を知らなかった。
…前世で、姪の夏休みの自由研究で石鹸作りを手伝わされていた経験がこんなところで役に立つとは、思っても見なかった。しかもあの時代は、ネット検索すれば作り方だけではなく仕組みや代用品なども調べることができるのだから、本当に便利な世の中だったと思う。
「まずは、アク(灰汁)を作ります。」
石鹸を作るには脂と苛性ソーダが必要だが、ここでは苛性ソーダなんて夢物語だ。そのため、その代わりになるアルカリ液を作る必要がある。
「この大きな瓶に灰を入れたら、水を注いでかき混ぜてください。その後は、数日間放置して上澄みが透明になるのを待ちます。」
トルートを中心とした猟師の妻たちが、それぞれの作業を分担して行う。それを見ながら指示を出していく。
「透明になった上澄みを取り出して、布でこして別の容器に入れたらアクの完成です。…ただし、絶対に素手で触らないでくださいね。この液は非常に強い液なので、手につくと皮膚が荒れますよ。」
石鹸を作る作業で一番気をつけるのは苛性ソーダの扱いだ。今の状態だとこの強いアルカリ液のことになるが、これは非常に肌に悪い。万が一にも子どもたちの手に触れないように厳重に管理してほしいと年を押して伝えると、彼女たちの顔が少し怯えてた。
脅かすようなことはしたくないが、彼女たちに何かあっては、日々村のためにと狩りに出てくれているご主人たちに顔向けができない。なにより、私の提案を反対することなく聞き入れ、手伝ってくれる彼女たちを危険な目に合わせたくはなかった。
この村で石鹸を作るには4つの工程が必要になる。
1つ目の工程は強いアルカリ性の液を作ること。2つ目の工程はひたすら煮込み獣脂を溶かして、アルカリ液を混ぜること。3つ目の工程は香り付けと効能のための薬草を加えること。そして、最後の4つ目は冷やし固めることだ。最後の工程では、商品化のために型抜きをして、この村のシンボルマークを作り刻印したいと考えているが、まずは本格的な夏が来る前に3つ目の工程まで終わらせることが優先だ。
猟師の家の前に焚き火を起こし、大きな鉄鍋を乗せて大量の水を入れた。
「ここに獣脂を入れて煮込みます。」
ここから、三日三晩鍋を煮込み続けなくてはいけない。猟師の妻たちは怪訝そうな顔で説明を聞いていたが、誰も反対をしなかった。
「何度も水を取り替えて、アクを取り続けて不純物を洗い流します。この手間をかけることでこの石鹸が安物ではなく、王都の貴族も愛用するような最高級の石鹸になるんです。」
「最高級のって…そんなのわたしたちで作れるんですか?」
トルートは信じられない言わんばかりの表情で鍋を覗き込む。少しずつ立ち込める饐えた油の匂いにトルートは眉間にシワを寄せた。
「こんなひどい匂いのものを三日三晩も煮込み続けるなんて…。」
「この暑さとこの匂いだけで気分が悪くなるわ。」
他の女性たちからも不満の声が上がる。そう、石鹸作りを獣脂で行う場合の問題はこの悪臭だ。本来ならば村から離れた風下で行うのが一番だが、あいにく村を離れたところには井戸もなく、風下に当たる部分は鬱蒼とした森が広がっている。
「申し訳ないですが、これが石鹸作りにはどうしても必要な工程なんです。匂いがきついときは、鼻と口を布で覆ってください。私も手伝いますから、どうか一緒に石鹸を作りましょう。」
この匂いだけは我慢してもらうしかない。しかし、石鹸を知らない村人たちに取っては、この作業を耐えるだけの価値を理解できないのだろう。それでも、やるしかないのだ。
そこから、火を絶やすことなく脂を煮込みアクを掬い続け、棒でかき混ぜる作業をひたすら繰り返した。しかし、二日目の朝、私たちの鍋を村人たちが取り囲んだ。
「この匂いで病気になっちまうよ!」
「朝から晩までずっと気分が悪い。」
「呪いの儀式でもしているのか?!」
鍋から漂う、饐えた脂の腐敗臭はいつの間にか村中に広がっていたようで、激しい非難と怒号が浴びせられる。それに、トルート達も怯えてしまい、彼女たちをかばうように村人たちの前に出た。
「臭いの件は申し訳ありません。しかし、今作っているのは石鹸と言って、皆さんの体の汚れや匂い、衣類の汚れを落としてくれるものです。」
「何が匂いだ!こっちの匂いのほうがよっぽどクセェだろうが!」
「今は、臭いかもしれませんが、これから匂いはなくなります。それに、石鹸ができれば子どもたちが肌を痒がることも、肌が荒れることもなくなるようになります。いずれは、石鹸を売ってお金が入ってくるようになるんです。」
「あんたはいつもそうやって、子どもたちの事を引き合いに出す!そのせいで、村の女どもは機織りだ、やれ服作りだって言って家のこともろくにしなくなっちまった!」
「迷惑なんだよ!石鹸だか、金儲けだか知らねぇが村の者を巻き込むのはやめてくれ!」
放たれた言葉が心に大きく刺さった。
「迷惑」…確かにそうかも知れない。突然やってきて、村のことをあれこれ変えて、妻や娘たちに勝手に仕事を与えてしまう。彼女たちにはこれまでやっていた仕事があるのに…。そこまで考えが至らなかった自分が情けない。
なにか言わなくてはと思ったが、何も言葉が出てこなかった。口を閉ざした私に村人からの怒声や非難が浴びせられ続ける。
「いい加減にしろっ!」
突然響いた大きな声。その方向を振り返れば、ロイドを初めとした猟師達が仕留めてきた獲物が入っているだろう、袋を背負って立っていた。
「さっきから聞いてりゃ、好きかって言いやがって。」
ズカズカと私の前に歩いてきたロイドは袋をトルートに手渡すと私を庇うように胸を張った。
「あんた達はアイリス様のお陰で、毎日肉が食えるようになったことを忘れたのか?」
ロイドの言葉に村人たちがハッとした様に口を閉ざす。
「この村に汚水がたまらなくなって、子どもたちが病気にならなくなったのも、毎日キレイな水を井戸から組み上げられるようになったのも、全部アイリス様のお陰じゃねーか!」
ロイドの横に他の猟師が立った。
「俺の子どもが新しい服を着て、すごく幸せそうに笑ったんだ。ボロキレを体に巻いただけじゃねえ、ちゃんとした服だった。…俺達が今まで着せてやることができなかった…空色のちゃんとした服だった。あんたらの中の子どもだってそうじゃないのかよ?」
猟師達の言葉に集まった村人たちは、気まずそうに視線を落とす。それを見ていたロイドは静かに口を開いた。
「…何もしないで、都合の悪いことに口を出すばっかりで、あんたたちは今までアイリス様にいただいた恩恵に感謝の言葉を伝えたのか?…何かをしてもらったら礼をするのは当然だろ?そんなことまで、貧しさの中で忘れちまったのかよ?」
ロイドの言葉に出れも何も言わなかった。それが、ロイドには辛かったようでグッと唇を噛みしめる。
「…情けねぇ…。」
絞り出したようなロイドの声が小さく、静まり返った空間に落ちた。
私は何も言えずにただその光景を見ていることしかできなかった。ロイドの言葉や猟師達の言葉が傷ついた心をゆっくりと温めてくれる。しかし、その反面ロイドのつらい気持ちがひしひしと伝わってきて…どうしていいかわからない。
「…要は村にこの匂いが広がらなきゃいいんだろ?」
そこに場違いな呑気な声が響いた。
その場にいた全員が一斉に視線を向ければ、ゼノが両手を組んで鍋の横に立っている。しかも、その顔はどこか楽しげで、誇らしげだった。
「…どういう事?」
聞けば、ゼノは笑顔で答える。
「お嬢様にはいつでも力を貸せるようにしておけって言われたけどよ、待つばっかりってのは俺の性に合わねぇんだよ。」
「は?」
「いいから、ちょっと着いてこいよ。…ついでに、ロイドたちも女たちと一緒にそのでけぇ鍋を持ってきてくれ。」
顎で村の外を指したゼノに疑問を抱きながら従った。その後ろを鍋や材料を抱えたロイドやその妻達が続く。そして、やってきたのは村の一番の風下だった。
「ここなら、文句はでねえだろ。竈門も多めに作ったし、薪も作業台も用意してある。好きなだけ煮込めばいい。」
「…これって…!?」
そこは数日前まで、鬱蒼と気が茂っていた森だった。しかし、今はその一角が開墾されただけではなく、整地された上に小さな小屋が立っている。そのすぐ近くには、真新しい井戸と大きな竈門が3つあった。
「前に測量した時、ここが一番の風下だってお嬢様は言ってたよな。だから、ここならどんなに悪臭がしても村に匂いが行くことはねえ。この小屋はもともとここにあったようだが森に飲み込まれてたんでな。少し魔法で綺麗にしておいたぜ。」
「ゼノ…あなたっ…!」
あまりの光景に熱いものがこみ上げる。涙がたまり、視界が歪んでゼノの顔がよく見えなかった。
「おっと。感謝の言葉も涙も今は必要ねえ。…石鹸ができたときにまとめてもらうからよ。」
ポンッと大きな手が頭に乗った。ゼノの言葉に私は乱暴に目をこする。そうだ、まだ何も終わってない。石鹸作りはここから始まるんだ。
「わかったわ。…必ず石鹸作って見せるから。」
ゼノに向かって強く言えば、彼は「おう。」とぶっきらぼうに言って笑った。
そこから、竈門に鍋をかけて煮込む作業を再開した。
鍋に塩を加えて、不純物を沈殿させ表面に浮いた純白の層だけをすくい取る。何度も。何度も。
「もう、限界!」
「腕がパンパンだよ、アイリス様。」
三日三晩続けた作業と匂いにトルートたちも限界に来ているようだった。夜は交換で作業をするが、昼は家事や育児に精を出す彼女たちの顔には強い疲労の色が滲んでいた。
「もう少しです。もう少し…。」
念じるように鍋をかき混ぜながら言った。あと少し、もう少し白くなれば…。
四日目の朝。
鍋の中に残ったのは、これまでの濁った黄色ではなく、雪のように澄んだ白い塊だった。指で触ると、嫌なベタつきはなく、ただ清らかな冷たさだけが返ってきた。
「で、できたっ…!」
私の言葉にトルートたちから、完成が上がる。
「やったね!アイリス様!」
「私たち、頑張りましたよね?!」
しかし、喜ぶ彼女たちには申し訳ないが、まだ工程は残っていた。
次はアルカリ液をこれに混ぜて固める作業をしなくてはいけない。そして、この作業がとても難しかった。
アルカリ液が多すぎれは肌を荒らし、少なすぎればただのふやけた粥のまま固まらない。容器や図りなどはないこの村では、自分の肌が一番の目安となった。
「…またダメね…。」
「アイリス様…その腕…。」
何度も施策しては自分の腕で試していたため、私の左腕はまだらに赤く爛れ、皮が向けていた。
「もう、やめましょう。ここまでできただけでも十分です。」
「そうですよ。このままじゃ、アイリス様の腕が…。」
トルートと今まで一緒に石鹸作りをしてくれた猟師の妻、ウィズがぼろぼろの腕を見て痛々しげに告げた。
「ありがとうございます。でも、これくらい大丈夫です。もう少しで、石鹸ができます。みなさんが悪臭と疲労に耐えて作り出したこれを絶対に無駄にはさせませんから。」
その気持だけが私を動かしていた。肌は痛いしかゆい。疲労困憊で辛い。でも、それは自分だけではない。今この場にいるみんなも同じ状況なんだ。なにより、村の衛生環境向上の為、私の為と村人からの批難や怒声に耐えてくれた彼女たちの努力を無駄にはしたくなかった。
完全に煮詰まった私はトルートたちを解散させ、石鹸作り小屋の井戸水で爛れた腕を洗い流した。
「基準が必要だわ。…感覚じゃなくて誰もが間違えない基準が…。」
なにか基準を作らなくてはと考えていたところに影がかかり、見上げれば、ゼノが驚愕の表情で私の腕を見凝視していた。
「…お前…その腕…!」
「あら、ゼノ。どうしたの?」
「どうしたのじゃねえだろ?!何だよ、その腕は!」
ゼノは私の腕の状態を見て怒ったように声をあげた。
「…大丈夫よ。心配しないで。見た目よりもひどくないの。ただ、アルカリ液…灰汁の量が定まらなくて…。」
「…なんだよ…なんで…。」
しゃがんでいた隣に同じ様にしゃがみ込んだ、ゼノがうつむいて何かを言ったがよく聞こえなかった。
「え?ごめん、よく聞こえな…」
「なんでそんなになるまで、俺に何も相談しねえんだよッ!」
バッと顔をあげて私をまっすぐに見つめたゼノの声は大きくて、私は思わず肩を揺らす。
「腕がぼろぼろになるまで何やってんだよ。」
「…ゼノ…。」
ゼノは悔しそうに言うと、乱暴に私の手をつかみギュッと強く握った。
「一人でできねえことは俺を頼れよ。いつもみてえに俺に指示を出せよ。…俺はお嬢様の…アイリスのパートナーだろうが。」
ゼノの言葉が胸に響く。
私がどんなに前世の知識を持っいても、一人ではどうにもできないことが多かった。そして、それをいつも形にしてくれたのは確かに…ゼノだった。
『一人じゃねえだろ』
いつかの夜に言われた言葉が蘇る。作業に集中し過ぎて大切なことを忘れていた気がする。
私にはこの村を良くするために共に歩んでくれるパートナーがいたんだった。
「…ごめんなさい、ゼノ。」
「…おお。…他に言うこともあんだろう?」
ぶっきらぼうで無愛想な返事。でも、手を握る大きな手は力強く、温かい。
「…力を貸してほしいの。」
「…よし、…それでいい。…こんな事二度とするなよ。自分を犠牲にするくらいなら、一番に俺を呼べ。」
ゼノの瞳が真っ直ぐに見つめてくる。その視線を避けることはできなくて、ゆっくりと首を縦に振った。
それから、ゼノに灰汁の濃度の問題を説明して前世の計量カップの絵を地面に書き同じような物を作れないかお願いした。ゼノは「一日くれ」といってすぐに何処かへ言ってしまったが、翌日、ゼノは木で作られた大小の軽量カップを持ってやってきた。
「凄い!私の言ったとおりだわ。」
それは前世の計量カップと全く同じで、木のコップに内側にメモリが掘られていた。
「作り方は大工に教えることもできる。俺以外でも作れるし修理も可能な計量カップだ。」
得意げに言ったゼノに大きく頷いた。
そして、ようやく絶妙な濃度を見つけ出し、私とトルート、ウィズたちは図った灰汁を白い油に注ぎ、木の棒でひたすらかき混ぜた。
その数時間後。鍋の中の液体は金色の重厚なとろみを帯び初めた。
「よし!ここまで来たら、最後の仕上げです!」
「待ってたよ!」
「このときのために、たくさん取って置きましたから!」
そう言ってトルートとウィズが作業台に広げたのは様々な薬草だった。
ヨモギにカモミールにローズマリー。この村周辺で取れる天然のハーブたちだ。
「ありがとうございます。では、それぞれ細かく刻んでください。この石鹸液を4つに分けて、一つはノーマル、一つはヨモギ、一つはカモミール、一つはローズマリーとそれぞれ混ぜましょう。ただし、混ぜるのはこの液がある程度、冷めてからでお願いします。」
「「はいっ!」」
石鹸づくりもついに3つ目の工程に来た。
ヨモギには肌荒れ防止と保湿。カモミールは抗炎症作用と敏感肌用。ローズマリーは殺菌作用と血行促進。そしてノーマルは洗濯用。それぞれにちゃんと香りが出るように後入れで混ぜ込む事を知ったのは、姪の自由研究での失敗だった。本当にあの時の姪には感謝しかない。
人肌より少し熱い程度の液が冷めたところで、細かく刻んだハーブを入れる。するとどうだろう。石鹸液の中で花びらや葉が鮮やかな色を保ったまま舞い踊った。
「さぁ、あとは型に入れて1ヶ月熟成させれば完成です。」
「え!?一ヶ月もかかるんですか!!」
「すぐに使えないの?」
女性たちから落胆の声が上がるが、それに笑顔で答えた。
「湿度の低い日陰でじっくりと熟成された石鹸は、驚くほど固く、滑らかに仕上がります。その熟成期間に皆さんにはぜひ、考えてもらいたいものがあるんです。」
「考えること?」
トルートが不思議そうに首をかしげる。
「そうでうす。私はこの石鹸に型押しをして、村の特産として売り出そうと思っています。ですので、皆さんには石鹸の名前と石鹸に押す型のデザインをそれぞれ考えてほしいんです。」
私の言葉に女性たちは驚愕し他様子で顔を見合わせた。
「そ、そんな。私たちが村の特産品の…。」
「そんな事…できるのかしら。」
口々に上がる不安に、なるべく安心させるように言葉を告げる。
「ここまでの過酷な作業を耐え抜いてくれた皆さん差からこそ、その資格があります。どうか、思いのままに考えて1週間後、私のところに持ってきてください。」
その瞬間、彼女たちの目が輝いた。
労働対価を支払えない私にはこれくらいのことしかできない。せめて、自分たちの労働には価値があったと、誇れるものとして残ってくれればいい。そう思ってた。
それから一ヶ月。
石鹸作り小屋の作業台には大きな石鹸の塊が4つ置かれていた。ついにその時が来た。トルートやウィズのほか作業に関わった女性たちが片付を飲んで見守る中、型から取り出した石鹸の塊を細いワイヤーで切り分ける。
断面は大理石のように滑らかで、気品ある白さにハーブたちが宝石のように散らばっている。次にゼノが作ってくれた木型を手に取った。そこにあるデザインはウィズが考案したもので、サツマイモのハート形の葉とツタが掘られている。
「…お願い。」
祈るように、切り分けた石鹸の表面に形を押し当てる。そして、ゆっくりと形を引き抜くと、そこには驚くほど鮮明にハートとツタが刻印されていた。
「…できた。」
「や、やったわ…。」
「ついに…完成したのよ!」
誰からともなく感嘆の声が漏れた。漂ってくるのは獣の匂いでも灰汁の刺激臭でもない。夏の森を吹き抜けるような、清涼な緑とハーブの香り。トルートやウィズたちは一つ一つ手にとって誇らしげに撫でる。
「これは、私たちの石鹸よ。」
トルートが涙ぐんだ声で言った。
私はこの瞬間を忘れたくないと思った。0から何かを作り上げたときの感動は計り知れない。前世では当たり前だった石鹸が、村人たちの力で生み出した「誇り」そのものに変わった瞬間だった。
「見ていてください。」
村の広場で、石鹸を前に懐疑的な村人たちの前で、泥と皮脂で真っ黒になった布を桶に入れた。ノーマルの洗濯用石鹸をこすりつけもみ洗いすると真っ白な泡が立つ。水で流した瞬間。元の色を忘れるほどの白さが蘇った。
「おぁお!」
村人たちから驚愕の声が上がるが、そのままマーサの息子を手招きする。
「次は、あなたの番よ。」
マーサの息子は皮膚疾患でよく体を掻きむしっている。この子様に取り出したのは抗炎症作用と敏感肌でも安心して使えるカモミール石鹸だ。桶で泡立てて優しく洗って上げれば、たちまちカモミールの匂いがあたりに広がった。
「いい匂い。…それに痒くないよ。」
その言葉に遠巻きに見ていた村人たちは、一人、また一人と石鹸に興味を持ち始めていた。
「村の皆さんには全種類、一つずつお渡しします。…どうか、これをつくために不眠不休で頑張ってくれた、彼女たちから受け取ってください。」
私の言葉にそれぞれの石鹸が入ったかごを持ったトルートたちが前に出た。それに村人は何を思うのか。それは私の知るところではないが、せめて感謝の言葉の一つは告げてほしいと心から願う。
…たとえ、私にはそれが無くて…
「ありがとう!アイリス様!」
「ありがとうございます、アイリス様。」
暗い気持ちは突然かけられた声にかき消された。それは、若草色の新しい服を着た男の子だった。
「弟が毎日体がかゆいって泣いてたんだ。これで、もう痒くなくなるよね!」
「せっかく新しい服を作ってもすぐに汚れるのが気になってたんです。でも、これならいつでも綺麗にできるわ。」
村人たちが笑顔で告げる。ありがとう。その言葉とともにたくさんの笑顔が向けられた。
心が震えて、目頭が熱い。どうせ私には…なんて思っていた小さな心のシミが綺麗に消えていく。
「こちらこそ、ありがとう。」
そう伝えれば、村人たちは一瞬、驚いたような顔をしてまた笑った。
私たちが作り出したこの石鹸は「クレスト・オブ・バタティス」と名付けた。村の女性達は名前をつけるのは私にやってほしいと懇願されたのが数日前。
「アイリス様がその腕を犠牲にしてまで作った石鹸なんだ。だから、名前をつけるのはアイリス様が一番ふさわしいんだよ。」
そう言ってくれたトルートやウィズたちの気持ちは、言葉は私の胸に深く響いた。それから、色々考えて、
ウィズが描いたサツマイモの葉のデザインからインスピレーションを得たのがきっかけだった。意味は「バタティスの紋章」サツマイモの学名をもじったものだが、これなら高貴な人間に入り込む際に「バタティスとう聖なる植物の加護を受けた石鹸です」という触れ込みで、所有欲を刺激できるだろう。
苦労をして作り上げた石鹸は、必ずこの村を代表する特産物になる。いや、して見せる。
広場でわらし合う村人たちを見て私は静かに誓った。
その日の夕暮れ。
夏の南風に吹かれながら、体を休めているとゼノがやってきた。
「よお、少しいいか?」
そのまま連れて行かれたのは、村の広場から少し離れた拓けた場所。そこには指示した覚えのない真新しい井戸と大きな石造りの洗濯場ができていた。
「これ…ゼノが?」
「石鹸があっても、水くみが大変だろうから…勝手に作った。」
ゼノは照れ隠しなのかフイッと顔を背けた。しかし、いつものことながら耳が赤い。頭をバリバリかきながら、洗濯場の説明をしてくれた。
「ゼノ…ありがとう。」
その大きな背中に声をかける。するとゼノは説明をやめてゆっくりと振り返った。
「あなたがいてくれなかったら、きっと私は無茶してたわ。」
「……お転婆も大概にしろよ、お嬢様。」
心地よい夏の夜風が二人の間を通り抜けた。
明日からはここで石鹸が使われる。この村の汚れも匂いもきっと綺麗さっぱり洗い流してくれるはずだ。
「…ところで、ゼノ。」
「何だよ。」
「あなた、その無精髭…印象が悪いから剃ったほうがいいわよ。あと、その伸び放題の髪もね。」
「はぁ?」
「これから村は、清潔感溢れた衛生的な場所になるんだから。あなたも私もも少し身ぎれいにしないといけないわ。」
「チッ…余計なお世話だ。」
舌打ちをしたゼノに思わず笑みがこぼれた。
そうして、この村は石鹸とともに新しい夏の季節を迎えた。
この物語はフィクションです。登場する技術、その他すべては作者の妄想であり、実在するものとは一切関係ありません。




