21.第一王子の影と譲れない攻防戦
暖かな風が吹き渡り、一面の菜種畑が鮮やかな黄色の絨毯を広げ、私たちが導入した地域通貨(ナラク手形)によってインフレの混乱が鎮まりつつあった頃のこと。
私はようやく、領主室の山積みされた帳簿から顔を上げ、窓の外に広がる穏やかな村の景色を眺めて深呼吸をしていた。
ふぅ……やっと、村の歯車が正しい噛み合わせに戻ったわね。
かつては泥水しか飲めず、誰もが飢えと絶望に震えていたこの「奈落」の地。
今ではマカダム舗装された清潔な道を村人たちが軽快な足取りで行き来し、大外堀を渡る小舟からは商売人たちの威勢の良い声が聞こえてくる。自警団のナギたちは深い藍色の制服に身を包んで堂々とパトロールを行い、開墾当初から私を支えてくれた村の母親たちは、誇らしげに新しい綿織物を仕立てている。
私がこの村に持ち込んだ現代の知識と行政のシステムは、確かに多くの摩擦や痛みを伴ったけれど、それを乗り越えた今、この村は揺るぎない「自立した共同体」へと成長していた。
あの時、私を追放してくれた元第二王子カエサルの愚かさには今となっては感謝すらしたい気分だわ。あいつとの婚約破棄という名の理不尽な追放がなければ、私はこんな風に誰かのために全力を注ぐ生きがいを見つけられなかったんだから。
カエサルという名の「傲慢な元第二王子」は、王都の泥沼の権力争いの中に沈んでいった。あんな小物に二度と足手まといをさせるつもりはない。私はマグカップの温かいハーブティーを口に含み、微かに笑みを浮かべた。
――だが、私のその油断は、あまりにも甘かった。
「アイリス様! 大変です……っ!」
扉を叩く間もなく、ナギが血相を変えて領主室に飛び込んできたのは、ちょうどその直後のことだった。彼の額には冷や汗が滲み、首に下げた真鍮の警笛がガタガタと震えていた。
「どうしたの、ナギ? そんなに慌てて。またどこかで小物の窃盗団でも現れた?」
「違います! 村の入り口、大外堀の跳ね橋のところに……とんでもない一団が到着しました!」
ナギの緊迫した声音に、私の心臓がドクリと跳ね上がった。
「一団……? 商人や観光客じゃないの?」
「違います……王都の紋章を掲げた黄金の馬車が何台も……そして、その周囲を固めているのは、精強な武装騎士たちです。……先頭に立っている男は、自らを『第一王子』と名乗っています。」
――第、一、王子?
その肩書を聞いた瞬間、私の脳内で警報音がけたたましく鳴り響いた。
カエサルではない。あの愚鈍で感情的な第二王子の上を行く、王国の正統なる後継者。政治的嗅覚に優れ、冷徹で、あらゆる権謀術数を我が物にしてきた――あの第一王子が、どうしてこんな辺境の、村なんかに?なんで……! なんでこのタイミングで……っ!?
私の背筋を、凍りつくような悪寒が駆け抜けた。
私は急いで身なりを整え、ゼノやソロンを伴って村の入口である大外堀へと急行した。
跳ね橋の向こうには、ナギが言った通り、太陽の光を反射して眩しく輝く豪華絢爛な馬車が何台も停車していた。周囲を取り囲むのは、銀色の鎧に身を包んだ精強な騎士たち。その威圧感は、前回のカエサルや窃盗団の比ではない。本物の「王国の暴力」が、そこに鎮座していた。
橋のたもとでは、村人たちが不安そうに遠巻きにその様子を窺っている。私は深呼吸を一つし、表情筋を「完璧な公務員スマイル」へと固定して、堂々と一歩前に出た。
「ようこそ、ナラク村改めアイリス・テラスへ。ここの領主、アイリスです。このような辺境の地に、王国の第一王子殿下が自らお越しになられるとは、一体どのような風の吹き回しでしょうか?」
私の問いかけに、先頭の馬車の扉がゆっくりと開いた。
降り立った男は、豊かな金髪を風になびかせ、冷ややかな、それでいてどこか値踏みするような美しい瞳を私に向けた。第一王子――名は確か、ルードヴィヒ殿下。カエサルとは似ても似つかない、鋭い知性と底知れぬ野心を宿した男だった。
「――ほう。君が、あの追放されたコンフォルト公爵家の令嬢アイリスか。」
ルードヴィヒ王子は、私の足元から頭のてっぺんまでをねっとりと見据えると、薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「噂には聞いていたがね。ゴミ捨て場のようなこの村を、まるで王都の商都のように変貌させるとは。その手腕、並大抵のものではない。……だがね、アイリス君。君は大きな勘違いをしているようだ。」
……やっぱり。褒め言葉の後に続くのは、決まって法外な要求か、理不尽な脅迫よなのよ。
私は心の中で冷ややかなため息をつきつつも、笑顔を微塵も崩さなかった。
「勘違い、でございますか? 私どもはただ、この荒れ果てた土地を耕し、自分たちの力で生活を立て直しているに過ぎませんが?」
「自分たちの力、ねえ?」
ルードヴィヒはフッと鼻で笑い、馬車のステップから軽やかに地面へと降り立った。彼の周囲に控える騎士たちが、威圧するように一歩前に踏み出す。ゼノが私の背後で不気味に目を細め、いつでも動けるように気配を殺したのが分かった。私はそっと手でゼノを制し、王子の言葉を待った。
「この国全土の土地は王家の地であり、そこで産出されるすべての富――あの『新緑のパタット・ドゥース』と名付けられた高級酒も、銀色の麻布『リアンドウ』も、そしてあの『ニュアージュドゥ』とやらの極上の寝具もすべては王家に帰属すべきものだ。それを、一介の追放された元貴族令嬢が勝手にブランド化し、莫大な富を私腹のように蓄えている……これは明らかな『王家財産の不法占拠および経済的背信行為』にあたる。」
――出たわね。法的根拠のねじ曲げと、国家権力を笠に着た「強奪」の論理。
私の胸の奥で、カチリとスイッチが入る音がした。
カエサルは感情的なバカだったけれど、この第一王子はもっと質が悪い。彼は力でねじ伏せるのではなく、「法律と権利」という名の綺麗な衣を着せて、この村のすべてを合法的に奪い去る気なのだ。
「お言葉ですが、ルードヴィヒ殿下。」
私は一歩も引かず、よく通る声で王子の言葉を真っ向から否定した。
「私がこの地に追放された際、当時のナラク村は陛下からの勅命を受けております。『一切の援助をしない代わりに、村に関するすべての権利と利益を私たちのものとする。』と明記されています。私たちが自らの血と汗を流し、知恵を絞ってこの土地を開墾し、価値を生み出したのは、すべて法に基づいた自活の成果です。それを今になって『王家のものだから寄越せ』などというのは、国家によるただの『強盗』ではありませんか。」
「――っ!」
周囲の騎士たちが、私の不敬な物言いに「無礼な!」と一斉に剣の柄に手をかけた。しかし、ルードヴィヒは片手を挙げてそれを制し、むしろ面白そうに唇の端を吊り上げた。
「面白い。追放された女が、これほど牙を剥くとはね。君の言う通り、かつての書類上は確かに放棄された地かもしれん。だがね、アイリス君……法律というものは、時の権力者の解釈一つでどうとでも書き換えられるものなのだよ?」
彼は私の目の前まで歩み寄り、冷酷な光をたたえた瞳で私を覗き込んだ。
「君のその頭脳と、この村の生産システムをすべて王家の管理下に置く。――幸い、我が国は今、隣国との軍事衝突の噂で財政が逼迫している。この村の全利益の 80% を王庫へ上納しろ。そうすれば、君がこの村の『代官』として管理を続けること認めてやろう。……どうだ、感謝したまえ。」
――全利益の 80% 上納?!
そんなことをすれば、私たちが血の滲むような思いで築き上げたインフラも、村人たちの生活を支える地域通貨のシステムも、すべてが一瞬で崩壊する。村人たちは再び飢え、過酷な搾取の底へと突き落とされることになる。
ふざけないで……! あなたみたいな王族の都合のために、この村の人たちの笑顔を奪わせるものですか!
怒りが頭のてっぺんまで昇りつめそうになったが、私は必死に理性の糸でそれを抑え込んだ。感情的に怒鳴り散らしたところで、相手は権力の頂点にいる人間だ。叩き潰されるだけ。必要なのは「感情」ではなく「論理と交渉、そして計算」だ。
「……お断りします。」
私はあえて穏やかに、しかしはっきりとそう告げた。ルードヴィヒの瞳の色が、スッと冷たく変わった。
「断る、と言ったか?」
「ええ。私たちが築いた富は、王家の慈悲でもなんでもありません。この村に生きる人々が、泥をすすり、知恵を出し合って勝ち取った『権利』です。それを一方的に奪うというのであれば――私どもも、この村の防衛力と、全商圏を挙げて徹底抗戦する構えです。」
「ほう……? たかが辺境の村の寄せ集めが、王国の騎士団に勝てるとでも思っているのか?」
ルードヴィヒが手を軽く振ると、背後の騎士たちが一斉に抜剣し、殺気を放った。村の入口で様子を見ていたナギや自警団の面々が、一斉に腰の棍棒と警笛に手をかけ、一触即発の空気が周囲を支配する。
――その時だった。
「――そこまでにしていただけませんか、第一王子殿下。」
重く、低く、そして底知れぬ圧力を秘めた声が、ピンと張り詰めた空気の中に割り込んだ。私の背後から、ゼノがゆっくりと歩み出てきたのだ。彼はいつもの気だるげな様子を消し去り、その両の瞳に鮮烈な魔力を宿らせていた。
「あなた達は昔から変わりませんね。高慢な態度と、権力を振りかざして弱者を痛めつける。……これ以上うちのお嬢に不愉快な口を利くなら、そのきらびやかな馬車ごと、この堀の底に沈めるぞ?」
「……貴様!なんだ、その小口の利き方は。」
「無礼者め!」
第一王子の側近の騎士が怒声を上げ、ゼノに向かって斬りかかろうとした瞬間――。
ズズッ……!!
ゼノが一歩、地面を踏み鳴らしただけで、周囲の空間の重力が何倍にも跳ね上がったかのような圧倒的な魔力圧が爆発した。抜剣しようとした騎士たちの体が床に押さえつけられたように硬直し、冷や汗を流して一歩も動けなくなったのだ。
「っ……! こ、この魔力は……! まさか、お前は……!」
ルードヴィヒの顔から初めて余裕の笑みが消え、恐怖に満ちた青ざめた表情に変わった。彼の元にも元魔法工作兵であるゼノのただ者ではない実力は伝わっていたらしい。
「前方にばかり注意を向けていると周辺警戒がおろそかになるのは愚の骨頂ですよ?」
畳みかけるようにソロンが騎士たちを取り囲むように魔力を充満させていく。
「!!…貴殿は!帝国の……ッ!?なぜ、こんなところに!?」
「少々ご縁がありまして。今はこの村に根を下ろさせていただいてます。」
ソロンがいるのは想定外だったようでルードヴィヒの顔が歪んでいく。そして騎士たちに動揺が広がった。私はゼノの腕にそっと手を添え、彼を下がらせると、ソロンにも目で下がるように伝える。そして再びルードヴィヒ王子にまっすぐな視線を向けた。
「ご覧の通りです、殿下。私たちには、この村を守るための『武力』も『知恵』もあります。そして何より、王都の貴族たちが忘れている『連帯の絆』があります。王家が武力でこの村を奪いに来るというのであれば……私たちは王国のどの商都とも交易を断絶し、このアイリス・テラスを完全に独立した『要塞都市』として封鎖する覚悟です。」
「……っ、君は自分が何を言っているのか分かっているのか!? 王国に反逆するつもりか!」
「反逆ではありません。『防衛』です。」
私は凛と胸を張り、公務員としての、そしてこの村の指導者としての誇りを込めて言い放った。
「私たちが納めるべき正当な税は支払います。けれど、不当な搾取と強奪には一歩も引きません。……本日はお引き取りください。これ以上踏み込むというのであれば、私共が、あなた方に『強力なおもてなし』をすることになりますので。」
ルードヴィヒは歯噛みし、私と、そして背後に控える圧倒的な魔力を放つゼノを交互に睨みつけた。その横には帝国の元魔法師団長であるソロンも控えている。ここで全面戦争になれば、精強な騎士団といえどもタダでは済まないし、何より王宮での政治的立場が危うくなることを彼の計算高い脳が理解したのだろう。
「……いいだろう、アイリス。今日のところは引き下がる。だが、王家を敵に回した代償がどれほど重いか、そのうち身をもって思い知らせてやる!」
ルードヴィヒは悔しそうに吐き捨てると、部下たちに撤退を命じた。
黄金の馬車が凄まじい砂煙を上げて王都の方角へと引き返していくのを見送りながら、私はようやく、張り詰めていた糸が切れたように深く息を吐き出した。
ふぅ……勝ったわ。でも、これは一時的なものに過ぎない……。
第一王子を追い返したということは、我が村は本格的に「国家の敵」としてマークされてしまったということだ。これからは、単なる経済的自立だけでなく、政治的・軍事的な防衛網をさらに強固にしなければならない。
「アイリス様、大丈夫かですか?」
心配そうに声をかけてくれたナギや、ソロン、背後で腕を組むゼノの顔を見渡すと、私の胸に再び熱いものがこみ上げてきた。
「ええ、問題ないわ。……みんな、よく持ちこたえてくれたわね。」
私はキュッと拳を握りしめ、遠ざかる王子の馬車を見据えながら、心の中で強く誓った。
王家がどんな手を使ってきても、絶対にこの村の平和と、みんなの笑顔は渡さないわ。――受けて立つわよ、第一王子!
村の戦いは、経済のステージから、ついに王国全体を巻き込んだ政治と知略のステージへと、新たな局面を迎えるのだった。
「――相手は、理不尽を『法』の形に塗り替えて振るってくる。次の手は武力じゃないわ。」
領主室の大型長机。羊皮紙と地図が所狭しと広げられた作戦室で、私は愛用のペンを机にコツンと叩きつけた。窓の外では、夕闇に包まれつつある村の穏やかな風景が広がっている。大外堀を静かに水が満たし、マカダム舗装された道を自警団の青年たちが警備して戻ってくるのが見えた。けれど、私とソロン、ゼノ、そしてカイル、ナギの5人が囲む空間には、張り詰めた緊張感が漂っていた。
「アイリス様の仰る通りです。」
ソロンが冷ややかな手つきで眼鏡のフチを押し上げ、数値を殴り書いた何枚もの計算用紙を提示した。
「第一王子ルードヴィヒが退散してから三日。我が村への直接的な武力行使は確認されていません。しかし、王都周辺の主要関所において、我が村の商標である『ドゥ・シリーズ』および『フォリア・ブランカ』を積んだ商隊への不審な臨検が急増しています。……本格的な『経済封鎖』の予兆です。」
「経済封鎖……っ。王都がうちの品物を買い叩くどころか、売ることすら禁じるってことですか!?」
カイルが拳を握り締め、悔しそうに声を上げた。
そう、ルードヴィヒのような洗練された権力者が使う最悪の一手――それは、我が村の息の根を物理的に止めるのではなく、流通という『血流』を止めて絞め殺すことだ。
「ええ。王都の市場からうちの製品を締め出し、うちへ入る外貨を完全に遮断する気よ。利益が途絶えれば、私たちが推し進めているインフラ整備も、村人たちの生活保障も破綻する。そうして村が疲弊し、内側から崩壊したところで『救済』と称して吸収する……多分それが奴の筋書きよ。」
「……けっ、気に入らねぇな。」
壁にもたれかかっていたゼノが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「いっそのこと、俺が王都の関所ごと吹き飛ばしてきてやろうか? 荷物が通れねえなら、道を更地にしてやりゃいいだろ。」
「ダメよゼノ。そんなことをしたら、それこそ王家に『反乱軍』という大義名分を与えてしまうわ。私たちが戦うべき土俵は、力ではなく『構造』よ。」
私は地図の上に置いた赤インクの壺を引き寄せ、王都を囲む主要な交易路の上にどんと置いた。
「王都がナラクの品を禁止するなら、結構じゃない。――『王都以外』のすべてを、私たちの味方につけるわ。」
――時を同じくして、王都。
重厚な真鍮の装飾が施された第一王子ルードヴィヒの執務室では、ワイングラスを傾ける王子の前に、密偵の男が膝をついていた。
「……報告します、ルードヴィヒ殿下。アイリス・テラスの『追放令嬢』アイリスは、村の周辺警備を維持したまま、大規模なインフラ工事を継続中。動揺の気配はありません。」
「ふむ……強がっているな。」
ルードヴィヒは優雅にワインを喉へと流し込み、冷酷な笑みを浮かべた。
「あの女は優秀だ。だが、優秀すぎるがゆえに『市場』という逃げ場のない檻の恐ろしさを分かっていない。……関所での押収は済んだか?」
「はっ。王都へ向かう主要街道三箇所にて、アイリス・テラス産の『黄金酒』、『絹のような麻布』および『ハーブ石鹸』を『違法な粗悪品・危険物』としてすべて押収。違反した商人には重税と禁錮刑を課すお触れを布告いたしました。」
「上出来だ。」
ルードヴィヒは立ち上がり、巨大な王国全図の前に立った。アイリス・テラスの領域を、細長い指で冷たく撫で下ろす。
「富というものは、流れて初めて価値を生む。王都という最大の消費地を奪われたあの村は、数ヶ月と持たずに積み上がった在庫の山に埋もれて自滅する。……だが、それだけでは甘いな?」
ルードヴィヒの瞳に、底知れぬ暗い光が宿る。
「第一に、手下の隣領公爵に命じ、村が引いている水源の『水利権主張』を行わせろ。『無断で王家の水脈を奪った』として毎月莫大な賠償金を請求させ、応じなければ水路を埋め戻す圧力をかける。第二に……あの村の中に潜ませた工作員に動かせ。『昔からの貧しい村人』と『後から入ってきて甘い汁を吸う職人』の対立を煽れ。外からの兵糧責めと、内からの不信感……奴が誇るその高い鼻を、完膚なきまでに叩き折ってやる。」
――数日後、アイリスの執務室。
「……王都が封鎖してくることは、最初から織り込み済みよ。」
私の言葉に、ソロンが不敵な笑みを漏らした。彼の手元には、すでに王都を経由しない「新しい物流ルート」の試算が完成していた。
「アイリス様、すでに隣領の地方領主三家、および沿岸部の自由都市の商人ギルドへ密書を送ってあります。王都で『禁止』されればされるほど、人間というものはその品を欲しがる……『限定性と希少性』の創出です。」
「その通りよ、ソロン!」
私は地図の上に、王都を大きく迂回する緑のラインを指で引いた。
「王都のお偉いさんたちが禁輸令を出せば、王都の貴族や令嬢たちの間で『手に入らない幻の高級品』として『ドゥ・シリーズ』の価値は跳ね上がるわ。それを裏ルート――つまり闇市場を通じて、通常の三倍の価格で流す。王都の金持ちからは、これまで以上の暴利を貪ってやるのよ!」
「ぶっ……! 三倍!?」
カイルが目を丸くしてひっくり返りそうになった。
「そして同時に! 表のルートでは、王都を無視して『アイリス・テラス広域自由貿易同盟』を発足させるわ!」
私は新しく導入した「二頭の馬」のミニチュア駒を地図の上に置いた。
「この馬たちを使って、王都の搾取に苦しんでいる周辺の貧しい村や地方領主へ、我が村のサツマイモの種芋と、マカダム舗装の簡易技術、そして輪作のノウハウを無償で提供するの。彼らに『村と手を組めば飢えずに豊かになれる』と実感させる。……つまり、王家に対抗できる『地方創生連合』を私たちが主導して作り上げるのよ!」
「なるほど……!」
ソロンの目がギラリと光った。
「王都一つを孤立させる逆封鎖ですね。王都が我が村を潰そうと圧力をかければかけるほど、周辺の地方領主たちが『自分たちの利益を守るため』に我が村の盾となって王家に反発する……見事な政治的牽制です。」
「ふん……相変わらず、考えることがエグいな、お嬢は。」
ゼノが呆れたように、けれど心底嬉しそうに口の端を歪めた。
「それじゃあ、 水道の横取りだの、村の中を荒らそうとしてくる王都のコソ泥どもはどうしますか?ここ数日で何度もいざこざが起きています。」
「それについても折り込み済みよ。」
私はナギに向かって頷いて見せた。
「水利権の言いがかりに対しては、大外堀が『防災と生態系保護のための環境保全施設』であるという古代法規の抜け穴を突いた書状を叩き返して調停を突っぱねる。そして内側のスパイ工作に対しては――ナギ、あなたたちの出番よ。」
「はいっ!」
ナギが深い藍色の制服の胸を張り、力強く答えた。
「自警団はすでに、観光客や難民の中に紛れ込んできた不審者のリストアップを完了しています。スフォルたちが夜闇に紛れて、一人残らず『捕縛用の縄』でお縄にしてみせます!」
会議が終わり、夜の静けさが領主室を包み込む中。私は一人、窓辺に立って冷たい夜風を頬に受けた。
ルードヴィヒ……あなたは王家の権力と『法』で私を叩き潰せると思っているのでしょうけれど。
遠くの丘を見やれば、昼間に見た一面の「菜種畑」が、月光を浴びて静かに揺れていた。
あの一つひとつの花が、いずれ油となり、肥料となり、村の未来を照らす灯りとなる。泥にまみれて仔牛を取り上げたバルトさんの温かい手、キルティングコートを誇らしげに着るナギたちの瞳、そして『ナラク手形』を握りしめて安らぐ村人たちの笑顔――。
前世の知識だけで作った歪な箱庭ではない。ここは今や、人々が汗を流し、絆を紡ぎ、自らの足で立ち上がった「生きている都市」なのだ。私たちが作ってきたのは、単なる商品じゃないわ。……『生きるための誇り』よ。それを、机上の空論しか知らないあなたなんかに奪わせるものですか!
カツン、カツンと、夜の街道から自警団の規則正しい足音が聞こえてくる。
王宮で張り巡らされる陰湿な蜘蛛の巣と、アイリス・テラスで解き放たれる広域の経済戦略。見えない盤上の駒が、今、カチリと音を立てて動き出そうとしていた。
「さあ……王様のチェス盤を、ひっくり返してあげるわ。」
私は手帳を固く閉じ、夜闇の向こうにある王都に向かって、不敵な笑みを深く刻み込んだ。
この後、21時に次話を投稿します。




