18.ハイエナ達の来訪と「揺るぎない我が家」
とある昼下がり。馬の嘶きが聞こえて執務室の机から腰を上げる。窓を覗き村の入口へと続く舗装道路を見下ろしながら、私は冷え切った紅茶を一口啜り、深く溜息をついた。
「…やっぱり…来るんだ…。」
視線の先には、豪奢な装飾が施された四輪馬車。その後ろには、威圧感を隠そうともしない三十人ほどの重装騎士団が隊列を組んで進んできている。馬車の扉に刻まれているのは、嫌になるほど見慣れた意匠——コンフォルト公爵家の双頭の鷲の紋章だ。村の門で跳ね上げ橋の警備をしている自警団の若者が何やら、話しているが、あの人の事だから無理やり入ってくるだろう。
前世で地方創生公務員として働いていた頃、一番厄介だったのは『成果が出始めた途端に口を出してくる役所の無能な幹部』だったけれど。まさか異世界に転生してまで、まったく同じ構図に悩まされることになるとはね。
「アイリス様、顔色が悪いようですが……あの方々は?」
隣に立つソロンが、丸眼鏡を指で押し上げながら静かに尋ねてきた。手元には分厚い羊皮紙のファイル。相変わらず仕事が早くて助かるわ。
「…私の腹違いの兄、ルシアン・コンフォルト公爵令息よ。それと、実家の冷徹な家令ヴァルター。……まあ簡単に言えば、私が身分はく奪されて追放された時も私のことを『公爵家の恥晒し』として傍観して送り出した人達ね。…まぁ、今はただの他人だけど。」
「なるほど。『果実が熟したのを見て、樹ごと奪いに来たハイエナ』というわけですか。」
「ふふ、言い得て妙だわ。」
私はくすりと笑った。
ほんと、現金な奴ら。私が追放された一年前、この村がどうだったか覚えているかしら? 土壌は大腸菌と汚水で汚染され、収穫できるのは家畜の餌同然の雑草だけ。村人は飢えと病気で死んだ目をして、明日の生活すら諦めていた。それを——…。
視線を村の全景へ巡らせる。
ゼノの魔法と物理学を駆使して張り巡らせた地下下水道システム。私とナギ、カイたちが泥まみれになりながら育て上げ、今や特産品となったサツマイモの畑。公共浴場に、子供たちの元気な声が響く学校。
そして何より、自分たちの手で生活を変えたのだという自負に満ちた、村人たちの明るい笑顔。
この場所は、私の血と汗と、前世の知識と、何よりこの村の仲間たちと一緒に作り上げた『作品』なのよ。土足で踏み荒らして奪っていっていい理由なんて、世界のどこを探しても存在しないわ。
「おう、お嬢。ずいぶん大層な客が来たじゃねーか?」
背後から、がさつな声が響いた。振り向くと、作業着の上に魔法触媒を組み込んだ簡易アーマーを羽織ったゼノが、肩に巨大な魔導試作砲を担いでやってくる。後ろには、ナギとカイを筆頭とした自警団の若者たちが、寸分の乱れもない陣形で続いていた。
「ゼノ、なんな?の物騒なものは。」
「ハッ、相手は王都の気取った公爵家の騎士様だろ? これくらい見せてやらなきゃ、田舎だと思って舐められるからな。……で、本気でやるんだな、お嬢?」
ゼノのニヤリとした笑み。その瞳には、かつて王国軍の追放組として腐っていた頃の陰りは欠片もない。今の彼は、自分たちの技術と生き場所に絶対の誇りを持っている。
「当然でしょう? 奪われるために汗を流してきたわけじゃないもの。……さあ、お客様をお出迎えに行きましょうか。」
私はアルテ特性のドレスの裾を優雅にはためかせ、階段を降り始めた。
さあ、お兄様。公爵家の『落ちこぼれ』が作ったこの国の味、存分に味わってもらうわよ!
村の広場の中央で、馬車が止まった。
従者が恭しく扉を開けると、そこから降りてきたのは、金刺繍が眩しい豪奢な衣装に身を包んだ青年——私の兄、ルシアンだった。その後ろには、白髪をきっちりと撫でつけた老家令ヴァルターが控えている。
ルシアンは馬車を降りるなり、ハンカチで鼻を覆い、露骨に嫌そうな顔をした。
「うっ……なんだこの村は。泥臭い田舎の臭いがすると思ったが……いや、待てよ?」
ルシアンが周囲を見回し、目を見開いた。
舗装された綺麗な石畳。整然と並ぶ組み木の住宅。石畳の端には下水用の側溝が整備されており、悪臭など一切しない。それどころか、遠くの醸造所から漂う芋焼酎の芳醇な甘い香りと、人々の活気が空間を満たしていた。
「な、なんだこれは……? 噂には聞いていたが、ただの極貧の廃村だったはずだろう……!?」
ふん、驚いたでしょう? あなたたちが『ゴミ捨て場』として私を放り捨てた土地が、いまや王都の商業都市よりも衛生的な街になっているんだから。
私は心の中でドヤ顔をしつつ、淑女の完璧な微笑みを貼り付けて一歩前へ出た。
「お久しぶりです、コンフォルト小公爵様。ヴァルターも。遠路はるばる、このような辺境まで何のご用でしょうか?」
ルシアンは一瞬、私の姿を見て言葉を失ったようだった。
追放された時の私は、惨めで、おどおどとして、絶望に打ちひしがれた少女だった。しかし今の私は、日焼けこそ防いでいるものの、引き締まった顔つきと、大勢の領民を率いる者としての威厳を纏っている。それに、もう、貴族ではない。コンフォルト公爵家とはかかわりないただの「アイリス」なのだ。
だが、すぐに彼は傲慢な態度を取り戻し、鼻で笑った。
「ハッ、なんだその生意気なツラは。……まあいい。アイリス、単刀直入に言おう。この村で起きている『奇跡』の噂は王都まで届いているぞ。魔法による病気の撲滅、不毛の地での奇妙な芋の大収穫、そして高値で取引されるとかいう『黄金酒』……すべてお前が何だか知らんが、小細工弄して作ったそうだな。」
「小細工ではなく、正当な経営と技術開発の結果ですが?」
「口を挟むな!」
ルシアンが怒鳴り、後ろの家令ヴァルターが恭しく一歩前へ出て羊皮紙を広げた。
「アイリスお嬢様。公爵家当主、およびルシアン様からの命をお伝えいたします。——本日をもって、この地における一切の管理権および所有権を本家へ返還していただきます。」
はい来たわー。『管理権の返還』ね。予想通りすぎて欠伸が出そうだわ。
「返還、ですか? ここは私が追放された際、事実上の全権を委ねられた土地ですが?」
私の発言を即座に「戯れ言を!」とルシアンが吐き捨てた。
「お前はコンフォルト公爵家の血を引く者だ。お前が作った技術、得た利益、建設した設備、そしてこの村そのものが、すべて公爵家の財産なのだ! 追放された身でありながら、これほどの富を抱え込むなど言語道断! よって、お前は管理不行き届きおよび本家への背任につき、領主代理を解任する!」
『管理不行き届き』? どの口が言ってるのかしらね! あなたたちが捨てて放置していた土地を、ここまで復興させたのが誰だと思ってるのよ! 利益が出たと分かった瞬間にハイエナみたいに群がってきて、全部掠め取ろうなんて……相変わらず思考回路が浅はかすぎて吐き気がするわ!
心の中で冷ややかに毒づきながら、私は表面上、困ったように首を傾げてみせた。
「解任……ですか。ですが、私がいなくなれば、この村のインフラや農業の維持はどうされるおつもりで?」
「ハッ! 決まっているだろう!」
ルシアンは下卑た笑みを浮かべ、村の広場を指刺した。
「この豊かな畑も、酒の醸造施設も、すべて本家から派遣する監督官が管理する。村人どもにはこれまで以上に働いてもらい、作物はすべて王都へ送って公爵家の財政を潤すのだ。お前のような落ちこぼれにできたのだから、本家の優秀な人間が管理すれば十倍の利益が出る! お前は用済みだ、さっさと荷物をまとめて出て行け!」
……救いようのないバカね。技術も、人間のモチベーションも、維持管理のコストも何も理解していない。ただ『金を生むニワトリ』に見えているだけ。こんな奴らにこの村を渡したら、一ヶ月で畑は枯れ、下水道は詰まり、村人は再び絶望の中に叩き落とされるわ。
私は静かに息を吐き、隣のソロンに目配せをした。
「……ソロン、お願い。」
「畏まりました、アイリス様。」
ソロンがすっと前に出た。その手には、一枚の古びた羊皮紙が握られている。
「な、なんだお前は。無礼者め、引っ込んでいろ!」
ルシアンが不快そうに手を振るが、ソロンは意に介さず、眼鏡の奥の瞳を冷ややかに光らせた。
「コンフォルト小公爵様、ルシアン殿。私は当自治領の最高財務および法務最高顧問を務めております、ソロンと申します。……先ほどのお話、法的にあまりにも穴だらけであり、聴くに耐えませんでしたので失礼させていただきます。」
「何だと……!?」
「まず第一に…。」
ソロンは羊皮紙をルシアンの眼前に突きつけた。
「これは一年前、アイリス様がこの地に赴任される際、この村に届けられたこの国の国王陛下からの勅命です。——『アイリス・コンフォルトは公爵家から除籍し、貴族の身分と権利をはく奪する。また、一切の援助を絶つ代わりに、この土地の全権をコンフォルト公爵家より平民アイリスに譲渡する。該当地域のあらゆる権限、産物、および将来的な利益の帰属は、全面的にアイリス個人に譲渡される。』と。」
ルシアンとヴァルターの顔色がサッと変わった。老家令は素早くその書面を注視し、焦りを滲ませる。
驚いたでしょう? 追放された当時、私ですら知らなかった。陛下からこの村に来ていた勅命。あの身勝手な陛下の事だ。コンフォルト公爵家当主に相談もなく独断でここに送り付けたのだろう。
「くっ……! た、たとえそんな書類があろうと、本家の決定は絶対だ! 親の財産を子が相続するのは当然だろう!」
ルシアンが苦しい弁明を叫ぶが、ソロンは呆れたように溜息をついた。
「第二に、現在のこの地域は、単なる公爵家の私有地ではありません。我々は先月、隣国および周辺の主要商工会と『直接通商条約』を締結いたしました。この地の特産品である黄金酒と呼ばれる『新緑のパタット・ドゥース』および『澱粉』は、すでに国際貿易品目として登録されています。」
ソロンの口元が、悪魔のような笑みを刻む。
「つまり、公爵家が法的根拠なくこの土地の権限を強制収奪した場合……それは『我が国の公爵家が、隣国との正式な通商条約を侵害し、国際経済秩序を乱した。』とみなされます。当然、隣国からは苛烈な経済制裁と抗議が本家へ突きつけられることになりますが……ルシアン殿、その責任をお一人で背負うご覚悟はおありですか?」
「な……に……!?」
ルシアンの顔から一気に血の気が引いた。
素晴らしいわ、ソロン! 単なる国内の法律論じゃなく、隣国との通商条約っていう『国際問題』にすり替えてスケールをでかくしたわね! 王都の貴族が一番恐れるのは、他国からの政治的・経済的圧力だもの。ルシアン兄様の頭じゃ、これがハッタリ(脅し)か本気かの判断すらつかないはずだわ!
「ぐ、ぐぬぬ……! 黙れ黙れ黙れぇい!」
窮地に追い込まれたルシアンは、ついに理性を失って顔を真っ赤にし、腰の剣を抜いた。
「屁理屈をこねおって! 騎士団、者共かかれ! こんな泥棒ども、力ずくで叩き潰せ! アイリスを捕らえよ!」
「はっ!」
三十人の重装騎士が一斉に剣を抜き、重厚な金属音を響かせて前進し始めた。
……やれやれ。理屈で勝てなくなると、すぐに力作戦に出るんだから。本当、成長しない男ね。
私は少しも慌てず、口元に手を当てて軽く合図を送った。
「ゼノ。」
「へいへい、お待ちかねだな!」
重装騎士たちが踏み出そうとしたその瞬間——。
ズドォンッ!!
猛烈な衝撃波と、空気を引き裂くような高音の魔法光が、騎士団の足元数センチの石畳を砕き割った。
「ひっ……!?」
「馬が……馬が暴れる!」
騎士たちの足並みが一瞬で崩れる。煙が晴れた先には、巨大な魔導試作砲を構えたゼノと、完璧な二列横隊を組んだ十人の「自警団」が立ちはだかっていた。
自警団の若者たちが手にするのは、ゼノが新開発した最新式の『魔導散弾杖』。先端に凝縮された火と風の魔力が、不気味なバチバチという音を立てている。
「おいおい、気取った騎士様方?」
ゼノが肩に担いだ魔導砲の筒先を、青ざめるルシアンの額へ一直線に向けた。その瞳には、かつて王国軍の第一線で修羅場をくぐり抜けてきた本物の武人の威圧感が宿っている。
「俺たちの前で、俺たちの『雇い主』に剣を向けようってのか? いい度胸じゃねえか。」
「お、お前は…!!?ゼ、ゼノ……!? お前、元王国軍の『砕鉄の魔導兵』と呼ばれたゼノ・ブランフォードか!? 」
「砕鉄…?冗談だろ、あの男は一人で重装騎士団の陣地を圧し潰したっていう、あの『砦喰らい』の化け物か!?なぜお前がこんな辺境に……!?」
騎士団の男たちが、ゼノの顔を見て恐怖に声を震わせた。
あら、ゼノって王都の騎士団にはそんな有名人だったのね。まあ、魔法と土木と兵器開発を一人でこなす化け物だもの、知られていて当然か。…そんな人材を穴掘りに使うって…もしかして、ものすごくもったいないことしてる…?
ゼノはニヤリと不敵に笑い、親指で私を指刺した。
「悪いがな、騎士様。俺たち自警団にまともな飯を食わせて、最新の魔導兵器の予算をくれて、何より俺たちの技術を『最高だ』って認めて給料を払ってくれてんのは、あのお嬢様なんだよ。あんたら公爵家から一銭ももらった覚えはねえんだ。」
ゼノの背後で、ナギとデフィが身構える。
「そうだぞ! アイリス様に手出ししてみろ、タダじゃおかねえ!」
「俺たちの村を荒らす奴らは、全員肥やしにしてやる!」
訓練し尽くされた自警団の殺気に押され、王都の騎士たちはたじろぎ、じりじりと後退し始めた。装備の豪華さでは勝っていても、「守るべきもの」を持つ者の覚悟の差は歴然だった。
「くそっ、武力で抵抗する気か! 叛逆だぞ、全員処刑だ!」
本当に、往生際が悪いわね。これ以上長引くと、村の広場の石畳が傷ついちゃうじゃないの。
私が前に出ようとした、その時だった。
「——おい、お前ら! アイリス様に何してやがる!!」
ドス声の叫びが広場に響き渡った。
見守っていた村人たちの人垣が割れ、そこから手に手に『武器』を持った村人たちが怒涛の勢いで雪崩れ込んできた。
「な、なんだ!?」ルシアンが悲鳴を上げる。
先頭に立つのは、村長の息子で猟師のロイドだ。その手には、弓矢をもち、持ち研ぎ澄まされた切っ先がルシアンに向けてられている。後ろには、鎌を持ったナギの母親、大斧を担いだアイトに大工の男たち、さらにはスープの鍋と煮えたぎる油を持った主婦たちまで、多くの村人が広場を埋め尽くした。
「ロイドさん!? みんなどうして……! 自警団が抑えているから大丈夫よ!」
私が慌てて止めようとすると、ロイドが振り返り、泥と汗にまみれた顔で笑った。
「アイリス様、すいません。ここは俺たちの村だ。あなた様一人にカッコつけさせるわけにいきませんよ!」
ロイドはルシアンたちに向き直り、ギュっとつがえた矢を引き絞った。キリキリという高い音が広場に響く。
「おい、王都の威張ったお貴族様方! よく聞け!」
村人の代表として、ロイドが腹の底から叫んだ。
「俺たちはな、お前たちが領主だった一年前まで飢えと病気でいつ死ぬかも分からねえゴミくずみたいな暮らしをしてたんだ! それを救ってくれたのは誰だ!? お前らか!? 違う! このアイリスお嬢様だ!」
「そうだ! アイリス様のおかげで、うちの子は病気が治ったんだ!」
「お腹いっぱい美味しいご飯が食べられるようになったんだ!」
「学校で文字も教えてもらったんだ!」
村人たちの叫びが、波のように重なってルシアンたちに押し寄せる。
「お前らがこの村を奪って、お嬢様を追い出すってんならな……俺たちは今すぐ、この村の畑も、下水道も、醸造所も、全部自分たちの手で焼き払って逃げ出してやる!!」
「な、なんだと……!?」
ルシアンが絶句する。それでもロイドはつづけた。
「お前らには、灰一つ、芋一粒だって渡さねえ! 骨折り損のくたびれ儲けにしてやるからな! それでもいいなら、お嬢様を連れて行ってみろ!!」
「そうだ! 焼き払ってやる!」
「何一つも渡すものか!!」
次々に広がっていく村人たちの叫びと、圧倒的な怒りの渦。
……ああ、ダメだ…。
私は胸の奥が熱くなり、視界がじんわりと滲むのを止められなかった。
泣いちゃダメ。今は交渉の場なんだから。……私、この村を守るために頑張ってきたつもりだったのに。いつの間にか、こんなにもみんなに守られていたんだ。
公爵令嬢のアイリスだった私は、いつでも一人だった。両親や兄に振り向いてもらいたくて成果を出しても、冷ややかに見られることも多かった。愛してもらいたくて、我がままを言っても何も言われなかった。けれど今、ここにいる人たちは、私という人間を信じ、私の作ったこの場所を愛し、命がけで一緒に戦ってくれている。
……うん。決めた。
私は目元の涙を指先でぬぐい、深呼吸を一つした。
そして、怯えきって腰を抜かしているルシアンの目の前へ、静かに歩み寄った。
「ひっ……! 来るな、落ちこぼれが!」
ルシアンは尻餅をついたまま、地べたを這って後退ろうとする。かつての威風堂々とした姿はどこにもなく、ただの哀れな敗者に過ぎなかった。
私はルシアンを見下ろし、冷徹な、しかし絶対的な領主としての声を響かせた。
「お聞きになりましたか、小公爵様? これが、あなたたちが『ゴミ』として捨てたこの土地の、真の姿です。」
「くっ……お、お前……こんな野蛮人どもを唆して……!」
「唆してなどいません。私たちは信頼という絆で結ばれています。」
私はゆっくりと屈み込み、ルシアンの目の前で視線を合わせた。
「コンフォルト公爵に伝えなさい。——『アイリス・コンフォルトは死んだ』と。」
「……な、何だと?」
「私はもう、コンフォルト公爵家の人間ではありません。たとえコンフォルトの血が流れていようとも、あなたたちの財布でもありません。この土地は、ここに暮らす全ての人々のものです。もし次に、不当な圧力や武力をもってこの地に干渉しようとするならば……」
私はソロンとゼノを見やった。二人は力強く頷く。
「こちらも全力で、あなたたちを歴史の表舞台から引きずり下ろします。……冗談だと思わないことですわね?」
私の瞳に宿る本気の殺気と絶対の自信に、ルシアンは「ひぃっ……!」と短い悲鳴を上げ、ガタガタと震えだした。
「ヴァルター、この愚かな少公爵様を馬車に乗せて、さっさと王都へお帰りなさい。」
「……は、ははっ。承知いたしました、お嬢様…いえ、アイリス様。」
家令ヴァルターは深々と頭を下げ、腰を抜かしたルシアンを抱え上げるようにして馬車へと押し込んだ。騎士団も、追われるように武器を収め、崩れるような体勢で撤退を開始する。
黒い馬車が、逃げるように村の出口へと走り去っていく。
その背中を見送りながら、村の広場には一瞬の静寂が訪れた。
そして——。
「「「うおおおおおおおおおおっ!!! 勝ったぞぉぉぉぉっ!!!」」」
割れんばかりの歓声が、空を突き破らんばかりに響き渡った!
ハンスとカイが帽子を投げ揚げ、ゼノが満足そうに鼻を鳴らし、ソロンが穏やかな笑みを浮かべて拍手を送る。村人たちは互いに抱き合い、飛び跳ねて勝利を祝っていた。
「お嬢、よくやったな。」
ゼノが歩み寄ってきて、ガシガシと私の頭を雑に撫でた。
「ちょっと、ゼノ! 髪が崩れるでしょ!」
「ははっ、いいじゃねえか。 」
「アイリス様、素晴らしいお見事さでした」ソロンも眼鏡を拭きながら並び立つ。
「これで本家も、安易には手を出せなくなりましたね。」
「ええ。でも、これで本当の『決別』が済んだわ。」
私は二人を見つめ、そして広場で喜び合う村人たちを見渡した。
コンフォルト公爵家の令嬢としての私は、今日ここで完全に死んだ。でも、何の後悔もないわ。私には、こんなにも愛おしくて、誇らしい『自分の場所』があるんだから。
「ねえ、二人とも」
「ん? なんだ?」
「はい、何でしょうか?」
私は胸を張り、眩しい太陽を見上げた。
「ここはもう、単なる『貧しい村』でもなければ、公爵家の『辺境領地』でもないわ。私たちが作り、私たちが守り抜いた、私たちの『国』よ。」
二人が顔を見合わせ、そして最高の不敵な笑みを浮かべた。
「へっ……そうだな。なら、名前を変えなきゃな、お嬢。」
「ええ。他国の干渉を跳ね返す、我が独立自治領の新たな名を……!」
こうして、私たちは過去の呪縛を完全に打ち払い、未来へと続く第一歩を踏み出したのだった。
世界で一番豊かで、世界で一番幸せな『理想郷』を作るための、本当の物語は、ここから始まるのだ。




