17.新たな課題と春の息吹
よろしくお願いします。
★登場する建築・構造記述、およびその他はすべて作者の想像であり、実在する物とは異なりますのでご注意ください。
昨夜の窃盗団による襲撃事件は、幸いにもナギたちの優秀な立ち回りによって被害ゼロで解決した。けれど、領主室に戻った私の胸の中には、重い不穏な影が残っていた。
「……ナギたちの勇敢さには感謝しているわ。でも、自警団の『人肉の壁』に頼る防衛は長くは続かない。村が有名になり、富が集まるほど、第二第三の悪意が忍び寄ってくるわ。」
羊皮紙の上に描かれたナラク村の簡略図をみつめながら、私は溜息をついた。
王都のような頑丈な石造りの外壁(城壁)を作るという手もある。けれど、壁は村を圧迫し、人々を閉じ込め、何より建設には膨大なコストと莫大な時間がかかる。
「なあお嬢、城壁なんて無骨なもんを作ろうとしてんなら、やめとけよ。」
部屋の壁にもたれかかり、削り木をいじっていたゼノが、億劫そうに声を上げて歩み寄ってきた。彼は図面の上に指を走らせ、村の周囲をぐるりと円を描くように撫でた。
「壁を作るから侵入者が『登ろう』とするんだ。壁じゃなく、『掘る』んだよ。」
「……堀を作るの?」
「そうだ。村の周囲をぐるりと囲む『大外堀』だ。俺の物理破壊魔法と村人の手作業を合わせれば、壁を作る半分の期間で掘り上げられる。水を引き込めば、重武装の連中や馬はそう簡単に渡れねえ。」
ゼノの提案に、私の頭の中で一瞬にして幾重もの「行政的価値」が弾け飛んだ。
「……素晴らしいわ、ゼノ! ただの防衛線じゃない。水を引き込んで『運河』にすれば、重い荷物や木材を船で運べるようになるわ! 物流コストが劇的に下がるわよ!」
「……おい、俺は防衛の話をしてんだが…。」
「それに! 木造家屋が増えてきたこの村の防火用水路にもなるし、水辺の景観は将来やってくる観光客の心を癒やすわ。名付けて『大外堀』ね!」
呆れ顔のゼノを無視して、私はさらに構想を加速させた。
「ゼノ、堀の内側には『見えない壁』を作るわ。ただの土手じゃなく、美しい花が咲く生の生け垣を植えるの。……でも実はこれ、鋭いトゲと微弱な麻痺毒を持つ『有毒植物』で侵入者の足を止めるトラップにするのよ。」
「……お前、相変わらず見た目は華やかで中身はえげつねえ発想するな。気に入ったぜ。」
ゼノの「大外堀」のアイデアに触発され、私の中で温めていたもう一つのインフラ計画のピースが噛み合った。
「外側を堀で守るなら、村の中の『血流』も整えないとね。ソロン、村のメインストリートの舗装計画を許可して?」
書類の山から顔を上げたソロンが、眼鏡の奥の瞳を冷ややかに光らせた。
「舗装、ですか。石畳を敷き詰める予算も石材も、現在のナラク村にはありませんよ。」
「石畳なんて高級なものは使わないわ。私がやるのは『マカダム舗装』よ。」
「マカダム舗装…?」
「なんだそりゃ?」
私が描いた断面図を二人の前に突きつける。
「まず一番下に大きめの砕石(大きめの割ぐり石)を敷き詰めて土台を作り、その上に小さく砕いた石を敷く。仕上げに細かな砂利と泥を混ぜて、ゼノが作った重い鉄製ローラーで徹底的に転圧(締め固め)するの。最後に中央を少し高くして両脇に傾斜をつければ、雨水は勝手に側溝へ流れていくわ。」
ソロンが図面を覗き込み、細い指で計算を始めた。
「……なるほど。高価な石板を加工して敷き詰める必要がない。村の周りで採掘できる雑石を叩き割るだけで作れますね。耐久性と水はけが劇的に向上し、雨の日に馬車が泥にハマる事故が 90% 以上削減されます。」
「その通りよ。運河で外からの物流を引き込み、マカダム舗装の道路で村の中の流通を滑らかにする。これが、我がナラク村の『物流と防衛の完全体』よ!」
決まりとなれば、ナラク村の動きは早かった。
ゼノの指示のもと、男たちがツルハシを振るって巨大な溝を掘り進め、近隣の川から水を引き込んでいく。堀の内側には、アイリスの指示で密かに麻痺毒の生け垣が植え付けられていった。
一方で、村の街道では、砕いた石を敷き詰め、ゼノが魔法なしで鉄を叩いて作った重厚な「人力転圧ローラー」を、掛け声とともに引っ張る村人たちの姿があった。
「ゴロゴロ……ゴロゴロ……」
重い音とともに、あれほど雨のたびにドロドロの泥道が、硬く、平らで、水を弾く美しい「灰色の道」へと生まれ変わっていく。
「アイリス様! 見てください、泥がつかないです! カートを押すのもすごく軽いですよ!」
完成したばかりのマカダム道路の上で、子供たちが歓声を上げながら走っていた。
防衛のための「大外堀」と、物流を支える「マカダム道路」。ただの泥の集落だったナラク村は今、防衛力と経済性を兼ね備えた、近代的な「都市」としての骨格を確実に手に入れつつあった。
よし……これで外からの脅威にも、これからの物流増加にも耐えられるわ!
整地されたばかりの硬い道をしっかりと踏みしめながら、私は満足感に胸を膨らませていた。
ふふふ…。このインフラが完成したからこそ――私は安心して、ずっと後回しにしていた「あの作業」へと向かうことができる!!
寒さの峠を越え、冬の冷たい空気にほんのりと甘い春の匂いが混じり始めた頃。
私は久しぶりに、領主としての書類仕事も、ソロンとの無機質な数値計算も投げ打って、泥のついた作業着に袖を通していた。
……ああ、やっぱりこの感覚だわ。
長靴越しに伝わる、湿った土のやわらかな弾力。追放された当初、生き延びるためにがむしゃらに耕したあの泥は、冷たくて不気味で、どこか私を拒絶しているようだった。けれど今の土は違う。私たちが踏み固め、芋を育て、芽を吹き出させ、みんなの汗を吸い込んだこの土は、まるで生き物のように温かい。
これまで私は、村の領主として行政官としての「効率」や「経済効果」ばかりを追い求めてきた。下水道を作り、布を織り、石鹸を売る。村人を飢えさせないための「システム」を構築することに必死で、目の前にある暮らしの営みそのものを、どこか遠くから観察していたのかもしれない。
「人間は土から離れては生きていけないのよ。…なんてね~♪」
上機嫌でさつま芋畑へ向かっていくと「アイリス様! こっちです、無事に生まれましたよ!」遠くから若い村人の弾んだ声が聞こえ、私は思わず泥を跳ね上げながら走り出した。
村の東側に新設された、出来立ての小さな牧舎。
かつてのナラク村には、酪農に回せるだけの食料も土地の猶予もなかった。雌牛がたった一頭と、痩せた鶏が数羽。それだけがこの村の全財産だった時代を思えば、今の光景は夢のようだ。
サツマイモの栽培が軌道に乗り、村の食糧事情にようやく「余裕」という名の隙間が生まれたことで、私はずっと後回しにしてきた「酪農・畜産計画」を始動させたのだ。
甘い藁の匂いと動物たちの温かい体温が充満する牧舎に入ると、そこには以前の取引で新しく迎え入れた数頭の羊たちと、契約農家との行き来に欠かせない二頭の馬。そして、今まさに陣痛を乗り越えたばかりの雌牛が、生まれたての仔牛を優しく舐めている姿があった。
「うわぁ……可愛い……!」
思わず零れた私の声に、ぬかるんだ土を踏みしめて近づいてきた老人が、照れくさそうに口ヒゲをさすった。彼はバルトさん。昔、別の領地で畜産の経験がありながらも、ナラク村に流れ着いてからはずっと開墾作業に埋もれていた頑固親父だ。
「アイリス様、そっと触ってやってくだせえ。元気な牝です。」
仔牛はプルプルと細い足を震わせ、必死に立ち上がろうとしていた。私は膝をつき、まだ濡れている仔牛の頭にそっと手を触れた。温かい。脈打つ命の鼓動が、ダイレクトに掌へ伝わってくる。
「手慣れていらっしゃいますね、お嬢様にしては。」
バルトさんが絞りたての牛乳が入った桶を抱え、深くなった目尻のシワをほころばせる。
「実はね、バルトさん。昔……ううん、ずっと前、本で読んだ通りにやってみているだけなのよ。」
本当は前世で何度か経験していた。酪農も乳しぼりも…。はるか昔の事のように感じるのに手はしっかりとそのやり方も感覚も覚えている。
「ふふ、本でも何でもいいんですよ。最初にアイリス様が『牛や羊を増やして、いずれはチーズやバターを作りましょう。革や羊毛も余すことなく使いましょう』とおっしゃった時、正直、ワシら年寄りは呆れてました。『この奈落で何夢みたいなこと言ってんだ』ってね。」
バルトさんは桶を置き、ゴツゴツとした不器用な手で、私の手の上に自身の手を重ねた。粗利や数値しか見ない王都の貴族たちとは違う、泥と獣の匂いが染みついた、温かくて重い手だった。
「でも、違った。アイリス様は口だけじゃなく、いつもワシらと同じ泥まみれになって汗を流してくれた。今日こうして新しい命を迎えられたのも、みんなが温かい服を着て笑っていられるのも、全部あんたが諦めなかったからです。……今じゃこの村の誰も、あんたの言葉を疑う者はいませんよ。」
重ねられたバルトさんの手のぬくもりが、仔牛の体温と同じように胸の奥へと染み込んでいく。
追放された日の絶望、誰にも信用されず孤立していたあの孤独感。それらがすべて、温かい涙となって目頭に込み上げてきた。
ああ……私、この村の人たちに、本当の意味で受け入れてもらえたんだ……。ただの「便利な指導者」としてではなく、共に生きる仲間として。知識を押し付けるだけでは決して手に入らなかった「真の信頼」が、この臭くて温かい牧舎の中に満ちていた。
仔牛の誕生を見届けた帰り道、私は村を囲む広大な丘へと足を運んだ。
サツマイモを収穫した後、土の力を削ぎ落とさないための「輪作計画」の第一歩として、秋に初めて種を蒔いた「菜種」の畑だ。その横には新たなさつま芋畑が広がっていて、奥の去年収穫したさつま芋畑では大豆の種まきの為にオトンヌたちが鍬をもって耕している。
この土壌で菜種が育つのかとただの実験として植えたが、雪の下で静かに耐えていた緑の芽が、冬の終わりに差し込むやわらかな日差しを浴びて、一気に芽吹いていた。
「……すごい。」
視界の開けた丘の上から見下ろすと、そこには言葉を失うような光景が広がっていた。
見渡す限り一面に広がる、眩しいほどの黄色の絨毯。
まだ一度も収穫を迎えたことのない、初めての菜種の花が一斉に開花していたのだ。風が揺れるたび、甘く爽やかな香りが鼻腔をくくぐり、黄金色の波が丘全体を駆け抜けていく。
「綺麗ですね、アイリス様。」
いつの間にか隣に立っていたのは、深い藍色の自警団制服を着たナギだった。彼の首元には、昨夜の初陣を乗り越えた誇らしげな警笛が光っている。
「ええ、本当に……。……ねえナギ、この花が散ったら、初めての『菜種』の収穫が待っているのよ。この種を絞れば灯りの油になり、絞りかすは次のサツマイモや、これから挑戦する『麦』のための最高の肥料になるの。」
「へえ……! じゃあ、次は麦のパンが食べられるようになるんですか?オト―二が喜びそうだ!」
「ええ。それにね――見てごらんなさい。」
私が指さす先、村の入り口にある「大外堀」の跳ね橋の向こうには、噂を聞きつけて王都や隣領からやってきた馬車や旅人たちの姿があった。
彼らは一面に広がる初めての黄色い絶景に歓声を上げ、村の特産品である「クレスト・オブ・バタティス(石鹸)」や「新緑のパタット・ドゥース(芋焼酎)」を買い求めようと押し寄せている。
「ふふ、ナラク村が、本当に人が集まる場所になっていくわね。」
私は胸いっぱいに春の空気を吸い込んだ。
かつて貧困と飢えに苦しみ、誰からも見捨てられていた死の村。そこがいま、黄金の花に包まれ、命の鼓動と人々の笑顔であふれている。牧舎の方から、新しく迎えた二頭の馬が、春の訪れを祝うように高らかに嘶く声が聞こえた。あの馬たちに乗って、次はどこの村へ出かけようか。ナラク村で作った自慢のチーズや羊毛、そしてこの美しい村の物語を携えて。
私の仕事は、まだまだこれからね…。
泥のついた手で作業着のほこりを払い、私は最高の笑顔で、輝く黄色い絨毯の中へと足を踏み出した。
大外堀の工事が一段落し、マカダム舗装によって村の主要な街道が整えられたことで、ナラク村の生活基盤は劇的な安定を見せていた。
平穏な日。私はずっと胸の中で燻らせていた「ある計画」を実行に移すため、四人の男たちを引き連れて居住区から少し離れた東の森のふもとを歩いていた。
「おいお嬢様、こんな開拓もされてねえジメジメした森の端っこに連れてきて、一体何をする気だ? 畑にするにも木が多すぎるし、獣の気配もしねえが…….。」
不機嫌そうに肩をすくめながら歩いているのはゼノだ。彼の隣では、屈強な体躯を揺らしながらガンスとゲルマンが大きなツルハシやスコップを担いで続いている。そして、その少し後ろを、綺麗に折られた羊皮紙と木炭ペンを片手に、ソロンが冷ややかな目で周囲を観察しながら歩いていた。
「まあまあ、ゼノ。文句言わないの。すぐ分かるわよ。」
私は足を止め、鼻をくんくんと鳴らした。
――あ、間違いない。かすかに、だが確実に、あの鼻腔をくすぐる独特の刺激臭。
「……硫黄の匂いだ……っ!」
前世の記憶が、私の脳内で盛大にフラッシュバックした。忙しい役所仕事の合間に駆け込んだ温泉街の湯けむり、手足を伸ばした瞬間のあの全身の緊張がほどけるような極上の感覚。
この世界に転生して以来、私が心の底から恋しかったもの。それは美味しい食事でも贅沢なドレスでもなく、清潔な「お湯に浸かる文化」だった。この世界の人間は、基本的に水浴びや体を拭く程度で、入浴は貴族などのお金持ちしかできない生活している。庶民の衛生環境に至っては言わずもがなだ。毎日泥まみれになって働く村人たちの健康状態を考えれば、これは単なる娯楽ではなく、一刻も早く導入すべき「行政インフラ」なのだ。
「みんな、聞いて! この地下にはね、きっと眠っているのよ……大地からの最高の恵み、『温泉』がね!」
私が食い気味に両手を広げて宣言すると、四人の男たちは一斉にピタリと足を止めた。
「おんせん……?」
ガンスが太い眉をひそめ、頭の上に大きなてて疑問符を浮かべた。彼の隣でゲルマンも首を傾げる。
「聞いたこともねえ言葉だな。そんなもんがこの土の下に埋まってんのか? 鉱石か何かか?」
「違うわ、お湯よ! 地面の中から、温かくて、体が芯から温まる魔法の水が湧き出ているの!」
私の熱すぎる説明に、ソロンは静かに眼鏡のフチを押し上げ、冷ややかにため息をついた。
「アイリス様。お気持ちは分からなくもありませんが……村のインフラや農業生産、そして防衛網の整備が一段落したとはいえ、このような何もない森の奥を掘り起こし、ただの『温かい水』を溜める施設を作るなど、費用対効果の面で完全に非効率です。労働力の無駄遣いと言わざるを得ません。」
ソロンの正論に、ゼノも腕を組んで鼻を鳴らした。
「そうだぜ、お嬢様。ただの温水なら、鍋で湯を沸かして家でかぶれば済む話だ。わざわざ大がかりな施設をここに作って、一体どんなメリットがあるってんだ?」
ふん、この世界の男どもめ……お風呂の真の素晴らしさを知らないからそんな冷ややかなことが言えるのよ!
私はカッと目を見開き、元公務員のプレゼン能力と入浴の執念を総動員して、彼らに詰め寄った。
「甘いわね、ソロン! ゼノ!」
私はピシャリと指を突きつけた。
「第一に、この村には現在、専門の『医者』がいないのよ! 連日の過酷な開墾作業や土木工事で、村人たちの筋肉疲労や関節の痛みは限界に達しているわ。温泉の温熱効果と水圧による血行促進は、病気の予防や疲労回復において、どんな薬草よりも優れた医療的効果を発揮するの!」
「医療的効果……」
ソロンがわずかに目を細める。
「第二に、『娯楽と労いの場』よ!」
私はさらに声を大にした。
「毎日泥にまみれて働いている村人たちに、心からリラックスできる最高の『ご褒美』を提供することの意味が分かる? 人間、美味しいものを食べて温かいお湯に浸かって眠れれば、明日への活力が出血大サービスで湧いてくるのよ! 結果的に、労働生産性は跳ね上がるわ!」
ガンスとゲルマンが、ゴクッと唾を飲み込んだ。
「お湯に浸かるだけで……体が楽になって、明日からもっと働けるようになるのか……?」
「い、いや、毎日の労働の疲れが取れるなら、俺は正直めちゃくちゃ魅力的だと思うが……どうだ、ゲルマン?」
「ああ、冬場の寒さを想像したら、温かい水溜まりに入れるなんて夢みたいな話だぜ……。」
「でしょ!? 村の皆さんには、利用料金は30エン――いや、20エン程度の『格安』にして、誰でも毎日気軽に来られるようにするわ。もちろん、将来的に外からやってくる観光客向けの豪華な温泉宿も計画するけれど、まずは『村人のための共同浴場』を最優先で作るのよ!」
私の圧倒的な熱量と合理的な説得に、ソロンは渋々といった様子で羊皮紙にメモを走らせ、ゼノは呆れたように頭を掻いた。
「…なるほど…れっきとした福祉政策と労務管理だと言われれば、確かに反論はできませんね。分かりました。私の方で予算と動線の計算を組み直しましょう。」
「ヘッ、そこまで言われちゃ、やるしかなさそうだな。おい、ガンス、ゲルマン! お嬢を唸らせるデカい穴を掘るぞ!」
「おう、任せとけ!」
こうして、ナラク村の歴史的プロジェクト――「共同浴場建設計画」の幕が切って落とされたのである。
まずは温泉の採掘だが、場所の特定と地下の採掘だけは、ゼノの力が必要だった。
「仕方ねえ、掘り当ててやるよ。」
ゼノが片手を地面にかざし、微小な地殻変動を感知する魔法を使うと、わずか数分後、「……ビンゴだな、この真下だ。地下五メートルにアツアツの源泉が眠ってるぜ!」と不敵に笑った。
地下の硬い岩盤をゼノが魔法で安全に破砕し、源泉の通り道を作り出すと――そこから先は、一切の魔法に頼らない「純粋な男たちの肉体労働」が始まった。
「おいゲルマン、そっちの石組みをしっかり固定しろ! 崩れたらお湯が漏れるぞ!」
「分かってるって、ガンス! この頑丈な御影石をセメント代わりの泥と粘土でガッチリ固めてるんだ、水圧でやられるもんか!」
ゼノ、ガンス、ゲルマンの三人は、上半身裸になって汗だくになりながら、ツルハシを振るい、丸太を担ぎ、石を積み上げていった。
源泉から浴場へと温泉を引っ張るため、ゼノが削り出した木をくり抜いて作った「木製のとい(引湯管)」を丁寧に接続していく。さらに、温泉特有の硫黄成分や不純物を綺麗に濾過するため、ゲルマンが大量の砕石、木炭、川砂を幾層にも重ねた「特製濾過槽」を地下に組み上げた。
「ふう……どうだ、お嬢様! 設計図通りの『源泉掛け流し式・共同浴場』の骨組みが完成したぜ!」
煤と汗まみれになりながら親指を立てるゼノの背後には、ヒノキの香りがほのかに漂う、立派な石造りの湯小屋がその姿を現していた。
私は感動のあまり、胸の前で両手を固く握りしめた。
「素晴らしいわ……! これで濾過もバッチリ、温度調節用の水路も完璧よ!」
建物とインフラが完成したその日の夜。
領主室の明かりの下で、ソロンが腕を組んで深刻そうに唸っていた。
「……ハード面は完璧に整いました。しかし、アイリス様。ここからが最大の難関です。」
「難関? お湯はたっぷり湧いているし、建物も綺麗にできたじゃない。」
「問題は『人間の習慣』です。」
ソロンは冷徹な瞳を光らせ、ピシャリと言い放った。
「考えてもみてください。この村の者たちは、人生で一度も『毎日お湯に浸かる』という習慣を持っていません。そんな場所に突然『共同浴場ができました、どうぞ行ってください』と言って、素直に毎日通うでしょうか? むしろ『何か怪しい宗教施設ではないか』『タダより高いものはない』と警戒し、誰も寄り付かなくなる可能性があります。」
「っ……!」
私はハッとした。現代日本なら「お風呂=最高」の共通認識があるけれど、異世界の労働者階級にとって、お金を払ってわざわざお湯に浸かる文化など未知の領域だ。下手すれば「ただの贅沢なサボり場」として敬遠されかねない。
「さすがソロン、目の付け所が鋭いわね。……で、どうすれば村人たちに自然と毎日通う習慣をつけさせられると思う?」
私の問いかけに、ソロンは不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……心理誘導と社会的インセンティブの活用です。」
彼はスラスラと羊皮紙に計画を書き殴りながら説明した。
「第一に、労働の構造改革です。夕方の作業終了時間を一律で一時間早め、その直後の時間帯を『健康増進・衛生管理義務時間(事実上の入浴推奨タイム)』に指定します。さらに、自警団のナギや我々管理職が率先して毎日一番風呂に入り、その快適さを村人たちの前で大々的にアピールするのです。」
「なるほど、『上の人間が当たり前のようにやっている姿』を見せるわけね!」
「第二に、『入浴と飲食のセット戦略』です。風呂上がりに、冷えた甘いサツマイモの冷やし汁……名付けて『湯上がりミルク・ポテトドリンク』を特別価格で提供する屋台を浴場の隣に配置します。人間、風呂上がりの乾いた喉には勝てません。これで一網打尽です。」
「天才だわ、ソロン……! それはもう、完全に日本のスーパー銭湯のシステムじゃない!」
「すーぱーせんとう?よくわかりませんが、予算はカイルと相談して十分に確保できるかと思いますので、村人からの入浴料は施設の管理維持費に使いましょう。」
「完璧ね!!ありがとう!」
ソロンの完璧すぎるマーケティング戦略と心理誘導により、村人たちが自然と毎日お風呂に通う未来が確信に変わった。
それから数日後。
大々的な宣伝と「風呂上がりのお楽しみ」の効果は抜群で、夕暮れ時のナラク村共同浴場には、仕事帰りの村人たちが桶を片手に大行列を作っていた。
「おい、本当にこんな温かい水に浸かって大丈夫なのか……?」
「馬鹿野郎、ガンスの旦那が『極楽だぞ』って言ってたんだから間違いない!」
「父ちゃん!ソロン先生が体を石鹸で洗ってから入るんだって言ってたよ!」
「そうそう、お湯が汚れるとばい菌が出るから髪の毛も布もお湯に入れちゃいけないんだって~。」
ソロンが学校で正しい入浴の仕方を教えていたようで、大人たちに比べ子供たちはうきうきとしている様だった。恐る恐る暖簾をくぐり、脱衣所で服を脱ぎ、体を洗い湯船に足を踏み入れた村人たちから、一斉に――
「「「……あぁぁぁぁぁ…………っ!!!」」」
骨の髄まで溶けるような、至福の吐息が湯小屋全体に響き渡った。
「なんだこれ……! 体の芯からポカポカするぞ……!」
「肩のコリが……嘘のように消えていく……!」
「毎日こんな極楽に来ていいのか……アイリス様、万歳……っ!」
湯けむりの向こうで、屈強な男たちが気持ちよさのあまり目を潤ませ、中には感極まって泣き出す者まで現れていた。 外の縁側では、ソロンの計画通り、風呂上がりの村人たちが美味しそうに冷たい飲み物を飲みながら、楽しそうに談笑している。
私は少し離れた丘の上から、その温かな光景を眺めながら、満足感に胸を膨らませて深く息を吐き出した。
「ふう……大成功ね。」
贅沢なスパでも高級なリゾートでもない。けれど、泥まみれで生き抜いてきたこの村の人々にとって、この小さな湯けむりの立つ場所こそが、世界で一番温かい「楽園」なのだ。
背後から、足音が近づいてきた。
「お疲れ、お嬢。」
振り返ると、タオルを首にかけたゼノが、いつもの気だるげな笑みを浮かべて立っていた。
「お前も入ってきたらどうだ? 女湯は今、ハナさんたちですごい賑わいだったぜ。」
「ううん、私は後にするわ。みんながあんなに嬉しそうにしてる顔を見られただけで、お腹いっぱいだもの。」
私が微笑むと、ゼノは少しだけ驚いたような顔をした後、珍しく柔らかく目を細めて鼻を鳴らした。
「……まったく、どこまでもお人好しな領主様だな。」
湯けむりの向こうから聞こえてくる村人たちの笑い声を聞きながら、私は大きく伸びをした。
この後、21時に次話投稿します。




