15.自由市場と豪商の襲来
冬の透き通った空の下、村の中央広場には「薬草香る紙幣」と「硬化木銭」が、木箱にぎっしりと並べられていた。
今日は、村人にとって初めて紙幣での給料日であり、村の命運を懸けた「自由市場」の初日である。
「――今月の皆さんの労働の対価として、一人ひとりにこちらの『エン』を支給します!」
広場の中央で、カイルが緊張した面持ちで1,000エン札と木銭を配り始めた。しかし、受け取った村人たちは手の中の紙と木片をまじまじと見つめ、困惑の表情を浮かべた。
「おいおい、カイル……。これ、ただの紙と木切れじゃねえか。ほのかに薬草の良い匂いはするけどよ……俺たちが欲しかったのは冬を越すためのサツマイモや、新しい麻の服だぞ!」
「そうだ! 泥だらけになって働いたのに、なんで紙切れなんだよ!」
「これじゃ腹の足しにもならねぇ!」
あちこちから不満の声が上がる。これまでは労働の代わりにサツマイモや麻布が現物で渡されていたため、突然「紙をお金だと言われてもピンとこない」というのが彼らの本音だった。
「みなさん、落ち着いて!」
凛とした声が広場に響き、アイリスが特設台の上に立った。隣にはカイルが控えている。
「その『エン』は、ただの紙切れや木片ではありません。この村の倉庫にある『イモ焼酎』や『薬草石鹸』の価値と、しっかりと結びついている……いわば『特別な引換券』です!」
村人たちが静まり返るのを見届け、アイリスは広場の入口を指さした。
「今日、この村には市場が開かれます。すでにそこには、周辺の町や村から食べ物や道具を持った人たちが集まっています。でも、この市場の中では、王都の金貨も外国の銀貨も一切使えません。買い物ができるのは、あなたがたが今手にしている『エン』だけです。」
カイルがすかさず言葉を継ぐ。
「そうなんだ! 外から来た人たちも、自分の売り上げ(エン)でうちの特産品を買ったり、僕の両替所でエンを金貨に換えて帰る仕組みになっている。つまり、その『エン』さえあれば、市場にある塩も、珍しい野菜も、道具も、自由になんでも買えるということだ!」
「お、俺たちが働いてもらったこの札で……外の品物が買えるのか!?」
ハンスを筆頭に、村人たちの目が一変した。彼らは握りしめた「エン」を手に、熱気に包まれ始めた広場へと駆け出していった。
一方、「自由市場」の噂を聞きつけて野菜や薪、鉄具を売りにやってきた近隣の農民や商人たちは、最初は半信半疑だった。
「本当に税金も出店料も取られないのか?」
「ああ。だが、売り買いをするには全部この村の『エン』ってのに両替して、品物を売って『エン』で代金を受け取るルールらしいぞ。」
半信半疑で店を広げた彼らだったが、ゼノの指導を受けた自警団のハンスたちが威風堂々と巡回しているのを見て驚愕した。スリも苛上げも存在しない、圧倒的に安全な市場。そこへ、給料をもらったばかりの村人たちが押し寄せてきたのだ。
「おい、その白い塩と鉄のナイフをくれ! この『1,000エン札』で払えるか!?」
「お、おう! 1,000エンだな! はいよ、毎度あり!」
「人参とジャガイモが欲しいんだけど…。」
「人参3本で20エン、ジャガイモ5個で30エンだよ!」
「じゃあ、1000エン札でいいかしら?」
「はいよ!500エンのおつりだね!毎度!」
村人たちが自分の手で稼いだ「エン」を出し、外の商人がそれを受け取って商品を渡す。
「俺たちの労働が、本当に品物に変わった……!」と村人が歓声を上げ、品物が売れた出店者も「税金を取られないから丸儲けだ!」と顔をほころばせる。市場のあちこちで笑顔と活気が弾けた。
その熱狂を、馬車から降りて村の外から遠巻きに見ていた通りすがりの商人レイモンドは、思わず息をのんだ。
「……信じられん。小さな村が独自の通貨を回し、完全に市場を支配しているだと……!?」
彼が何より驚いたのは、村の特産品店に並ぶみたこともないこの村特産品の「酒」と「ハーブ石鹸」の異質なほどのクオリティだった。そして、それらを買うためには、出店者として「エン」を稼ぐか、両替所で手持ちの金貨を「エン」に換えるしかないのだ。
「あの酒と石鹸を王都へ持ち帰れば、金貨の山になるぞ……! おい、急ぐぞ!」
レイモンドは懐の金貨袋を握りしめ、吸い寄せられるように村の入り口の「両替所」へ一直線に走った。
「そこの若造! その両替所で、俺の金貨を全部その『エン』とやらに換えてくれ! 今すぐにだ!」
カウンターの奥で、カイルはソロン直伝の「冷徹かつ完璧なビジネススマイル」を浮かべた。
「いらっしゃいませ、商人様。当村の中央両替所へようこそ。――では、本日の交換レートと、両替手数料のご説明をいたしますね。」
村人が「労働の本当の価値」を知り、外の商人が「村の作法」に巻き込まれていく。
「ナラクの村」が、新しい経済の力で「商業都市」へと踏み出した歴史的な一日となった。
夕闇が迫る村の広場。
初めての自由市場は、日暮れとともに大成功のうちに幕を閉じた。広場にはやり切った村人たちの笑顔があふれ、あちこちで「俺のエンで塩が買えた!」「次は野菜をもっと持ってきてもらおう!」と歓声が上がっている。
村の執務室では、アイリス、ソロン、ゼノ、ナギそしてカイルが集まり、ささやかな乾杯を交わしていた。
「みんな、本当にお疲れ様! 初回の自由市場は大成功よ!」
アイリスが掲げた木製カップには、新名物の「冷やし澱粉ドリンク」と蒸留したての「イモ焼酎」だ。
ゼノとナギはそれを勢いよく飲み干し、「うめぇ! 体に染みるぜ!」「アイリス様、俺たちの自警団、一回も揉め事を起こさせなかったんです!」と誇らしげに胸を叩いた。
ソロンは顎を撫でながら、手元の紙を満足そうに眺めている。
「……フン、まさか周辺の農民どもがこれほど集まるとはな。出店料を取らぬことで『品物』を集め、村人に支給した『エン』でそれを買い取らせる。外部の物資を吸い上げつつ、村人に労働の喜びを教え込む……。アイリス様、完璧な初陣でしたね。」
「ええ。でも何より凄かったのは、カイルよ。」
アイリスに振られたカイルは、頬を少し赤くしながら、大切そうに抱えていた木箱をポンポンと叩いた。
「アイリス様! 本日の成果です! 外から来た出店者や買い出しの客が、特産品を買うために両替していった金貨・銀貨……すべてこの金庫に収まりました! 村の中に巡らせたのは『エン』ですが、僕たちの手元には『本物の外貨』が大量に蓄積されています!」
カイルの目は、まるで宝箱を見つけた子どものようにキラキラと輝いていた。
ソロンから学んだ経済の仕組みが、自分の手で現実動いたのだ。その喜びは、何物にも代えがたいものだった。
「そうね。それが村の大事な公共事業の資金になるわ。…ゼノ、この後時間あるかしら?」
「あ?まだ仕事があんのか?」
「ええ。村の新しい大きな金庫を作るわ。場所を知るのはここにいる人間のみ。私が絶対的な信頼をおく5人よ。」
アイリスの言葉にゼノを始めとしたソロン達の表情が引き締まる。
「ゆくゆくは銀行も作りたいけど、今はとりあえず溜まっていく外貨を、安全に保管できる場所ね。ソロンも協力して。セキュリティ面では万全を期したいの。」
「承知しました。」
こうしてナラク村史上最も活気にあふれた日は幕を閉じた。
数日後。
吹雪が吹き荒れる極寒の夜。
雪と霜で真っ白になった毛皮のコートを纏い、王都の豪商グレッグがナラク村の「両替所」へ転がり込んできた。凍傷寸前の真っ赤な顔だが、その目は欲望でギラギラと輝いている。
「おい! 誰か責任者を出せ! 凍死するかと思ったぞ!!」
ジャラリ! と重く響く金貨袋の音。
「俺は王都の商人グレッグだ! アリスター男爵様から話を聞いて、春を待たずに駆けつけてやったぞ! あの『新緑のパタット・ドゥース(イモ焼酎)』と『クレスト・オブ・バタティス(石鹸)』をあるだけ買い取ってやる! 金貨ならたっぷり持ってきた!」
カウンターの奥で帳簿を整理していたカイルは、優雅に立ち上がり、ソロン直伝の完璧なビジネススマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ、グレッグ様。遠路はるばるナラク村へようこそ。――ですが当村では法律により、外貨(金貨)の直接取引は禁止されております。こちらの窓口で村の通貨『エン』へお引き換えください。」
「はぁ!? 紙切れに両替しろだと!? ふざけるな、俺の持っているのは王都の純正金貨だぞ!」
「当村での商品買い付け、および飲食・宿泊には、すべて村の公式通貨『エン』をご使用いただきます。ですので、まずはお持ちの金貨を『エン』にお引き換えください。」
「はぁぁぁ!? 紙切れに両替しろだと!? ふざけるな、俺の持っているのは王都の純正金貨だぞ! どこでも使える本物の金だ!」
「ええ、ですから金貨1枚につき、当村の100,000エンとお引き換えいたします。……ただし…。」
カイルの目が、ソロン直伝の「冷徹な銀行家」の光を宿した。
「通常の両替手数料として、換金額の10%を頂戴いたします。……ですが、グレッグ様?」
カイルはグレッグの全身の寒さに震える様子と、薄暗くなってきた外の景色をチラリと見た。
「今夜は吹雪になる気配です。外で野宿をされるおつもりでなければ、【村立宿泊施設(防寒個室・温風暖房付き)セットプラン】をお勧めいたします。こちらですと、両替手数料は15%となりますが……なんと! 今夜の『村立食堂』で使える特製スープ&干し芋バター焼きの割引券がセットになっております!」
「じ、じゅうごパーセントぉぉのっ!?? 泥棒か貴様らは!!」
グレッグの絶叫が両替所に木霊した。
100枚の金貨を出せば、15枚分が何もしないうちに村の金庫に没収されるのだ。王都のどんな悪徳高利貸しでも、こんな無茶な手数料は取らない。
「たかが村の紙切れに替えるだけで、なぜ俺が15%も払わなきゃならんのだ!! 払うかそんなもん! 金貨を直接受け取れ!」
グレッグが胸ぐらを掴まんとばかりに身を乗り出した瞬間――。
サッ、と背後から巨大な影が立ちふさがった。
自警団のナギと、その後ろで腕を組むゼノである。
「おい、商人のおっさん。カイルに気やすく触るんじゃねえよ。」
ナギが太い腕を鳴らし、ゼノが不敵に笑う。
「ナラク村のルールに従えねぇなら、今すぐその雪道を引き返して王都へ帰るんだな。吹雪で凍死しても、俺たちは知らんが。」
「ッ……!? あ、悪党どもめ……!」
グレッグはカチカチと歯を鳴らした。
外はすでに視界を奪うほどの猛吹雪。今から引き返せば確実に遭難する。そして何より、ここで引き下がれば、あの「酒」も「薬草石鹸」も手に入らないのだ。
カイルは相変わらず、完璧な笑顔で1,000エン札の束と木製硬貨をそろえて待っている。
「……ぐ、ぐぬぬぬ……ッ!! 分かった! 15%払えばいいんだろ、15%払えば!! 宿泊セットで両替しろ!!」
「毎度ありがとうございます、グレッグ様! 金貨100枚のお預かり、手数料15%(金貨15枚)を差し引きまして、850万エンのお渡しとなります! こちら、村立食堂の割引券でございます!」
「くそっ! くそっ! 覚えてろよ!!」
両替所で悲痛な悲鳴を上げ、手渡された「紙切れと木片」を握りしめるグレッグ。
その背中を見送りながら、カイルはそっとゼノに耳打ちした。
「ゼノさん……グレッグ様、すっごく怒ってましたね?」
「いいだよ、カイル。あの手の商人はな、最初は怒っていても『それ以上の価値』を手に入れれば、コロッと手のひらを返すもんさ。」
両替を終えたグレッグは、案内された商談室へやってきた。そこに、アイリスとお茶のセットを持ったソロンが置かれてやってくる。
「アイリス様! 挨拶は抜きだ!」
グレッグは手に入れた『エン』の束を机に叩きつけた。
「あの『新緑のパタット・ドゥース』と『クレスト・オブ・バタティス』を売ってもらおう! 大量買いなんだから、買い叩……いや、安く卸してもらうぞ!」
アイリスは優雅に紅茶を一口すすり、パチリと扇子を閉じた。
「あら。安く、とおっしゃられても……『新緑のパタット・ドゥース』は一本3,000エン。『クレスト・オブ・バタティス』は一つ1,000エンですわよ?」
「……なっ!?」
グレッグは思わず計算を止めた。
さ、3,000エン……!? 石鹸が1,000エン……!?
グレッグの脳内で計算盤が弾けた。
王都の貴族に売れば、あの酒は一口で身体を温める至高の逸品として金貨1枚(100,000エン相当)、安く見見積もっても50,000エンで飛ぶように売れる。それが仕入れ値たったの3,000エン。利幅が大きすぎる。
「な、なんて、安い……! おい、その酒をあるだけ――ッ!」
「単品での販売は、お一人様10本までとさせていただいておりますの。」
アイリスが甘く囁き、ソロンが一枚の紙を差し出した。
「ただしグレッグ殿。こちらの【王都富裕層向け・極上プレミアムセット】なら、大口での買い付けが可能だ」
【極上プレミアムセット】:30,000エン
パタット・ドゥース 3本
クレスト・オブ・バタティス(4種のハーブ)各1個
ナラク村特製・麻布の高級ブランケット 1枚
特製桐箱と村の刻印ラベル付き
「王都の貴族が求めるのは『品物』ではなく『格調』だ」とソロンが冷徹に告げる。
「桐箱に入り、ハーブ香るブランケットとセットになった限定品……これを王都で150,000エン(金貨1.5枚分)で売ってみなさい。貴族どもは喜んで飛びつきますぞ?」
「……買った! そのプレミアムセットを100セットいただく!!」
グレッグは、安値の酒を大量買いするはずが、まんまと単価の高い「プレミアムセット」を300万エン分も爆買いさせられた。
商談を終え、ヘトヘトになって「村立宿泊施設」へ案内されたグレッグ。
「くそっ……乗せられた気がするが、王都へ持ち帰れば儲かる……。」
悪態をつきながら部屋の扉を開けたグレッグだったが、その足が止まった。
部屋の中は暖炉の煙くささが一切なく、春のように暖かかった(蒸留熱の温風配管)。さらに、ベッドの上に置かれた「敷き布団と掛け布団」に体を横たえた瞬間、グレッグは絶句した。
「な、なんだこの柔らかさは……!? 軽くて、ふわふわで、もの凄く温かい……!」
ナラク村特産品のニュアージュドゥ・ベッド(寝具)だ。枕からは「安眠ハーブ(クレスト・オブ・バタティスの香料)」が仄かに香る。
待てよ……!? 王都の貴族や大商人は冬の寒さと不快なベッドに悩んでいる。もし、この「ふかふか布団と安眠枕」を王都に持ち帰ったらどうなる……!? 貴族たちが金貨を積んで買い求めるに決まってる!!
「ダメだ……! この布団と枕の買い付け権も、誰かに取られる前に押さえなきゃダメだ!!」
グレッグは跳ね起きると、手持ちの金貨袋をひっつかみ、吹雪の舞う深夜の通りへと飛び出した。
「ハァ……ハァ……! カイル! カイルはいるか! 金貨を出してやるから、両替所を開けろ!!」
両替所の扉が叩き割らんばかりに開く。
行灯の光の下で夜間の帳簿をつけていたカイルが、ゆっくりと顔を上げた。
「……おや、グレッグ様。こんな夜更けにどうされたのですか?」
「追加入金だ! 金貨をさらに20枚(200万エン分)持ってきてやったぞ! 今すぐ『エン』に両替して、あの部屋にあった『布団と枕』の買い付け契約を結ばせろ!」
カイルはぱちくりと目を瞬かせ、天使のような微笑みを浮かべた。
「そうですか! 当村の寝具の価値をお分かりいただけて光栄です。――ですが、大変申し訳ございません。当両替所の正規営業時間は終了しております。」
カイルが壁の水時計を指差した。
「現在の時刻は深夜……法律により【夜間緊急割増手数料】として、昼間の手数料(15%)にさらに5%が加算されます。つまり、合計20%の両替手数料を頂戴することになりますが……よろしいですか?」
「に、にじゅっパーセントぉぉぉ!???」
グレッグの目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「ふざけるな! 5%も多くむしり取る気か!? 明日の朝まで待てば15%で済むんだろ!?」
「ええ、もちろん明日の朝までお待ちいただいても構いませんよ?」
カイルは首をかしげ、いたずらっぽく微笑んだ。
「ただ……明日の朝の市場には、王都から別の商隊が到着する予定です。アイリス様は『布団セットの初期出荷分は限定10セット』とおっしゃっていましたので、明日の朝には別のお客様とご契約が成立しているかもしれませんが……。」
「ッ……!?(別の商隊だと!? 冗談じゃない、あの布団を横取りされてたまるか!!)」
グレッグの脳裏で計算盤が激しく火花を散らした。5%の手数料をケチって独占権を逃すか、今ここで血を流して巨大な利権を掴むか――。
「……くっそぉぉぉぉ!! 払う! 20%払えばいいんだろ!! 今すぐ両替して契約書を出せぇ!!」
「毎度ありがとうございます、グレッグ様! 夜間割増手数料20%を頂戴いたしますね!」
カイルの手によって、またしても金貨(手数料分40万エン相当)がチャリンチャリンと村の金庫へ吸い込まれていった。
こうしてグレッグは、外商向けの価格(1本3,000エン)を「格安だ!」と喜んで買い付けた挙句、夜間の高額な両替手数料まで毟り取られ、ナラク村の金庫をパンパンに膨らませる最高のカモ(お得意様)となったのだった。
この後21時に次話投稿します。




