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13.村の通貨と作戦会議

それは、冬の足音が聞こえ始めたある日の午後だった。


「――ソロン。私、この村独自の『通貨』を作りたいの。」


私の言葉に執務室で大量の紙を整理していたソロンの手が、ピタリと止まった。

彼は眉をひそめ、メガネの奥の鋭い向ける。


「……通貨とは国家の威信そのもの。金貨や銀貨といった希少金属の裏付けもなく、ただの地方の一村が通貨などを発行しても、誰も信用せず『ただのゴミ』として扱われるのがオチですね。……ですが、何かお考えがあるのでしょうか?」


大賢者らしい冷静な指摘。しかし、最後の言葉に私は不敵に微笑んで見せる。


「金属の裏付けがなければ、村の『特産品』を裏付けにすればいいのよ。例えば、そうね…この札を持っていれば、いつでも最高級のイモ焼酎や石鹸と交換できる『引換券』としてスタートさせるの。そして、両替や管理は……ソロンの下で急速に知恵をつけているカイルに任せようと思っているわ。」

「……っ、あのカイルに、ですか?」


ソロンは顎を撫で、しばし思案していた様子だったが、かまわず言葉を続ける。


「カイルの成長速度は目を見張るものがあると思うの。何より、この村の為に一番に立ち上がった、彼ならば信頼もできる。」


いつかカイルに告げた言葉。

目の前に増えていく本物の貨幣。莫大な量とその価値に気が付いても私利私欲に走らず、村の為に還元し管理する仕事を任せる上で絶対に外せない信用をカイルは持っていると私は信じていた。


「……まったく、相変わらず無茶な発想ですね。しかし、実に面白い!……理論上、絶対に不可能な話ではありません。外の商人にこの村の商品を欲しがらせ、強制的にその『紙切れ』を使わせるルールを作れば……。クックッ、面白い。王都の愚鈍な文官どもが知ったら卒倒する試みですね。承知いたしました、その『仕組み』の構築に乗っかりましょう。」


ソロンが不敵に笑った。それは私の無茶振りに「ゴーサイン」が出た瞬間だった。



「アイリス様ァ!? 職人を殺す気かよ!!」


村の工房に、職人ガンスの怒号が響き渡った。

差し出されたアイリスの図案――幾何学的な麻の葉模様、数字、中央に描かれたサツマイモの苗、そして見たこともない繊細な枠線。


「麻の繊維を混ぜて破れにくくするのはいい! 澱粉糊で固めるのもいい! だがな、こんな細けえ模様を毎回手描きしろってのか!?」

「だから手描きじゃなくて『スタンプ』と『型押し』にするのよ、ガンスさん。」


顔を真っ赤にして頭をかきむしり叫ぶガンスさんに私はニコリと笑って説明する。その後ろでは「また、無茶なこと言いだしたな。」とゼノが肩をゆらして笑っていた。


「数字や模様は、裏表2種類のスタンプを使って紙に押せばいいわ。他は石鹸の型を作るみたいに、金属や硬い木で凹凸のある『版』を作るの。それを、まだ湿っている特殊な紙に力いっぱいプレスして、立体的な模様と『透かし』を焼き付けるのよ。」


説明を聞いたガンスは先ほどまでの怒りを徐々に沈め、型押し機とスタンプをゼノからもらった時には「なんだ、プレスか」と高を括っていたが、彼にとってそこから地獄の幕開けだった。


「だあぁぁぁっ! また破れた! セカンズ、澱粉の割合が多すぎるんだよ! 乾いたら煎餅みたいにバリバリ折れちまうじゃねえか!」

「ひえッ!?師匠ぉ! だって麻の繊維を増やしたら、今度は紙の表面がボコボコになって、型押しの細かい模様が全然潰れて映らないんですぁぁ!」


アイリスたちが去った数日後の工房の床は、破れ潰れた失敗作の紙くずで足の踏み場もなかった。

ガンスと弟子のセカンズは、顔中に墨と澱粉糊を塗りたくり、髪は逆立ち、目は血走っている。徹夜はすでに四日目に突入していた。


「水に濡れたら一瞬で溶けてただのゴミ! ポケットに入れて揉んだらフニャフニャのクズ! 凹凸をつけても乾く過程で平らに戻っちまう! どうすりゃいいんだ……!!」


セカンズが髪をかきむしりながら床に崩れ落ちる。ガンスはガサガサになった手で頭を抱え、薄暗い天井を仰いだ。


「……可笑しいだろ。俺は鍛冶屋なんだ。それが、今じゃ石鹸職人で、今度は紙漉き屋か? アイリス様は俺をなんだと思ってやがる……!」


しかし、どんなに追い詰められても、くじけそうになっても職人の意地がガンスの膝を折らせなかった。他の村人や職人じゃなく、自分にこの仕事を持って来たアイリスの期待。そして、これが…このただの紙が、村人だけじゃなく、国中の商人が手に取る物だと言われれば、どんなに投げ出したくなったも、足が工房からう動かなかった。

ただの貧しい村のしがない鍛冶屋として終わるはずだった自分の人生が、国中の商人相手の仕事に変わっていく。「孫の代まで自慢できる仕事をしよう」そんなでけぇ仕事ができるのはゲルマンだけじゃねぇ!


「立てセカンズ!! 泣いてる暇があったら石鹸の廃液(アルカリ成分)と薬草油を持ってこい! 澱粉糊に混ぜて柔軟性を上げて、繊維の隙間に油を染み込ませるんだ! 型の方もだ、型に薄く熱を加えながらプレスすれば、乾燥の瞬間に模様が『固定』されるはずだ!」

「くぅ~師匠! わかりましった!やってやります、やってやりますよ!!」


それからさらに二日。二人は食事も忘れて試作を繰り返した。プレス機を叩きつける「ガチャン! ガチャン!」という重い音と「うおぉぉ」「ぐぉ~」と響く低い声が、不気味な宗教儀式のように工房から響き続けた。


そして七日目の朝。

血便が出そうなほどの極限状態の中で、ついにその一枚が生まれた。


「……できた……? できたぞセカンズ……!」


ガンスの震える手の中にあったのは、しなやかで破れず、水滴を弾き、光にかざすと美しいサツマイモの葉と幾何学模様が浮かび上がる紙。そして、ほのかに薬草と石鹸の清々しい香りが漂う、完璧な「1,000エン紙幣」だった。


「やった……アイリス様!やったぞぉぉぉ!!」


ガンスとセカンズは泥とインクに塗れた顔で抱き合い、工房の床でボロボロと涙を流して号泣した。こうしてこの村で初めての「紙幣」が完成したのだった。



一方、村の住宅建て替え事業が一区切り着き、少し作業が手薄になっていた大工チームのもとにも、アイリスからの「依頼」が飛び込んでいた。


「木の硬貨……だと?」


大工の棟梁・ゲルマンは、腕組みをしながら太い眉をひそめた。その横で、一番弟子のアイトが興味津々でアイリスの描いた図面を覗き込んでいる。


「ええ、ゲルマンさん。村に金属資源はないけれど、木ならたくさんあるわ。ただの木じゃなくて、持ち運びやすくて、軽くて、絶対に割れない『硬化木銭』を作ってほしいの。」

「ふーむ……?」


ゲルマンはゴツゴツとした手で顎を擦り、弟子のアイトを振り返った。


「アイト、どう思う?」

「棟梁! 面白そうっす! ただの木を丸く切っただけじゃ、爪で引っ掻いたら傷がつくし、踏んだらすぐ割れちゃいますよね。……麻の油と石鹸作りの過程で出る灰汁(あく)を木に極限まで浸透させて、煮詰めながら圧力をかけて固めるのはどうっすか?」

「おう、いい筋だアイト。」


ゲルマンはニヤリと笑い、豪快にアイトの背中を叩いた。


「アイデアが出たら即実験だ! 職人が試さねえでどうする!」


そうして、アイトを中心に大工チームが動き出した。

硬い木材を選別し、小さな円形に切り出す。高額な硬貨(500エン、100エン)は大きく、少額(10エン、50エン)は小さくそれぞれでサイズを変え、表面にはアイトが得意の繊細な彫刻で『10』『100』といった明確な数字と村の刻印を打ち込んでいく。そして、油と灰汁を染み込ませ、手動のプレス機でギシギシと木の繊維が鳴き声を上げるまで圧縮し、じっくりと乾燥させる。


「棟梁! 出来ました!」


アイトが差し出した木銭を、ゲルマンが手に取り、床にパシィン! と叩きつけた。

跳ね返ったコインは、カチン! とまるで高級な金属のような澄んだ高い音を立てた。傷一つついていない。


「重さは軽い。だが石のように硬い。水に浸けても腐らねえし、アイトの彫った数字もでっかくて読みやすいな!」


ゲルマンは一番弟子の頭をワシワシと撫で回した。


「でかしたぞアイト! これならポケットの中で暴れても削れねえ! 村の新しい大工の技、見せてやったな!」

「へへっ、任せてください棟梁!」

「…少し待て。」


そこへ様子確認をしに来たソロンが声をかける。彼は眼鏡を押し上げながら出来上がったばかりの硬貨を手に取ってまじまじと眺めた。


「うむ…。出来栄えはいいな。ただ、少し注文を付けたい。」

「注文?お嬢からは何もいわれてないっすよ、ソロンさん。」

「アイリス様からの追加注文だ。指示は2点、10エン硬貨の淵にはギザギザとした傷をわざとつけること。後50エン硬貨の真ん中は穴をあける事。以上だ。」

「なんだと!?せっかく綺麗に作ったの傷つけて、穴あけろっていうのかよ!?」


淡々と告げたソロンにゲルマンが、掴みかかる勢いでまくし立てるが、ソロンは微動だにせず、呆れたように小さくため息を吐いた。


「どうして、職人は、気に入らないとすぐに大声を出すんだ?理由はしっかりある。…アイリス様は、目の不自由な人間にも扱えるようにしたいと言っていた。」

「な…んだ…と?」


ソロンの言葉にゲルマンは言葉を失う。そして、アイトは先日、サージュ婆さんとアイリスが会話していたことを思い出していた。


『干し芋づくりは順調だよ、アイリス様。』

『それはよかったです。何か不便なことはありませんか?』

『あーとくにはないけどね。最近目がめっきり悪くなってねぇ。昼間でもよく見えないことがあるんだ。私もいい歳だから、仕方がないんだろうけどね。手元を見る時なんてぼやけて困ってるよ。』


この村にはサージュ婆さんと同じ年齢の人間も少なくない。その老人たちだってこの硬貨を使うはずだ。未だに言葉を失っているゲルマンを横目にアイトはできあがったばかりの、一番小さな効果10エン硬貨の淵に荒く鑢をかけた。


「アイト!?お前…!」

「すいません、棟梁!でも、俺お嬢が何でこんなことを言い出したのか、知ってるっす!…だから、俺のお嬢のいう通りに加工したほうがいいと思います。」

「……___。」


アイトの言葉に少しだけ考えたゲルマンは、おもむろに立ち上げり、錐を持ってくると50エン硬貨の真ん中に穴をあけた。


「ほら、これでどうだ。」

「こっちもできたっす!」


再度、テーブルに置かれた硬貨。アイリスの新たな注文通りにしっかりと加工が施されている。


「…上出来だ。」


それにソロンは納得したように静かに頷いた。

こうして、ガンスとセカンズが正気を失いかけながら生み出した「薬草香る型押し紙幣」と、棟梁ゲルマンと一番弟子アイトの師弟愛で完成させた「軽くて頑丈な木製硬貨」が揃ったのだった。



村の執務室に置かれた大きな円卓を、6人の男女が囲んでいた。

卓上に広げられているのは、「型押し紙幣」と「軽くて頑丈な木製硬貨」。そして、手書きの歪な村の地図である。


村独自の通貨を作成するにあたって、参考にしたのはやっぱり前世のでなじみの深い円(エン)だった。この世界とこの国通貨の基準に考えてレートを作ったため、前世よりも紙幣と硬貨の種類は少ない。レートは銅貨1枚=10エン。日本円にして100円と言ったところだ。この国の通貨に紙幣はない為、一番価値のある大金貨が100,000エン。日本円で100万円だ。


「――いい? みんな。これが今後この村で流通する、私たちの通貨『エン』よ。」


私が指し示した紙幣を、最初に摘み上げたのはゼノだった。

鼻をひくつかせ、無骨な指で紙を引っぱたく。


「へえ……。ほのかに薬草の匂いがすんな。だがお嬢、ただの紙切れだぞ? 破いて破棄したら終わりじゃねえか。こんなもんで本当に酒や肉が買えるのか?」

「ふん、相変わらず無知な男だな。」


ふっと鼻で笑ったのは、ソロンだった。ゼノを少し見下すような視線を送る。


「ゼノ、金貨とてただの黄色い金属片に過ぎん。価値を決めるのは『物質』ではなく『信用』だ。……アイリス様、この紙幣の裏付けは、倉庫に眠るあの『イモ焼酎』と『石鹸』ですね?」

「その通りよ、ソロン。」


私は深く頷いた。


「この札を持っていれば、いつでも村の倉庫で最高級の焼酎や石鹸と引き換えられる。言い方を変えれば、芋焼酎も石鹸もこの紙幣でなければ購入ができないわ。だからこそ、紙であっても金貨と同じ価値を持つの。」

「なるほど……!」


目を輝かせたのは、最前列でノートを広げていた青年カイルだった。


「この前の【エビでタイを釣る作戦】が成功していれば、そのうち商人は、うちの焼酎や石鹸を喉から手が出るほど欲しがって来るでしょう。彼らが村で買い付けをするには、持ち込んだ金貨をまず『両替所』でこの『エン』に換えざるを得ない。……アイリス様、両替の際に『手数料』を設定すれば、それだけで村に外貨が溜まる。そう言う仕組みですよね?」

「大正解よ、カイル!そこまでわかっているのなら、両替所と金庫の管理は、あなたに一任するわ。」

「えぇッ?! そ、そんな大役…まだ早すぎます!」


私の言葉にうろたるカイル。しかしそれをソロンが静かに制した。


「アイリス様の信頼と私の評価の結果だ。カイルが、ここにいる誰よりも、経済と村の資金回しについて悩み、勉強してきたことは私が保証する。…謙虚な姿勢は大事だが、度が過ぎると、大事な機会を逃すことになるぞ。」


諭すようなソロンの言葉にカイルがギュっと唇をかみしめた。畳みかけるようにゼノが口を開く。


「カイルとナギが一番にお嬢に協力したときの自分の気持ちを忘れてないなら、変わってないなら、俺もお前が適任だと思うぜ。」

「…!」


ハッと顔を上げたカイルは、しばらく沈黙した後ゆっくりと私に視線を向けた。


「…俺、やります!うまくできるかもわからないし、自信なんてないけど…大切な人たちを、村の皆を傷つけて不幸にするようなことだけはしないって誓います!」

「ありがとうカイル。…それだけで、その気持ちだけで十分やっていけるわ。」

「慣れるまでは私が確認をしよう。習うより慣れろだ。」

「はい!よろしくお願いします!」



カイルが拳を握りしめる横で、頭を抱えて唸っていたのは、自警団の若きリーダー、ナギだった。


「え、ええと……? つまり、俺たちが畑で収穫したイモは、一回この紙になってから、金になるってことか……? なんでそんな面倒なことをするんだアイリス様! 直接イモと金を交換すればいいんじゃねえのか!?」

「ハンス、落ち着いて。」


私は苦笑しながら、易しい言葉で言い直した。


「確かに、イモとお金を直接交換したらお金は入ってくるわ。でも、イモ10箱と、牛1頭を交換するのは大変でしょう? そこで、イモを『エン』に換えてポケットに入れておけば、必要な分だけ肉や服をいつでも買えるの。それにね、ハンスたち自警団の『給料』も、このエンで支払うわよ。」

「き、給料……!? 俺たちが村を守ったら、このカッコいい札がもらえるのか!?」

「ええ。その代わり、ハンスには重要な仕事があるの。」


私は地図の中央――広大な空き地を指した。


「第二の議題は、この広場体で開く『自由市場』よ。」

「……自由市場?…どういうことですか?」


ソロンの目がキランと光が興味深そうに食い気味に聞いて来て、思わず身をひいた。自由市場、つまりはあの織田信長が行った楽市楽座だ。村を発展させようと思った時からずっとやってみたいと考えていた。


「自由市場。つまり、この村の市場であれば商人から出店料や税金はとらないってことよ。さらに、特定の特権を持っている商人であろうが商業組合だろうが、関係なく誰でも平等に商売ができるようにするの。」

「アイリス様、出店料や税を取らぬ市場など、正気の沙汰ではありません。我らの利益はどこから生まれるのです?」

「利益は『流通』から取るのよ、ソロン。うちの村人はまだ人数が少ないわ。だから、周辺の貧しい村の農民や行商人に『税金ゼロで商売ができる場所』としてここを開放するの。人が集まれば、彼らはうちのエンを使い『村立食堂』で飯を食べ、特産品を買っていく。結果的に、税以上の外貨が落ちるわ。それに、今ゲルマンさんたちに作ってもらっている、商人用の宿泊施設の利用料もとれるしね。もちろん、宿泊施設内の石鹸はうちの特産、ウェルカムドリンクは芋焼酎、部屋菓子は干し芋に芋まんじゅう、そして、寝具やリネンはうちの特産の麻製品と綿花製品にして、購買意欲を掻き立てるつもり。」

「なんと…!!そこまでお考えとは……ハハハ、相変わらず恐ろしいお方ですね。外部の経済を丸ごと飲み込むだけではなく、特産品まで叩き売るおつもりですか。」


ソロンは感服したように息を吐いた。


「それだけじゃないわ。宿泊施設で夕食を出さない代わりに料金を安くして、代わりに村立食堂の、割引券を渡す。そうすれば、必然的に食堂の利用は増えるし、あとは特典付きのポイントカードも導入して…再利用も狙っていきたいわね。」

「…相変わらず詐欺師みてえなことしやがるな。」


ゼノが驚いた顔を隠さずに言った。


「褒め言葉として受け取っておくわ。…村人の為なら商人からがっつり搾り取ってやるわよ。そして、福利厚生や公共事業に回して、一生懸命働いている村人に少しでも還元したいの。今までサツマイモしか渡していなかったのだから。…まぁ、まずはお金の使い方から教えないとね。」

「そこは、私も協力します。労働に見合った給金の額も決めなくてはいけませんからね。」

「ありがとう、ソロン。さて、市場を開くにあたって、ハンス、ゼノの出番がくるわよ。」


声をかければゼノがニヤリと笑い、腕を組んだ。


「俺の出番か。要は、集まってきた有象無象が暴れないよう、締め上げりゃいいんだろ?」

「言葉遣いは荒いけれど、その通りよ。ハンス、あなたたち自警団が巡回して『この市場は王都より安全だ』と商人たちに思わせるの。スリや喧嘩は一発でつまみ出すこと!」

「お、おう! 任せてくださいアイリス様! ゼノさんに叩き込まれた技で、悪党は片っ端から縛り上げてやる!」


ハンスが胸を叩くと、ゼノも「ハンスたちの腕は俺が保証する」と不敵に笑った。村の通貨の件も自由市場の件もは話し合いを終えた。次はいよいよ一番頭の痛い問題だ。とりあえず、一口白湯を飲んで一息つく。


「さて……最後の問題よ。これが一番頭が痛いわ。この地図を見て。」


私が広げた地図には、新しく建て替えられた家々が並んでいる。しかし、名前がついていなかった。


「市場が始まって村人に『給料』を払い、将来的に税を正しく管理するには、『誰がどこに住んでいて、何人家族なのか』を正確に把握しなきゃいけないの。今の『川の近くのガンスの家』みたいな曖昧な呼び方じゃ、給料の二重払いや不正が起きるわ。」

「うぐっ……!」


ハンスが露骨に嫌そうな顔をした。


「文字と数字の細かい話か……俺、そういうの頭が爆発しそうだ……。」

「ハンス、貴様は黙って剣を振っていろ。」


ソロンが冷ややかに言い放ち、それから私に向き直って深々と頭を下げた。


「アイリス様の仰る通りです。家々の区画に番号を振り、住民の氏名と血縁を一枚の紙にまとめる『戸籍台帳』作成……。他国でも大都市でしか行われておらぬ大改革です。だが、これをやれば村の行政能力は飛躍的に跳ね上がります。」

「俺に手伝わせてください!」


カイルが即座に手を挙げた。


「初期からいる村人の名前と家族構成なら、俺の頭に全部入っています! 新しかできた区画ごとに『一区一号』みたいに木札を掲げさせて、僕が戸籍台帳を書き上げます!」

「頼もしいわ、カイル。でも、板に書くのは数字ではなくてなじみのあるものにしてほしいの。動物の名前とか色とか。」

「え?どうしてですか?」


私の言葉にカイルは首を傾げた。ソロンも少し考えたようだがすぐに理解したようで、感心したように目を細めている。


「…識字か。」


ボソリとゼノがつぶやいた。「しきじ?」カイルは言葉の意味を分からないようで考えている。


「そうね。村人の半分は識字ができない。学ぶ環境がなかったから仕方がないけれど、村人が読めない住所を作っても意味がないと思うの。だから、例えば、なじみのあるもので代用したいのよね。青色〇番とか?あとできれば、ソロンは法律的な定義とフォーマットの作成をお願いしたいわ。」

「御意に。……この規模の村で戸籍と住所の概念を完成させるとは。王都の愚鈍な文官どもが見たら、泡を吹いて倒れるでしょうね。」


ソロンが満足そうに口端を上げた。


「じゃあ、俺は村人が理解できそうなもので考えますね。できたらアイリス様に一度確認をお願いしたいです!」

「もちろん。よろしくね。私もできる所は手伝うから。」


私は全員を見渡した。


「ガンスの紙幣作成、カイルの両替所と戸籍整備、ゼノとハンスの市場警備、ソロンの行政指導。――全部、同時に進めるわよ! 春が来る前に、この村を周辺で一番賑やかな都市にしてみせるわ!」


サツマイモの香りが漂う小さな村で、誰も見たことがない「新しい経済」の産声が上がった瞬間だった。

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