11.大工と魔法工兵と知略の怪物の衝突
村長に出稼ぎから呼び戻してもらった、村の大工たちは私を見るなり不服そうに顔を歪めた。
「村長から聞いて戻ってきたが、まさか本当にこの村の領主が…嬢ちゃんだとはな…。」
納得できない。
とはっきりと顔に浮かべた大工の棟梁ゲルマンは丸太のように太い腕を組んで、私を見下ろしていた。その後ろでは、ゲルマンと同じ表情を浮かべた数人の男たちが私に冷たい視線を向けている。
「ゲルマン、言葉を慎め。アイリス様は、この村に多くのものをもたらしてくださった偉大なお方じゃぞ。」
「へっ…そんなもん、今だけに決まってらぁ。どうせ、しばらくしたらこの村から消えちまうんだろうよ。…今までの王都の人間だってそうだったじゃねえか。」
「そうだ、そうだ。」
「どうせ、上手いこと言って俺達から金目のもんを取り上げて、とんずらするに違いねえ。」
ゲルマンの言葉に後ろの男たちからも声が上がる。どうやら、私が気に入らないのも信用できないのも過去の出来事が原因のようだ。
「うるせえ、おっさんどもだな。」
「…アイリス様、許可をいただければ直ちに黙らせることもできますが?」
私を庇うように前に出たゼノとソロンは険しい顔つきでゲルマンたちを見据えていた。いつもは仲悪いくせにこういうときだけなんで意気投合してるのよ。
「大丈夫だから、二人とも下がって。」
大きい体の二人をなんとか横にずらして、ゲルマンの前に再び立つ。
「私を信用できないのなら、しなくても結構です。ですが、この建て替え事業にはどうしてもあなた達の力が必要です。…もうすぐ冬になるわ。早く家を建て替えないと、村人が凍え死んでしまう。」
「建て替えるって話は協力しよう。…だが、木組みで組んだ上に、なんだ?その漆喰とかいうヤツを壁に塗るなんて面倒くさくてかなわねえよ。…嬢ちゃんよ、家ってのは雨風をしのげりゃいいんだ。漆喰だの木組みだの、そんなの飾り立てて何になる?こっちは冬の蓄えを作るのに忙しいんだ、余計な手間を増やすな。」
ピシャリと言い捨てたゲルマンに後ろの男たちもうんうんと首を縦に振る。
…どこの世界にも、頑固な職人の親方はいるものね…。前世の時にも、同じような事はあった。あれは古い寺院を観光名所にするために、建て替えをお願いしたときだった気がする。あのご時世に法被を身に着けた、スキンヘッドの宮大工の親方は般若のような顔をして「素人が出しゃばってんじゃねえッ!」と唾を飛ばしながら、啖呵を切ったのだった。
まあ、今回は般若のような顔に睨まれてもいないし、唾も飛んでいないだけましかしら?
さて、この頑固な棟梁をどうやって説得しようか。
考えを巡らせていると、村長の家の柱が目についた。土台となるものは無く地面に直接柱が刺さっており、土に近い部分には腐敗が目立っている。そのまま上に視線をずらせば、切られた木がそのまま縄で縛られているだけの屋根が見えた。それを見て私はいい案が浮かんだ。
「今の家では、土台は数年で腐ります。現に、村長の家の柱はもう腐敗が始まっている。でも、この『石の土台+木組み』なら100年は持ちます。ゲルマンさんたちの孫の代まで残る仕事を一緒にしたいんです。」
職人は自分の仕事にプライドがある。だからこそ、そこを刺激すれば良い。
「開墾ででる曲った木も、木組みの筋交いとして使えば強度が上がります。無駄はありません。」
ほんの少し、ゲルマンたちの目が私が説明してゼノが書いた、木組みの家の設計図に向いていく。私が作りたいのは前世のときにドイツで建築されていた木組みの家だ。耐久性はもちろんのこと、ずべて同じ木組みで作られた家は物語に出てくるような、可愛さと美しさがあり、その建物が並ぶ街そのものが観光地にもなっていた。この国には存在しないこのハーフティンバー様式の建物が並ぶ町並みは、必ずこの村の観光名所になる。
「…これはただの家じゃない。この村を国一番の観光都市にするための『顔』なの。この国ではまだ、誰も知らない、立てたこともない家を作りたいと思いませんか?」
私の話を聞いたゲルマンは、しばらくした後、ついに図面を手に取った。
図面には木組みの家のしくみや漆喰壁の効果、作業工程などが書かれている。それを見てゲルマンはどう思うのか…。緊張と不安がゆっくりと背中を上がってくる。
その時、ふぅ~とゲルマンが大きく息を吐いた。そして、図面に見いていた視線をあげて私を鋭く睨みつける。
「………クソッ、面白そうじゃねえか。」
そういったゲルマンは図面を後ろにいた男たちにも渡した後、両手を胸の前に組んで再び重い溜息を吐いた。
「嬢ちゃん……この木組みの家、作ってやるよ。」
それは、静かな声だった。しかし、ゲルマンの強い視線はまっすぐ私に向けられていて…。
「よろしくお願いします。…この国で一番美しく、機能的で画期的な家を一緒に作りましょう。」
そう答えれば、ヒゲに覆われた口元が僅かに緩んだ。
それから、ナラク村では大規模な開墾が行われた。村の周囲の森を大きく切り開き、並行して木組みの家のための木材や石の加工も行われていく。子どもたちはソロンが一手に引き受けてくれたため、村の大人や青年が総出での作業となった。
「お前らッ、切り倒した木は皮を向いて角材にしろ!その後はしっかり乾燥させるんだ!」
大工たちの威勢のいい声が響き、村全体が活気に包まれる。
「石の加工はこっちにもってこい!全部形と大きさを揃えるぞ!」
「オイッ!こっちに誰か手を貸せっ!」
開拓の槌音が響き、切り出されたオークの香りが漂う村の一角。そこには、新時代の象徴となるはずの「石灰窯」が、黒煙を吐き出しながら居座っていた。
「クソがッ!また火が死んじまった!薪が湿ってやがんのか?それとも風が足りねえのか?」
大工のアイトが煤にまみれた声で叫ぶ。彼の背後では屈強な男たちが必死にふいごを煽っているが、窯の中の温度は一向に安定しない。白く輝くはずの漆喰の原料は、中途半端に焼けた石灰の塊のまま転がっていた。
それを少し離れていた場所からゼノがアイト達を冷めた目で見つめていた。
…非効率だ。
ゼノは心のなかで呟いた。
俺が火属性の魔力循環を組めば5分で理想の温度まで上がる。
ゼノは右手を軽く握り、拳に宿る熱を感じる。彼にとって魔法は計算であり、最適解だ。目の前で泥臭く、不確実な「経験」とやらに募っている大工たちは、ただの時間の浪費化にしか見えなかった。
何より、彼の心を苛立たせていたのは、その輪の中心にアイリスがいることだった。
「アイト、窯の下層に空気の通り道を作ってみて。熱が滞留してる気がするわ。」
「わかったっす!でも、お嬢。石を組み替えなきゃならねえ、一日仕事になるっすよ。」
アイリスは楽しげに、図面を広げて彼らと議論している。かつて、この村を泥水から救った下水道も、芋畑の改良も、全てはアイリスの知識とゼノの魔法の二人三脚だったはずだ。それがゼノの心をくすぶらせていた。
「…よお。」
ゼノは耐えかねて、アイリスたちに声をかけた。今頃、開墾の現場で陣頭指揮を取っていたゼノの登場にアイリスは驚いたように目を見張る。
「どうしたの?」
「俺がやってやるよ。魔法で火力を固定すれば、こんな無駄な試行錯誤は不要だ。…村の建て替えを急ぐんだろ?」
ゼノはいつも通りアイリスが頼ってくれると思っていた。…しかし、アイリスの瞳はゼノの言葉を聞いた途端に厳しいものへと変わっていく。
「ダメよ、ゼノ。魔法は禁止。この窯は村の人達の手で維持できなきゃ意味がないの。貴方が一生この村にいて、火を焚き続けるわけには行かないでしょう?」
なぜだ?蒸留器の時だって、最初は俺が魔法で火力を維持したはずなのに。
ゼノの中のモヤが一層大きく膨れ上がる。
「…けどよ、コイツらに任せていたら、家が立つ前に冬が来ちまうぜ?」
その一言をアイトが聞きつけた。
「ああぁん?ゼノさんよ、今なんて抜かしやがった?」
アイトが肩に担いだ重い梁を地面に放り投げ、地響きがなる。
「魔法でヒョイッと作っちまえば楽だろうよ。だがな、自分の手で削って、組み上げた木材がぴったりと噛み合うときのあの…震えるような喜びは、指先一つで軌跡を起こすあんたには一生、わからねえだろうよ!」
周りの大工たちからも、野卑な笑い声が上がる。ゼノの頬が屈辱でかすかに引き攣った。しかし、何も言うこと無く、ゼノは背を向けた。
アイリスに自分はもう必要ないのか?そんな子供じみた寂しさと嫉妬が胸を焼く。
アイト達とぶつかる気にもならない。
…ガキじゃあるめえし…。
心に沸いた靄を見ないふりして、そのまま足を進めようとしたゼノの肩を小さな手が、優しく、しかし強く掴んだ。振り返れば、それは他の誰でもない、アイリスだった。
「待って、ゼノ。…アイトたちの言う感覚は、あなたには理解できないのかもしれない。でも、彼らは木のクセを知っている。石灰の焼け具合を匂いで嗅ぎ分けているの。」
アイリスはゼノを見つめ声を落とした。
「私があなたに求めているのは、魔法を放つことじゃないわ。あなたの持つ魔法工兵としての構造知識を、彼らの熟練の感と融合させてほしいの。魔法という結果じゃなく、魔法を構築させる論理で、彼らを導いてあげて。」
ゼノはその言葉に息を呑んだ。
アイリスは自分を遠ざけていたわけではなかったのか……?
「…お嬢様には…アイリスには…俺はまだ必要か?」
気がつけば随分と恥ずかしい言葉をこぼしていた。しかし、ゼノの言葉を聞いたアイリスは一瞬、ポカンとした後すぐに満面の笑みで大きく頷いた。
「今までもこれからも、私の無茶振りを叶えてくれる、不器用で口の悪いパートナーはあなたしかいないでしょ?」
その言葉にゼノはハハッ!笑った。アイリスの言葉で一瞬にして胸の中のモヤが消し飛んだように気持ちは穏やかで、晴れやかだった。
彼女は、大工たちという「荒削りな素材」を自分の知識で研磨してほしいと願っていたのだ。
そう思えば、やる気がどんどん湧いてくる。我ながら単純な性格に呆れもするが、悪くない。
「…お嬢様は本当に人使いが荒いぜ。」
ゼノは溜息をつき、再び窯の方を向いた。
その目からは先ほどの侮蔑が消え、工兵としての鋭い観察眼が戻っていた。突然こちらに進路を変えたゼノにアイト達が一瞬身構える。しかし、ゼノの両手は魔法を構えるでも、拳を握るでもなく胸の前にしっかりと組まれていた。
「おい、アイト。その窯の三層目の積み方……気流の計算が、致命的に間違っているぞ」
「あぁ!? んだと?」
「黙って聞け。……石と石の隙間を、俺が言う通りに配置しろ。そうすれば、あんたたちの好きな『勘』とやらが、いかに物理法則に反しているか証明してやる。」
挑発的な言葉とは裏腹に、ゼノは足元に落ちていた木の枝を取って地面に図面を書き始めた。
アイリスはそれを見て、満足げに微笑む。
伝統の技と、異世界の理論。相反する二つの力が、熱を帯びた石灰窯の前で初めて混ざり合おうとしていた。
しかし、ゼノの指摘に従い、石を積み替えた石灰窯だったが、数時間経っても状況は劇的には改善しなかった。それどころか、炎は時折苦しげに爆ぜ、黒い煤が窯の隙間から吹き出す始末だった。
「……おかしいな。」
ゼノが眉を寄せる。計算上、吸気口の断面積と排気塔の高さの比率は完璧なはずだ。
隣ではアイトが苛立ちを隠せず、地面を何度も踏みつけている。
「おい、先生よぉ! 言われた通りに隙間を作ったが、火が暴れてやがるじゃねえか。やっぱ湿気のせいだ、薪をもっとぶち込むしかねえ!」
「無茶を言うな、これ以上薪を増やせば不完全燃焼を起こして、石灰石が煤まみれになるだけだ!」
二人が再び言い争いを始めようとしたその時、アイリスがすっと窯の前に歩み寄った。彼女は熱風に目を細めながら、窯の最下部、空気が吸い込まれていく「穴」をじっと見つめている。
「ゼノ。あなたの『魔法工兵としての知識』で、この中にある設計の欠陥を見つけてくれない?」
「欠陥……? 構造は完璧なはずだ。」
「いいえ。あなたは魔法陣を描くとき、魔力の『淀み』をどうやって見つけるの? 線の太さ? それとも刻印の角度? 今、この窯の中で風がどう動いているか、あなたの目なら視えるはず。」
アイリスの言葉に、ゼノはハッとした。
自分は今まで、この窯を単なる「石の箱」として見ていた。だが、魔法工兵が戦場で構築する魔法陣も、陣を構成する術式の密度がわずかに偏るだけで暴走し、牙を剥く。
ゼノは深呼吸をし、魔力を指先に集めた。放つためではない。感覚を研ぎ澄ます「触手」として、窯を流れる熱の拍動を感じ取るために。
…視える。風が入り口でぶつかり、渦を巻いている。右奥の石の角が、気流の滑らかな流れを阻害しているんだ!
「アイト! 右から三番目、下から二段目の石だ。その角を、拳一つ分だけ削り落とせ!」
突然の指示に、アイトは目を丸くした。
「あぁ? そんな端っこの石一個で何が変わるってんだ!」
「いいからやれ! そこで風が死んでいるんだ。そこを削れば、炎は自ずと中心へ吸い込まれる!」
ゼノの気迫に押され、アイトは忌々しげに鑿を振るった。熱気に耐えながら、指定された石の角を叩き割る。
その瞬間だった。
ゴォォォ……ッ!
窯の鳴き声が変わった。
それまで低く唸っていた音が、高く、澄んだ吸気音へと変化する。不規則だった煙は消え、窯の覗き窓からは、見たこともないほど白く、眩い輝きを放つ炎が噴き出した。
「な……っ!? 火が、真っ白だ……!」
大工たちが呆然と立ち尽くす。
温度は瞬く間に上昇し、窯の中の石灰石が、純白の漆喰へと変わるための「産声」を上げ始めた。
「成功ね!」
アイリスが静かに微笑む。
ゼノはその光景を、呆然と、しかし深い充足感と共に見つめていた。
魔法で燃やしたんじゃない。蒸留器の時とも違う。俺の……俺自身の、構造を見抜く『知識』が、この泥臭い現場を動かしたのか。
「へっ……大したもんだ。魔法使いってのは、手品だけじゃねえんだな。」
アイトが煤だらけの顔で笑い、ゼノの肩を力任せに叩いた。
「おい野郎ども! 先生の教えを忘れるなよ! 石一つ、隙間一つで城の寿命が決まるんだ。……なぁ、ゼノ先生。次の家の土台、この『計算』ってやつで一度見てくれねえか?」
「……先生はやめろ。俺はそんな柄じゃねえよ。ゼノで十分だ。」
ゼノは少し照れくさそうに、しかし誇らしげに顎を引いた。
「まあ、見てやるくらいならいいだろ。……ただし、魔法工学の計算は厳しいぞ。アイト。」
こうして、魔法工兵の精密な理論と、職人たちの剛腕が、この村で初めて「握手」を交わした。
アイリスは、その中心で力強く笑うゼノの横顔を見て、確信した。この村はもう、ただの貧しい集落ではない。知識と技術が火花を散らす、最強の商業都市へと歩み始めたのだ。
「一斉建て替え」という私の宣言は、村をかつてない熱気に包んでいた。
農地拡大のために切り出された大量のオークやマツが、村の広場に山のように積み上げられている。しかし、現実は甘くない。
「嬢ちゃん、無茶言うな! 木材はあっても、これだけの数の荒屋を壊して、基礎を打って、組み上げる人手が足りねえよ!」
棟梁のゲルマンが、山積みの木材を前に頭を抱えていた。村の大人は総出だが、専門技術を持つ大工は数人。素人の村人たちを動かしても、効率は上がらない。
「大丈夫よ、ゲルマンさん。壊すのと基礎を固めるまでは、この二人に任せて!」
指差したのは、不機嫌そうな顔で腕を組むゼノと、泥まみれの地面を棒で突いて観察しているソロンだった。
「おい、お嬢様。人手不足を魔法で補えってのか? 俺は精密作業は得意だが、村中の家を一気に土木魔法でどうにかするのは無理があるぞ」
「ゼノの言う通りです。魔力の無駄遣いは感心しな……おや?」
その時だった。
解体作業中の古い家の一軒が、崩落の音と共に不自然に傾いた。
「うわあああ! 地面が、地面が沈んでいくぞ!」
悲鳴が上がる。古い家を壊した衝撃で、地下に溜まっていた水分が噴き出し、地盤がドロドロの沼のように崩れ始めたのだ。
「まずい、連鎖沈下だ! 隣の家まで引きずられるぞ!」
焦るゼノが右手をかざし、大規模な硬化魔法を放とうとする。だが、その腕をソロンが遮った。
「待て、ゼノ! 闇雲に固めるな。地圧のバランスが崩れ、かえって地下水の噴出を招くぞ!」
「じゃあどうしろってんだ! このままじゃ家が全部飲み込まれるぞ!」
「慌てるな。……この下の水脈は、先日の下水道工事で流れが変わっている可能性がある。誰か、北東の排水溝のバルブを開けろ! ゼノ、私の指す三点――そこが圧力の『節』だ。そこにピンポイントで、土壌の粘度を高める魔法を叩き込め!そのとは一気に下水道を作りなおすぞ!」
ソロンが泥の上に素早く図解を描く。流体力学に基づいた、地下水の逃げ道と圧力を抑えるための精密な指示だった。
「……チッ、わかったよ! お前の指差すところに魔力をぶち込めばいいんだな!だが、その後に下水道を作りなおすなんて、すぐにはできねえぞ?!」
「私を誰だと思っている?つべこべ言わずにやれッ!」
「クソがッ!」
ゼノがソロンの指摘した「点」を見据える。一点集中。閃光が地表を叩き、流動化していた土が、瞬時にコンクリートのように強固な岩盤へと変質していく。
「今よ、ゲルマンさん! 石の土台を滑り込ませて!」
「下水道を作りなおすぞ!」
「…おうッ!」
タイミングを見て叫べば、地盤が安定した一瞬の隙を突き、ゲルマンたちが巨大な石材を基礎として打ち込んだ。沈下しかけていた地面は、動きを止めて魔法の楔と職人の技によって、かつてないほど強固な「街の土台」へと変わっていった。そして、ソロンとゼノの二人の魔法によってすぐさま新たな下水道が作り直されていく。ソロンの魔法はゼノの魔法より派手ではないが、しっかりとした流れでゼノよりも素早く下水道を仕上げていった。…宮廷魔導士団長という肩書は嘘ではないのね。
「いいわ!じゃあ、骨組みを上げて!」
私の指揮の下、魔法で持ち上げられた巨大な梁を、大工たちが神業のような手際で組み上げていく。
ソロンが計算し、ゼノが形作り、ゲルマンが命を吹き込む。村人たちもできる作業を黙々と進めていく。
そして、数時間後。
そこにあったのは、悪臭漂う荒屋ではない。
真っ白な漆喰壁に、黒褐色の木枠が美しく幾何学模様を描く、前世で見たドイツの「組み木の家」だった。
「……信じられねえ。魔法と理屈を合わせると、こんなに早く家が建つのか。」
ゲルマンが呆然と呟く。
ゼノは自分の手を見つめ、少しだけ満足そうに口角を上げた。
「まぁ……悪くねえな。」
私は、完成したばかりの白い壁に手を触れた。
前世で夢見た「理想の街」が、今、この異世界の荒野に、確かな輪郭を持って現れ始めていた。
純白の漆喰が、西日に照らされて黄金色に輝いている。
村の広場に建った最初の「木組みの家」は、これまでの泥を固めたような荒屋とは一線を画す、気高くも美しい佇まいを見せていた。
「どうだ、お嬢様。計算通り、完璧な強度だ。ゲルマンたちの組み方も、俺の補正が入ってからは寸分の狂いもないぜ。」
ゼノが額の汗を拭い、誇らしげに胸を張る。その後ろでは、大工のゲルマンたちも「これが俺たちの作った家か……」と感無量といった様子で、自分たちの仕事を眺めていた。
だが、その感動的な空気を切り裂くように、冷ややかで、それでいて異様な熱を帯びた声が響いた。
「……計算は完璧、か。工兵の視点としては及第点だが、都市計画の観点からすれば、これは『暴走』に近いな」
声の主はソロンで、脇に先ほどまでなかった薄い板の束を抱えていた。
彼は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、家の細部を凝視している。
「あぁん? なんだ、文句あんのか?」
ゲルマンが不快そうに鼻を鳴らすが、ゼノは警戒して一歩前に出た。
「ソロン。俺の構造計算に文句があるのか? 魔法工兵の術式解析をなめるなよ。この家は、百年の風雪にも耐える。」
「個別の強度の話はしていない、ゼノ。」
ソロンは無造作に、抱えていた板の一枚をゼノの鼻先に突きつけた。そこには、村全体の歪な地図の上に、さらに緻密な等高線と色彩が書き込まれている。
「お前の建てたこの家は、美しすぎる。そして頑丈すぎる。……これが何を意味するか分かるか? 建築コストが他の家と乖離しすぎているのだ。アイリス様が提唱する『一斉建て替え』の予算枠を、この一軒だけで二割も超過している。これでは村全体のインフラ整備計画が数年単位で遅滞するぞ。」
「それは……! 最初の一軒なんだから、品質を最優先するのは当たり前だろうが!」
「甘い。国家諮問委員をしていた私から言わせれば、それはただの『技術者の自己満足』だ。必要なのは平均化された高品質であり、突出した一点豪華主義ではない。……さらに言えば」
ソロンは止まらない。彼は指で建物の二階部分を指差した。そこにあるのは木組みの家の特徴の一つである、二階の張り出し部分だった。
「二階の張り出しが大きすぎる。景観としては面白いが、これが街路の両側に並べば、冬場の路面凍結時の日照を遮り、下水道の凍結リスクを引き上げる。お前が作った下水道の運用効率を、この家が殺すことになるのだぞ。……全く、現場主義の無知には恐れ入る。」
「なっ……んだと、この理屈野郎!!」
ゼノの右手が、怒りでぴくりと動く。魔法陣を展開しかけた彼の腕を、私は素早く抑えた。
「二人とも、そこまで!」
苦笑しながら、二人の間に割って入る。そしてソロンに視線を向けた。
「ソロン、その書類は何?」
「……『村落建築及び景観維持に関する基本条例案』です、アイリス様。」
ソロンはアイリスに向き直った瞬間、それまでの傲慢な態度が嘘のように、敬意に満ちた真剣な顔になった。
「貴殿から教わった『複式簿記』と『マクロ経済学』の概念を基に、この村の将来の税収をシミュレーションしました。結果、建物の規格を統一し、部品を規格化して量産しなければ、観光都市化のスピードに建設が追いつきません。ゼノのこだわりを、私は『法律』としてシステム化し、誰でも再現できるようにしたいのです。」
ゼノは毒気を抜かれた様だった。かくいう私も同じだった。ソロンはゼノを否定していたのではない。彼の技術を「一部の天才の仕事」から「都市のスタンダード」へと引き上げようとしていたのだ。
「知略の怪物」…まさか、ここまでとは…!
「……つまり、俺が設計図の『型』を作れば、あんたがそれを村の『ルール』にして、予算も人員も効率的に配分するってことか?」
「理解が早くて助かる。魔法工兵の脳筋にしては話せるようだな。」
ソロンは不敵に笑い、手に持っていた炭をゼノに差し出した。
「では、ゼノ。お前の『魔法工学』による最強の規格を、私の『法案』に書き込んでくれ。アイリス様が見ている前で、完璧な都市の設計図を完成させようではないか。」
ゼノはふいっと視線を逸らしたが、その手はしっかりとソロンの差し出した炭を受け取っていた。
「……チッ、相変わらず厄介な連中だ。大工も、この堅物もな。」
私は、夕闇に包まれ始めた村を見渡した。
血気盛んな大工、精密な技術のゼノ、そして冷徹な理性のソロン。
前世の知識だけでは決して到達できなかった「生きた街」が、今、三つの力が混ざり合うことで、産声を上げようとしていた。
興奮と少しの不安もあるが、何より胸が躍り出しそうなほど高鳴っている。…村が、私たちの手によって本格的に変わろうとしている。
それは、前世でも経験したことのないほどの高揚感だった。
「さあ、夜はこれからよ。明日からは本格的な建て替え工事を開始するわ。ソロンが作った条例案、私もチェックさせてもらうわね。……特に、その『固定資産税』の項目!」
私の言葉に、ソロンが「さすがアイリス様、目が高い!」と目を輝かせ、ゼノが「また難しい話が始まる……」と肩をすくめる。それに笑いながら、3人揃って足を進めた。
そして、新しい街の、騒がしくも輝かしい夜が始まるのだった。




