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なぜ彼は……

 帰宅してそれを読んだ由紀子は慌てた。

 しかし、

「そりゃそうだよな、義父さんを見ていて、いつも思ってたよ」義息子の裕也は苦笑いした。

「えっ」

「この人、何が楽しいんだろうって…… 全く趣味のない人だろ、大笑いしているのを見たことある? 」

「……」

「そりゃ、母さんは気を遣っていたと思うよ。俺だって義父さんのことは好きだったから…… だけど何か気に入らないことがあったとかって言うことじゃなくてさ、このまま年取ってどうなるんだろうって不安になったんじゃないのか…… 祖父ちゃんが亡くなってしまったけど、会社は順調だし、もういいかって思ったんじゃないのか」裕也が表情を曇らせたが

「そうなの……」由紀子には意味が分からない。

「もう責任は果たしたって思ったんじゃないの…… 」裕也が重ねると

「秘書と何かあったのかしら……」由紀子は息子の話を聞いていたのかどうか、小さく首を傾げた。

「母さん、それはないよ。絶対にないよ。そんな人じゃないのは、母さんだってわかっているだろ」

「じゃあ、どうして……?」母親が顔をしかめると

「女にはわからないかもしれないなー、義父さんをずっーと見て来てさ、今こうなってしまうと、もう開放してあげたらって思うよ」息子が諭すように話したが

「か、開放って…… したいようにさせてあげているじゃないの、お金だって十分にあるはずよ」

母親は無機になってしまった。

「いや、そういう問題じゃないんだよ」


「だけど、今更出て行って何するのよ、会社だって辞めるつもりよ」彼女が眉をひそめた。

「うーん、それはわかんないけど……」

「とりあえず探してよ、なんか心当たりはないの?」

「うん、まあ、探してみるよ」


 一方家を出た修一は、誰にも知らせていない携帯電話で秘書の中山に電話を入れ犯人が日高であったことと、妻である社長の対応など、事情を説明したうえで

『必ず君の名誉は回復させるし、頭も下げさせるから許して欲しい』謝罪したが

『そんな…… 私は専務が信じて下さっただけで十分です。明日から出社します』

 中山の声は明るかった。

『いや、会社から頭を下げてくるまでは動かないで欲しい。それに私はもう家を出て、会社も辞めるつもりだ』.

『ど、どういうことですか! そんな、こんなことで…… 』彼女の驚きが十分に伝わって来る。

『いや、今回のことがきっかけにはなったが、以前から考えていたことなんだ。帰る場所をなくしてしまったみたいで、君には申し訳ないが…… 』

『そんな、どこにいかれるのですか! 私も辞めます。私も連れて行ってください』

 無意識のうちに出てしまった言葉だった。


『中山さん、気持ちはうれしいよ、君みたいに頭が良くて、美人で、しかも人の痛みがわかる素敵な女性に、そんな風に言われるととてもうれしいよ。でも、君は若い、一時の思いで人生を迷ったらだめだ。いずれにしても君の身が立つようにするから、会社から連絡があったら状況を知らせて欲しい』

『専務…… 』

『今後はこの携帯しか使わないから…… 』

『専務、でも、どちらに行かれるんですか、せめてそれだけでも……』

『はははっはは、とりあえずは静岡かな…… 君の幸せを祈っているよ』


 そして二日後、中山洋子は、修一の義息子、矢田裕也から連絡を受け、指定された近くの喫茶店に出向いた。


「この度のことでは、本当にご迷惑をおかけしました。専務から詳細は聞いていると思いますが、改めてお詫び申し上げます」裕也が頭を下げると

「いえ、もう結構です。専務も辞められると伺いました。私も近日中には辞表を提出いたしますので……」彼女は目を伏せたが

「ちょっ、ちょっと待ってください。それだけはご容赦いただけませんか。社長も決してあなたを疑ったわけではないのです。ただ、一部に専務のパスワードを知っているのは君しかいないという声が出てしまって、むしろそのことを気にして、しばらくは顔を出さない方がいいのではないか、嫌な思いをすることがあるかもしれない、というそんな思いだったのです」裕也は慌てて取り繕った。

しかし、

「はい、後から冷静に考えてみれば、そういうことだったのだろうと思いました。慌てた人事課長が言葉の選択を誤ったのだろうとも思いましたし、専務からもそこのところは話を聞いて、その通りだと思いました」中山はいたって冷静であった。

「だったら、なぜ……? 」


「うーん、よくわからないんですけど、専務のいない会社には魅力がないっていうか…… 」

「そうですか…… こうしてあなたと話していると、専務があなたをどれほど信頼していたのかと言うことがよく分かります。そのあなたが犯人扱いされたのですから、あの激怒も理解できます」裕也が唇を噛み締めた。

「……」

「あんなに激しく怒りを露わにした義父は見たことが無かったです」

「光栄です」中山は目を細めると

「犯人の名前は出しませんが、辞表を出していますし、外部からのハッキングによる被害ということにして、あなたの名誉を回復し、会社としての謝罪を綴ります。何とか考え直していただけませんか?」

 裕也は懸命に説得に当たったが

「いえ、もう……」彼女は静かに頭を下げた。


「でも、辞表を出されても、預かりますが受理はしませんよ」決意の変わらない中山に裕也が目を据えると

「そんな…… 」彼女は困惑したが

「少しでいいんです。ほんの少しだけ私にも時間をください」裕也の一生懸命に

「えっ、どういうことですか?」中山は眉をひそめた。

「私にもいろいろな思いがありまして…… 」

「よくわかんないですけど…… 」

「そのことはまたゆっくり話しませんか?」

「……」


「ところで、専務の居場所はご存知なんですよね」彼が突然話を変えた。

「えっ、どうして私が知っているんですか!」

「でも、携帯番号は知っていますよね」


 しばらくして

「はい、知っています。でもお教えすることはできません」中山が毅然と答えたが

「中山さん、義父は離婚届一枚をおいて家を出たんですよ。今後、何をするつもりなのかは知りませんが、場合によってはお金だって必要になるんです。このまま別れるにしても、無一文で出ていかれては困るんです。矢田の家としてもできることはしてあげたいんです。あなたならわかってくださるでしょ」裕也も必死であった。

「……」

「このまま、義父が私たちの前に顔を出さずに、次の一歩を踏み出すことなんてできるはずがないんです」


「専務が矢田の家に入った時、あなたは何歳だったのですか?」突然中山が微笑んで尋ねた。

「7歳です」

「そうですか…… 父親をしてもらったんですね」

「そりゃ、そうですよ。私はあの人を尊敬しています」

「そうでしょうね、今の話は専務そのものですものね」

「えっ……」

「わかりました。お教えします」


 中山と別れた裕也は直ちに修一に連絡を入れた。


『義父さん、どこにいるんですか?』

『おっ、裕也君か、申し訳ない』

『もう心配しましたよ』

『中山さんから聞いたのか?』

『はい、何とか説得して』

『へえー、彼女を説得したとは大したもんだ』

『そんなことより、どこにいるんですか?』

『静岡だ、だけどもう少しだけ待ってくれないか、準備ができたら招待するよ』

『何の準備なんですか』

『まあ、来たらわかるよ』

『お金は大丈夫なんですか?』

『ああ、大丈夫だ。それより離婚届は出してくれたか?』

『『はい、わかりました』って印つくはずないでしょ』

『やっぱりそうか…… 』

『私はね、義父さんの気持ちはよくわかりますよ、でもね、母さんは女なんだから、何がなんだか分かんないと思いますよ』

『あと二ヶ月だけ、待ってくれないか、ちゃんと向き合うからさ、頼むよ』

『わかりました。でも母さんは印をつかないと思いますよ。それから、専務は降りても取締役では残っていただきますからね』

『わかった。あとはよろしく頼むよ』


 裕也は義父の明るさに救われるような思いだった。



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