44
今日もいつも通りに午前の授業を終え、ランチを食べる為雫ちゃんの居る1-A教室へ向かっている時だった。
「あ、」
教室から慌てて飛び出した雫ちゃんが見えたので、俺が声を上げると、キョロキョロと周囲を見渡していた彼女と丁度目が合った。
「っ、伊織ちゃん」
「雫さん?」
どうしたんですか、そんなに慌てて。近寄りながらそう声を掛ける前に、俺はグッと言葉を呑み込んだ。
何故なら俺を映す雫ちゃんの瞳が一瞬揺らいだのに気が付いたから。
「……何か、ありましたか?」
俺はゆっくり彼女に近づいて行く。
「……」
雫ちゃんは俯いていた顔を上げ、何か言いたげな表情をした後すぐに首を振った。
「ううん、何でもないの。実はね、今日は学食で食べようと思ってたの伊織ちゃんに伝え忘れてて」
「学食?」
「うん。今日、お弁当忘れてきちゃって。だから、その」
「……そうですか」
――――――本当に、この子は嘘がつけないな。
俺は黙って彼女を見つめる。
……何かを隠しているのは一目瞭然、それくらい俺にだって分かる。だけど、今ここで彼女を問い詰めて洗いざらい吐き出させて何になる?雫ちゃんを責めたい訳でも、悲しませたい訳でも無い。
今にも泣きだしそうな彼女の顔を見て、何があったかなんて
「……聞けるわけねえだろ」
「、え?」
「いいえ、何にも。それなら今日は学食で一緒にランチにしましょう」
今度こそニッコリと笑みを作れば、雫ちゃんが安心したように「ワガママ言っちゃってごめんね、すぐ用意するから」と教室へ戻って行った。
……弁当を忘れた、ね。
そしてその日の放課後、事件は起こる。
部活終わり、課題の教科書を机の中に忘れた事に気が付いた俺は、いつもの如く家まで送り届けてくれると言った坊城先輩の誘いを泣く泣く断り、自教室へ向かっている最中だった。
ついてないな。折角週に一度、部活のメンバーと色々話が出来る貴重な時間だったのに。
俺はハァと溜息を吐きながら、曲がり角すぐにある1-F教室を通りすがろうとしたその時だった。
「……ってば……だから……」
「だって……だもん」
「あはは、そう……悪い……」
1-F教室から複数の笑い声が聞こえて、思わず立ち止まった。
こんな中途半端な時間に何してんだ? 普段ならもうとっくに部活やら習い事やらで生徒が帰宅してる時間。教室に残っている人間なんてほぼゼロに等しいのに。
しかも、教室は設備が整っている完全防音のはず。一体どこから声が漏れ出てるんだ……あ。扉がちょっとだけ開いてる。
薄く開いた扉が見えて、俺は納得した。
……ま、生徒が残っていようが俺には関係ないか。
俺はそのまま素通りしていくつもりだった。
だが。
「ほんと、朝河さんて目障り」
通りすがる時一瞬聞こえた言葉に、俺の足がピタリと止まる。
「ね。なんで自分が特別だと思ってんだろ」
「天逢坂様の隣にいるのが当然みたいな顔してさ」
「絶対響様の方がお似合いなのに」
本当は盗み聞きなんて良くないと分かっている。
だけど、全身にドクンドクンとうるさいくらいに早くなった鼓動が響き渡って、俺は俯く事しか出来なかった。
「これ、捨てちゃって良いよね?」
「いいんじゃない? どうせ大した物じゃないでしょ」
そう言い終わるか終わらないうちに、ガサッとビニール袋の擦れる音と笑い声が耳に入ってくる。一人が「もう行こうよ」と言ったのが聞こえて、俺はゆっくり後ずさりながら廊下の角へ身を潜めた。
扉が開き、女子生徒達の足音が遠ざかる。
彼女たちの後ろ姿が完全に見えなくなったのを確認すると、俺はすぐに1-F教室へ入っていった。
”捨てちゃって良いよね”
その言葉がグルグルと頭を巡る。絶対にそうであって欲しくないと願いながらも、俺はゴミ箱を覗き込んだ。
「……やっぱりか」
嫌な予感というものは、本当によく当たる。
ゴミ箱には見覚えのある兎柄の弁当箱と、俺がしょっちゅう交換して貰っている形の良い綺麗な卵焼きや、ウインナー。ほぼ毎日、ランチの時間に見ている物だ。
……何故、どうして。
そればかりが全身を支配する。
「(雫ちゃんの元気が無かったのは、こういう事だったのか……)」
あの時。
持って来た筈の弁当が無い事に気が付いた雫ちゃんは、慌てて廊下に飛び出したんだ。そして俺と目が合って、咄嗟に隠した。
きっと今回が初めてじゃないんだろう。だから、あんな泣きそうな顔を―――。
「(くそっ……)」
自分の不甲斐なさに心底腹が立つ。弁当を隠されて捨てられるまで、彼女の異変に気付けないなんて。
握りしめた拳に力が籠る。
俺は歯を食いしばりギッと覚悟を決めると、捨てられた弁当箱と包みをゴミ箱から引っ掴んで教室を後にした。




