42 父と娘の
42 父と娘の
確認しておこう。
レデニアン・グリムとは、レデニアにおいて至宝とされる魔術書である。
レデニアを興した英雄レデンが書き記した、彼女の魔術を網羅した魔術書であり、それは魔術師にとっては垂涎の品である。
生前、レデンは既存の魔術の多くを修め、またさらに新たな魔術を生み出し続けたと言う。
その魔術の才たるや、時の宮廷魔術師を軽々凌ぐほどであったとまで言われており、彼女を超える魔術師は現在に至るまで存在していないとかなんとか。
そんな彼女の遺した魔術書、レデニアン・グリムには、彼女の開発した新たな魔術が暗号によって記されている。
パッと見では何のことやらわからない文章も、とあるルールに則って読み解けば、それが魔術の術式であるとわかる。現在、レデニアで公開されているレデニアン・グリムの一部を研究している魔術師たちは、その解読方法を色々試しつつ、新たな魔術を探っているのである。
レデニアン・グリムが公開されてからしばらく時間が経っているが、その中で発見された魔術の数は、公開された写本に収録されていると言われる魔術の中でも一割に満たない。
それだけ難解な暗号によって秘匿されている魔術に、魔術師たちの探究心は刺激されまくりなのである。
ゆえに、レデニアン・グリムは重要な研究材料として扱われる。
その存在を軽々しく公開して良いものではない。
何せ、魔術師であったレデンもまた、その探究心に抗えなかったのである。
彼女はあらゆる魔術を研究し、開発し、それを魔術書に記した。
もし仮に、とてつもなく危険な魔術がそこに記されてあったりしたなら……。
聡明であった過去のレデニア市長は、この魔術書を町の至宝とし、一般には公開しないようにルールを作ったのであった。
****
「レデニアン・グリムが閲覧できない!」
そんな町の至宝を自由に閲覧できないことにブー垂れる少女が一人。
マリナはフィーナの仕事場である庁舎の執務室にて、ソファに寝転がりながら手足をバタバタさせていた。
「アレがないと、私が見つけたアレの解読も出来ないのに!」
「……それ、私が聞かないといけない愚痴かしら?」
絶賛仕事中であるフィーナにとって、目の前で不貞腐れている妹など、邪魔なことこの上ないのだが、それでもマリナは出て行こうとしない。
「姉さんからもあの市長に言ってよ。レデニアン・グリムを開放しろって。なんなら私にだけ見せてくれるでも良い」
「自己中心的なところは相変わらずね。ケンジさんと仲良くなって、大分丸くなってきたと思ったのに」
マリナの様子を見ながら、姉は深くため息をつく。
フィーナにとって、マリナは可愛い妹だ。
種違いではあっても、そこに確かな絆があると思っている。
だからこそ、先日はマリナがレデニアン・グリムの原本を見るのに協力してあげたりしたのだが、それが原因で今、グラナルの監視の目は厳しくなっている。
と言うより、グラナルはフィーナとマリナが結託してレデニアン・グリムを持ち出したことを既に知っているようであった。
「お父様も、私たちのやったことだからこそ、広く口外せず、レデニアン・グリムの警備を厳重にするだけで事を収めているのよ? 身内の恥を晒さないように、って。そこにさらに追い討ちしようとしてどうするのよ」
「相手が油断している時こそチャンス! こちらの力量を測り違えているなら、これこそ絶好の機会じゃない。私はこの程度で諦めないと、知らしめてやるのよ」
「あなたって娘は……」
フィーナとマリナの関係性は、まだ良好だ。
だが、父娘の関係はそうでもない。……いや、実際はグラナルとマリナに血の繋がりなどないのだが。
それゆえにと言うのか、二人の溝は時を経るごとに深刻になって言った。
今や、まともに会話をするのも年に一、二度あるかないか、と言うレベルである。
それと言うのも、マリナの出自が関係しているのだ。マリナにはどうすることも出来ないことではあるのだが、それでもグラナルの気持ちがわからないわけではない。
一度は愛した妻の不貞の証。それがマリナ。
裏切りの象徴たるマリナを、手放しで愛せと言うのは難しい話だろう。
しかしそれでも、フィーナはマリナとグラナルの関係を改善したいと思っている。
この世でたった三人の家族なのだ。その中でいがみ合っているなんて、悲しすぎる。
だからこそ、この機会にどうにか二人に歩み寄って欲しい。
そう考えるのは、わがままだろうか?
「ねぇ、マリナ。盗み出すって言う方向性が悪いんじゃないかしら?」
「……どゆこと?」
「私にはレデニアン・グリムの閲覧権利がある程度与えられているわ。それは庁舎の役人であるからって言うのもあるだろうけど、多分、お父様なりに娘を優遇したい気持ちであると思うのよね」
「……姉さんのそういう他人の善意を看破し、無関係の人間に教えるトコ、嫌いじゃないわよ」
「あなたも無関係じゃないわ」
フィーナは一度、仕事の手を止め、マリナに近づいてしっかりと座らせる。
そして肩に手を置いて、彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは私の妹。だったらお父様の娘よ」
「……はぁ、それは違うよ」
だが、マリナはフィーナの顔を見ようとしない。
視線を逸らし、少し俯く。
「私はあの女と、誰とも知らない男の娘よ。市長は関係ない」
「そんな事ない。だってお父様はあなたを引き取ったもの」
グラナルの妻であった女性の不貞が発覚した後、彼女は町の外へと追放された。
命まで奪わなかったのは一度愛した妻に対する、最大限の温情であったのだろう。それが後に手痛い反撃となって返ってきたのは、また別の話。
そして女性が追放される時、グラナルはマリナをレデニアに残すことを決めた。
当時、まだ幼かった娘を、女性と一緒に町の外へ放り出すのは人道に反すると思ったのだろう。
その思惑について、マリナはいつもどおり斜に構える。
「それは、市長の体面もあってのことでしょ。あの女は追放されて当然のことをした。でもその娘には罪はない。だから市長の庇護の下、町で暮らすことを許す。……美談よね。そりゃ人気も上がるでしょう」
「本当にそう思っているの?」
「それ以外にどう考えろってのよ。市長の育成方針が私と姉さんで著しく違うのが、何よりの証拠だと思うけど?」
確かに、二人の育成方針はかなり違う。
フィーナには市長の後継として、手塩にかけた学習と訓練がなされてきた。
対してマリナは、放任主義と言えば良いが、半ば育児放棄にも近い対応である。
この対照的な差に、マリナがすれて考えてしまうのも無理はない。
しかし、それでもフィーナは首を振る。
「お父様だって人の子だもの。あなたに対して、どう接して良いのかわからないことぐらいあるわ。あなたの言うとおり、境遇が境遇だし、お父様もあなたと同じように戸惑うわよ」
「……仮にそうだったとして、私にどうしろってのよ」
「もう一度ちゃんと、真正面から向き合ってみる気はない?」
フィーナの柔和な笑みに、マリナもようやく彼女の顔を見る。
姉の顔を立てる意味でも、この言葉を信じてみる気になったのだった。
****
庁舎の市長室のドアがノックされる。
「……どうぞ」
来客の予定はなかったはずだが、と首をひねりながら、グラナルは入室を促す。
ゆっくりと開けられたそのドアの奥にいた人物に、少し目を丸くした。
「マリナ……」
「少し、話をしても良いかしら?」
改まった様子のマリナに、グラナルも一度、仕事の手を止め、彼女にソファを勧めた。
入室したマリナは、しかしソファには座らず、市長の机の前に立つ。
「一つ、要望があるの」
「なにかね?」
「レデニアン・グリムを読む許可を頂戴」
マリナの要望に対して、グラナルは目を眇めた。
「それは……今公開されている部分だけ、と言う意味ではないんだろうな」
「当然よ。今公開されている部分は、穴が開くほど読んだわ」
「だとしたら、その要望には応えられんな。お前にもあの本がどのようなものか……いや、お前だからこそ、どれほど危険なものかわかっているはずだ」
マリナは今や、レデニアでも一、二位を争うほどの魔術師である。
昔からレデニアに住み着いていたヨネスよりも、後でやってきた魔術師協会の魔術師よりも、その才能ばかりは突出したものがあり、その才能に見合った実力も得た。
そんなマリナを相手にレデニアン・グリムを公開すると言うのは、かなり危険なことである。
マリナならば、レデニアン・グリムに記された魔術も粗方読み解いてしまう可能性はある。
グラナルもレデニアン・グリムの全内容は把握していないが、もしとてつもなく危険な魔術が収められていた場合、それを解読されるリスクは考える以上に高い。
ならば、マリナにあの本を公開するなんて判断になるわけがなかった。
「大体、お前はあの魔術書を読んで、それをどうすると言うんだ? 今現在でも既に、その身に余る魔力を宿し、様々な魔術を操ることが出来るとヨネスから聞いている。今以上に力を得てどうするつもりだ?」
「単純に力が欲しいわけじゃない……これはレデニアのためになるはずなの」
そう言ってマリナは市長の机に、一冊の本を置いた。
それはかなり古ぼけたモノであったが、装丁がレデニアン・グリムに似ている。
「これは……?」
「町の地下、レデンの眠る棺の下に隠されていた、もう一冊のレデニアン・グリムよ」
「もう一冊の……!?」
マリナがこの存在に気付いたのは、ヨネスに『剣士としてのレデン』を否定された時だった。
あの棺に霊剣ファニアが納められていたのは、もう一冊の魔術書を隠すためのエサだったのである。
盗掘者がいたとしたら、霊剣ファニアほどの名品を手に入れれば、その下に隠された本当のお宝を気にせず満足して去ってしまうだろう。
マリナもケンジも、カミケンやエストすらも、それにまんまと騙されたわけだ。
「この本の序文には、本を発見した人間への賛辞と共に、収められている内容と解読法のヒントが書かれてあったわ。この本を解読するには、レデニアン・グリムが絶対必要なの」
「……この本にはどんな魔術が収められているんだ?」
「神を作る方法」
マリナから聞かされた内容の突飛さに、グラナルは一瞬、冗談かと思って笑みを浮かべる。
しかし、マリナは至極真剣だ。
彼女の表情を見て、グラナルも真顔になる。
「それが本当だとして、神を作ることが町にどんな利益をもたらすと言うんだ?」
「ケンジとカミヤの一件で、私は泉の女神に少し懐疑心を抱いているの。このままあの女神の庇護の下で生活していて大丈夫なのか、ってね」
エストはケンジを騙し、カミケンを隠して育て、最後の最後だけ掻っ攫おうとしていた小ズルさを持ち合わせている。
そんな人を騙すようなことをする女神を、このまま盲信して、その庇護の下で生活していて大丈夫なのだろうか? その疑問はもっともである。
いつかその盲信に対する犠牲を払う必要が出てくるかもしれない。
「あの女神にいつまでも主導権を握られ続ければ、きっと町に不利益になる。それに対抗する手段として、この術を確立しておく必要があるわ」
「簡単に言うがな、マリナ。この術の内容も現状ではわからないのだろう? それが対抗手段になりえなかったらどうする?」
「その時は別の手段を考えるわ。今は可能性のあるものに手を伸ばすべきじゃない?」
「お前にレデニアン・グリムを公開するリスクに対するリターンをどうするか、と聞いているんだ。正直、私はお前がこれ以上の魔術師に成長したなら、町の脅威になりえるとすら思っている」
大成した魔術師は、たった一人でもかなりの脅威である。
ほとんどの魔術師は魔術の探求にのみ心血を注ぎ、倫理観に欠いた行動を取ることもある。
研究のための資材を調達するのに近隣の町村とのいざこざを起こす、と言う話もままある。大概の場合、そういった魔術師は協会に所属していないはぐれの魔術師であるが、そういった存在が人々の脅威になることはよくある話だ。
グラナルは、マリナもそういった存在に近いと思っているのだ。
何せ、レデニアの市長であるグラナルとマリナは、あまり仲がよろしくない。
マリナが多大な力を持ってグラナルと対立した場合、それは厄介な敵となるだろう。
今現在でもマリナは強い魔術師である。これ以上、レデニアン・グリムから強力な魔術を引き出したりしたなら、手に負えなくなることもあるだろう。
そのリスクを背負ってまで、エストとの対立などと言う、あるかどうかもわからない未来に予防策を立てる必要はあるだろうか?
「市長が私を信用できないのも、もっともだと思うわ。私だって、市長を心から信用しきれない気持ちがある」
「ならば、この交渉も無意味なのではないかね? 交渉と言うのは、お互いに信頼を保った状態で行うものだ」
「そうね。だからこそ、私はここに来たの」
きっかけは確かに、フィーナに言われたからだ。
グラナルと話すことは、マリナにとっても怖いことだ。
一応、マリナの保護者でもあり、身柄を引き取ってくれた養父でもあるグラナル。
そんな人物との対話で、自分が拒絶される可能性は大いにあった。
一度、忌み子の認定をされているマリナにとって、もう一度拒絶されることは最大の恐怖になるだろう。
その恐怖を乗り越えてこの場に挑んだのは、フィーナに言われたから、と言う以上に、グラナルを信じたかったからである。
「このまま市長……お父さんとこんな状態のままは嫌だし」
「マリナ……」
「私を娘だと思ってくれているなら、たった一度だけでいい。私を信用して」
それは、父親にとっては殺し文句であっただろう。
娘からそんなことを言われて、突っぱねられる父親はいない。
ここは、グラナルの負けであった。
****
「そういえば、最近あの娘とは一緒じゃないのかい?」
「あの娘?」
カツン、カツンと木刀をぶつけ合うケンジとカミケン。
いつもどおり、自警団の詰め所で訓練を行っていたのだが、そのイベント性は既に失われているようで、今や観衆はほとんどついていない。
その中での雑談であった。
「確か、マリナさんって言ったっけ? 俺は最近、姿を見かけてないんだけど」
「ああ、マリナか……ボクも見てないよ。なんでも、研究に没頭するとかなんとかで」
「研究……そうか、彼女は魔術師だっけね」
マリナがグラナルに直談判してから数日が経過していたが、その間、マリナはまともに外へ出ている様子もなかった。
どうやら研究とやらに心血を注いでいるらしく、他者との接触も極力避けているような節すらある。
「心配じゃないの?」
「マリナなら大丈夫さ。殺しても死ぬようなやつじゃないし」
「信頼しているんだな」
「……そうなのかもね」
そんな話をしながら、二人の訓練は続いた。




