29 良い話と悪い話、どっちからが良い?
29 良い話と悪い話、どっちからが良い?
正教の事件が終わって数日。
比較的平穏な毎日を過ごしていたレデニアに、今日もまた穏やかな朝が訪れる。
「ほら、ケンジ! 早く起きた起きた!」
「え!? うわ!?」
ケンジの穏やかであるはずだった一日は、けたたましい声と共に破壊される。
いつもならばフィーナが朝食の準備等を行ってくれるお陰で、ケンジは悠々とした朝を送れるのだが、今日は思ったよりも早めに声がかけられた。
さらに付け加えれば、言葉が荒々しい。
「な、なんだ……!? また何か事件が……!?」
「物騒なこと言わないの。今日も穏やかな晴れの日よ」
「ま、マリナ!? なんでここに!?」
今朝、ケンジに最初の一声をかけたのはフィーナではなくマリナであった。
一瞬、顔だけ見れば姉妹ゆえに似ているし、声も似通っているため、寝ぼけた頭ではすぐに判断できなかったが間違いない。
「最近は姉さんも忙しいから、アンタの世話なんかしてる暇ないのよ」
「だ、だからってマリナが……」
「私じゃ不満だって言うの?」
「不満って言うか……マリナって料理とかできるの?」
「そういえば、アンタには私がどこで暮らしてるのか、話してなかったっけね。私も居住区で一人暮らししてるのよ」
「え? 一人暮らし?」
マリナは市長の家族である。父親もいるし、姉もいる。
それなのに一人暮らしをしていると言うのは、やはり彼女の出生に関係しているのだろう。
「マリナって……やっぱりグラナルさんとは仲が悪いの?」
「……仲が悪いって言うか、なんと言うか」
いつも歯に布着せないマリナが、言葉を選ぶように言いよどむ。
これまでケンジがレデニアで過ごしてきて、グラナルやマリナの態度を見る限り、二人の間柄は一般的な父娘のそれとは少し違うように思えた。
と言うのも、マリナが種違いと言うのだから、グラナルにとってはある程度仕方のない反応であろうか。
元妻の不倫の証。それがマリナである。
そんな娘を前にして、フィーナと同じように愛を注ぐのは、彼には難しいことだったのだろう。
マリナもマリナで、自分の立場を熟知している。年齢以上に聡い娘だ。グラナルの気持ちもわかるし、自分がどうするべきかもわかってしまう。
だから、独り立ちできる年齢になってすぐ、居住区にある空き家を探し出して、そこで一人暮らしを始めたのだ。
マリナにとって、グラナルは唯一の父親である。顔も見たことすら数えるほどであった実の父親など、彼女にとっては路傍の石以下の存在だっただろう。
そう、どんなに疎まれようとも、父親なのである。
マリナが父親との仲を尋ねられ、『仲悪いよ』などとあっけらかんと言えないのにも、理由があるわけである。
それに気がついて、ケンジは慌てて取り繕う。
「あ、いや、ごめん。ちょっとデリカシーに欠けてた」
「……ホントよ。無神経クソ野郎め」
「酷い言われようだ……」
とは言え、ここは甘んじて受けよう。これはケンジの失態だ。
だが、マリナも初手で『うるさいバカ、アンタに関係ないでしょ』と一刀両断しなかったあたり、ケンジに対しても対応が柔和になってきただろうか。
「それより、朝ごはん、食べるんでしょ?」
「あ、ああ。せっかく作ってくれたんだし、ありがたく頂くよ」
不意打ちを受けた目覚めであるが、ようやくいつもどおりの朝がやってこようとしていた。
「ほんで、ストライダー様の今日の予定は?」
朝食を二人で食べながら、マリナが口を開く。
予定を尋ねられ、ケンジは少し空中を眺めて記憶を掘り返した。
「そうだなぁ。庁舎に顔を出して、自警団の詰め所でグラナルさんと訓練して、町の中をパトロールして……いつもどおりかな」
「アンタっていつもそんなにつまらなさそうな毎日を送ってるの?」
「つまらなさそうって……じゃあマリナはどうなのさ? ヨネスさんも凌ぐほどの才能をお持ちの魔術師さまなら、さぞエキサイティングな一日をお送りになられるんだろうね?」
「私はそのヨネスのクソつまらない講義がほとんどよ。改めてヨネスの話を聞いてると、悔しいけど、知識量じゃまだまだアイツに敵わないって思ったわ」
流石に魔術協会所属の魔術師と言うわけか。ヨネスとマリナで比べれば、その魔術的知識の差は歴然である。
彼からの講義は、マリナが魔術師として成長するためには必要なものなのだろう。
しかし、彼女の言葉端が気にかかる。
「ほとんど、って事は別にやることでも?」
「まぁね。ヨネスの講義が終わったら、個人的な研究を」
「研究! すごいじゃないか。なんかちょっと魔術師っぽいよ」
「アンタは私を何だと思ってるのよ……」
見習いではあってもマリナは魔術師。魔術研究を行うのは当然と言ってもいい。
しかし、マリナがまじめに研究などするとは思ってもみなかったので、そりゃ驚きもする。
同時に興味もわく。
「何の研究をしているの? マリナのことだから攻撃魔術の破壊力を高める研究とか?」
「アンタが私のことをどう思ってるのか、よくわかったわ。試してみる? 攻撃魔術」
「遠慮しておきます……」
マリナの目が妖しく光るのを見て、背筋に寒気を覚えたケンジは諸手を挙げた。
「まぁ、その辺の研究もやってないわけじゃないけど」
「やっぱりやってるんじゃないか……」
「とは言っても、魔術の術式に工夫を加えて威力を向上させるわけじゃなく、外部の要因によって成果を出すタイプの研究だったから、魔術協会の主流派閥からは評価されないっぽいのよね」
「主流派閥……? そんなものがあるのか」
「面倒なのよ、組織ってのはね」
魔術師にもいろいろとあるらしい。薄く笑うマリナの顔が、会社に疲れたOLのように見えてしまい、ケンジも少しは労わってやろうと言う気持ちになった。
「その研究って、今日はいつごろ終わる予定?」
「予定って……研究は誰かに強制されてるわけじゃないからね。いつでも終われるし、いつまでも続けられるわ」
「じゃあ、ちょっと早めに切り上げない? 今日はちょっと気晴らししよう」
「気晴らしぃ? アンタ、なんか気の利いた場所とか知ってんの?」
「それはお楽しみに、だよ。じゃあ約束だからね」
「……まぁ、いいわ。期待しすぎないように、待ってるわ」
そんなわけで、二人で出かける約束を取り付けた。
****
「おはようございます」
ケンジが庁舎へと顔を出す。
レデニアに来てから、ケンジは特に用がなくとも庁舎に顔を出すことが多かった。
と言うのも、自分から仕事を探す能力には欠陥のあるケンジが、庁舎にいれば何かしら仕事を振ってくれるのだ。こんなにありがたいことはない。
正直、復興に必死になっているレデニアにあって、何もせずに暇をもてあましていると言うのはかなり居た堪れない。仕事が与えられると言うのはありがたいことなのである。
そんなわけで、今日も今日とて庁舎へとやってきたのだ。
「あら、ケンジさん。おはようございます」
「おはようございます、フィーナさん。今日は何か、お手伝いすることはありませんか?」
「ええ、もちろんありますよ」
収穫祭も終え、坑道への道も開通し、レデニアはかなり落ち着いてきているのだが、庁舎での仕事はまだまだ山積みである。
庁舎の中でのデスクワーク、外での訪問業務、どちらも全然手が足りていない。
ケンジはブレイヴによってスキルの継承が行えるため、内外で役に立つ人材である。庁舎としてはこれを逃す手はない。
「先日、正教の方から送られてきた慰謝料なのですが、それの使い道に関して資料をまとめたいと思っています。各方面からの意見書の内容のまとめと、そこから有用そうな使い道をピックアップしてリスト化、順位付けなどをお願いします」
「そりゃまた……大変そうですね」
「ええ、それをケンジさんがやってくださるんですよね?」
最近、フィーナから受ける扱いが、かなりぞんざいになってきている気がする。
それとも、これが彼女の素なのだろうか。
「それが終われば、具体的な使い道の会議のための資料作成、町内の方々への説明会を行うための準備、取引先との連絡などなど、まだまだケンジさんには手伝って欲しいことばかりです。期待してますわ」
「は、はは……」
仕事がもらえるのはありがたいことだ。
だが、大変過ぎるのはどうだろうか……。
「ちなみに、フィーナさんは何を……?」
「私の今日の予定は、工房の職人さんがたと、手に入る予定の鉄鉱石の分配を決定する会議、農村を視察して来年に向けての改善点の洗い出し、新しい農奴へ農作業の指導、それが終わればセルリナからいらっしゃる外交官と意見交換、また隙を見て自警団の詰め所の方にも顔を出して、パトロールなどのシフト調整ですかね。他にも庁舎の諸雑務をこなして、他の役人さんたちのサポートと、魔術協会の方へも挨拶に――」
「いや、すみません、もう大丈夫です!」
後半、死んだ目をしながら超多忙なスケジュールをそらんじるフィーナは、正直、少し怖かった。
気晴らしが必要なのは、むしろフィーナなのでは……?
「フィーナさん、ちゃんとお休みとか取ってます?」
「大丈夫ですよ。これでも強かなんですから」
「でも、あまり仕事ばかりだと身体を壊しますよ」
「ふふ、心配してくださって、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。ちゃんと休憩は適宜取っていますし……」
「いますし?」
「少し、楽しみも見つけましたから」
フィーナの笑顔に、少しだけみずみずしさが戻ったような気がした。
人間、人生を全うするには『楽しみ』と言うのがとても重要である。
フィーナもそれを見つけられたのなら、そのために頑張れる、と言うことなのだろう。
「それに、ケンジさんも手伝ってくださいますしね」
「はい、頑張って手伝いますよ!」
頑張って働くフィーナのために、ケンジも微力ながら支えなければ、と奮起するのであった。
****
昼ごろになって、デスクワークに一段落つけたケンジ。
「続きはまた明日かな……」
あんまり根をつめすぎていたのか、目がかなりショボショボしている。
目頭をぎゅっと押さえながら椅子から立ち上がり、一つ大きく伸びをした。
凝り固まった身体をほぐしつつ、道具をてきぱきと片付ける。
「おや、ストライダー様、上がりですか?」
「ええ、これから自警団の詰め所に行こうと思って」
他の役人に話しかけられ、にこやかに受け答えをする。現世では考えられなかった社交性だ。
「また市長さんと訓練ですか? 精が出ますね」
「まぁ、ボクも訓練しないと先行きが不安なので」
「ははは、ストライダー様は謙虚なことだ」
豪快に笑って去っていく役人を見送り、ケンジも少し苦笑する。
自分も訓練しないといけない、と言うのは正直な感想だ。
ここ最近はずっとグラナルと訓練をしているのだが、未だに彼との訓練においてまともに勝利したことがない。
いつも今回こそは、と思っているのだが、グラナルの本気を引き出している気すらしないのだから、彼の底力は侮れない。
だが、同時に自分がグラナルについていけている実感もある。
日に日に実力がついて来て、グラナルとの立ち合いにも手ごたえを感じるようになった。
「よし、今日こそは!」
そう思って、ケンジは今日も詰め所へと向かうのだった。
****
一方、庁舎の応接室にはフィーナと、もう一人見知らぬ男性がいた。
彼はレデニアの西方にあるセルリナという町からやってきた外交官である。
「まずは、レデニアの復興、おめでとうございます。本来ならばもう少し早く訪問させていただきたかったのですが、セルリナの状況も微妙なものでして」
「いえ、セルリナには大変お世話になっていますもの。これからも懇意にさせていただければ、それ以上は望みようもありませんわ」
笑顔で応対するフィーナ。彼女の言葉はお世辞などではなく、実際にセルリナからの援助はかなりありがたいものであった。
レデニアの主な取引先はセルリナである。
レデニアで作られた交易品のほとんどはセルリナへと輸出される。また、レデニアが買い付ける品物も、大概セルリナから買い付けている。セルリナが貿易等で仕入れたものを、さらにレデニアが購入しているため少し割高となるが、それでもかなり助かっていることには違いがない。
「それで、今回の訪問には、どのような目的があるんですか?」
「はは、何か企んでいるように言われるのは心外ですね」
「ですが、わざわざこちらまでやってきてくださるのには、相応の理由があるのでしょう?」
現在、レデニアとセルリナの関係的に、セルリナ側から外交官がやってくるのは考えにくいことだ。
一度、滅亡しかかったレデニアに対して、現在も正常に運営を続けているセルリナでは、セルリナの方が立場的に上である。レデニアから外交官が出向するのが通常であり、セルリナの外交官にご足労頂くのはよろしくない。
事前に二つの町で、そういうやり取りはあったのだが、セルリナはレデニアからの出向を断ってレデニアへと外交官を向かわせていた。
そこに意図を感じるな、と言うのは無理な話だ。
フィーナもそれがわかっている。それを見て外交官も小さく笑ってから話を続ける。
「セルリナでは少し、監視の目がきつくてね。情報が外に出ないように警戒しているようだ」
「警戒……? 一体誰が?」
「その点、レデニアは先日の一件もあって、あそこに貸しがありますし、監視もゆるいようですから、情報の共有には持って来いなんです」
「先日の一件……貸し……まさか、正教?」
キーワードから察するに、先日の一件とは正教の盗賊活動事件。そしてその事件によって正教には貸しがある。推察するのは簡単だった。
「セルリナは正教から監視を受けているんですか?」
「とある情報に関してね……。諜報部が有能だと言うのも考え物ですな」
「優秀な人間には、相応のリスクがあるものですわ。……それで、今回の意見交換は、その監視された情報に関して、と言うことですか?」
「その通りです。……先日の盗賊の一件、その収拾に当たった上級騎士のことを覚えていますか?」
あの事件でフィーナが名前を聞いていた騎士は二人。
事件の首謀者であったレイナーと、事件解決に協力してくれた上級騎士、ロルトレンである。
「あの上級騎士、ロルトレンは地方を荒らしまわっている下級騎士を追い掛け回すために、この辺りまで遠征をしていたわけではないのです」
「内部の恥を浄化するのも大事な仕事でしょう? 上級騎士がそのために遠征するのも不思議ではありませんが……そのほかに何か理由が?」
「彼らの元々の仕事は、北方の諸国をめぐり、異教の神の討伐や調伏、だそうです」
「調伏とはまた、驕った物言いですこと」
「彼らにとっては彼らこそが、そして彼らの頂く唯一神こそが至上の存在ですから、そのような言い方にもなりましょう。……それよりも、北方の遠征を行っていたはずの彼らのうち、ロルトレンの部隊がこちらへ戻ってきた理由が問題なのです」
遠征途中に一部隊のみ別行動をする理由、負傷者の移送や伝令、物資の調達など、いくつか考えられることはあるが、それを問題にするほどとなるといまいち思い当たらない。
「あるとすれば、脱走者の追跡ですか。それこそ騎士が盗賊へ堕ちる一因となります」
「半分正解、といったところですね」
「と言いますと?」
「彼らが追いかけていたのは、遠征で命を落とした騎士の追跡です」
「……おかしなことをおっしゃいますね。死者が遠征から逃げ出すとでも?」
茶化した様子のフィーナの言葉に、外交官は試すような表情を浮かべる。
どうやら、冗談などではないらしい。
「詳細を伺ってもよろしいですか?」
「ええ。しかし、これを知ればあなたも、レデニアも正教に睨まれることになりますよ?」
「その情報がレデニアにとって必要だと思われたから、あなたは今回の意見交換をしてくださるのでしょう?」
そして、それがセルリナにとっての利益にもなる。正教も監視に使える人材は限られているだろう。しかもこんな辺境に配置する監視員に人材を多くは割けない。
となるとレデニアに監視員を増やせば、セルリナの監視が手薄になる可能性はある。
外交官の狙いはその辺だろう。
そこまで見透かして、フィーナはその情報を欲している。
「聡い女性だ。尊敬に値するよ」
「お褒めに預かり、光栄ですわ」
セルリナの外交官が言うには、正教の実働部隊が、他教の神を殺していると言う噂は、本当であった。
ロルトレンを含んだ北方遠征部隊は実際に何柱もの神を屠っていたのである。
それは部隊としての優秀さを物語る結果ではあったのだが、一部事実とは異なる。
「正教実働部隊ほうき星には、飛び切りのエースがいたんですよ」
「エース……?」
「突出した武力を以って先陣を切り開き、ほぼ独力で何柱もの神を討ち取った、通称『神殺しの英雄』。ほうき星の中では誰からも一目置かれていたようです」
「神殺しの英雄……」
物々しいあだ名に、フィーナは少し寒気を覚える。
その名が実力に違わぬのだとしたら、その力は一体どれほどのものなのだろう。
「彼は神を殺し、栄誉と新たな力を得ました。神を殺すことで神を凌駕する器を手に入れ、そこに人を軽々と凌駕する力を満たしたのです。神を殺すごとに、彼は人の枠を外れ、超人とも言えるような存在となっていった」
「ケンジさんの言っていた『レベルアップ』というものに近いのでしょうか」
「なんです?」
「いえ、こちらの話です」
実際に考え方としてはレベルアップに近いのだろう。
どういう理屈かはわからないが、神を殺せば『器』とやらがでかくなり、そこに新たな力が満たされる。それはボスを倒して経験値を得て能力を向上させるレベルアップとどこが違うのだろうか?
むしろ、ゲームのバランスを考える必要もなく、具体的な数字として考える必要もない分、こちらの神殺しの方が伸び幅は恐ろしいかもしれない。
「そんな英雄がいらっしゃったのでしたら、正教の遠征もさぞ順調だったのでしょうね」
「そうでしょう。実際、北方ではかなりの土地神が屠られたとも聞いています。このままではいつか、大陸全土が正教に統一されてしまうかもしれませんね」
「それは恐ろしい」
「しかし、彼ら遠征隊に思いもよらぬ事件が発生したんですよ」
「それが今回の、死者の脱走であると?」
「ええ、それも、その死者は放っておけない存在だったのです」
「……まさか」
話の流れから推察できる。出来てしまう。
セルリナの外交官とて何の脈絡もなく神殺しの英雄の話はするまい。
だとしたなら……。
「脱走したのは神殺しの英雄です」
「……やはり、ですか」
「しかも厄介なことに、かの英雄は神を殺して力を増すごとに、別のものも蓄えていったのです。それが、神からの恨み」
「神が人を恨む……?」
「そりゃそうでしょう。神にとって我々人間は下々の存在。そんな人間に刃を向けられ、あまつさえ殺されてしまうとなれば、その恨みも一入でしょう。神殺しの英雄はその恨みすらも何柱にも渡って蓄え続けたのですよ。……そして先日、その英雄が死亡しました」
「それは……戦闘で?」
「ええ、そう聞いています。北方でも正教に対する抵抗力が高まり、反勢力が力を合わせて正教へと反抗したのです。結果、神殺しの英雄は反勢力の神によって首をはねられ、死亡しました。正教の北方遠征も一時頓挫……あるいはこのまま撤退の可能性もありましょう」
正教の部隊もそれほど弱いチームと言うわけではないのだろうが、これまで何柱もの神を屠ってきた英雄を殺されてしまっては、その士気ががた落ちするだろうし、何よりかなりのレベルアップを経た英雄ですら倒せない神となると、普通の人間ではまず太刀打ち出来まい。
撤退もやむなし、と言うことだろうか。
「ですが、事件はここで終わりません。神々の恨みを受けていた神殺しの英雄は、首をはねられてもまだ活動していたのです。しかし正気は失っていたようでして、その場で暴れだしたそうですよ」
その現場に居合わせた諜報員も、命からがら逃げ出してきたとか何とか。かなり幸運であったと言えよう。
「こうしてかなり厄介な生ける屍の出来上がりだ。しかもその力は生前と寸分違わないと来ている。その場にいる正教連中では押し止めることは出来ず、英雄の脱走を許してしまったそうです」
「待ってください。それを追いかけてロルトレンさんがこちらへやってきたと言うことは、その英雄とやらはレデニアの近くに……?」
「考えてもご覧なさい。生ける屍など魔物とほぼ同義です。ただべらぼうに強くて、べらぼうに耐久力も高い。聞くところによると、魔物とはマナの中では生きづらいようですね。彼らには彼らの馴染んだ空気の方がよろしいとか」
「……瘴気!」
魔物はマナの中では活動が出来ない。エストの水によって瘴気を浄化された時、魔物が浄化された空気の中で苦しむのはそういうことだ。
魔物にとって瘴気とは、人間や普通の生物における空気と一緒だ。それなくしては生きていけないのである。ならば、それが近くにあると知れば、それを求めるのは当然だ。
神殺しの英雄は死んで魔物と化し、苦しみながらもマナの中を逃げ惑い、そして最終的にレデニアの北にある山へと至った。
かの邪竜、アグリム・ドゥガルが永遠に生み出し続ける瘴気という安住の地を得たのである。
フィーナはアグリム・ドゥガルの前に立ちはだかる首なしの騎士を想像して、唇を噛む。
「厄介な……」
「ロルトレンはその英雄を追いかけてこちらにやってきたのですよ。……いえ、なお突っ込んで申し上げれば、かの英雄が瘴気の外へ出ていない事を確認したのです」
「……そういうことですか」
正教にしてみれば、神殺しの英雄が外へ出るのは許しがたいことである。
彼が正気を失い、その辺で暴れまわれば正教のネガティブキャンペーンとなる。神にとっては信仰心が大事であると同時に、宗教にとっても信仰心やイメージはとても重要なものである。
民からの心象が悪くなれば、信者も離れていってしまうだろう。
それを防ぐために、ロルトレンの部隊は神殺しの英雄を追いかけたのだ。
だが、その英雄が瘴気の中にとどまったとなれば、追いかける理由はなくなる。
魔物は瘴気の中でしか活動できない。ならば英雄もその中でしか暴れまわることはしないだろう。
ならばしばらくの間は対策を練る時間が出来る。それまでは放置、と方針を決めたわけだ。
近所にそんな厄介者が住んでしまったレデニアのことなどお構いなしで、だ。
「これは、正教に対する貸しどころの話ではなくなっていますね……」
「確かに、レデニアにとっては迷惑この上ない話でしょう。ですが、もし仮に、あなた方レデニアが有するストライダー殿が神殺しの英雄の顛末を白日の下に晒すことができれば、正教に対して大きなアドバンテージを得ることが出来る。……そうは思いませんか?」
「リスクが大きすぎます。そんな途方もない力を得た怪物だなんて……」
「アグリム・ドゥガルを討伐するには、その英雄も道を阻むでしょう。どの道倒さねばならぬ存在であることは覚えておいてください」
アグリム・ドゥガルだけでも厄介な存在なのに、それにさらに上乗せしてかなり重たい存在が現れてしまった。
フィーナの気も重くなるが、しかしやらなければならない。
「ケンジさんにはまた、大きな仕事を押し付けてしまいますわね」
果たして、あの九人目のストライダーは今度こそ町を救ってくれるのだろうか?
フィーナは頭痛を覚えながらも、ひたすら祈るしかなかった。
****
そんな事態になっていることなど露知らず、ケンジは自警団の詰め所から馬を借りているところであった。
「では、少しの間、お借りします。日没までには戻しますので」
「了解。落っこちるんじゃないぞ、ストライダー殿」
「わかってますよ」
ケンジの手綱捌きもかなり上達したものだ。
最初の頃は、ブレイヴで乗馬技術を手に入れて意気揚々と馬にまたがり、その馬に嫌がられて振り落とされたりしたのだが、現在ではある程度の馬ならば乗りこなすことが出来るようになった。
これも訓練の賜物だろう。
「じゃあ、行こうか」
ブルル、と鼻を鳴らす馬の首筋を撫でた後、軽く腹を蹴る。
すると馬は石畳を蹄鉄で打ち鳴らし、小気味の良い音と共に走り出した。
この蹄鉄と言うのもレデニアの工房区の謹製である。
さてまた一方、レデニアに出来上がった魔術師協会支部。
協会の援助を受けることになった時から、大分早い段階で出来上がっていたこの建物に、レデニアに住み着いた多くの魔術師が登録している。
登録による恩恵には町から研究援助の物資提供が行われたり、レデニアにない研究材料の取り寄せの優先などが含まれるが、一番大きいのはやはり、レデニアン・グリムの研究権利であろう。
過去の英雄でありながら、様々な魔術を編み出した傑物、レデン。
そのレデンが残した魔術の集大成、レデニアン・グリムは魔術師にとって研究し甲斐のある対象であった。
現在ではヨネスとケンジが作った写本が公開されており、レデニアン・グリム全編を通してみればわずかな部分でしかないものの、それでも公開がなされて半年経っても新たな発見があるのだから、この魔術書の底が知れない。
そんな魔術師協会支部の建物の前で、暇を持て余す少女が一人。
「おや、マリナさん」
「……あぁ、ヨネスか」
外回りから帰ってきたヨネスが、その少女――マリナを見つける。
「何か用?」
「いや、マリナさんがこんなところにいるのが珍しくて」
「ふん、私だって今はもう、立派な魔術師よ。支部に来たっておかしくないでしょ」
「ええ、支部に来るのはおかしくありませんが……支部の前で一人呆けている様は、実にあなたらしくない」
わかってるわよ、の言葉をマリナは口の中で押し止める。
何せヨネスは今のところ、マリナの師匠である。
彼にあまり突っかかるのはやめよう、とマリナなりに気遣いをしているのだった。
そんな気遣いすらおかしくて、ヨネスは小さく笑う。
「誰かと待ち合わせですか?」
「そのはずなんだけどね。一向に来やしない」
「では、中で待ったらどうです? お茶ぐらい用意できるでしょう」
「嫌よ、魔術師の作るお茶なんて。何が入っているかわかったモンじゃないわ」
確かに、とヨネスも苦笑する。
何かにつけて研究熱心な魔術師である。お茶に何かを混ぜて人間で実験をするという危ない思想の魔術師がいてもおかしくはない。
「では、私は中へ入りますが……」
「ああ、そう。だったら早く行きなさいよ」
「そうですね。……と、おや? 待ち人来る、ですかな?」
ヨネスの言葉を聞いて、マリナも顔を上げる。
するとすぐそこの角を曲がって、馬にまたがったケンジがやってきた。
「マリナ! それに、ヨネスさんも」
「こんにちわ、ケンジさ――」
「遅いわよ!」
ヨネスの挨拶を退けて、マリナがずかずかとケンジに詰め寄る。
その気迫で馬が一瞬たじろいだぐらいであった。
「な、えっ?」
「私がどれだけ待ったと思ってるの!? もう来ないんじゃないかと思ったわよ!」
「え、ご、ごめん……考えてみれば時間を決めてなかったと思って。……これでも全部の仕事を早めに切り上げたつもりだったんだけど」
「当然よ! 私だってやること放って来たんだから!」
睨みつけるマリナに対して、ケンジも苦笑する。どうするべきか、とヨネスに助けを求めたが、彼もまた小さく笑っていた。
と言うのも、マリナの剣幕はいつもとどこか違う。
ケンジもマリナとは半年以上の付き合いになるが、彼女の怒り方の違いについてなんとなく把握できるようになっていた。
今日の怒り方は、どこか角が丸い。
「なにニヤニヤしてるのよ、気持ち悪い」
「うっ、酷い言われようだな。……待たせちゃったのはボクが悪かったからさ。機嫌直してくれよ」
「別に機嫌なんか悪くないわよ! ただアンタが……せっかく二人で出かけるってのに、思ったより普通だから……」
「え? なんて?」
「なんでもない!!」
顔を真っ赤にして怒るマリナに対して、ケンジはどう対応していいやらわかりかねていた。
だが、それを傍から見ていたヨネスにはわかる。
マリナの怒り方がいつもより丸いのは、アレは怒っているというよりも照れているだけなのだ。
何せマリナは自分の研究を放って、待ち合わせに遅れないように待機していた。それは楽しみにしていることの証明である。
だが現れたケンジはどこかいつもどおりの様子である。
自分だけが舞い上がっていると、ケンジに思われるのも癪だ。
なので照れ隠しに大声を出してみたものの、ケンジに嫌われるのもよろしくない。
「ふむふむ、若いと言うのはよろしいことですな」
二人の様子を遠巻きに見つつ、ヨネスは年寄りじみたことを呟いてしまうのであった。
「さぁ、マリナ。乗って」
「え、乗ってって言われても……」
馬上から手を差し伸べるケンジに対して、マリナはどうにもしどろもどろだ。
「どうしたのさ? 馬が怖い?」
「怖いワケないでしょ! ……でもちょっと、慣れてないだけで」
「マリナはあんまり馬に乗ったことないんだっけ」
「そりゃそうよ。どういうタイミングで、私が馬に乗るってのよ」
確かに、町の中――とりわけ居住区と魔術師協会支部だけで活動しているマリナにとって、馬に乗る理由はないだろう。全て徒歩で充分な距離である。
そんなマリナが急に『馬に乗れ』と言われて戸惑わないわけもなかった。
「大丈夫、ボクが手綱の握ってるから、暴れたりしないよ」
「本当でしょうね……急に走り出したりしたら、焼き殺すわよ」
魔術師となったマリナには、本当に出来ることだから冗談に聞こえない。
そんな脅し文句を言いつつ、マリナはケンジの手を取った。
その時、自分の身体が宙に浮かぶような感覚を覚える。
ケンジに腕を引っ張られ、また身体も抱え上げられ、今まで味わったことのない浮遊感を体感したのであった。
「ちょ、ちょっと、どこ触ってるのよ!」
「はいはい、すみませんね。こうしないと馬に乗せられないもので」
ケンジに抱えられるような形で、マリナがちょこんと馬に乗る。
その状態では落ち着かないのか、マリナの視線がかなり泳ぐ。
「だ、だだ、大丈夫なのよね。落っこちたりしないわよね」
「大丈夫だと思うよ。しっかり掴まっていればね」
「町の外で落馬した人が大怪我したって聞いたわ! 本当に大丈夫なのよね!?」
「もう、しつこいな……あんまり喋ってると、舌をかむよ!」
「ひっ!」
ケンジが馬の腹を蹴ると、馬は一つ嘶いて地面を蹴飛ばす。
馬が気持ちよく走っている間は、マリナも珍しく静かであった。
****
そうこうしている間に二人がやって来たのはエストの泉がある森の中。
今や木々の葉っぱもかなり色づき、秋が訪れていることを強く感じさせる。
「うわぁ、紅葉が綺麗ね」
「すっかり馬に慣れてしまったな……」
最初は縮こまっていたマリナであったが、町を出る頃には既に馬の感触やそのスピードにも慣れてしまったらしく、馬上でも楽しげに笑っていた。
だがまぁ、気晴らしにやってきたのだから、楽しく感じてもらわなければ困るか。
「狐狩りでも出来そうだわ。今度、みんなでやりましょうよ」
「はは、それはまたボクも新しく技術を覚えなきゃいけないな」
「きっと簡単よ。アンタなら追い立てる役も、狩人役も、どっちもすぐこなせるでしょ」
「そう上手くもいかないんだよなぁ」
一応、レデニアに住んでいる狩人から弓の扱いのブレイヴを手に入れては見たものの、これが剣を振るよりも難しい。
なんとなく矢を飛ばすことが出来ても、矢が風によって逸れたり、獲物にはやすやすと逃げられたりと、上手くいかないことばかりだ。
距離が空いたら空いただけ考えることは増えてしまう。その点、直感的な判断でどうにかする接近戦の方がケンジの性には合っているのかも知れない。
獲物を追い立てる役だとしても、獲物の逃げる先を考えて誘導するなどは、結構難しいものだ。他に仲間がいるとしても、ちゃんと連携を組まなければならない。
訓練をしなければまともに狐狩りなど出来ないだろう。
「すぐには無理だと思うよ」
「じゃあ、来年でもいいわ。それまでにちゃんと訓練しておくことね!」
「来年……か」
ふと、ケンジの頭に疑問が浮かぶ。
来年などあるのだろうか、と。
ケンジの目的はアグリム・ドゥガルの討伐である。来年の今頃には、その進行度はいかほどのものなのだろうか?
現状、坑道を解放することが出来た。
あの坑道からアグリム・ドゥガルの棲み処まではもうすぐである。
神字を刻むのも、あと数回の距離だろう。
だとしたなら、冬の間の山中活動は難しいだろうから、雪が融けるまではおとなしくしているとしても、来年の春にはアグリム・ドゥガルの棲み処までの道を確保し、夏を目処に討伐したい、とグラナルとの話し合いでは合意していた。
全てのことが順調に終わり、アグリム・ドゥガルを討伐出来たとしたら。
その後、ケンジはどうなるのだろうか?
また新たな世界の脅威を求めて旅に出るのだろうか? もしくは元の世界へ帰ることになるのだろうか? それともレデニアに永住するのだろうか?
見通しは立たない。
「どうしたのよ、返事は?」
返答に困っていたケンジの顔を、マリナが覗き込んでくる。
「そうだね。善処するよ」
結局、明確な返答が出来ず、バツの悪い政治家のような答えしか出せなかった。
「なによそれ、ハッキリしないわね……」
「それよりほら、着いたよ」
馬の足を緩めるケンジが指差す先に、マリナも視線を向ける。
そこには森の中に群生する色とりどりの花が咲き乱れていた。
「わぁ……なにこれ」
「エスト様の泉に行く途中に見つけたんだよ。綺麗だな、って思って」
「私をここに連れてきたかったの?」
「気晴らしにはなるでしょ?」
ケンジの言葉を聞いて、マリナは一つ笑みを零し、馬から飛び降りる。
そのまま一直線に花の群生している陽だまりへと駆け出し、その中心で振り返った。
「ケンジのクセに、生意気ッ!」
言葉はいつもの調子であったが、その時に見せた飛び切りの笑顔に免じて、許してやろう。




