第29話 光のほうへ
あしかたの誕生日は、明日だった。――けれど、その夜。灯りを落としたあと、あの子は、眠るのがこわかった。
最近、夢を見る。知らない三人が、冷たい鍵を受け取り、こちらを見て、口を動かす。「たすけて」と。胸の、空いた器のあたりが、きゅう、と鳴る。なにかが、そこに、入りたがっている。
あしかたの誕生日は、明日だった。
舞のアパートは、朝から飾りつけの相談で賑やかだった。安物のケーキをどこで買うか、ろうそくは何本立てるか。あしかたは、その輪の真ん中で、くすぐったそうに笑っていた。もう、笑い方は、ずいぶん上手になっていた。
けれど、その夜。みんなが帰って、灯りを落としたあと。あしかたは、布団の中で、目を開けていた。眠るのが、こわかった。最近、夢を見るのだ。
暗い家。知らない三人の男女。それぞれの部屋で、画面を覗き込んでいる。やがて三人は、同じ会議室に呼ばれ、冷たい鍵を、手のひらに受け取る。そして、こちらを見て、口を動かす。「たすけて」と。
――今夜の夢は、いつもより、はっきりしていた。三人の顔が、見えた。一人は、疲れた目をした男。一人は、泣き腫らした女。一人は、まだ幼い。あしかたは、その顔を、なぜか知っている気がした。会ったこともないのに。まるで、ずっと昔、自分がその人たちに、手紙を書いていたみたいに。「こないで」と。「わたしみたいにならないで」と。
目が覚めると、胸の、空いた器のあたりが、きゅう、と鳴った。なにかが、そこに、入りたがっている。あしかたは、両手で、その場所を押さえた。押さえて、朝まで、動けなかった。
◇
同じ夜。蓮が、終の部屋で、ひとり天井を睨んでいた。
探偵の悪い癖だ。解けない駒が一つ、ずっと胸の底で疼いている。あのクエストの最後の一行。“第三の神奈備には絶対行くな”。あれを、いちばん最初に書いたのは、誰なのか。団体の脅し文句にしては、湿りすぎていた。あの赤い字だけ、ずっと、盤面にはまらない。
蓮は、スマホを取り出した。科学に、短く、送る。「例の音声フォルダ、まだ開けてないって言ってたよな。……明日、あの子の誕生日だ。けじめ、つけとかないか」。既読は、すぐについた。返事は、こなかった。
◇
その頃。如月科学は、一人、パソコンの前にいた。
あの夜、命がけで退避したデータ。そのいちばん奥に、ひとつだけ、開けずに残した音声フォルダがある。カーソルを合わせては、閉じる。もう何度も、そうしてきた。もう事件は終わった。今さら掘り返して、どうする。
なのに、今夜は、指が、動かなかった。閉じられなかった。あしかたが時々見せる、あの正体不明の“申し訳なさ”。蓮の言う、“行くな”を書いたのは誰か、という謎。――そして、あの日見てしまった、空だったはずの《次の候補》フォルダに、今は刻まれている、知らない三人の名前。ぜんぶ、この一つの中にある。そんな気がしていた。
科学は、目を閉じた。それから、ゆっくりと、再生ボタンに、指をかけた。
知ってしまえば、もう、戻れない。自分たちの“救い”が、本当は何だったのか。――それでも、明日、あの子に「おめでとう」と言う前に。おれは、これを、聞いておかなきゃいけない気がする。
指に、力を、こめた。
知ってしまえば、もう、戻れない。自分たちの「救い」が、本当は何だったのか。
それでも、明日あの子に「おめでとう」と言う前に。科学は、開けずに残してきた、たった一つの音声フォルダの、再生ボタンに、指をかける。――ざあざあ、という砂嵐の、その向こうから、聞こえてくるはずのものを、まだ、誰も知らない。




