第25話 外は、何年
覚悟はしていた。外に出れば、何十年も経っている。知った顔はみな歳を取り、あるいは、もういない。浦島太郎の、逆。
――だが、本当の恐怖は、その逆ですらなかった。時間を奪われたのは、世界ではない。あなただけが、たった一晩で、歳を取っていたのだ。誰にも、気づかれずに。
出口の光は、まぶしかった。六人と一人の少女は、手を繋いだまま、その光の中へ足を踏み出した。覚悟はしていた。外に出たら、何十年も経っているかもしれない。知った顔はみんな歳を取り、あるいはもういない。浦島太郎の、逆。蓮の言葉が、全員の胸に重くあった。
光が晴れる。そこは、葦北の古民家の玄関先だった。あの朽ちかけた茅葺きの家。終が最初に足を踏み入れた、あの場所。空が白んでいた。明け方の空気。露に濡れた雑草。遠くで鳥が鳴きはじめている。すべてが静かで、なんの変哲もない田舎の朝だった。
「……あれ?」結衣が間の抜けた声を出した。「なんか……ふつう、じゃない?」
◇
科学が、震える手でスマホを取り出した。長いこと圏外だったその画面に、ようやく電波が戻っている。表示された日付を見て、科学は絶句した。
「……嘘だろ」
「どうした」終が覗き込む。
「一晩、だ」科学の声が掠れた。「おれたちが、あの会議室で鍵を受け取った日から……たった一晩しか経ってない。外は。……朝になっただけだ」
全員が、言葉を失った。浦島太郎の逆。中で長い時を過ごせば、外ではもっと長い時が経っている――そう思い込んでいた。けれど違った。まるで、逆だった。
「そうか……そういうことか」蓮が呟いた。頭がゆっくり答えにたどり着く。「“主観時間の延長”。あの一文の意味。外の時間が延びるんじゃない。中の、おれたちの時間だけが延びたんだ。外の一晩が、中の、数年。だから」
蓮は、自分のこめかみの白い毛に触れた。「時間を奪われたのは、世界じゃない。おれたちだ。おれたちだけが、この一晩で、歳を取った。世界は、なんにも知らないまま。ただ朝を迎えただけ」
◇
それは、残酷な事実だった。誰も褒めてくれない。誰も気づかない。彼らがたった一晩で、数年ぶんの――終にいたっては、もっと長い――悲しみと時間を背負って帰ってきたことを。世界はいつも通り、朝が来て、鳥が鳴いて、何事もなかったように回っている。
そしてその残酷さは、終に、いちばん重くのしかかった。鏡を見なくても、わかる。この一晩で、自分だけが、弟よりも、ずっと年上の顔になった。二十六のはずの体が、四十近い。弟は、まだ十七だ。やっと見つけた、たった二歳下の弟。なのに、外の世界では、もう、親子ほどに、見えるかもしれない。時間は、二人のあいだを、二十年、引き裂いた。そしていま、もう一度、引き裂いた。
終は、空を見上げた。それから、ふ、と笑った。「……いいじゃないか」
「兄貴?」
「誰にも気づかれないヒーローってのも。悪くない。……おれたちは、知ってる。それで、じゅうぶんだ」
終はポケットに手をやった。癖で。けれど煙草の箱は握らなかった。代わりにその手で、隣の弟の肩を抱いた。少しだけ――いや、ずいぶん老けた手で、まだ十七の弟の肩を。その手の皺を、蓮は見ないふりをした。
その時だった。
◇
「……あ」小さな声がした。あしかたが、玄関先に立ち尽くして、空を見上げていた。
明け方の光が、その白い頬を照らしている。ぼろぼろの着物。伸びた髪。何百年もあの暗い底にいた少女。その子が、生まれて初めて、本物の朝日を浴びていた。
「あったかい」あしかたが呟いた。両手をそっと広げて。全身で光を受け止めるように。「……お日さま、って。こんなにあったかいんだ。わたし、知らなかった」
その頬を、涙が伝った。今度のは、悲しみの涙でも、こわさの涙でもなかった。ただあたたかくて、まぶしくて、生きているのがうれしくて、こぼれる涙だった。
六人は、その姿を黙って見ていた。数年ぶんの――終はもっと多くの――時間を払った。記憶をいくつか失った。誰にも気づかれない。……それでも。この、たった一つの朝日を、この子に見せられたなら。安いものだ、と、六人ぶんの心が、同じことを思った。
――ただ、終だけは。朝日のまぶしさの中で、ふと、知らない光景を思い出していた。燃える家でも、失くした弟でもない。もっと古い、飢えた村の、涸れた田の、冬の光景。自分が、見たはずのない記憶。あしかたの、何百年の、断片。それが、分けたはずなのに、終の中に、他人の思い出としてではなく、まるで自分が体験したことのように、居座っていた。終は、それを、朝日のいたずらだと思うことにした。思うことに、した。
長い、長い夜が、ようやく明けた。
誰も褒めない。誰も気づかない。世界はいつも通り、朝が来て、鳥が鳴いて、何事もなかったように回っている。この一晩で、自分だけが数年ぶんを背負って帰ってきたことを、知る者は、いない。
そして終は、見たはずのない記憶を思い出す。飢えた村の、涸れた田の、冬。それが、分けたはずなのに、自分の体験のように、居座っている。終は、朝日のいたずらだと思うことにした。思うことに、した。




