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第三の神奈備には絶対行くなっ!  作者: 源三郎


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第24話 零の帰り道

 装置の一部だった男が、ただの一人の人間に戻る。――けれど、戻りきらないものがある。

 削られた何年ぶんかの記憶は、ぽっかりと抜け落ちたまま。この物語には、都合よく元通りになるボタンなんて、どこにもない。助けた。確かに助けた。でも「ぜんぶ」は、取り戻せない。

 あしかたの封印が解けると、零を縛っていたあの青白い糸も、役目を終えてほどけていった。


 水面が、ただの水に戻る。その中から、科学と舞が二人がかりで、零の体を引き上げた。もう抵抗はなかった。装置の一部だった男が、ようやくただの一人の人間に戻っていく。


 「零。零、わかるか」科学がその頬を叩く。冷たかった体温に、少しずつ熱が戻ってくる。零の濁っていた目に、ゆっくりと焦点が合っていった。


 「……かがく?」掠れたその声に、舞が両手で口を押さえた。


 「そう。科学だ。……おれだ」


 「なんで……おまえ、こんな山奥に」零は、まだ状況が飲み込めていない。「大学、は。……あれ。おれ、いつから、ここに。……最近のこと。ぜんぜん、思い出せない」



    ◇



 科学の胸が、ぎしり、と鳴った。記憶が。零の記憶が、戻りきっていない。この洋館で削られ続けた何年ぶんかが、ぽっかりと抜け落ちている。分けて背負ったことで命は助かった。けれど削られた記憶までは、元には戻らなかった。それも、代償のひとつだった。


 科学は、覚悟していた。戻らないものがある、と。だが実際に、空っぽになった幼馴染の目を見ると、頭でわかっていたはずの事実が、別の重さで、胸に落ちてきた。助けた。確かに助けた。でも“ぜんぶ”は、取り戻せない。この物語には、都合よく元通りになるボタンなんて、どこにもなかった。


 「……零」舞が、そっとその手を握った。「思い出せないことは、無理に思い出さなくていいよ。これからまた作ればいい。新しい思い出を。今度は、みんなで」


 「みんなで?」零はきょとん、とした。それから辺りを見回す。終。蓮。結衣。見知らぬ顔ぶれ。そしてその真ん中に、ぼろぼろの着物を着た小さな女の子。


 零の目があしかたを捉えた瞬間。彼の抜け落ちたはずの記憶の、いちばん深いところが、かすかに疼いた。「……おまえ」零があしかたに手を伸ばす。「おれ……おまえの泣き声を、知ってる気がする。ずっと、隣で……聞いてた、ような」


 あしかたの目に涙が盛り上がった。「うん」少女は頷いた。「あなた、ずっとそばにいてくれた。わたしがいちばんこわかった夜も。あなただけは、逃げないでいてくれた。……ありがとう。ずっと、お礼、言いたかった」


 零は覚えていなかった。その何年ぶんかを。けれど体のほうが覚えていた。この小さな子の、悲しみの手触りを。だから零は、なにも聞かずに、その頭にそっと手を置いた。



    ◇



 「……感動してるとこ、悪いんだけどさ」終が、額の汗を拭いながら言った。その手が、ひどく震えている。ほかの誰よりも。


 「なんか、おれ、体が重い。さっきから。……歳、食ったみたいに」


 全員が、そこで初めて、互いの顔をまじまじと見た。終の目尻に、なかったはずの皺。蓮のこめかみの白い毛。舞の手の甲が少し荒れている。科学の頬がこけた。結衣でさえ、どこか大人びた顔つきになっている。


 けれど終だけが、違った。ほんの数十分のはずが、彼の顔には、ほかの五人の数倍の歳月が刻まれていた。三十代の半ば、いや、それ以上に見える。目の下に、濃い隈。白髪が、ひとつかみ。


 「主観時間の、代償だ」科学が低く言った。声が、揺れないように、懸命だった。「受け皿になった、そのぶんだ。……終さん。あんたに、偏った。いちばん深い穴に、いちばん多く、流れた。おれの、見立て通りに。止められなくて、悪い」


 「謝るなよ」終は、笑おうとして、うまく笑えなかった。「おれが、そう望んだ。……弟のぶんまで、持つって、言ったのは、おれだ。筋は、通ってる」


 誰も、後悔はしていなかった。ただその事実が、じわりと体に染みてくる。そして終の払った代償が、ほかの誰よりも重かったという事実も。


 「……外に、出よう」蓮が言った。少し、掠れた声で。兄の顔を、まっすぐ見られないまま。「ここにいる理由は、もうない。あしかたも、零も、いっしょだ。帰るんだ」


 繋がった空間の、その先に、ぽつんと出口の光が見えていた。朝の光だ。


 けれど蓮の頭の隅に、ひとつだけ嫌な予感があった。巨石のあの手紙。五十七年耐えたあの親。中で長い時を過ごした者が外に出たとき、そこに待っていたものは。……浦島太郎の、逆。


 「みんな、覚悟しといたほうがいい」蓮は出口の光を見つめて言った。「外に出たら――何年、経ってるか、わからない」

 ほんの数十分のはずが、終の顔にだけ、ほかの五人の数倍の歳月が刻まれていた。目の下に濃い隈。白髪が、ひとつかみ。

 そして蓮は、出口の光を見つめて言う。巨石の、五十七年耐えたあの親を思い出しながら。「外に出たら――何年、経ってるか、わからない」。浦島太郎の、どちらだ。

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