第22話 分かつ、という祈り
六つの受け皿を、ひとつの輪に繋ぐ。手を伸ばし、覚悟を揃える。――けれど科学は、最後の一言だけを、呑み込んでいた。
位相は、半分しか合っていない。流れは、均等には割れない。いちばん深い穴を持つ者へ、濁流は、容赦なく、傾く。
「分けるって、言っても」結衣が、あしかたを見た。膨らんだ光が、今にもはじけそうだ。「どう割るの? 均等に、六等分?」
「それが、いちばん公平だ」科学が端末を操作しながら言う。「一人あたりの負担が、いちばん軽くなる。……理屈で言えば、な。でも位相が半分しか合ってない。流し込めば、均等にはならない。弱いところへ、多く流れる。……それだけは、覚悟しとけ」
「理屈で言えば、だろ」終だった。あしかたの格子に手をかけて。「おれは、多めに背負う。均等じゃない。おれと蓮が、二人ぶん、三人ぶん、持つ」
「兄貴」蓮が眉をひそめる。「なに、勝手に」
「勝手に決める。兄貴、だからな」終は笑った。「二十年、おまえの手を離してた。……その埋め合わせだ。今度は離さない。おまえが払うぶんの時間まで、おれが持つ」
「ふざけんな」蓮の声が尖った。「そういうの、いちばん腹が立つんだよ。一人でいい格好して。……おれだって、兄貴のぶん、持つ。二歳で別れて、今日まで、おれ、あんたのこと、一秒も恨んでない。恨むには、思い出が、なさすぎたんだ。……これから、作るんだよ。だからおれも多めに背負う。おあいこだ」
二人はしばらく睨み合った。それからどちらからともなく、ふ、と笑った。似た笑い方だった。血が繋がってるんだな、と結衣は場違いにも思った。
◇
「……おれも」声がした。水の中から。零だった。残り二本の糸で、辛うじてこの世に繋がった、その男が。かすれた声で、けれどはっきりと。
「おれにも……持たせて、くれ。おれ、こいつを……このガキのそばに、いちばん長くいた。何年も。こいつの泣き声、いちばん聞いてきた。だからこいつの悲しみの手触りなら……おれが、いちばん、わかる」
舞が、水際で息を呑んだ。「零、あんたは、もうじゅうぶん――」
「じゅうぶん、なんかじゃない」零は遮った。「おれ、ずっと恨んでた。おまえらに置いていかれて。……でも、こいつと二人きりでこの底にいて、わかったんだ。置いていかれる痛みを、こいつは何百年、味わってた。おれの何年なんて、比べものにならない。だから償う」
科学の奥歯が鳴った。零が、償う? 逆だろう。突き放したのは、こっちだ。なのにこの男は、まだ自分が悪いと思っている。……いや。違う。この“償う”も、装置の、後遺症なんだ。長くいた者は、みんな、自分を責めるようになる。他人の痛みを、自分の咎にして、引き受けようとする。零のこれは、優しさじゃない。装置に、そう“させられた”癖だ。そう気づいて、科学は、ぞっとした。だがそれを止める時間も、言葉も、もうなかった。
「……わかった」科学は掠れた声で言った。「なら、おまえも入れ。六人だ。最初から、そう言ってただろ」
◇
「わたしも、当たり前だけど」結衣があしかたの頬に触れた。「わたし、いなくなった人を放っておけない、って、そういう性分なの。今さら抜けるわけ、ないでしょ」
「わたしも」舞が頷く。「心の重さを量るのは、得意なの。あなたの悲しみ、ちゃんと受け止める。専門家だからね」
あしかたは、格子の中で六人の顔を順に見た。膨らんだ光の中で、涙がぼろぼろこぼれている。「なんで……なんで、そんなに優しいの。わたし、あなたたちに、なにもしてあげられないのに」
「もう、してもらったよ」終が言った。「おまえに会って。おれたちは思い出したんだ。忘れちゃいけないものがある、ってこと。……それだけで、じゅうぶん、おつりが来る」
あしかたは、それ以上、言葉にならなかった。ただこくり、と頷いた。その小さな頷きが、何百年ぶりの「助けて」の代わりだった。
◇
「起動、するぞ」科学が端末に指を置いた。「位相、合わせる。蓮、歌え。おれの合図で。……言っとくぞ。半分しか合ってない。偏る。誰に偏るかは、神のみぞ知る、だ」
六人が、手を伸ばした。終と蓮が格子の左右を。結衣と舞がその内側を。科学が端末を。そして水の中の零が、あしかたの足首に繋がった糸を握る。六人と一人の少女が、ひとつの輪になった。
「……いくぞ。三、二――」
残り一本になった糸が、ぷつ、と切れた。同時に、あしかたの中に閉じ込められていた何百年ぶんの悲しみが、堰を切って――六つの受け皿へと流れ込みはじめた。
最初に来たのは、寒さだった。骨の芯まで凍るような。誰かのたくさんの、たくさんの冬が。六人の体の中へ、いっぺんになだれ込んでくる。
そして科学の恐れた通りになった。流れは、均等には割れなかった。渦が、いちばん“受け皿の大きい”ところへ、傾く。いちばん深い穴を、持っている者へ。――終だった。二十年、埋まらなかった穴。弟を手放した、あの空白。それが、ほかの誰よりも、悲しみを吸い込んだ。終の体に、どっと、濁流が流れ込む。
「兄貴!?」蓮が叫ぶ。終の顔に、見る間に歳月が刻まれていく。目尻。額。こめかみの白。ほかの五人の数倍の速さで。終は、膝をつきながら、それでも、糸を握る手を、離さなかった。
「……いい、から」終が、歯を食いしばって言った。「おれが、いちばん、でかい穴を、持ってんだ。だったら、おれに、流れるのが……筋だろうが」
主観時間が、動きだす。外のほんの一瞬と引き換えに。六人の内側の時計が、猛烈な速さで回りはじめた。いちばん速く回ったのは、終の、時計だった。
最後の糸が、ぷつ、と切れた。何百年ぶんの冬が、六人の骨の芯へ、いっぺんになだれ込む。
そして渦は、いちばん大きな穴へ傾いた。終の顔に、見る間に歳月が刻まれていく。ほかの五人の、数倍の速さで。彼の内側の時計だけが、猛烈に、回りはじめる。――戻れないところまで。




