第21話 最後の会議室
窓のない、かび臭い部屋。長机がひとつ。パイプ椅子が六脚。切れかけの蛍光灯。
人の運命を、書類みたいに処理するための箱。その壁という壁を、天井を、びっしりと覆っているのは――零の背から伸びた、無数の青白い糸。あなたは今、あの女の「頭の中」に、閉じ込められている。
光が、はじけた。次に目を開けたとき、五人は、あの無機質な会議室に立っていた。
長机がひとつ。パイプ椅子が六脚。切れかけの蛍光灯。窓のない、かび臭い部屋。――第2話のあの会議室と、寸分違わない。
「なんだ、ここ……」終が呻いた。「おれたち、さっきまで、あの底に……」
「幻だよ」蓮が眼鏡を押し上げた。「たぶん、あの女のいちばん居心地のいい“部屋”だ。心をこういう事務的な四角い箱に押し込めておけば、人の運命も書類みたいに処理できる。……そういう頭の中だ」
果たして、長机の向こうに、あの女性社員が座っていた。手元に、ぶ厚いファイル。相変わらずの貼りついた笑顔で。ただその背後の壁いっぱいに――無数の細い糸が走っていた。零の背から伸びた、あの青白い光。それが、この部屋の壁を、天井を、びっしりと覆っている。
◇
「ようこそ、契約者の皆さま」女は、ファイルを、ぱん、と閉じた。「ここが、最後の手続きのお部屋ですぅ。あとは、この起動のボタンを、わたくしが押すだけ。押せば、あの子は“生まれ直す”。世界は、悲しみごと洗い流される」
女の指先が、机の上の古びたひとつのスイッチにかかった。
「待て」科学が前に出た。「そのスイッチ。それ、封印を“力ずくで壊す”ほうの起動だな。おれたちの“分けて解く”やつじゃ、ない」
「もちろん」女は微笑む。「わたくしどもの目的は、浄化ですからねぇ。あなたがたの生ぬるい“分かち合い”なんて、必要ないんです」
「その起動権を」蓮が静かに言った。「こっちに寄こしてもらう」
「どうやって?」
「あんたの理屈を、崩せばいい」
蓮の言葉に、女の眉がぴくりと動いた。この部屋は女の“心”だ。なら、この部屋を支配してる女の思想を揺さぶれば――部屋そのものが揺らぐ。
◇
「あんたは、悲しみを消したい」蓮は続けた。「娘さんを失った、その痛みが消えれば楽になれると思ってる。……でも、ひとつ聞かせてくれ。あんた、娘さんの名前。今も覚えてるか」
女の笑顔が止まった。「……当たり前、でしょう」
「呼んでみてくれ」
「……」女は口を開いた。けれど声が出ない。娘の名前が。あれほど愛おしかったその音が。喉の奥でつかえて、出てこない。
「あんた、もう忘れかけてる」蓮の声は、残酷なほど静かだった。「悲しみを消そう消そうとしすぎて。娘さんの悲しい記憶ごと。その子がいた、っていういちばん大事なことまで、削れてってるんだ。あんたのやってることは、救いじゃない。二度目の、喪失だ」
女の手が震えた。スイッチにかかったその指が。壁の糸が、ざわ、と乱れる。この部屋が揺らいでいる。「うるさい……うるさいっ! あなたに、なにがわかるの!」
「わかるさ」終が割って入った。「おれも、弟を忘れかけて生きてきた。忘れたほうが楽だった。……でも、忘れなかったから、今ここにいる。もう一度、この手で掴めた。忘れてたら、こいつが目の前にいても、気づけなかった」。終が、隣の蓮の肩に手を置いた。
その、たった一つの仕草が。長机の向こうの女の、いちばん触れられたくない場所を突いた。壁の糸が一斉にちぎれ飛ぶ。会議室が、ぐにゃりと歪んだ。
◇
「今だ!」科学が叫んだ。女の指がスイッチから離れた、その一瞬。科学は手元の端末をかざした。第9話で、崩れる寸前に掴んだ、あのサーバーのデータ。封印機構の設計図。それを逆から走らせる。「起動権、こっちにいただくぞ。あんたの“壊す”を、おれたちの“分ける”で、上書きする!」
蓮が、子守歌の旋律を口ずさむ。逆向きに。ほどく方向へ。科学の端末と蓮の声が噛み合った瞬間、会議室が崩れ落ちた。壁も、机も、椅子も。あの四角い事務的な箱が、内側から砕けていく。
気づけば、五人はまた、あの底に立っていた。座敷牢のあしかた。水の中の零。そして五人の手のひらの中に――封印を解く起動の権利が、確かに移っていた。
「……取った」科学が荒い息で言った。「これで、おれたちのやり方で解ける。分けて、な」
だが喜んでいる暇はなかった。崩れた会議室の瓦礫の底で、女性社員が、ゆっくりと身を起こしていた。糸の切れた操り人形みたいに。そして呟いた。こちらを見てもいない、虚ろな声で。「……いいんですよ。起動権なんて、差し上げます。どうせ、同じことですから。あなたたちが分けて“解いて”くれるなら、器は、ちゃんと空く。……空いた器に、次を入れればいいだけ。先生の設計は、そこまで、織り込み済みなんです」
蓮の背が、ぞくりとした。負けを認めたんじゃない。この女は――いや、この“先生”の設計は、おれたちの勝ち筋すら、最初から勘定に入れている。あしかたを助けることが、どこかで、次の誰かを呼ぶことに繋がっている。その繋がりが、まだ、見えない。だが確かに、ある。蓮は、その嫌な予感を、奥歯で噛み殺した。今は、零と、あの子だ。
零の糸が、もう二本しか残っていない。あしかたの体が、限界まで光り、膨らんでいる。団体の強引な破壊で、封印はもう勝手にこじ開きかけていた。
「時間がない」蓮が言った。「次で、決める。……“誰が、どれだけ背負うか”を」
起動権は、奪い返した。けれど女は、負けを認めなかった。虚ろな声で、こう呟いただけだ。「空いた器に、次を入れればいいだけ」。
助けることが、次の誰かを呼ぶ。その繋がりは、まだ見えない。だが確かに、ある。――勝ち筋さえ、最初から勘定に入れられていたとしたら。あなたは、誰の掌の上で、踊らされているのだろう。




