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第三の神奈備には絶対行くなっ!  作者: 源三郎


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第20話 それでも、と少女は言う

 「わたしが、消えればいいの」

 何百年、そう微笑んできた子が、最後にもう一度、微笑む。自分さえ我慢すれば。自分さえ消えれば。――その優しさこそが、この物語でいちばん、こわい。

 そして気づく。クエストの底のあの赤い一行は、脅しではなかった。あれは、この子が暗闇から書き続けた、祈りだったのだと。

 方法は決まった。あとはやるだけだった。けれどその決意に待ったをかけたのは、ほかでもない、少女本人だった。


 「……だめ」格子の中から、あしかたが細い声で言った。「だめ。あなたたちに、そんなことさせない。何年も、時間をなくすなんて。……そんなの、だめ」


 「聞いてただろ」終がしゃがんで、目線を合わせる。「六人で割るんだ。一人ぶんは、そんなに――」


 「わたしが、消えればいいの」


 その一言に、全員が凍りついた。


 「装置ごと、わたしが消えれば。悲しみも、ぜんぶいっしょに消える。誰も背負わなくていい。誰も時間をなくさなくていい。……それが、いちばんいいの。ずっと、そう思ってた」


 少女は、微笑んでいた。何百年も、そうやって微笑んできたのだろう。自分さえ我慢すれば。自分さえ消えれば。みんなが笑っていられる。そう教わって。そう信じて。


 その微笑みを見て。終は、葦北のあの母を思い出した。「この子の代わりに、わたしが」。炎の中へ還った母。巨石のあの親も、そうだった。「娘の一日が、わたしの一年でいい」。五十七年、たった一人で。零もそうだった。あんな姿になっても、「帰ってくれ」と。


 みんな、同じ顔をしていた。自分を差し出すことでしか優しくなれない、と思い込んだ人の顔。この子は、そのいちばんはじまりにいた。何百年も、“自己犠牲”という名の呪いの大元に。


 ――そして、終は、ようやく繋がった。クエストの底の、あの赤い一行。『第三の神奈備には絶対行くな』。あれは、脅しじゃなかった。この子が、何百年、暗い底から、まだ会ってもいない誰かに向かって、書き続けていた言葉だ。「来ないで。わたしみたいにならないで」。助けてほしいより先に、他人の無事を願う。この子の優しさが、あの一行を書かせていた。――そして団体は、その切実な祈りを、ただの“客寄せの看板”に使った。来るな、と書けば、天邪鬼な人間が集まってくる。この子の、いちばん必死な願いを、餌に、変えて。終は、その悪趣味に、吐き気がした。


 「……またかよ」終が呻いた。「また、あんたが一人で背負うのか。もう、いいって言ってるだろ。もう、たくさんだ。そういうの」


 その叫びに応えるように。零の糸が、また二本、切れた。ぶつ、ぶつ、と。残りはもう、片手で数えられるほどしかない。水の中の零の呼吸が、浅く、速くなっていた。焦げた匂いが濃くなる。この優しい問答さえ、時間は待ってくれない。


 「早く、決めないと、零が……!」舞が悲鳴のように言った。



    ◇



 「……あのさ」口を開いたのは蓮だった。いつもの気だるげな声で。けれどその奥に静かな熱があった。


 「おれ、巨石の家で、一人、会ったんだ。五十七年、たった一人で時間を喰われ続けた人に。その人にも、おれ、言ったんだ。“もう、冬を数えるのやめていい”って。……あんたに、いま、同じことを言いたい」


 蓮は格子に手をかけた。けれどすぐには言葉が続かなかった。立派な答えを、持っているわけではなかった。「……おれ、正直、正解は、わからない」。ぽつり、とこぼす。「あんたを消すのが正しいのか、おれたちが背負うのが正しいのか。封印したまま帰るのが、いちばんマシなのか。……誰にも、わからないと思う。どれを選んでも、たぶん、後悔はする」


 「じゃあ、なんで」少女が、掠れた声で聞いた。


 「わからないから、せめて、一人で決めさせたくない。それだけだ」蓮は、自分でも頼りない理屈だ、という顔で言った。「巨石で、一人、会った。五十七年、たった一人で冬を数えた人に。おれ、その人に“もう数えなくていい”って言った。言っただけだ。解決なんか、してない。……でも、あの人、ちょっとだけ、楽そうな顔をした。それが、おれの持ってる、唯一の手がかりなんだ」


 少女は、黙っていた。簡単には、頷かなかった。「……でも、そのせいで、あなたたちが、どうにかなったら。わたし、今度は、それを、何百年、抱えるんだよ。あなたたちの悲しみまで。……それって、ほんとに、楽になってる?」


 蓮の言葉が、詰まった。少女の問いは、正しかった。自分たちが代償を払えば、あしかたは、その負い目を、また新しく背負うことになる。きれいな救いなんて、どこにもない。蓮は、それでも、と言うしかなかった。「……それでも、だ。あんたに、一人で決めさせるよりは、ましだと、おれは思う。思うだけだ。根拠は、ない」


 少女の大きな目から、ぽろり、と涙がこぼれた。答えに、ではなく、蓮が答えを持っていないことに、泣いているようだった。


 「わたしなんか、じゃない」舞が、格子の外からそっとその頬に触れた。「あしかた。あなたの名前だよ。ちゃんと、ある」



    ◇



 あしかたは、しばらく黙っていた。それから、おそるおそる聞いた。「……ほんとに? ほんとに、いなくならない? 途中でこわくなって、逃げたり、しない?」


 「しない」蓮が言い切った。「約束は苦手だ。守れない約束は、したくないから。……でも、これはする。おれたち五人と、零の六人で、あんたの悲しみを分けて持つ。一人ぶんは、軽くないけど。六人なら、たぶん、立ってられる」


 「いっしょに、外へ出よう」結衣が笑った。「わたし、外の世界、あんたに見せたいものが、いっぱいあるんだ。夜のコンビニの明かりとか。しょうもないやつ。でもあったかいやつ」


 あしかたの目から、また涙がこぼれた。今度のは、さっきまでのあきらめの涙とは違った。こわくて、うれしくて、どうしていいかわからない、そういう涙だった。生まれて初めて、“独りじゃない”かもしれない、と思ったときの。


 「行こう」終が立ち上がった。「六人で分ける。零もいっしょだ。あいつも、たぶん、そう言う」。水の中の零の糸が、かすかに震えた。同意するみたいに。


 その時。空間全体が、赤黒く明滅した。


 「――させると、思いますかぁ」女性社員の声が、これまでとは違う冷たさで響いた。装置の唸りが一段高くなる。零の糸が次々と切れはじめた。「そんな非効率なこと、許しません。あなたがたが余計な“受け皿”になる前に。……こちらで、無理やり封印をこじ開けさせていただきます。今、すぐ」


 科学の顔が青ざめた。「まずい、時間を前倒しにされた……! 猶予は、もうない!」


 「なら、今、やるしかないってことだろ」終が立ちはだかる。「上等だ。予定を狂わされるのは、慣れてる」


 「位相合わせの準備は?」蓮が鋭く聞く。


 「半分だ! でも、待ってたら、零ごと焼き切れる!」科学が叫び返す。「ぶっつけで、やるしかない! 一発勝負だ!」。そしてついに、さっき呑み込んだ言葉を、吐き出した。「言っとく。位相が半分のまま流し込めば、均等には割れない! 誰か一人に、偏る! それが誰になるか、おれにも、わからない!」


 一瞬の、沈黙。それから、終が笑った。「上等だ。……偏ったやつが、貧乏くじ。それだけの話だろ」


 女性社員の笑い声が空間に満ちた。盤上の駒が勝手に動き出したのを、心の底から面白がる、あの声で。「さあ、どうします? 準備不足で飛び込んで、失敗して、みんなで消えますかぁ? それとも、賢く諦めますかぁ?」


 誰も、答えなかった。答える代わりに、六人ぶんの――五人と、水の中の零の、覚悟が、静かにひとつに揃っていく。少女が、格子の中からその光景を見ていた。誰かが自分のために、こんなふうに腹をくくるのを見るのは、生まれて初めてだった。


 「……ごめんね。ありがとう」あしかたが小さく呟いた。その声は、もう震えていなかった。


 子守歌が、悲鳴に変わる。少女の体が光り出す。最後の夜が、待ってくれない速さで、始まろうとしていた。

 「させると、思いますかぁ」――その声とともに、猶予は奪われた。準備は半分。飛び込めば、誰か一人に悲しみが偏る。それが誰になるかは、神すら、知らない。

 賢く諦めるか。無謀に飛び込んで、みんなで消えるか。笑っているのは、盤上で駒が勝手に動き出したのを面白がる、あの女だけ。最後の夜が、待ってくれない速さで、始まる。

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