第1話 三人、それぞれの検索窓
――これを読んでいるあなたも、たぶん、もう“三組目”の中にいます。
この話は、三組の人間が「あの不動産屋」にたどり着くまでの夜です。視点は、ちょこちょこ移ります。最初は、誰の場面かわからなくて、かまいません。ばらばらの他人が、同じ一点へ吸い寄せられていく――その気持ちの悪さだけ、味わってください。
ひとつだけ、警告を。同意書の第七条と、クエストのいちばん下の、赤い一行。あれを、読み飛ばさないでください。読み飛ばした人から順に、連れていかれています。……ほんとに。
深夜二時の再生数は、目も当てられなかった。
市原終は、投稿したばかりの動画のグラフをぼんやり眺めていた。最初だけ跳ねて、あとはずるずると落ちていく折れ線。視聴維持率は二割そこそこ。コメントはいつもの三人が「乙」と残してくれているだけだ。
「……だよなあ」
缶コーヒーはとっくに空になっていた。それでも名残惜しくて、ぬるい底の一口をすする。
社会部の記者だった頃は、締め切りに追われてよくこの時間まで起きていた。あの頃は書けば誰かが読んだ。今は撮っても誰も観ない。どこで道を間違えたのか自分でもわからないまま、気づけば「心霊配信者・シュウ」を名乗って三年が過ぎている。
なにか跳ねるネタがいる。バズる、なんて言葉は好きじゃないが、背に腹はかえられない。家賃の振込は待ってくれない。
検索窓に「事故物件 未公開」と打ち込んで、終は指を止めた。似たサムネイルばかりが並ぶ。血のりの赤文字、わざとらしい心霊写真。もう飽きた。視聴者だって、とっくに飽きている。
スクロールの親指が、ふと止まった。
やたらとポップなバナーが、一枚、まぎれ込んでいた。丸っこいフォント、パステルカラー。スマホゲームの広告みたいに、こう書いてある。
――『ライジング・オカルト地所 あなたの“体験”、買い取ります』
胡散くさい。だが胡散くさいものにこそ、伸びる余地がある。記者時代に、嫌というほど学んだことだ。
クリックすると、サイトは、ますますゲームじみていた。「第一のクエスト」「達成報酬」。ふざけた文字が踊っている。その中に、物件がひとつ。葦北の古民家。説明は、一行だけ。「泣き声が、家の中を歩きます」。
終は、鼻で笑った。笑ったつもりだった。なのに、指先が、勝手にその一行をなぞっていた。
子どもの、泣き声。――兄ちゃん。遠い日の、小さな手のひらの感触が、ふいに蘇る。つないでいたはずの手を、自分は離してしまった。もう二十年も前の話だ。
画面を、閉じようとした。そのとき、ページのいちばん下に、小さな、赤い文字が見えた。ほかのポップな飾りとは、明らかに毛色が違う。手書きを、むりやりフォントに起こしたような、歪んだ字で。
――『第三の神奈備には、絶対行くな』
妙な注意書きだった。クエストは、三つ。なのに、三つ目には行くな、と書いてある。しかも、その下に、カウンターのような数字が、ひとつ。《あなたで、三組目です》。
終は、一瞬、背筋がうそ寒くなった。三組目。なにが、だ。だがその感覚は、すぐに、金の計算に押しのけられた。禁止と書かれた扉ほど、画になる。それも、記者時代に学んだことだ。
気づけば、終は、煙草に手を伸ばしていた。一本、抜いて、くわえる。ライターの火が、ちりっと、深夜の暗がりを舐めた。深く吸って、ゆっくり吐く。考えごとの前と、腹を決める前。この癖だけは、記者を辞めても、抜けなかった。
「……行くか」
誰にともなく呟いて、終は、応募フォームを開いた。
◇ ◇ ◇
同じ夜。大学のオカルト研究会の部室では、電気ケトルだけが、小さく唸っていた。
「はい、論破」
如月科学は、モニターの心霊動画を一時停止させ、画面を指でとんとん叩いた。廊下を横切る白い影。数十万回再生の、いわくつきの映像だ。
「窓の位置と、外の街灯。それと空調の風。カーテンが揺れて影ができただけ。低周波まで拾えれば完璧に説明がつく。なんの不思議もない」
「かがくん、それ、もう七本目だよ」
ソファで、神楽坂舞が、頬杖をついていた。心理学の専門書を膝に伏せたまま、半分あきれ、半分おもしろがっている。
「幽霊がいないって証明するの、そんなに楽しい?」
「楽しいわけ、ないだろ。ただ――」
科学は、言葉を切った。人差し指の背で、鼻の頭を、そっと擦る。考えがうまく言葉にならないときの、昔からの癖だ。
「いるって言い張るやつが、いるから。いないって、言うだけだ」
その横顔を、舞は、黙って見ていた。彼が本当は誰のためにムキになっているのか、たぶん自分だけが知っている。幼馴染の零。「視える」と言い張って、少しずつ壊れていった、あの子のために。
科学が次に開いたのは、軽薄なサイトだった。ライジング・オカルト地所。「記憶が書き換わる洋館」。神奈備山の、洋館。
「記憶の改ざん、ねえ。気圧センサーとログさえ取れれば、一晩で崩せる」
スクロールした科学の指が、ページの底で、止まった。赤い、歪んだ一行。『第三の神奈備には、絶対行くな』。
「……へえ。行くなって書くやつが、いちばん、来てほしいんだよ」
科学は、鼻で笑った。舞は、その笑い方が、あまり好きではなかった。挑発されると火がつく。悪い癖だ。
「舞、お前も来るだろ」
問いかけの形をして、半分、命令だった。舞は、ため息をついて、専門書を閉じた。行くに決まっている。この理屈っぽい幼馴染を、一人で行かせるわけには、いかない。
◇ ◇ ◇
その頃。高校のミステリー研究会の部室では、九条蓮が、椅子を斜めに倒して、天井を見ていた。ずり落ちた眼鏡を、直そうともせずに。
「動くの、めんどくさい」
「動かないと解けないでしょ、こういうのは」
浅倉結衣が、プリントアウトの束を、机に叩きつけた。半年前、とある屋敷で、一人の男性が失踪した。事件性なし、と警察は片付けたが、結衣はそれが気に入らない。
「この人、屋敷に入ったきり、出てきてないの。防犯カメラにも、出ていく姿が、映ってない」
蓮は、半分身を起こして、資料をつまみ上げた。ざっと目を走らせただけで、引っかかる点があった。
「入った時刻と、最後に外壁の防犯カメラが動いた時刻。ずれてる。六分。人が屋敷を横切るには、長すぎる。……なんでだろうな、この六分」
言いながら、指の先で、眼鏡を、くい、と押し上げる。頭の中で、ばらけたものが、一本の線に揃いはじめる、その癖だった。
結衣が、ぱっと顔を輝かせた。日陰に慣れた蓮には、少し眩しすぎる目で。「その屋敷、いま調査員を募集してるんだって。ライジング・オカルト地所って」
差し出されたスマホに、巨石を積み上げた豪邸。説明は、「時間が、歪みます」。そしてやはり画面の底に、あの赤い一行があった。『第三の神奈備には、絶対行くな』。
蓮は、眉をひそめた。ふざけた文句だ。ふざけているのに、なぜか背筋が冷えた。この字だけ、誰かが、本気で書いている。遊びのサイトに、一行だけ、本物の声が、まぎれ込んでいる。そんな感触。
「……行くよ。行けばいいんだろ」
「え、いいの? めずらしく、素直じゃん」
「素直じゃない。どうせ断っても、おまえ、一人で行く。で、一人で、なんかに巻き込まれる。そっちのほうが、よっぽど面倒だ」
結衣が、やった、と小さくガッツポーズをした。その無防備な笑顔を見なければよかった、と蓮は少しだけ思った。断れなくなるから。
◇ ◇ ◇
三つの応募フォーム。三つの「送信」ボタン。
押した相手の顔も、事情も、互いに何ひとつ知らないまま。三組の指が、ほとんど同じ時刻に、それを押した。
返信は、驚くほど早かった。自動送信のメールには、都内の会議室の住所と、鍵の引き渡し日時。事務的で、丁寧で、どこにも怪しいところはない。ただ末尾の同意書。その第七条だけが、妙に浮いていた。
――『本サービスにおいて、契約者は“主観時間の延長”が生じる場合があることに同意するものとします』
主観時間の、延長。読んだ三人は、それぞれの場所で、それぞれに鼻で笑った。時間が延びるわけがないだろう、と。
三人とも、気づかなかった。送信の直前、ほんの一瞬だけ、画面の赤い一行が、別の文に、書き換わっていたことに。
――『こないで』。
まばたきの間に、それは、もとの『絶対行くな』に、戻っていた。見間違いだ。終も、科学も、蓮も、そう処理した。深夜だ。目が、疲れている。
その“見間違い”を、誰かが、画面の向こうから、静かに見ていた。もう三組、揃った、と。数えるみたいに。――彼らは、まだ知らない。
ここまで、よく、来てくれました。
噛み合わない三人が、なぜ同じ部屋に呼ばれるのか。その答えに気づくころには、あなたはもう、引き返せない場所に立っています。
クエストの底の、赤い一行。『第三の神奈備には絶対行くな』。――あれを、いちばん最初に書いたのが“誰”なのか。どうか、覚えておいてください。最終話で、あなたの背筋も、同じ温度になります。
次回、第2話。窓のない会議室で、六人が顔を合わせます。合わせるのに、誰も喋らない。その沈黙の中を、冷たい鍵が、手から手へ、回っていきます。――あなたの手にも、もうすぐ。
では、次の神域で。お待ちしています。




