疑惑
「ようこそいらっしゃいました。ご足労いただき、ありがとうございます」
学園正門の大ホールで、廣瀬は公用車を出迎えた。軍士官らしいキビキビとした動作で、黒いドアをお開けする。現れたのは、五十代半ばの中年女性だった。
「挨拶は結構です。早速本題に入らさせていただけますか?」
シックでビシッとしたスーツ姿の芦原議長は、車を降りるなり即座に言った。胸元を、アクセントのキラキラしたブローチで決めている。皇国でも屈指の、やり手キャリアウーマンだ。
眼光が力強く、引き締まった口元は、彼女の頑固そうな性格をよく顕している。若い頃は相当な才女だったであろう事をうかがわせた。
その芦原議長につづいてもう一人、こちらは若い女性が静かに公用車を降りた。
清楚可憐というか、儚い透明感を持った女性だった。
「高嶺、麗華と申します」
と、廣瀬相手に丁寧すぎるほど、深々と頭を下げる。
育ちの良さが見て取れる。それもそのはずだった。
「芦原健吾(少尉)さんの、許婚でございます」
名門高嶺家のご令嬢だという。
(それは厄介な…)
廣瀬も丁重に頭を下げた。ふたりに対し、悲しみを湛えつつお悔やみを口上しながら、廣瀬は内心で舌打ちしていた。
今回の事故について説明をしろと言われているものの、女性に感情的になられるのは苦手だ。それが死亡した少尉のフィアンセとなると、どう慰めたものかわからない。
(いつも通り、適当に煙に捲くかな?)
まともに相手するよりかは、その方が軍にとっても都合が良いだろう。
この面会には、少将からVIP専用来賓室の使用許可をもらっている。
皇国議会の議長さまを招くのだから当然だが、廣瀬自身が入ったこともない部屋なので、正直、そちらの方が緊張気味になる。
同僚には内緒にしている事に、ガラス工芸などの骨董趣味というものが、廣瀬にはあった。皇国軍の最高級応接間の調度品となると、やはり興奮してしまうのだ。
今回の任務の、思わぬ役得だった。
(多少のめんどくささは、この際我慢するか。その価値はあるだろう)
そんなワクワクを秘めつつ、廣瀬はお二人をお連れする。廊下に出るドアを開け、階段を案内した。
途中、ちょっとしたウイットをはさんだりするレディファーストを心得た廣瀬は、勅使河原少将の見込み通りに如才無い。高嶺嬢も、柔らかく表情を綻ばせてくれた。ゲイのセンスを持つ土居ほどでなくても、まぁまぁ及第点の応対だろう。
少し距離のある迎賓館までの回廊を、ふたりに飽きさせることなく渡りきった廣瀬は、来賓室の前で敬礼する坂本に気づいて足を止めた。
少将に言われ、雑務の手伝いをしてくれるらしい。
「藤原中尉の方はいいのか?」
「ある程度の資料は集め終わりましたので、これから中尉が分析される間は、する事がありませんので」
照れくさそうに笑う。坂本自身、自信が無いのだろう。
しかし、法務官の地道な調査は、才能より場数だ。経験値を上げなければ上達は無い。
(遠慮せずに手を出した方が良いんだがな…)と、廣瀬などは思う。
それに坂本は、藤原中尉からは書類を集めるだけの役立たずにされているみたいだが、廣瀬が見る限りひらめきは悪くない。
(あとはもう少し、空気を読めて馬鹿を演じられれば)
使いどころはありそうなもんだ。
「まぁいい。それならお二人にお茶を出してくれ。きっと高級なのがあるだろう。遠慮無く使ってな」
「はい」
再び敬礼し、坂本は重厚な木の扉を閉めた。
「どうぞお座り下さい」
と、廣瀬は議長と婚約者を室内のソファーに案内する。が、すぐに心は部屋のそこかしこに向かってしまった。
さすが軍学園で一番の応接間だ。掛けられている絵画は、アカデミックな女神像。現在はあまり評価されていないブーグロという画家だが、繊細なタッチは技術の確かさを持ったものだ。この高級感あふれる部屋には、相応しい画風といえた。
分厚い表紙の蔵書を並べた戸棚は、現在は伐採が制限されているマホガニーの木材で、木目が実に美しい。デザインはリートフェルトだろうか?斬新かつ機能的だ。
その上で華麗に咲く花は、一株で民間の平均月収の半分はする。これを、いつ使うかわからないこの部屋に毎日活けているのだろう。きめ細やかな心が行き届いているというよりも、その贅沢さに舌を巻く。
さらに廣瀬は、その花の活けられたガラス瓶に目を奪われた。
鮮やかな青色に、幾何学デザインのカットがされたガラス面。そこに細やかな筆遣いで美しい風景が彩色されていて、手間暇かかった上質な花瓶に仕上がっている。
(見た感じ、ドーム兄弟かな?)
手にとって愛でたい衝動に駆られる。廣瀬の本質は、有能な法務官になるよりも古美術商にでもなりたいのかもしれない。
そんな廣瀬を魅了するガラスのトップブランドの美しさは、差し込んだ外光で更に際立っていた。
こんな曇った天気なのに、不思議と室内はキラキラ明るい。見ると、光を採り込む窓ガラスは、乳白色に輝くラリックだ。まさにマジック。光を最大限利用し、ため息つく柔らかな輝きを生み出している。
ほかの調度品も、“コレ”とは廣瀬でも言い当てられなくとも、妥協の無い手の込んだ造りに高級なものばかりだとわかる。
しかもそれら全てが、うるさくない絶妙なバランスで空間を構成している。デザイナーのセンスの高さが良くわかる部屋だった。
(ここまでくると、ボクの目には毒だな)
いつかは廣瀬も、七宝焼きの小品をひとつくらいは持ちたいと思っている。ぶっちゃけ気の乗らない仕事なんか放り出して、この美しい美術工芸品を存分に楽しみたい。
(もっとも、そういうわけにもいかないが)
振り返ると、芦原議長はソファーの長椅子に浅く腰をかけ、背筋をビシッと伸ばしていた。少尉の婚約者という高嶺嬢も、同じように緊張したおももちでいるから、ゆったりと座るような心理状況ではないのだろう。
そんなふたりを見て、上流階級も楽じゃないんだな、と取り留めない感想を浮かべた。
廣瀬とて、お金持ちには憧れる。かといって、これだけの良き物に囲まれているのに素直に感動する心が鈍るとしたら、それはちょっと遠慮したい。廣瀬はいつまでも、美を楽しむ心の余裕を持っておきたいのだ。
廣瀬が前に座るなり、芦原議長は思い詰めた顔で言葉を吐き出した。
「息子が死んだことで、軍全体を訴えようとしてる私を、あなたも親バカと思うでしょう?」
悲痛な響きを含んでいた。
「でも私は、こうするしか無かったのです」
悲痛さは自虐の笑みに変わり、議長の顔を歪めさせた。
「親御さんとして当然のことだと存じます。大切なご子息を失い、平静でいられるひとなんていらっしゃらないでしょう」
廣瀬はハンカチを取り出し、そっと芦原議長に手渡した。
「当軍としても、出来得る限りの保障と、ご協力をお約束いたします」
これは本心だった。廣瀬も軍に属している以上、いつどこで死ぬかもわからない覚悟はある。しかし、だからこそ遺され者の悲しみを癒やしてやりたい、という衝動がある。議長だろうが貴族だろうが、それには差が無かった。
そんな廣瀬の心を感じとったのか、芦原議長は目元にハンカチをあてると、真っ直ぐに廣瀬を見つめて言った。
「その言葉に、甘えさせていただけますか?」
真剣な、そして微かに悲しみに震える声だった。
「今回の件は、何も親バカな感情だけで騒いでいるのではないのです。自分の息子の死に不信感を持ってはいますが、実は、軍で不審な行方不明者が幾人もいると、私の方に何件もの訴えがあったのです」
(え?!)
何を言い出すんだこの人は、と廣瀬は怪訝さに眉をしかめた。しかしすぐに、それを沈痛な同情のふりに変えて先を促す。議長の横で、高嶺嬢も肩を震わせていた。
「訴えてきたのは、行方不明とされた生徒の母親たちです。私も息子を亡くしたところだというので、協力を求めてきたのでしょう。話を聞けば、この十日ほどの間に、何の説明もなく連絡だけが来たそうです。中には、軍学校からの紙切れ一枚で、息子の不明通告を済まされたひともいるというのです」
話がとんでもない方向に行きそうだ。芦原少尉の死を慰めるだけでは、議長の要求は終わらないらしい。
「私も悲しみに打ちのめされていましたが、それ以上に、この異常な事態に怒りを覚え、議長としてするべきことを実行しなければいけない、と思って参らせていただきました。……そこで廣瀬大尉、あなたにお願いがあるのです」
嫌な予感は、更に拍車を増した。
「あなたのことは聞いております。とても優秀な法務官だとか。是非、息子や行方不明とされた他の士官たちの消息の原因を、いえ、中にはホントは、もっと重大なことがあったのでは?軍が何かを隠してるんじゃないか?と疑っている親御さんもいます。その真相を、調べて、教えていただきたいのです」
「わたくしも、健吾さんは本当は生きてるんじゃないかって思っています」
大人しく押し黙っていた高嶺嬢も、ついに廣瀬へ感情をぶつけてきた。
「亡くなった、と言われましたが、まだ健吾さんの遺体に会えていないのです。会わせてもらえないのです。事故だから検死があるとか何とか言って、それが終わるまではと健吾さんを引き取るどころか、面会すら、引き伸ばしにされて……」
軍への不信感は、相当募ってきているようだ。育ちの良さで辛うじて耐えているが、高嶺嬢の語気は非難を含み、相当荒くなっていた。
(これは困ったなぁ)
真相など、廣瀬にはわからない。それを調べるために、今、嵯峨と柳沢が危険を冒して現地に向かっているのだ。
「ご希望に添えるよう、わたくしどもも最大限の努力をいたします。芦原少尉の遺体は…」
事故死とはいえ、検死はしなければならない。裁判が終わるまでは少なくとも、軍病院の安置所で保管されることになるだろう。その裁判を起こしたのは、目の前のふたりではあるが。
「面会が出来るかどうか、いや、すぐに面会出来るように話を通しておきましょう」
廣瀬はとりあえず、それ位の決裁は約束できる。
「それより、軍の行方不明者という話を、もう少し聞かせていただけませんか?」
どうにも引っかかっていた。廣瀬にも納得いけていない。
死亡者や行方不明者の最終除隊手続きは法務官の仕事になる。しかし廣瀬も、他の陸海空軍の法務部でも、芦原議長の言うような人数の書類を処理したなどという話は聞いていない。
“それより”という言葉に、高嶺嬢はわずかな不快感を見せたが、持参した名簿のコピーを廣瀬に示してくれた。
(なるほど…)
確かに多い。
パッと見たところ、二十数名の名前が並んでいた。
それぞれの除隊理由には、一律で『訓練中における行方不明』と記入されており、この一ヶ月あまりでこれだけ大量の人数が軍学校での事故に遭ったというのは、言われる通りに奇妙だ。
だいたいが、廣瀬たちの扱う今回の死亡事故自体が、久しぶりの重大案件なはずだ。訓練中の行方不明など、それだけで重大事故なのだが…。
一人、その芦原少尉の欄にだけは、訓練中に行方不明の後に、追加要項として“死亡”と記されていた。
「これで、全員ですか?」
廣瀬が書類に目を落としたままで言った。そんな非礼を咎めるわけでもなく、
「わかっているだけで、それだけです」
芦原議長は声のトーンを落とした。自分の息子の死が、何か不可解な事件に巻き込まれたものではないかと思ったならば、親なら解明したいと思って当然だろう。
反対に廣瀬は、たったこれだけの証拠で「はいそうですか」と動くわけにもいかない。軍には機密が沢山あり、中には偽装の死亡通知を特殊部隊員の家族に送ることもある。
もしかしたらこのリストの中にも、諜報活動などに従事している者がいるかもしれない。全部が全部、不審なものとして調査するわけにはいかないだろう。
第一、芦原少尉の死は事故によるものだ。これだけは予備審問でもハッキリしている。
その事故に何らかの過失、欠陥があるとしても、それはまた別の話だ。
「わかりました。この件も軍で預かっておきましょう」
廣瀬はコピーをたたみ、内ポケットへしまおうとした。
「そんなに簡単に、隅へやらないでください」
芦原議長は真剣な眼差しで廣瀬を射抜いた。
(若い頃は美人だったんだろうな)と容易に想像できるほど、切れ長で意志の強い眼光は鋭かった。
「大尉、あなたの協力に期待しているのです。もし軍が、私たち母親側の願いを尊重せずに事を済ませようとするのなら」
━━━━つまり、相手にしないか握り潰してしまう、というのなら、
「息子の裁判で裁かれるのは、五藤大佐だけでは済まなくなることを理解しておいてくださいね」
脅しをかけられるだけの権力を、議長は確かに持っている。廣瀬の態度次第では、本気で軍の解体縮小まで話を持っていきかねない。
廣瀬は「ふぅ…」とため息をつき、
「……わかりました。最大限努力いたしましょう」
と、議長の視線を真っ正面から受け止めた。安請け合いではない。廣瀬自身も、引っ掛かりを感じだしているのだ。
(なぜ演習も訓練不明者も、ボクたちをまったく通してないんだ?)
正式な手続きが一切取られていない。書類上は非合法、ということだ。つつかれれば泣きどころになるだろう。
何よりこれは、法務科の沽券に関わることでもあった。他の兵科に無視とも取れる敬遠をされて、気分のいいわけがない。
「調べてみましょう。その前に」
チカチカとグリーンの点滅をする端末画面をチラリと見て、廣瀬はふたりを促すように立ち上がった。
「芦原少尉との面会を、先にご案内いたします」
議長として来ていても、やはりそれが一番の気がかりだろう。婚約者だという高嶺嬢にとっても、事故の調査より最優先事項に違いない。芦原議長とともに少し安心し、そして悲しみを湛えさせた口元で、お互いの顔に頷きあっていた。
坂本に言っておいたもてなしのお茶は、まだ来ていなかった。




