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魔巣窟沿岸

「はじめまして、沿岸特殊警備隊の川上智少尉です。今回のご案内をさせていただきます」




 警備隊員にしては痩せた青年が、柳沢少佐と握手をかわした。

 頭髪がやや薄く縮れていて、見た目貧相ながらも洒脱な雰囲気がある。屈強な警備隊員には珍しいタイプだろう。



「尉官クラスに手間をとらせて申し訳ない」

「かまいません。大佐からも、最大限お手伝いするように言われていますので」


 爽やかに笑う。聞くと、細身に似合わずなかなかのやり手で、沿岸警備隊の中でもエリートのひとりだという。ただ、本性は荒いのか、


「だったら隠してることを全部話して欲しいものね」

 と、つづいて握手した嵯峨が向けた皮肉に、シニカルな表情を歪ませていた。




「さて、行きましょう。海に落ちてしまわないように、ちゃんとボートのヘリを掴んでいて下さい」


 小雨の降る中、川上少尉の操るボートで乗り出した嵯峨たちは、途端に酷くうねる荒波でぐちゃぐちゃと揺らされた。


 舳先が跳ね上がり、船体が宙に放り出される。息を飲む間に海面へ叩きつけられると、容赦なく横殴りの暴風雨が襲いくる。川の濁流できりもむ落ち葉のように、小舟は波の荒れ狂うままに翻弄されていた。



 その中を、川上は巧みにボートを操る。

 常に波に対して舳先を垂直に当て、この荒れ模様でも水しぶきを砕きつつ、グングンとボートを進めていった。




「じき、岬につきますよ」


 余裕の表情で振り返った川上に、


「それはありがたい。けど、僕はそれまで保ちそうにないなぁ」


 蒼白な顔で微笑した柳沢は、二度目の胃液を海面へと吐き出した。



「つくづく人間は、陸の生き物だと思い知らされるね」

「そうね」


 こちらも強張った表情で目を充血させた嵯峨が、一点を病的に凝視してつぶやいた。


 少しでも動いたら我慢が利かなくなりそうだ。指の先が、圧迫で白くなるほどに船縁を強く握りしめて、筋肉の硬直で肩を縮こませていた。


(こんなとこ、廣瀬には見せられないな…)

 鬼の首でも取ったみたいに、大喜びでこう言うだろう。



『船の揺れに耐えられないなんて情けない!さぁ、ベッドの上で、揺れる特訓に付き合ってあげようか!』




 その点、川上は憎らしいほど平気な顔だった。


「当日もこの位の波でした。いつも魔巣窟の妖気で荒れ模様ですから、見ての通り、我々にとってはさほどの障害ではありません」



 慣れた手順で水の精霊を使役し、巨大な渦を読み切っている。なるほど、沿岸特殊警備隊の高い魔法力、それも専門的なものを見せつけてくれるものだ。

 嵯峨の疑問のひとつである江口軍曹から聞いた荒れた海も、川上少尉を始めとする警備隊員には、確かに通常のことらしい。


 捜査のきっかけにするアテが外れたことも、嵯峨の気分を害しているひとつだった。



「さぁ、この海流に乗れば完璧です」


 川上がボートをバウンドさせた。とたんに、雷雨の咆哮から皇国帝国双方の無差別爆撃音と波濤が轟音となって、嵯峨たちの頭上に飛び交った。

 軍学校のエリートであるはずの嵯峨や柳沢でさえ身が竦むほどだ。文字通り、お腹の底から恐怖に響く爆音だった。


「このあたりは風の精霊が乱されています。意志の疎通は、なるべくテレパスを使ってやってください」

 そんな川上の忠告も、もちろん聞こえるはずがない。


 船酔いと騒音の嵐でヘロヘロになりながら、ようやっと海岸に着いた嵯峨たちは、ぐったりと腰のあたりから折れて砂浜に突っ伏した。



(当分、遊園地はおねだりしないでおこう…)


 十年分は絶叫マシーンに乗った気分だ。デートコースの選択肢から、頭の中で黒塗りにして消去しておく。

 気持ち悪さにうっぷと喉を鳴らした嵯峨の脳裏には、憎たらしく笑う廣瀬の顔が映っていた。





「丁度、あの岩あたりから降下し、装備をつけて泳ぎます」



 野営のテントを張れる場所を探しながら、川上は手を上げて指差した。


 とぐろを巻くどす黒い雲。その重苦しい空気を引き裂いて、不気味な金切り声が反響した。


「魔獣の声です。あれはおそらく、ワイバーン。この辺りならまず大丈夫ですが、もし姿が見えたらすぐに隠れるようにしてください」

 襲われれば、さすがの沿岸警備隊員でも敵わない、という。



「まだマナは残ってるかなぁ?残留思念を調べたいのだけど」


 嵯峨がいくつもの渦巻きでかき回される海を見ながら、慣れないテレパス方式で川上に尋ねた。実際は必要ないのに、口も一緒に動かしてしまう。


「濃厚すぎるくらいあります。だから逆に、必要以外のノイズが入ってしまうと思いますが」

 川上もわざと声を出しながら、テレパスを使った。気を使ってくれたのか、馬鹿にされたのか。



「この位置からだと、海で起こった事故は少し小さくなってしまうな」

 柳沢が、マナを算出しながらテレパスを飛ばした。口を閉じたまま計算をしてるから、無表情な能面に声がかぶさってるようで違和感がある。



「とりあえず、全体の流れを見れるのなら良いんじゃないですか?細かいとこは……」

 嵯峨はクスッと笑った。

「またボートに乗って近くまで見に行けばいいんだし」


「そいつは大変だ!」

 柳沢も大袈裟に身震いするふりをして、海の見下ろせる丘の上に投影機を備え付けた。


 三脚にのせて高さを調整しているそれは、使用者の魔法力を展開してその場の残留マナを映像化する調査器具だ。



「あぁ、言ってくだされば、わたしがやりましたのに」

 テントを張り終えた川上が、慌てて手伝いに走ってきた。雑務も全てやるよう言われてきたんだろう。事故当時の映像再現のために、自分の魔法力を展開しようとしていた。


 だが嵯峨が、それを遮って言った。



「ごめんなさい。こちらで記録を取っておきたいんで、わたしがやります。それに、他の人に任せて大変な目に遭ったことがあるから」

 思い出し笑いで顔を綻ばせる。大変な目、というわりには、嫌な思い出ではないらしい。


「そいつは初耳だな。どんなことがあったんだい?」

 柔和な表情で、柳沢が婚約者の微笑みを嬉しそうに見ていた。



「ずっと前だけど、廣瀬大尉と事故の共同調査で空港へ行ったとき、彼に残留思念を映してもらったの。そしたら事故状況とは別に、紐みたいなビキニの女性が現れてね、大尉が言うのよ。『大変だ!これは凄い爆弾が仕掛けられていたもんだ!こちらも負けていられない!さぁ対抗して、嵯峨中尉も脱いで!』って」

 あっけらかんと話す嵯峨の横で、柳沢は微笑みを凍りつかせていた。



「水泳教練用の水着まで持ってきて言うんだから、まいっちゃうわ」

「そのビキニの女性っていうのは?」

「もちろん、その大尉の作った勝手な映像よ。ホント、しょうがない人だから」


 初めての事故現場、そして損壊の激しいいくつもの遺体を前に緊張してたあたしに、そんな悪戯を仕掛けるんだから、と苦笑をこぼした嵯峨に、川上も肩をすくめた。


「私たちは映像を改竄なんてしませんが、まぁそういうことでしたらお任せいたします」

「ありがとう」




 嵯峨は指で印を組んでマナを練った。そんな嵯峨の肩を柳沢がこれ見よがしに抱き、


「僕も手伝うよ。さぁ手を添えて。呼吸を合わせよう。ほら1、2、ゆっくり吸って吐いて」


 お互いの体温を交換するようにほっぺたを付け、川上が呆れるほどふたりの身体を密着させた。



 嵯峨は嵯峨で、婚約者のあからさまで濃厚なスキンシップに少女のように照れまくり、逆にどぎまぎと集中出来なさそうだった。ここまで積極的なのは珍しく、危険な地帯の場違いさでも、嬉しさは変わらない。




 嵯峨は普段より長い準備時間をかけて、丘の上から海に映像を投影した。



 まず現れたのは、低空で海上にホバリングする飛空挺だった。沿岸特殊警備隊の穿孔突破挺だ。

 そこから順番に、装備を付けた隊員が荒れた海へと着水していく。いわゆる“30フィート、30ノット”の『サーティー』降下訓練だ。



 一糸乱れぬ軍隊行動。リズム良く立ち上がる水しぶきが、高練度で訓練されている機敏さを良く表していた。


 嵯峨によって海上に展開されているマナの幻影は、モノクロで再現されるだけにむしろ機械的ともいえる順調さで、次々と機能的に上陸していく。嵐の影響など、警備隊員たちには欠片も障害ではなかったようだ。



「当日の訓練は、これで間違いない?」


 過去に行われた訓練の再現映像を凝視しながら、嵯峨は川上に確認をとる。


「はい、一番重要な上陸強襲作戦の訓練ですから。しかし、さすが法務科の調査能力は素晴らしいですね。それぞれの隊員の特徴まで鮮明に判る」


 嵯峨の魔法力の高さに、川上はしげしげと感嘆していた。嵯峨や柳沢からすれば驚きのサバイバル能力を見せつける警備隊のエリートも、専門外の技術を前に、素直な感動を口にした。確かにこの土地で、安定してマナを操っているだけでもたいしたものだった。


「まぁね。でも何か見つかっても、これだけでは物証が出ない限り証拠にはならないのよ。あくまで目安なんだけどね」

「あぁ、改変されてることもあるから、ですか?」

「そう。いきなり水着の美女がポーズをとったりね」

 クスクスと笑った。




 やがて、モノクロの再現映像から、本当に唐突な原因不明の大波が現れ、海面に浮かんでいた数隻のボートを飲み込んだ。


「あ、あれは?」

「あれが少尉が観測に乗っていたボートですね」



 転覆したボートに他の警備隊員たちが群がり、的確な救助活動が展開される。


「見事なものだな」

 映像を分析していた柳沢が、頭をかきつつ口笛を吹いた。まるで混乱という様子が見え無い。


「いえ、一時はパニックでした。大佐の指示で、なんとか立て直したくらいですよ」

 川上が恥ずかしそうに言った。



「芦原少尉は、他の隊員を助けようとして溺れた、という証言があるんだけど?」

「私もそう聞いています。ほら、装備を付けていない隊員を海面に引き揚げては、また潜っている。あれが少尉ではありませんか?」


 川上が指差した先、小さな兵士たちがうごめく中に、言われる通り行動しているひとりの姿があり、やがて見えなくなった。



「ここからじゃ、顔までは見えないわね」


 映像のその場面を繰り返し再生しながら、嵯峨は目を凝らした。転覆したボートの位置は、丘からは遠い。ある程度拡大して見れるにせよ、写真でしか顔を知らない芦原少尉を正確に見分けるのは、少し無理があった。



「ボートで近づこうかしら?」

 芦原少尉の痕跡近くで、もう一度再現させてみたい。


「いや、それは……。ちょっと海面が荒れだしてきていますし風も良くない。いまボートを出すのは危険です」

「あら?あなたたちにはそんなに変わらないんじゃないの?」


 川上の躊躇いを意外そうに、嵯峨が表情を変えた。

「それとも、細かく調べられると不都合でもあるのかしら?」



 まるで不正を暴く検察官のような言葉だ。川上は戸惑って柳沢の方を見た。柳沢も入れ込みすぎている嵯峨を心配になったのだろう。


「そこまでは必要ないんじゃないかい?川上少尉も、あのボートに芦原少尉が乗っていたと言っているし、証言通りの行動を取っている人物もいるんだ。僕たちが調べるべきは、当日に大佐の過失があったかどうかだろ?」

 それには全体を見渡せる丘の上からの方がいいんじゃないか?と、婚約者を優しくたしなめる。



「それも…そうかもしれないですね」


 大人の落ち着いた雰囲気を持つ柳沢に、嵯峨は弱い。あっさりと自分の意見を下げて、再現映像を大波の起きたあたりから繰り返し調べ直す。



 ザザザ…ッ

 一瞬、エッジの利いたノイズが入った。


「何かしら?」と嵯峨が柳沢に話しかけたと同時に、




 ズズズーーンッ!




 鈍い唸りが、妖気ただようねっとりとした空気を震わせた。



「味方の大砲ですね。結界に阻まれて、少し手前に着弾したんでしょう」

 川上が音の方向を探って、事も無げに言った。「たまにあるんですよ」


「それって、危なくない?大丈夫なの?」

「あの半島の付け根あたりの山、わかりますか?あの抉れた巨大な穴は、結界に弾かれてきた砲弾で吹き飛ばされた跡なんです。私たちが訓練している目の前でした」


「魔巣窟の結界を破れなかったというの?」

「はい。魔獣たちも命がけですからね、そういう事もあります。そんなに頻繁にではありませんが」

「それって……」


 嵯峨は、神妙に眉を寄せてつぶやいた。



「どこに落ちてくるかはあなたたちに予測はできるのかしら?」



「さぁ?さすがにそこまでは。でも、いくら結界に弾かれるといっても、半島の海岸線までです。ここまでは飛んで来ませんよ」


 その危険は無い、と川上は力説した。沿岸特殊警備隊は過酷な訓練をするが、安全はしっかりと確認して行う。余程のことが無ければ事故など起こさない。

 しかし、嵯峨は別のことを考えていた。



「もし仮に、砲弾がたまたま海まで弾かれたとしたら、どうなるかしら?」


「かなりの爆発ですから、海がえぐれて渦が出来ると思います。でも、代わりに破壊力は半減するんじゃないでしょうか?海洋性の魔獣には、それ専用の砲弾を用意するくらいですから」

「着水で威力が減ったとしても、海面での爆発は相当なもの……。そこに偶然、訓練中の警備隊がいたとしたら?」


 映像での、特別大きな高浪。“余程のこと”が起こった可能性があるんじゃないの?



 嵯峨の考えていることにしばらくは怪訝な様子だった川上だが、やがて気づいて大笑いした。

「まさか、そんな偶然、考えられませんよ」


「あら、どうして?有り得なくは無い話だと思わない?」

「いくら何でも、ここまでは飛んできません。あれは不幸な事故なだけです。それに、沿岸警備隊は責任を転嫁するつもりはありませんよ」


 確固たる自負で、川上は断言した。沿岸特殊警備隊は逃げも隠れもしないし、非難を受けるというのなら甘んじて受ける。



(これも大佐の教育の成果か)


 型にハマった考え方は、基本いい加減な廣瀬と相容れなかったわけだ。なんとなく納得する。



「まぁかまわないわ。こちらで調べさせてもらうだけだから」

 優しく応え、嵯峨はこの周辺の長期に渡る流れ砲弾の数を調べ始めた。



「……」



 川上は沈黙していた。ポジティブに考える嵯峨を見て、つい本音が喉元をついてくる。


「…勝てますか?」



 川上が、ボソッと尋ねた。妙に影のある顔をしていた。


「有利には出来るかも、しれないわね」


 ニヤリと、嵯峨は笑った。








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