藤原東子中尉
昼になっても、空はどんより分厚い雲がどす黒く居座っていた。雨は降ったり止んだりだが、晴れてくれる気配は全く無い。
早めの昼食を食堂で済ました廣瀬は、法律書をペラペラとめくりながら、レモンを搾った紅茶で気分を落ち着かせていた。
「大尉、ご一緒してもよろしいですか?」
同じように昼前で休憩に入ったのか、定食を持った坂本准尉が廣瀬の向かいに座った。
「実は大尉に相談事が……」
申し訳なさそうに切り出してくる。
廣瀬は法律書を閉じ、肩を揺らしていつもの如くふんぞり返った。
「どうした?藤原中尉の手伝いは大変か?」
「えぇ…それは、まぁ」
坂本は疲れたような、かすかな笑いを浮かべた。
「いいか坂本、あの手の女性と仲良くなりたいだけなら、ご機嫌を損ねないよう尽くせばいい。しかし対等に渡り合いたいのなら」
廣瀬はズッと身を乗り出し、坂本の前に指を立てた。
「自分の信念を明確に出し、絶対に折れないことだ」
「はぁ…」
坂本の返事は、実に頼りなかった。絶対に折れない、なんてことは、まだ法務科に来たばかりの坂本准尉には、とてものこと出来そうに無い。
「要は自分に自信を持て、ってことだ。お前も法務科の人間だからな、多少は自信を持つのも悪くない」
そう言う廣瀬を見て、(あなたは過剰すぎますよね)という顔を、坂本はした。しかし、
「参考にさせてもらいます。でも聞きたいのは、別のことでして」
胸ポケットからメモを出して言う。
「大尉は五藤大佐と親しいらしいですね?大佐の人となりを、教えていただけないでしょうか?」
「なんだ、ボクに検察側に協力しろというのかい?」
わざわざ助言してやったものの、坂本は既に、藤原中尉の子分としてあれこれ働かされてしまっているらしい。忠実な使いっ走りらしく、与えられた指示を着実に履行しようとしているようだった。
廣瀬は苦笑した。
「ボクに聞くより、大佐の今の部下から聞いた方が良くないか?生な声が聞けるだろ?」
「もちろん訊きに行きます。しかし大佐の本当の人となりを訊くには、上下関係のある現在の生徒たちよりも、過去に教わったことのある大尉に訊く方が参考になりますから」
(なるほどね)
さすが藤原中尉の指示だ。悪くない。
「そうか、じゃあちゃんとメモを取れよ。大佐はな……そうだな、一言で言えば『お山の大将』だ。すぐに部下を怒鳴る。気に食わないことがあれば容赦なく殴る。しかしネチネチとはしない。的確に叱って、そして世話を焼く。
同じ調子で上官も怒鳴りつけてたが、大概は大佐の言ってる方が正しかったから、人によっては『兄貴分』として慕われたりもするタイプだな。ただ、多少独断が過ぎる傾向がある。自分の意向が第一で、気弱な部下だと、何も言えずに指示に従うだけになってしまうな」
「その当時、大尉も指示を待つだけだったんですか?」
「ボクが?はっ!朝から晩まで、お互いに譲らず言い争いしていたよ。意見が合ったことなんて、数えるほどしか無かったな」
やや懐かしく思い出しながら、廣瀬は乾いたせせら笑いに唇をゆがめた。
「だが、そういう反抗的な部下にも偏見無く評価をしてくれた。彼自身も、上司に物を言う士官だったからね」
「部下から人気があるというのも、分かる気がします」
「あぁ。だけどしょーもない冗談ばっか言って、部下を困らせることも多かったけどな。普段の言動の半分は差し引いて見ないといけないひとだ」
そう言った廣瀬を、坂本は意外そうな顔でながめていた。聞き知っていた大佐のイメージとは、少し違っていたらしい。
「いや、たいへん参考になりました。ありがとうございます。感謝ついでにもう一つ頼み事が……あ、中尉!」
と、話途中で、坂本は廣瀬越しに声をかけた。廣瀬が振り返ると、美しく化粧をした藤原中尉が食堂に入ってきたところだった。
「大尉、わたくしも同席させていただいてよろしいですか?」
坂本の声に気づいてにっこり笑った藤原中尉は、廣瀬に親愛のハグを、少し意味ありげな強さでギュッとして、その隣りの席に座った。椅子をわざわざ廣瀬に近づけるようにする仕草に、柑橘系の爽やかな香水が香る。
(軍人としては、あまり感心できる趣味ではないが…)
美しく爪の先まで手入れを行き届かせた藤原を見るのは、廣瀬にとっても悪い気はしない。
「大尉、坂本准尉から話は聞いていただけました?」
「それを今からお願いするところでして」
藤原の涼やかな声に、坂本が鈍感に答えた。藤原中尉はニコニコと柔らかい笑みを崩さないままだ。が、会話の流れのとっかかりを潰された不快感に、廣瀬から見てもわかるくらいあからさまに坂本を黙殺して、藤原は廣瀬に笑顔をすり寄せてきた。
「廣瀬大尉、少しわたくしたちにご協力してくださいません?」
廣瀬に好意を持っている、というよりも、何か目的があって接近してきているのは明らかだった。大きな瞳に長い睫をパチパチさせ、妖艶な肉体をしなだれかからせた藤原は完璧な微笑みを作る。
「どうかな?ボクは少将から、この件からは外れるようにと言われているからね」
そんな藤原に、わざと意地悪を言ってみる。美しすぎる藤原を見ていると、ついいじめたくなるのだ。藤原の美しさには、それを容認する媚びと艶があった。その廣瀬と藤原のリズムを、坂本が再び乱した。
「ですから法務官としてではなく、証人として証言台に立っていただきたいんです」
「ボクにか?!」
廣瀬は驚いた。この要求は、正直めんどくさい。
「そんな必要無いだろ。事故に関係する人間だけで十分だ」
「大佐の人となりを証明したいのです」
坂本からメモを毟り取り、藤原はニコニコと微笑む。同僚でなければ、思わず声をかけてしまいたくなる美しさだ。
「証人になるのは困る。あれは気分の良いもんじゃないからな」
かといって、断れるだけの合理的な理由もない。
検察側が事故の真相究明のために召喚してくれば、法的な拘束力も出てきてしまう。
「それが君たちの狙いか……」
検察側の証人として廣瀬を囲っておくことで、弁護側に有利な証言も抑えることができる。
「大尉の協力が得られれば、鬼に金棒です」
坂本がまた、空気の読めない言葉を使った。藤原と廣瀬の双方を評価してのことだろうが、まるで相手を殴りつける剛腕に見立てられてるみたいだ。
第一、任務とはいえ軍学校の人間が軍学校を責める裁判で、ここまで嬉々としているのはいかがなものか?
しかもこれでは、“鬼”の位置にいるのは藤原中尉になるではないか。女性が自身を例えられて、気分のいいものではない。
(まぁ坂本准尉にとっては、知らぬ間に“鬼”になっていたんだろうけど……)
「弁護側にも、大尉を証人として召喚することを伝えておきます。第一回目の公判は5日後の週明けですから、お迎えにうかがいますね」
藤原中尉は、廣瀬の予定などを考慮せずに決めてしまう。自分の決めたことはその通りに進むべきだ、と相変わらず疑っていないらしい。
「そうだ、少将が大尉をお呼びでした。お昼を召し上がったあとに、オフィスへ来るように、って」
藤原がコロコロと笑った。
「わたくしたちもご一緒させていただきます」
相変わらず、光の粒子がキラキラと舞う神々しい女神の微笑みだった。




